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第十二話「この世界ともう一度」

253/境界の国で

 第十二話「この世界ともう一度」


「うーん、やっぱり無理みたい」


 暮れなずむ夕暮れ時のリュブリャナの街に、少女の嘆息が漏れる。


 中欧はスロヴェニアの首都、リュブリャナはルネサンス調、バロック調、アール・ヌーヴォー調などの幾つかの様式がそれぞれに独立したまま調和を保っていて、柔らかで受容的な街並みをしている。そんな古都の風情を纏いつつも、自動車が行き交い、人々は日本人と同じ洋装に身を包む。世に言う十日間戦争で独立してから二十二年。自国通貨のトラールを廃してユーロを導入してから六年。古きと新しきが混じり合う、独特の情趣がそこにはあった。


 志麻がそんなリュブリャナの片隅の街灯に向かって掲げた手を下した。機構物に変化がないどころか、オントロジカの光すら集まらない。彼女の本質能力エッセンテティア機構的なリ・エンゲー再契約ジメント」は、そもそも起動すらしない。


 途中、韓国の空港とドイツの空港を経由した際にそれぞれの場所でも試したが、結果は同じだった。志麻の本質能力エッセンテティアは、日本の外では使えないのだ。


「その土地のオントロジカとの相性のようなものでしょう。長年日本の『S市』の守人として本質能力エッセンテティアを使ってきた志麻さんは、たとえるなら血液の型が日本の『S市』に最適化されてるようなものです。輸血で能力を使おうにも、いきなり違う型のオントロジカは使えない」


 この現象を解説するヴォーちゃんの声がジョーの内面に響いてくる。


「でも、俺は普通にヴォーちゃんと喋れてるんだけど?」


 ジョーとヴォーちゃんの「念話」も、オントロジカを使った本質能力エッセンテティアの一部である。


「スヴャトの記憶を継いだ賜物かと。スヴャトも世界中で本質能力エッセンテティアを使える人でした。その土地、その土地のオントロジカを自由に使うには、コツが、あるいは練習の時間が必要なのです」


 ヴォーちゃんの解説を志麻にも伝えると。


「ううっ。なんか、宮澤君にはできるのに、私にはできないっていうのは、癪ね」


 志麻は腰に手を当てて、再び溜息をついた。理性では分かっていても、異国人である自分が場に馴染むのには相応の時間、努力、あるいは精神的な変化が必要であるということに、ついつい感情の方でもどかしくなってしまうといった様子である。


 ところで、スヴャトのこと、ヴォストーク1号のこと、「構築物コンストラクテッド・歴史図書館ヒストリア」の「墓地ネクロポリス」の暗黒のこと、ジョーの作戦のこと、道中であらかた志麻には説明し終えていたのだけれど。


「警戒した方がイイのは、この地で敵と交戦になるケースだな。陸奥は何だか復活してたんだけど、俺と関係なく現界してるらしくて、ここには呼べないんだ。志麻も能力を使えないとなると、本当俺が柔道で頑張って戦うくらいしか」

「ヴォーちゃんさんをさらに『開放』すれば概念武装も使えるようになるけれど、その分『この世全ての犠牲ネクロス』も世界に出てきてしまう、ということよね。なるほど、この綺麗な街を焼くわけにはいかない……か。一応私もこういうの準備してきたけど」


 志麻は懐から一振りのナイフを取り出した。元々アスミの十三体目の義体を持ち帰るのが目的の旅であるため、空港のチェックをすり抜ける用途として、認識阻害のリボンは多めに準備してきていた。


「と言っても、敵に遭遇しないのが一番ってことね。どっちみち時間もないのだし、早めの行動を心がけましょう」

「俺としてはどっちみちすぐにブレッド湖の近くに移動するつもりだったけど、そんなことを言う志麻はなんで酔ってるんだよ」

「興味が、あったのよ!」


 志麻は、フランクフルト空港からリュブリャナ空港への小さな飛行機のフライト内で出されたワインに口をつけていた。果実風味の甘い香りが鼻をくすぐり、舌触りはまろやかで、美味ではあったらしい。


「ちょっと、勢いもつけたかったしね!」


 ほろ酔いという程度で、特に行動に支障が出るような状態ではなさそうであったが、口数は多くなっている。


 ちなみにワインの方は遠慮したジョーだったが。


「ま、こんな事態じゃなければゆっくり観光したい国だけどさ。今は頼むぜ」


 異国の地をほろ酔いの女を連れて歩く男というのは、急ぎの用事がなければ味わい深い状況かもしれないが、現在のジョーはちょっと志麻をエスコートしてレストランでアドリア海の海鮮を味わうといった状況にはない。


「分かってます。分かってます、けど……」


 志麻は朱色から薄闇の色までグラデーションしてゆく、異国の空を仰いだ。


 夏の匂いがする。


 聴こえる気がする水のせせらぎは、日本の「S市」の一級河川のものではなく、スロヴェニアのリュブリャニツァ川のものである。でも、生まれた場所からは遠い国の川の流れだとしても、優しい音はどこか懐かしく志麻の身体に響いてくるのだ。


 人は穏やかで。果実は美味しく。街灯が薄闇の中を静かに揺らめいている。


(「S市」と、少し似てる)


「私、少し時間を貰えば、この土地のオントロジカとは仲良くなれる気がする」


 美しいものを見つけ直しているような志麻の態度は、ジョーにとっても好ましく映った。


 スヴャトの記憶にもアクセスできるジョーとしては、比較的戦火の犠牲が小さかったスロヴェニア以外にも、旧ユーゴスラヴィア圏でたとえばボスニア・ヘルツェゴビナやクロアチアの紛争の悲劇を、追想することもできる。でも、そんな世界の悲しい側面は、今、ようやっと世界の優しい部分に目を向けられるようになった志麻に、ことさらに伝える必要はないものに思われた。


 さて、夜になる時間であるが、行動を開始しないとならない。


「ブレッド湖までは、バスで一時間くらいらしいぞ」

「あ、それだけどね、ウーパー呼んでおいたから」

「ウーパーって何だ?」

「フフ。宮澤君。私のこと、情報ばかりはよく集めるけど、知性は足りないギークだな、なんて思ってたフシがあるでしょ?」

「え? 全然、そんなことはないが」


 スマートフォンの画面を確認しながら、志麻が解説してくれる。なんでも、個人でやっているタクシーのようなものを呼べるサービスらしい。GPS経由でこちらの位置情報はドライバーに伝わり済みで、あとはやってきた車に乗車して目的地まで送ってもらうだけだという。スロヴェニアではまだ正式にサービスが開始されていないのだが、いち早く食いついたギークたちが水面下で活動を開始しているという。国が違ってもそういう領域へのアクセスを、スマートフォン一つで事もなげに成してしまう志麻にジョーは思わず感心してしまう。


 かくして、しばらくすると路上に佇んでいたジョーと志麻の傍らに、一台の自動車が停車した。中から陽気な金髪の青年が降りてくる。


「たぶんドライバーさんだけど、ユーレさんかどうか、聞いてみて」


 ドライバーの情報もまた、こちらにアプリ経由で伝わっている。ちなみに今回のスロヴェニアへの道中、英語でのコミュニケーションはもっぱらジョーが担当である。


「Are you Yure?」


 ストレートに尋ねてみると、「yea!」と返答した後に、ユーレさんは合掌してお辞儀を返してきた。こちらが日本人だという情報も、既に向こうに伝わっているようである。


「コンニチワ~」


 発音もカタコトで、タイミング、儀礼の方法も日本人からすると何か違っているけれど、自分の知ってる範囲で相手の文化背景に合わせてみるというユーレさんの態度は好ましく感じられた。


 なので、ジョーとしてもカタコトのスロヴェニア語でこう返したのだ。


「ドーブルダン! プロスィム!(こんにちは。よろしく!)」

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