249/縁起の楼閣の中で

 「紫の館」の最上階で永久とわ色の光に包まれた宮澤ジョーは、気がつくと「楼閣ろうかく」の中にいた。


 「楼閣」という形容も仮称に過ぎない。


 ここには百色の言葉があり。


 それぞれが組み合わさって千色の世界を編み上げ。


 さらにそれがよろず色の全体へと繋がっていた。


 やがて全てが連絡し合いながら那由多なゆたの彼方まで至ると、また「始まり」に戻り「繰り返さ」れていく。


 「楼閣」はその一つ一つが現在であり、過去であり、未来であり、可能世界であった。


 「楼閣」はその一つ一つが、「今、ここ」であり、「ここではないどこか」でもあった。


 一つの「楼閣」に迷い込んだジョーは、すぐに、その一つの「楼閣」の中に「全て」があることに気づく。だが次の瞬間には、その「全て」の中に、同時に「それぞれ」があることにも気づくのだ。


(これが、一九九九年の七月に夢守ゆめもり永遠とわが視たという『奇跡』の世界――「永認」の世界か)


 美しい。けれど美しいがゆえに、人間という矮小な存在には理解することができない、迷宮の世界がそこには展開されていた。


 無数の「楼閣」は各々が独立しながらも、それぞれが他の「全て」と調和しながら関係し合っている。


 一つの「楼閣」が他の「全て」と同義でもあり、「全て」は「それぞれ」と同義であり、「それぞれ」はまた一つへと巡っていく。完全なる混沌と、完全なる秩序とが、そこには同時に存在している。


 ジョーは恐怖に襲われた。ここはあまりに、人間の認識の上限を超えた世界だ。このままでは、宮澤ジョーという自我が、どこかに消し飛ばされてしまう。あまりに遠大で深淵な世界を前にした時に、湧き起る恐怖というものもあるのだ。


 ジョーは、瞳を瞑って、意識を「世界」ではなく、「自分」自身の内側に向けた。すると、一つのアドバイスが思い出された。



――あらゆる世界全てを見渡せるとしても、本当の自分はどこにいたいのかをしっかりと持つんだ。



 そうだ。「紫の館」に入る時に、中谷理華がくれたアドバイスだ。この「自分」がかき消されないように、一つの「世界」へ、一つの「時間」へ、一つの「場所」へと決断して「同定」していく。


(俺が、どこにいたいのか、だ)


 やがて一つの「存在」に気がつく。それは、暗闇の中に灯る物語と文明のアカリに似ている。その「存在」の座標にジョーが近づいていくと、不思議なことにこの「楼閣」の迷宮の中でも、静かに「たましい」が慰撫いぶされ始めるのだ。恐れが手放されて、何か穏やかで善なるものが近づいてくる。


 時間。あれは七夕の日だった。


 場所。郷里を穏やかに流れ続ける空瀬からせ川の河川敷だ。月の光、若草の香り、水のせせらぎ。


 その時、その場所で、側にいてくれた「存在」は。


 紫を基調とした藤模様の和装に、左右でリボンにまとめてある黒髪が艶やかに肩口まで下りている。漆黒の瞳と、柔らかそうな薄いピンクの唇。「弾む」美しさと「静かな」美しさとの両方とを持っている、「聖」と「俗」が同居した佇まい。不器用ながら、不可思議な自分と周囲の世界との折り合いをつけようとしている、少女像。


(アスミ……)


 何でだろう。涙が、溢れてくる。



――「楼閣」。たとえ俺が生きた世界が、儚い仮構的な、何回目かの「模造」に過ぎないものだったとしても。その場所に、その人と、俺は……。



 自分にとって「確か」なものを意識した時である。


 ジョーは、ある一つの「楼閣」に辿り着いた。


 荘厳で、絢爛で、そして消え入りそうな伽藍がらんの「楼閣」である。


 ゆっくりとその「とある」「楼閣」の扉が開くと。



――中に一人の少女が待っていた。



 柔らかな亜麻色の髪をポニーテールにまとめあげ、細身を無地の白シャツで包み、上からグレイの長袖ジャケットをおもむろに羽織っている。


 揺れるダークトーンのスカートから健康的な太腿を覗かせているが、目を惹くのは腰の特徴的な二重ベルトで、枯淡こたんの趣がある。


「ようこそ、『セーブ・ザ・ワールド』の世界へ」


 瑠璃るり色の瞳の少女は、玲瓏れいろうな声をジョーに投げかけた。


「君は?」

「私は弓村ゆみむら理子リコ、あなたのお祖母ちゃん、かな」

「俺のお祖母ちゃんは、アンナお祖母ちゃんだぞ?」

「アンナと私の『たましい』は『両義りょうぎ』なんだ。うーん。別の『存在』でもあるけど、同じ『存在』でもある、みたいな」

「よく、分からない」

「ジョー君には、リコって名前よりもこっちの名前の方が馴染深いかもしれない。『多義たぎ』であるということ。私とアンナと。橋姫様と……他にも過去、現在、未来を超えて時々立ち現れる、その連絡し合い補い合いながら『全て』を『視る』『たましい』の名前は――」



――夢守永遠。



「いずれにせよ、『外』の世界――『レンマ』の世界では、ジョー君と縁がある人だったりなんだよ」


 目の前の理子と名乗る存在からは陽気な印象を受ける。


「全てであって、全ては一つでしかない。一つはそれぞれであって、それぞれもそれぞれが全てでもある。ここは、そんな『縁起の楼閣』の中だね。私がナビゲーターを引き受けるよ。何しろ、『永認』の『奇跡』を起こした人間は、人類史上で私だけだから。あれは、凄かったなぁ」


 理子は、どこか他人事のように呟いた。


「さて、ジョー君。何を視たくて、聞きたくて、知りたくて、ここに迷い込んだのかな?」


 ジョーは思案する。世界の話。アスミの話。自分の話。その全ての「謎」に関して関係している人物――Xについて、ジョーは知るために走り出して、ここまで来たのだ。そのXとは――。


祖父じいちゃん。俺の祖父ちゃんに当たる人だ。その人の生きた証を。歴史を。物語を、知りたいんだ」

「そのお祖父ちゃんの人生という『楼閣』に案内することはできるよ。でも、本当にイイ? 一人の人間の人生の記憶を視るということは、けっこう大変なことだよ。この世界の一九四六年から二〇〇七年までの物語だ。その物語を辿り終えた後、六十一年分の人生を上乗せされた君は今とは少し変わった君になってしまっているかもしれない」


 理子は腰の二重ベルトの後ろから、鞘走る音を鳴らしながらナイフを抜き放った。炭素鋼たんそこうのナイフが銀光を放つ。


「守りたい人がいて。守りたい場所がある。そのこととちゃんと向き合うために、祖父ちゃんのこと、ちゃんと知っておかなくちゃならない気がするんだ。今の俺と、少し違う俺になっても」

「それが、悲しい結末で終わる物語だとしても? みんな。ジョー君も。忘れていたからこそ、守られていたのだとしても?」

「たとえ悲しい物語だったとしても、なかったことにはしたくない。これまでの悲しい物語を忘れない上で、これからの悲しくない物語を探していきたい。そういう風に、生きていきたい」

「そう。覚悟はあるってことなのかな。うん。君たちはやっぱり少し似てるね」


 理子は納得したように視線を落とすと、軸足となる左足を少し曲げて「タメ」を作った。


 事態は急転直下である。


 理子は全身のバネを瞬発させ、手にした炭素鋼のナイフをジョーに向けたまま、流れるような動作とスピードで片手突きを放ち、ジョーの心臓を貫いたのだ。


 ぐぁ! 死んだ!


 ジョーが全身で絶叫を震わせようとした時、最後の理子の声が響いた。


「よろしくね! 未だ常世を生きてる、ジョー君!」


 かくして宮澤ジョーの縁起は巡り、彼の祖父・宮澤新和/スヴャトポルクが生きた「歴史」を追想する物語へ。



  過去編・始/



  ///



 弓村ゆみむら理子リコはジョーを刺殺して彼が望んだ時間・場所・人間の元へと送り出すと、数度腕を振って、握ったナイフについた血液をくうに飛ばした。


 亜麻色の髪を後部で可憐にまとめた、ポニーテールが揺れる。


 彼女は誰に向けて。どの「楼閣」に向けて語りかけるのだろうか。



「その男の物語を『繰り返し』詠む場合は、第二百十六節に戻って一節置きにキセキを辿ってみてね」



 そして。



「その男の物語の結末を読む場合は、次の第二百五十節へ進んでね」



――じゃあ、健闘を祈ってるよ!

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