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  • 第十一話「君の名前は」(後編)
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240/過去編――一九九五年~リュブリャナのロマンス

 過去編――一九九五年/


 時間が流れた。


 再びスヴャトポルクと名乗り始めた新和は、今ではロシア人のお爺さんの外見をしている。認識阻害の藍色のリボンは、今では顎ひげにつけている。適度にファンキーなお爺さんでありたいのだ。


 実際に、お祖父さんにもなった。一九九一年には、遠き故国の日本にて、初孫のカレンが娘のカンナに生まれていたから。


 そんな旅路の過程の。一九九五年の出会いについて。


 場所は、欧州はスロヴェニアという小国である。一九九一年に十日間戦争を経て独立していたが、元はユーゴスラヴィアという国に属していた。


 ユーゴスラヴィアという国を形容する、有名な表現がある。


 七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字を持つ、一つの国家。


 南から旧・ユーゴスラヴィア圏に入り、紛争が展開されていたボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチアを経由し、スヴャトは最後にここ、スロヴェニアを訪れた。


 首都リュブリャナは進展した国の大都市のような絢爛さはなかったが、近隣国に比すると穏やかで、平和があった。ベージュの屋根の煉瓦作りの家々が物柔らかに並んでいる。ルネサンス調、バロック調、アール・ヌーヴォー調など、それぞれの様式がそれぞれに背後に繋がっている伝統を宿しながら、同時に存在している街並みを、高所に位置するリュブリャナ城が温かく見守っている。


 夕暮れ時にはカフェテリアで飲食し、歓談する人々の姿が目に留まり、道を歩けば、飄々ひょうひょうとした風貌のスヴャトに陽気に声をかけてくれる人達もいた。


 国の「内」の中でも、「外」から来たスヴャトに対しても、交流をはかりながらも、押しつけがましさがない。各々が個人として独立しながらも、気遣い・謙虚さ、そういったものを大事にする姿勢が感じられる。


 特に後者に関しては。


(日本と、少し似てる)


 スロヴェニアの歴史資料が集積しているリュブリャナ大学へと向かう途中である。小さな橋の上で、スヴャトはその人物と出会った。


 声をかけてきたのは、あちらの方からであった。


「もし」


 月明りの下に、女が立っていた。


 ポニーテールにまとめあげた黒髪がそよ風に揺れている。纏っている白いローブは適度にくすんでいる。世俗と離れた霊気を纏い、瞳に星を宿している。右瞳と左瞳の星は別々で、何か、その認識を通して世界の真贋しんがんを見極めんとしているような。スヴャトの脳裏に浮かんだ言葉としては、「魔女」――そう形容するのがしっくりとくる女であった。


「異国の地でありますから。同郷の人には、それだけで声をかけたくなってしまったもので」


 管楽器に自身の内面の詩情を込めて演奏しているような、声と言葉の繰り方であった。


 「操認」のリボンでロシア人の風貌に他者からは認識されているはずのスヴャトに、日本語で話しかけてくるということは。


「『存在変動者』か」

「はい。でも、警戒なさらないで。戦ったりは、しない方ですから」


 すると女は石造りの橋の欄干らんかんに掌をかざした。赤い存在変動律が伝播し、欄干の一部が切り取られ、宙に浮かんでゆく。


 空中に浮かんだ石の塊は高速で「組み変わって」ゆき、やがて一体の精巧な人形がスヴャトの前に出現した。


 人形は、初老の男の姿をしていた。藍色のリボンでロシア人に風貌を変えているスヴャトではなく、歳を取った日本人としての宮澤新和の姿であった。


「人形師・空瀬からせアリカと申します」

「ふむ。たいした能力だ。だが、その人形は元に戻してはくれないか。隠している自分の正体を目に見える形で突きつけられるのは、なんだか嫌な気分なんだ」

「それは、失礼しました」


 アリカが掌を返すと、人形は再び「組み変わり」、橋の欄干へと戻っていった。


「『理想的な人間』、を探しています。私の能力は、そんな人間の人形を創るために与えられたものだから」

「心あたりがないな」


 あえてあげるなら。


 ソビエト連邦の第一宇宙開発局にいた時に、少しだけ話したり、すれ違ったりした男。体は小柄ではあったけれど、優れた知性と、万人に受け入れられる気さくさを持った男だった。その男のことが思い浮かんだ。


 今では人類史に名を刻んだ男になってしまったが。あの頃のスヴャトが目指していた「一番」という形での「特別」、頂点に到達した男。スヴャトが憧憬した歴史的構築物に搭乗し、人間として初めて地球の外に出た人物。その偉業を考慮するなら、彼は限りなく「理想的」に近い人間であった気もする。


 しかし、そんな彼もその後、飛行機事故で亡くなったと聞いている。儚い。やはり、どんなに超然とした領域に辿り着いた者であっても、やがて死んでしまう。人間とは、しょせんそんな存在なのだ。


「先ほどの人形制作は即興ですが、私もやがて、入念な準備の上で自分の最高傑作を作らねばなりません。それは、『存在』の生き写しとでも呼べるような人形です。だとしたら、そのモデルは『理想的な』人間がイイ。そんな人間を求めて、この欧州の狭間の国までやって来ました」

「狭間、境界、そういう場所でこそ本来の人間性が立ち現れる。そんなことはある気もするがね。して、見つかったのかね」


 アリカは首を横に振った。


「逆です。全然、理想的でない人と結婚することになりました」

「それは、それは」

「この国で、ロマンスがありました。しばらく、この地で暮らそうかな、なんて」


 その時アリカが見せた、へらっとした微笑みにスヴャトはとまどった。纏っていた神秘的な雰囲気が、急にふんわりとしたものに変わる。一瞬、彼女が本物の魔女なのか、普通の女が魔女のコスプレをしているだけなのか、分からなくなる。これまで様々な存在変動者に出会ってきたが、「聖」と「俗」が同居しているアリカのようなタイプは珍しく思われた。


「じゃ、まあ。うちも、出身国が異なる者同士の夫婦だから。とにかく、相手の立場になって考えてみるのが、長続きするコツだ」

「先立からのアドバイス、参考にさせて頂きますね」


 アリカは一度深くお辞儀をすると、テクテクとスヴャトがやってきた方の橋の向こう側に向かって歩き始めた。


 その背中に、もう一言だけ声をかけた。


「そうそう。どんな理想的な人間像よりも、愛しい人間が、できるかもしれないよ」


 スヴャトの脳裏に、フと幼かった頃の娘のカンナの顔が過った。


 やがてスヴャトも、己の目的のために、当初から向かう予定だったリュブリャナ大学の方へ向かって、橋の上を歩いて行った。


 この欧州の小国での、最初の縁はこんな感じ。



 この時から二年後。空瀬アリカに生まれた娘の名前を、空瀬アスミという。


  /過去編――一九九五年

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