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第十一話「君の名前は」(前編)

214/過去から今へ

 第十一話「君の名前は」(前編)


「もしもし。ヒョージさん。ヒョージさんっ」


 ジョーのひい祖父、宮澤兵司ひょうじは懐かしい声を聴いてまぶたを開いた。もくもく。わし、雲の中に浮かんでいるな。これまでの人生で何度目かの不思議な体験である。現実ではないと分かっているけど、夢かと言われると自信がない。


 金色こんじきの大輪を背にして、彼女は浮かんでいた。


「なんぞい、懐かしい姿で」

「えへへ」


 紅色を基調とした和装は、生前の彼女が好んで身に着けていたものだ。この前、顏だけ見ていたけれど、その時の格好はひ孫の友人から借りたらしい洋装だった。こっちの姿の彼女の方が、兵司としては落ち着く。


「まったく。何が陸奥むつじゃよ。理由があったんであろうて。突っ込まないでおいたがな」


 久しぶりに、妻の名を呼んだ。


陽毬ひまり


 彼女だけ、十代前半の姿なのはズルい。こちとら、よぼよぼのおじいちゃんだ。


「いえいえ。そちらの世界での私は、確かに戦艦陸奥でもあったのです」

「ふーむ。で、お前さんは今、どこにいる?」

「ここではない、遠いどこか、ですっ。温かい何かのふところに抱かれている感じ。『たましい』が辿り着く場所。そちらの世界から見ると、それは、星空の彼方にあります」

新和しんわが辿り着きたいと願った場所か」


 また、懐かしい名前を口にした。優れ過ぎて。不思議で。そして、最後に立ち会ってやれなかった息子の名前である。


「ジョーさんが、心の奥に抱いている風景の場所でもあります」

「そんな気はしていたわい。最近ジョーに現れた不思議な力は、やはり新和のものと同じか」

「はい。ジョーさんはまだその本質に気づいていないようですが」

「で、なんぞい。こんな所に呼び出して。今更、わしに何を望む」

「私は、もう一度だけジョーさんの元に駆けつけたい」

「おいおい。もう既に、あり得んことじゃないか。わしらの時代は、終わってる。それは、世のことわりに逆らうことじゃあないか?」

「私達の時代のうちに、片付けておくべきことがまだあったのです。何故、このような世の理を破壊するような力が宇宙に存在しているのかは分かりません。でも、その力を他ならぬ私達の子が、新和が持ったというのは、何かの『縁』なのではないでしょうか。『縁』が紡がれる時、そこには何らかの意味があるはずです。だとするならば、私は悔恨を断ち切って、納得の元にその『縁』を、次の時間を生きる者達に、次の時代に贈りたい」

「悔いね。それを言われちまうと、わしにも心当たりがあるなぁ」


 この七十年あまりで感じたこの国の変化の一つ。誰も責任をとらなくなった。世の流れといえばそれまでであるが、兵司の感覚からするとそれはちょっと違う。だとするならば、悔恨にしっかりと自分で片を付けるという陽毬の言は、最近忘れられがちな「自分達の選択の結果生じた事柄に対しては、自分たちも真摯に引き受ける」ってことじゃあないのか。年老いた自分には、もうちょっと無理かなと思っていたのだけれど。


「あい分かった。どうすればイイ?」

「もう一度そちらへ行くために。オントロジカ。そちらの時代でそう呼ばれていたものが必要です。ヒョージさんのそれを半分ください」

「よいよ。こんな老いぼれのもので、足りるか?」

「十分ではないでしょう。だから、『もう一度だけ』と言いました」


 兵司は己の左胸から青い光を取り出すと、ホイっと宙に浮かべた。光はフワフワと移動して陽毬の手に収まると、紫、やがて紅へと色を変え、彼女の体と共鳴していく。


「ジョーさんは、優しい子に育ちましたね」


 陽毬は光を抱きしめた。


「甘いんじゃよ。新和と同じだ。どこかで全員助けられると思ってる」

「でもその夢は綺麗ですっ。零れ落ちた分は、私達老いぼれが引き受けましょうよ」

「分かったよ。わしからも、贈り物をしておくことにする」


 陽毬の背の金色の輪が、彼女を取り巻いて収束し始めた。夢の時間の終わりが近そうだ。

 ただなあ。もうそんなに、言うこともないんだ。十分一緒に生きた。今はわしはまだここにいて、おまえはそっちにいる。それだけだ。


「わしも、そろそろそっちに行くじゃろう。陽気にしておれよ。それだけが、取り柄だったんだから」

「はいなっ」


 別れ際に、陽毬はニコニコっと笑ったので兵司は満足した。体が不自由になり、顏に皺が刻まれた頃でも、時々見せる笑顔で周囲を明るくする。宮澤陽毬はそういう人だった。


 さて、老後をできるだけ楽しく生きてきた間に、タイミングが来たらしい。



 ジョー、オマエに渡すものがあるぞ。

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