物語前半のエピローグ

139/――その感情

 物語前半のエピローグ――その感情


 後日、約束だからとジョーからカラオケに誘われた志麻しまは、入念に準備をして当日に望んだ。


 カラオケというものの概観をネットで検索して事前に知識を身に着け、歌う唄も決めて練習もした。唄を歌ったり踊ったりしている人たちの動画は豊富にネットにアップされてる時代であり、子供の頃からそういったものを志麻も画面越しにチェックはしていた。本日は、つまりそういったこれまでの体験の、現実編なのだ。服装も、メイクも今日はばっちり。


 ところが、指定された場所に赴くと、いくぶん、いやかなり事前に仕入れた情報とは様相が違っていた。


 まず、志麻はいわゆるカラオケボックスのような場所を想定していたのだが、辿り着いた場所は地下のメイド喫茶だった。ジョーの姉のカレンのバイト先だという。まず、アスミとジョーとこじんまりと歌う気で来たのに、カレン、ジョーのひい祖父に加え、お店のマスターに店員さん達(メイド姿である)、ポツポツと入っているお客さん達。そういう人たちの前で歌わなくてはならないという展開に、現在心は動揺中。初心者には、ハードル高くない?


「じゃ、じゃあオレンジジュースで」


 アスミの隣に座ると注文を聞かれたので、そう答えた。飲み物とか、飲みながらやるんだ。


 メイド喫茶内の奥は小さなステージになっており、定期的にミニライブやらイベントやらが開かれているのだとか。そんな小ステージを使わせてくれるのはありがたいことなのかもしれないが、何だかどんどんハードルが上がってる気もする。


 一番手はカレンだった。元々このメイド喫茶の住人ということもあり、メイド姿のカレンはこの上もなく場に馴染んでいる。本日歌ったのはこの前の居酒屋の時とは違って、アニソンメドレーだった。やっぱり、彼女は場に合わせて楽曲を選ぶという気を回せる人間なのだ。こちらの方が彼女の十八番という感じで、初っ端からステージは大盛り上がり。居合わせたお客さんからも声援が飛んでいる辺り、カレンはこの喫茶店ではちょっとした有名人なのが伺える。実際華やかな感じで、志麻も気が付けばリズムに合わせて体が動いていた。


「やっぱり、金髪で巨乳でメイドって、世界を幸せにするのね」


 思わず横にいたアスミに声をかけると、アスミは飲みかけのお茶を吹き出しそうになっていた。


「いや、そりゃそうかもだけど、何かあんたらしくない台詞ね」

「何か、今私、変かも。胸がうずうずして、ちょっと座ったり立ち上がったりしたくて、内心アスミの手を握って振ったりしたい」

「ええっ。何それ」

「ええ、本当、自分でも今のこの気持ちがよく分からないのだけど」


 次はジョーの番だった。曲目は洋楽の有名なバラード。六十年代に一世を風靡した世界的ロックバンドのナンバーである。中学時代は部活仲間と盛り上がる曲を歌ってたみたいなことを言っていたけど、ジョーも場に合わせて皆が知っている曲を選んだようだ。確かに、何となく英語の歌詞も分かり、一緒に口ずさめるのはイイ。ジョーは元々鼻の辺りとか、顔立ちに異国風な部分があるので、英語詞をしんみりと歌うのも絵になっている。志麻も、旋律に合わせてゆっくりと体を揺らす。さて、志麻の番は次の次だ。ちょっと緊張してきたぞ。また、隣にいたアスミに声をかけた。


「私、小学生の時に学芸会の劇で女神の役をやらされて、なんか男子に人気になっちゃって、連鎖的に女子からは目の敵にされて。それ以来、こういうステージに上がるということにトラウマがあるのよね」

「へぇ、そんな話始めて聞いたわ。って、え? 私、今自慢されてるの? 私昔から可愛かったからって、自慢されてるの?」


 ジョーの歌が終わり、次はジョーのひい祖父がステージに上がる。志麻も準備にと、ステージの下まで移動する。


 ステージから降りてきたジョーと軽く言葉を交わす。


「宮澤君、慣れていてなんか嫌な感じ。女の子にもそんな感じで近づいてきて、油断した所で牙を剥くのね」

「おまえ。何を言ってるんだ?」


 訝しげに通り過ぎていくジョーを見送り、心の中で練習した唄の歌詞をもう一度チェックしていると、ジョーのひい祖父の唄が始まっていた。こちらも、古い唄だけど聴いたことがあった。酒を飲んで、飲んで、飲まれて、何とか、みたいな歌詞だった。店内からは意外とカレンの時に次ぐ声援。確かに、長い人生でお酒にも一家言ありそうなおじいさんが歌うこの曲には独特の渋みがあって惹きつけられる。また、古い唄と言ったけれど、彼の長い人生からしたら最近の曲に分類されるのかもしれない。


 ジョーのひい祖父の番も終わり、いよいよ次は自分の番である。


「ほいほい」


 ジョーのひい祖父からマイクが渡された。


(ス、スマイルで歌おう)


 大丈夫。ネット動画見ながら練習もしたし。志麻が選んだのは、最近の音楽チャート上位のポップスで、これも、みんな聴いたことがあるような曲のはずだった。


 ところが、最初からアクシデント。なんか、流れ始めた曲のイントロが、練習してきた曲と違う。


「ごめーん。間違って曲入れちゃった」


 志麻が先ほどまでいたテーブルから、悪びれない声が聴こえてくる。


(アスミ、何をやっているの?)


 慣れない自分よりはと、曲の入力をアスミに任せたのが間違いだった。というかこれ、どうするの。今から中断して曲入れ直したら、場が盛り下がらない?


 そこで、ほとんど無意識的に、流れ始めた曲のイントロ部分は志麻も知っていたものだったので、歌い始めてしまった。志麻が子供だった頃。2006年頃にネットで流行ったアニソンだった。


(ど、どうしよう)


 初カラオケがアドリブかという状況で、でも曲自体は知ってるので歌い続けていたら、カレンと、あとメイド姿のお店のお姉さんがステージの上に上がってきて、志麻の両サイドに位置取り踊り始めた。


 何だ何だと志麻は思ったが、ああ、ダンスシーンで話題になった深夜アニメのエンディング曲で、そういえばネットに色んな人達が踊った動画が上がっていた曲だった。カレンとこちらの見知らぬお姉さんは振り付けとかをマスターしている模様。突如ステージに現れた可憐に踊るメイド天使二人に、場は本日一番の大喝采。志麻は振り付けまでは覚えてないけれど、とりあえず、なんとなく体も動かしながら真ん中で歌い続ける。


 さらに何だ何だ。ジョーとジョーのひい祖父までステージに上がってきて、パフォーマンスは五人体制になった。あ、ああそういえば、あのダンスエンディングの五人組のうち、二人は男だったわね。宮澤君はともかく、なんでひいお祖父さんまで踊れるの?


 めっちゃカッコよく踊る謎の四人をバックに歌い続け、とりあえず勢いを持続したままフィニッシュまでもっていった。最後の決めでは、とりあえず志麻も腰に手を当ててポーズを取ってみる。


 お店の奥の方でステージを観ていたマスターが、他のメイド姿の店員さん達が、ちょっとオタク風貌のお客さん達が、様々に喝采を送ってきた。そんな光景を見ながら、はぁ、はぁ、とちょっと息を切らしていると、後ろではカレンやメイド姿のお姉さんら今回のダンサーたちがハイタッチしていたり。志麻も何だか飛び跳ねてみたくなったり、その辺りにいる人に抱き着いてみたくなったり。


(あれ、何だ、この感情?)


 戸惑っていたら、客席の一角でなんだかクールぶって足を組んでるアスミと目が合った。アスミは、ニっと笑って、よく通る声で檀上の志麻にこう声をかけてきた。


「志麻、今、『楽しい』んじゃないの?」


(「楽しい」、これが?)


 疼く胸の内を誰かと分かち合いたくて、なんか、声を出したい。


 ちょうど良いことに、またアスミが間違って入れていたのか、次の曲のイントロが流れ出した。またまたアニソンからのダンスナンバー。今度は、志麻がもうちょっと大きくなった頃。2007年頃に流行ったヤツだ。これも、歌詞は知ってるぞ。


 各々の形で喜びを表現する客席に、再び志麻のバックで踊り出す檀上の人達。そんな中で、志麻は生まれて初めて感じたこの感情を乗せて、声を出した。


 戦いの非日常はちょっと置いておいて、この国の日常に目を向けてみれば、世間は大震災から二年半、政権交代から八か月ほどの夏の頃。行き交う悲観と楽観の言の葉の中、ここにいる私はまだ「幸せ」なんて感じられないけれど、今、自分の中心から湧き出しているこの気持ちとは、とりあえずこれからも一緒に歩んでいきたい。辛い日も、楽しい日も、ボロ船みたいな自分っていう存在と付き合いながら、少しずつ進んでいくしかないんだ。


 果ては彼の地のエッフェル搭。近くは何故か縁ありここに一緒にいる誰か。めくるめく世界の中の、本日S市中心街の片隅の地下メイド喫茶の小ステージにて、歌ってみた。


 志麻の物語は、まだこれからだ。



  /物語前半のエピローグ――その感情・了



  物語後半へ続く

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