85/澱み

 一方、志麻は自身が生成した鉄人間の突進が大紋白蝶に受け止められたのを見るや否や、駆け出していた。


 超女王は生物を、志麻は機構的な存在を、と対象は異なるが、自分と超女王は「使役する」という点で、同系統の能力者と思われた。


 大紋白蝶は鉄人間に覆いかぶさるようにしてその動きを封じ込めている。だが、そのように大紋白蝶を使役しているということは、超女王本体の心理的なエネルギーの幾ばくかをそちらに割いているということである。その分本体には隙が出来ることを、自身の経験を鑑みて志麻は直覚していた。


 志麻は鉄人間の使役を放棄し、駆け抜ける最中に片手を天にかざす。宙から滑空してきたのは機械鳥である。機械の鳥はそのまま青い光と共にその構成を変化させると、鋭利なサバイバルナイフへと姿を換える。


 空中でナイフを手に取った志麻はそのまま超女王の喉元に突きを撃ちこむ。一撃でその存在を否定せんとする、強い感情が志麻に湧き起る。


 しかし、志麻の突きは当たらない。


 ごく自然に体を横に入れ替えた超女王の動作の速度は一般人とさして変わらないもので、超女王の身体能力に卓越性は認められない。 では何故?


 志麻は自分が立ち尽くしていることに気づく。超女王がゆっくりと志麻の手首を捻りあげ、ナイフは地に落ちる。


 至近距離で迫る超女王の顏が霞んでいることに気づき、ようやく何か異常が起きているのは自分の身体の方だと理解する。


「麻痺、毒?」


 思い当たるのは蝶の鱗粉であった。呼吸で吸い込んでいたのか、あるいは皮膚からも浸透するタイプなのか。いずれにしろ、短時間で自分は蝕まれていた。


「自分の背後にある歴史を憎んでいる人間」


 志麻の手をひねりあげて動きを封じた超女王がかけてきた声は、意外なことに優しいものだった。


「親は当たり前に子に愛情を向けるものだとか。先人の努力の末に現在の幸福な世界があるとか。そんな話を信じられない人間」


 間近で見る超女王の表情に、しばしば強権を持つ者が宿す傲岸ごうがんさは見られない。むしろ憂いに満ちている。表面的に施した美の化粧の下には、苦渋の痕跡が刻まれているような。志麻は身体の痺れの中で感覚だけが鋭敏になった頭で考える。超女王は少し自分と似ている、と。


「この街に来てからのあなたとの情報戦は興味深いものでした。私は生物を、あなたは機械を操って、お互いを利する情報を集めていた。その結果少なくとも、私はあなたのよどみを知りました」


 超女王は優しく志麻の腰を抱き寄せると、瞑目して志麻の首に唇をあてた。柔らかな鼻で志麻の耳元をくすぐる。興奮したように息つく吐息からは、甘い香りがする。


「私が生まれた場所はね。祖母の代にとても強い国の業火に焼かれてしまったの」


 超女王は志麻も知っている、とある小国の名前を口にした。


「そんな場所で生まれた私が、自分の起源に澱みを背負っていないと思う?」


 志麻を抱き寄せる手に力がこもる。


「だからって、自分たちが望む強い人間たちだけの世界を作るだなんて、許されるはずがないわ」

「空っぽの言葉を使うのね。あなたも本当は、くだらない世界に、大多数の終わってる人間たちに、オントロジカを使う資格なんてないって思ってるくせに」


 だからそんな連中は滅ぼした方がいい。それは志麻が昔描いていた、巨大な怪獣が街を破壊し尽くす絵の世界だった。


 自分はどこかで、まだその世界を望んでいるというのか。志麻がとても深い何処かへと落下していく感覚を感じた時、超女王の「生物のクイーンズ・宝物庫トレジャーズ」には、志麻の映像が色褪せた写真のように映し出され始めた。この像がいろどりを帯びた時、志麻は超女王の支配下に入る。

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