13話目

 残されたセリアは、立ちつくす。床に落ちたユーファの涙は、もう元に戻らない。このままあとは乾いて、何事もなかったようになってしまう。

 セリアは瞳を閉じ、そっと胸を押さえた。

(ユーファ……貴女と出会った日のこと、私は昨日のことのように思い出せます)

 月面カレッジの入学式の日、セリアはスペースポートに迷いこんでしまい、そこで様々な宇宙船を眺めては魚がいると興奮していた。しかしあっという間に入学式の開始時刻が迫ってしまい、人がどこにもいなくて入学式を行う講堂がわからず、おろおろしていたところをユーファに助けられたのだ。

『迷子なの?』

『は、はいぃ……ど、どうしましょう……もうすぐ入学式が始まります……』

『こっちよ。迷子を拾えたなら、馬鹿げた親の誕生日のせいでの遅刻も悪くないわね』

 世話焼きというには、ユーファは人を寄せつけない雰囲気もあった。でもいつだってセリアを気にかけてくれた。それが上辺だけだと絶対に思わない。

「ユーファ……」

 どうして言ってくれなかったのとか、相談してくれたら、というようなことをセリアは思わなかった。

 ユーファは自分自身に関わる大事なことを、他人の意見を訊いて決定するタイプではない。それはセリアも同じだ。だから考えた。引き留めるのではなく送り出すことが、自分のすべきなのだと結論を出し……でも、それも上手くいかなかった。


「……だから言っただろう。どうせ無くすんだ」


 立ちつくすセリアへ、ツァーリの冷ややかな声がかかる。でも声の調子とは裏腹に、頭を撫でるように置かれた手は温かく、優しかった。

 きっとツァーリもリストを見たのだろう。そして何が起こるのかを予想して、様子を見にきてくれたのだ。

「いいえ、まだです……」

 セリアは一歩前へ踏み出した。そのせいでツァーリの手はセリアから離れる。

「貴方に慰めてもらうのはもう少しあとです。ユーファをこのまま行かせるわけにはいかない」

「追いかけてどうする? 引き留めてなにが変わるんだ?」

「わたしは引き留めません。ユーファはわたしの気持ちをちゃんとわかってました。それを伝えないと駄目なんです」

「わからないって言ってたのに?」

「今は気持ちの整理ができてなくて、わからなかっただけです。わたし、行ってきます」

 そうか、と呟いたツァーリは、セリアの背中を押した。

 とんっという軽いその感触に励まされ、セリアは走り出す。

 走りながら端末を取り出し、ケイを呼び出した。

「ケイ! お願いがっ」

 セリアが切り出せば、ケイは待ってたよと明るい声で応えてくれる。

『ホシは宇宙港に行くみたい。次のシャトルに乗らないとアウト。上手くいけば、五分ぐらいは話せるかも』

「分かりました! で、ホシってなんですか!?」

『あー通じないよね、そうだよね。……うん、星の事だよ、スター』

「なるほどっ! ユーファは星群カレッジに行くからってことですね!」

 間違った知識を植えつけられたセリアは、ホシに納得して通話をオフにした。

 時間を確認してみたら、次のシャトルに間に合うか結構厳しい時間だ。急いでカレッジの端にあるステーションへと全力疾走する。

 ――間に合って! あんな風にすれ違ったまま、別れたくはない!

 ひたすら足を動かして、ステーションに駆けこむ。網膜が決済代わりもしているので、セリアはゲートをくぐるだけでいい。

 エスカレーターを二段とばしで駆け上がり、ホームへと辿り着いた瞬間、宇宙港行きのシャトルが発車してしまった。

「う、そ……」

 次のシャトルは一時間後。さっきのシャトルに乗らないと、ケイはアウトと言った。

「いえ、まだです!」

 セリアは諦めきれず、端末で地図を広げる。ここから宇宙港までの距離がどれくらいあるのかを、目算で計った。

「わたしの足ならぎりぎり間に合う……!」

 最短の経路を導きだし、セリアは再び走り出した。

 まずは連絡通路を使い、小さな娯楽施設が集まるエリアへと向かう。

 歩く歩道トラブレイターを疾走し、螺旋階段は手すりを乗り越え、踊り場から踊り場まで飛び降りていく。

 そこを抜ければ企業エリアだ、直線が多くスピードのロスが少なくなる。

 この辺りまでくると、鍛えていても肺が苦しさを訴え出す。でもスピードを緩めることなく走り続けた。この機会を逃したら駄目だとわかっている。絶対に間に合わせなければならない。

 ただただ無心で走り、間に合えと己に言い聞かせる。

 この程度のことができなくて、なにがAAAトリプルエーだ。友達一人を送り出せないAAAトリプルエーがいてたまるものか。

「ぎりぎり……!」

 あと一分を切っている。そんなときにセリアはやっと宇宙港に着き、そのままエスカレーターを駆け上がった。

 胸が張り裂けそうなぐらい痛い。頬を赤くし、荒い息を吐き、それでもラストスパートをかける。

 もう時間がない。セリアは遠くから叫ぶことにした。


「ユーファ! ユーファーぁあ!」


 気づいてとセリアは声を張り上げる。

 ――届け、お願い、この気持ちを知ってほしい……!!

 周りからどれだけ注目を浴びても、セリアは気にしなかった。

 ユーファへこの声を届かせようと、必死に名を呼ぶ。

 すると、地球行きの宇宙船への連絡シャトルに乗りこんだユーファが、不意に振り返った。セリアの姿を捉え、眼を見開く。

「……セリア!?」

 思わずユーファが零した声はセリアまでは届かない。

 そのぐらいの距離が、まだあった。

「ユーファ! 違うんです! ユーファはわたしの気持ちちゃんとわかってました!」

 こっちを見たことを確信したセリアは、走りながら叫ぶ。

 どうか少しでもこの声を拾ってほしい。

「ユーファはAAAトリプルエーになるために星群カレッジへ行くんですよね! そこでわたしと同じように艦長を目指すんでしょう!? だったら! だったら艦長になればわたしと三分間の会話スリーミニッツトークできるじゃないですか! ここで終わりじゃないって、この先も親友を続けていきたいってわたしの気持ち、わかってます! 応えてくれた!」

 ユーファは発車を待つ連絡シャトルの窓に張りついて、セリアの心からの叫びを聞きとろうとする。

 途切れ途切れではあるが、なんとか意味を理解した。

「……泣いて、くれるの?」

 どんなに落ちこんでも、努力した結果が出なくても、絶対に泣くことがなかったセリアが泣いている。別のカレッジへ行くことを決めて酷い言葉を吐いた自分のために、行けと背中を押すために、泣いてくれている。


「セリア! 待ってて! 私も絶対に艦長になるから!」


 発車を知らせるブザーが鳴り始めていた。この大きな音に負けないよう、この気持ちがセリアまで届くように、ユーファも必死に叫ぶ。

 セリアはその声を辛うじて拾った。一言も聞き逃したくなくて、立ち止まって耳を澄ませる。

「私、絶対に諦めないから! 貴女と同じ気持ちよ! 私ずっとセリアと……」

 セリアに聞こえたのはここまでだった。シャトルが動き出してしまい、その音に声がかき消されてしまう。あとはユーファの口の動きだけが頼りだ。でもすぐにユーファどころかシャトルも見えなくなった。

「ユーファ、わたしのことを親友って言ってくれましたよね……」

 大丈夫、ユーファの想いが伝わったとセリアは上を向く。

 涙が零れて頬を伝うけれど、とても晴れやかな気持ちだった。

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