12話目
「わかってるって言ってるでしょう!? もう少し考えたいの! ……まだ、卒業まで一年半あるんだから! 成績だって
成績開示直後、繁盛するのはカウンセラールームだけでない。地球とリアルタイム通信ができる通信ルームも、本日から一週間は予約待ちの行列ができている。
苛々として声を荒げる者、すすり泣きする者、今にも倒れそうなほどか細い声の者……小さな修羅場が繰り広げられる通信ルームのブースの一角で、ユーファが感情にまかせて怒鳴ったところで、気に留める者はいない。
「お金の心配がいらないことは、ありがたいと思ってるの本当に。だけど、もう少し考えさせて。このままだとただの負け犬だわ」
綺麗な黒髪を片手で乱暴にかき上げて、ユーファは重く息をつく。
冷静でいようとしていても、わかっていても苛立ちが収まらない。
「……ええ、ええ、そうね……やめてよ、諦めてなんかいないわ。……わかってるってば!」
強く机を叩く。怒りで、頭が真っ白になった。
「いい加減にして! セリアと私を比べないで!」
モニターの向こうの母親にユーファは叫ぶ。『心配』という言葉で自分を苛立たせることしか言わない母親を、いつの頃からか苦手と思うようになってしまった。
「もう時間だから切るわ。また連絡するから」
返事は聞かず、通信をオフにした。母親がなにか言いかけていたが、気づかなかったことにする。重たいものが身体に溜まっている感覚のまま、ふらふらと立ち上がった。
ユーファがブースを出て我に返れば、あちこちで自分と同じようなやりとりが聞こえてくる。けれど、仲間がいるということはなんの慰めにもならない。
そんな中、凛と通る声が喧噪をかきわけてユーファの耳まで届いた。まさかと近寄ると、本当にセリアの声だった。
「本当にありがとうございました。精一杯がんばります。はい、はい、それではよろしくお願いします」
話が終わったのだろう。かたんと椅子の音が鳴ったあと、セリアがブースから出てくる。すぐにユーファに気づいて、家族とですか?といつも通りに微笑んできた。
「ええ、そうよ。セリアは?」
「医科大学で宇宙医学の講座を開いている教授と話をしてました。ここに三カ月間、生徒を連れて宇宙実習に来ると聞いたので、私も参加したいとお願いしておいたんです」
セリアの手には地球にある医科大学のパンフレットがある。
そのうちの一ページを開いて、宇宙救命士の資格をとるつもりだとユーファに説明した。
「もしものときの責任を自分でとるために、早くに宇宙救命士の資格をとっておきたかったんです。学科はカレッジでとって、いつも休暇を利用して実習単位をとっていたんですが、今回の許可のおかげで本当に助かりました。今年のお休みは、初めて実家に帰れそうです」
傍にいるユーファは、この二人が
「……実家、今まで帰ってなかったの?」
「あ、えっと、駄目ですね、わたし。いつも家族でなくて自分を優先してるってわかっているんですけど……いいよって言ってくれるからつい甘えてしまって」
ユーファは、セリアとこのあとにどんな話をしたのかを殆ど覚えていない。適当に相槌を打って、自分の部屋に戻ってきて、鍵を閉めて、勢いよくベッドに突っ伏した。
「なにが、なにが違うの!?」
母親には比べるなと言ったが、実際は自分が比べている。
いつでも、どこでも、セリアに追いつきたいと、追い越したいと、がむしゃらに走り続けている。
「家族、……家族を犠牲にしたら
シングルエーにはなった。卒業間近ギリギリに、二つめのAをとって、
「
月面カレッジの生徒なら、誰だって喉から手が出るほどほしいものが
ユーファの成績表にはゼロではない、だが不可能に近い可能性が示されていた。
――速報! 新設『
そんなテロップが月面カレッジのあらゆる擬似ガラスに流れていた。
月面カレッジに使われているこの透過セラミック素材の擬似ガラスは、モニターとして使うこともでき、生徒のサークル活動の宣伝に使われることもある。
「思ったより、多くなりましたね……」
速報はあっという間に生徒達に伝わる。噂にうといセリアにもだ。
ケイの言った通り、転学者は多くても三割程度で落ちつきそうだ。寂しくなるのかもしれないとぼんやり思っいたセリアは、疑似ガラスの前でふと足を止めた。
「……転学者リストとか、必要でしょうか?」
擬似ガラスの下の方に、小さい字で『転学者リストの一覧はこちら』と書かれている。値段もついていた。金を払ってまで見なければならない価値のあるリストとは思えないが、こうやって速報に載せるぐらいなのだから、どこかに需要があるのだろう。
「セリア、転学者リストなら僕が持ってるよ。見せてあげようか?」
しゃがみこんでその文字をじーっと見つめていたセリアへ、偶々通りかかったケイが声をかけてくれた。
「わざわざ金払うようなものじゃないよね、こんなものに」
はははとケイは笑って、自分の端末をとりだす。
「でもケイは払ったんですよね?」
「うん、僕はただの野次馬根性。性格が悪いから。――転送はできないから、僕の端末でどうぞ」
はいと差し出される透明のカードへ、セリアは首を横に振った。
「必要ないですからいいです。それにしばらくしたら、嫌でも判明しますから」
転学予定者は今はまだカレッジ内にいても、近いうちに
「見ておいた方がいい。今じゃないと、きっとセリアが後悔する」
「後悔?」
ケイの真剣な眼差しを見て、セリアつい端末を受けとってしまった。スクロールし、名前を眺めていく。知っている名前も、知らない名前もある。思ったよりも長いスクロールのあと、セリアは自分の指を慌てて逆に動かして、とめた。
「……え?」
「一時間前に追加された。全くそんな気配なかったけど、転学するみたいだ」
「知りませんでした……。そんな……」
「知られたくなかったのかも。その辺りは本人に訊かないとわからないだろうけれど」
セリアはぎゅっと眼をつむる。ケイの言った通りだ、そのうち、では後悔する。
一つ深呼吸をし、ありがとうと言って端末を返した。
「……今なら自室にいるみたいだよ」
「行ってきます!」
セリアは走り出した。ぼんやりした見かけとは裏腹に、足はかなり速い。頭の中で目的地までの道筋を浮かべ、最短コースを選んで駆け抜けていく。
全力疾走するコギト・エルゴ・スムの姿を見た者は、何事かと振り返った。
「ユーファ!」
部屋の主の在室を知らせる緑色の光が灯っている。ボタンを押せばロックをしていなかったのか、すんなりとドアがスライドした。
ユーファの部屋はモノトーンで小物を揃えた、格好いい部屋だった。だが今は備えつけの家具が存在するだけで、憧れていた素敵な私物は一切ない。
本当に出て行くのだと、セリアは嫌でも実感した。
「……リストでも見たの?」
「本当……なんですね」
既に片づけを終え、荷物を送ったあとなのだろう。ユーファの持っているものはたった一つの小さな鞄だけだった。
「私、新設カレッジに行くわ。特別生の話がきて、卒業までのサポートを約束してくれたしね」
「そうですか……」
「実家は馬鹿みたいな金持ちで、学費の心配はいらない。可能性が高い方に賭けろってうるさいし。……じゃあね」
別れの言葉はそれだけだ。あとはセリアが『元気で』とか『頑張ってね』とか言えば終わる。
(本当に……終わる。場所が変わるだけではなく、本当に……)
セリアにはわかっていた。カレッジが違っても、ユーファは自分と交流を続けてくれるとは思えない。そんなもろい親友関係でいることは、薄々察していた。
「……待って!」
でも、とセリアは声を張り上げる。
まだ大事なことを訊いていない。だからユーファを引き留める。
「ユーファの気持ちはどうなんですか? 実家に言われたから仕方なく行くんですか? それともユーファも行きたかったんですか?」
「聞いてどうするの?」
「聞くことが最終目的です。これが貴女の意志かどうか、わたしは聞きたい」
ユーファはセリアに知られたら面倒だと思い、黙っていた。
『なぜですか?』や『行かないでほしい』『一緒に頑張りましょう』というようなうんざりする説得をされると予想していたからだ。
「……もう一度言うわ。聞いてどうするの? 親に無理矢理転学を押しつけられて可哀想なユーファ! そう思っていた方が、貴女だって幸せでしょう!?」
ユーファからの強い眼差しに怯むことなく、セリアは真っ向から対峙する。
「なら、転学はユーファの意志なんですね」
「ええ、そうよ! 私は
ケイは転学者リストを金を出すようなものではないと言い切っていた。
なら誰が見ているのだろうか。おそらく、月面カレッジに残る生徒達だ。本心では行きたくても、推薦枠だったり、経済的な事情があったりして、行けなかった者達。リストを見て『金でAを買う負け犬達』の名を知ることで、自らを慰めている。
「やっと清々するわ。これからは親にセリアと比べられることもない。世話を焼きながら、吐き気がするような嫉妬に狂うこともない!」
「わたしの世話は、辛かったですか?」
「ええ、うんざりするほどね! 貴女はいつだって訳がわからなくて、でもその度に天才と思い知らされ、傍にいたらずっと苦しかった! 知ってる? 貴女、私に利用されてたこと。うちのユーファはあの
ユーファの心からの叫びとは対照的に、セリアの紫色の瞳は凪いだ海のようだった。
ありのままのユーファを、その眼に映す。
「わたしは利用されでもなにも思いません。NESもわたしを広告に利用してます」
「だからなに!? 私を許すって!? 流石天才ね! 貴女には私の気持ちなんて絶対にわからない! こんな惨めな思いを抱えて、ずっと親友面してた私の気持ちなんか!」
ああ、と思ったのはセリアでなくユーファだった。ツァーリにセリアの過去を聞かされ、貴方に頼まれなくても私は絶対にそのセリフを言わないし思わない、と激怒した。私は今までの上辺だけの親友とは違う。夢が破れてた責任をセリアに押しつけて楽になろうとした、馬鹿で愚かなあの女達と一緒にするなと、たしかにそのときは思っていたのに……。
――でも結局、自分も同じだった。馬鹿で愚かで、上辺だけの親友だったのだ。
「………ごめん」
息をつまらせながらユーファは呟き、涙をこぼさないように歯を食いしばったままセリアを見つめた。
セリアの静かな瞳に、本当は傷がついてしまったことなんてわかっている。
気持ちを尊重して見送ろうとしていたセリアの優しさに応えられない自分が、ただ悔しかった。今浮かべているのは、自分への悔し涙だ。せめてそうでなければならない。
「貴女に私の気持ちはわからない」
もう一度ユーファは、言わないと決めていた言葉を吐き出す。
でも二度目は、違う響きを持っていた。
「――でも、私もセリアの気持ち、わからなかった」
ユーファは、セリアと同じ
でももう叶わない。自らの意思で、新設カレッジに行くから。
「ごめんね、セリア」
雫がユーファの頬を伝い、床へと落ちる。ユーファは涙を拭うことなく歩き出し、先に部屋を出て行った。
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