Section5-6 結界破り

 蒼谷市西区市民公園の入口に黒装束の集団が屯していた。

 紘也と孝一は少し離れた電柱の陰から彼らの様子を窺っていた。どうもなんらかの作業に忙殺されているようで、とてもじゃないが近づいて声をかけられる雰囲気ではない。

「丁度あの入口の部分に結界があるんだろうな」

「そうなのか? オレにはよくわからんが、紘也が言うならそうなのかもな」

 魔力の強い紘也とは違い、普通の一般人である孝一は個種結界の認識阻害に否応なく影響される。たぶん彼はそこに公園があることすら理解できていないだろう。

 葛木の陰陽師は個種結界を破ろうと試行錯誤しているが、どうもうまく行っていない様子だ。ウロボロスの個種結界の影響を受けない紘也でも、契約幻獣ではないウェルシュのものは問答無用で受ける。解除されない限り侵入は困難だ。

「そこでなにをしているのよ、あなたたち」

「「おわっ!?」」

 背後から突然投げかけられた声に二人は同時に飛び跳ねた。振り向くと、陰陽師の黒装束を纏った少女――葛木香雅里が呆れ顔で腕組みしていた。

「おっす、葛木」

 孝一が誤魔化すように挨拶するが、

「おっす、じゃないわよ。そこでなにをしているのかって訊いてるの」

 普段のきつい口調で彼女は問う。昨日の傷も回復し切っていないだろうに、彼女は平然としている。流石は戦闘のプロと言ったところか。

「ウロを捜してるんだ」

「ウロボロスを?」

「ああ。詳しいことは後で話す。とにかく、俺はあそこに入らなければならない」

 紘也は公園の入口を指し示した。香雅里は顎に手をやり、ふむ、と逡巡してからきっぱりと告げた。

「無理ね」

「どうしてだ?」

 問うたのは孝一だ。

「確かにあそこの公園は二つの個種結界で隔離されているわ。一つはウロボロスなんだって今わかったけど、問題になるのはもう一方の方ね。これが相当厄介よ。認識阻害を認識できる私たちでも指先すら入れてもらえないの。ウロボロスもそうだけど、大抵の個種結界は別に侵入を阻止しているわけじゃない。入ろうと思えば簡単に入れるわけ」

 辿りつけるかどうかは別問題だけどね、と香雅里は付け足した。

「だけど今あそこに張られてあるものは侵入すら許さない。完全にシャットアウトしてるってわけか」

 ウェルシュ・ドラゴンの個種結界――付与されている特性は恐らく〝拒絶〟だろう。

「破ることは?」

「今のところできないわ。私がこの前屋上で使ったような結界とは強度がまるで違うもの。護符を破壊すればいいってわけでもないし。正直、八方塞がりよ」

 香雅里は嘆息し、お手上げのジェスチャーをした。

「まあ、ウロボロスが敵を倒して出てくるのを待つしかないわね」

「それじゃダメなんだ!」

 紘也はつい声を荒げてしまった。孝一も香雅里も驚いて目を丸くしている。

「あいつは親父の契約幻獣じゃなかったんだ。それでその敵ってのが、親父の本当の契約幻獣なんだよ」

 香雅里は面倒そうに前髪を弄った。

「じゃあなに? あなたは戦いを止めたいの? それともウロボロスを自分の手で滅ぼしたいの?」

「止めたい。あいつは俺の契約幻獣だ。二人が争う必要はないとはっきり告げてやる」

「そしてオレらの仲間で友達、だろ」

 孝一が付け加えると、香雅里も小声で「そうね」と囁いた。

「で? 止めたいのはいいとして、なにか方法があるわけ? 大魔術師の息子さん」

「ああ、割りと神経使うけど、俺なら――」

「あっ! ヒロくん、コウくん、カガリちゃん! ウロちゃんが大変なんだよぅ!」

 紘也の言葉は、切羽詰まっているもどこか間延びした声に遮られた。小型犬を抱えた黒髪の少女が、公園の駐車場がある方向から慌てた様子で駆け寄ってくる。

「「愛沙!?」」

 紘也と孝一がハモる。愛沙は息を切らしながらも状況の説明を試みた。

「あのね。ウロちゃんとお話してたの。そしたら真っ赤な女の子が飛んできて、炎が赤くてすごくでドッカーンって」

「愛沙、少し落ち着こうな」

 すーはーすーはーと愛沙は呼吸を繰り返し、ようやく落ち着いたところで説明に入った。

 紘也の予測通り、彼女は泣いていたウロと遭遇して話し相手になっていたようだ。そこにウェルシュが現れて、愛沙を結界の外へ放り出したらしい。

「そうなると、中では本格的な戦闘が始まってるわね」

「ああ、急がないと。葛木、お前んとこの陰陽師たちに話を通してくれ」

 言うや否や紘也は駆け出した。香雅里たちも慌ててついてくる。

「ちょっと待って、だからどうするのよ!」

「個種結界に流れる魔力を読み取って、俺の魔力を干渉させて断ち切る」

「そんなことできるの? いえそれより、あなた魔術使えないんじゃないの?」

「魔術じゃねえよ。単なる魔力制御の応用だ。十年前のあの日から、俺は二度と自分の魔力を暴走させないために鍛えてきたんだ。そのくらいできる」

「他人の魔力にまで干渉するなんて芸当、連盟の大魔術師でもそうそうできることじゃないわよ。それをそのくらいって、冗談でしょ?」

「ヴァンパイアの時も、あんたとウロが戦った時にも結界破ってみせただろ」

 ジャイアントバットをカバンで殴り倒した時もそうだ。あれは魔力干渉で幻獣の魔力を乱し、強制的にマナの乖離を引き起こしたのだ。もっともそれは弱い幻獣だからできたことで、試したことはないが、強い幻獣だと一時的に麻痺させる程度の効果しかない。

「やっぱり、あれはあなたの仕業だったのね。……わかったわ。できるならやってみなさい。あなたの〈結界破り〉が成功すれば私たちにとっても都合がいいから」

 香雅里の承諾は得られた。あとは実際にウェルシュの個種結界に触れ、魔力の流れを読み、供給源を断ち切る。それで結界は消えるはずだ。

 陰陽師たちがこちらに気づく。

「か、香雅里様! 今まで一体どこに――」

「みんなどいて。今から結界を破るわ」

 紘也は陰陽師たちを掻き分けて市民公園の入口――結界の正面に立つ。思った通り中の様子は判然としない。ここから見える普段通りの公園の姿は偽りだろう。その認識すら阻害される孝一と愛沙にはどう見えているのか少し気になった。

 紘也は自分の掌を見詰める。

 まさかこんな短期間で三度も結界を破ることになるとは……。

 最初、葛木香雅里の結界を破壊した時は、本当のところ自分でもできるかどうか自信を持てなかった。魔力制御を極めに極めたものの、魔術を捨てた紘也がそれを真面目に実行する機会なんて過去十年に一度もなかったからだ。

 なのになぜ魔力干渉までできるようになったのか。理由は単純でくだらない。帰国する度にウザったくふざける変態親父を、どう効率よく引っ叩くかを研究した成果だ。

「秋幡紘也」

 改まった口調で香雅里に呼ばれる。

「どうせ結界を破壊するのなら、ウロボロスの個種結界も破壊してくれないかしら。私たちだって中の戦いを鎮圧するために来ているのだから」

「了解。やってみるさ」

 手を伸ばして結界に触れる。試しにそのまま入ってみようとしたが、同極の磁石を近づけた時みたいな斥力が働いて押し戻されてしまう。これが〝拒絶〟の特性か。

 目を閉じて精神集中。魔力の流れを直に感じ、それを逆さに辿って根元を見つける。陰陽師の結界は護符が根元となっていてわかりやすかったが、幻獣の個種結界は毎度毎度に探索しなければならない。非常に面倒臭い。継続的に魔力干渉すると船酔いみたいに気持悪くなるから嫌だ。

 ……あった。

 見つけた後は簡単だ。その部分へ自分の魔力を流し込み、栓をするだけ。

「――壊れろ!」

 ピシッ、と空間に小さな亀裂が走った。

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