Section2-5 転入少女

 ――で。

 いかなる手段を用いたのか、ウロは同日の最終授業の初めに、蒼洋高校の制服を纏って教壇に立っていた。――もちろん、紘也と同じ二年二組の教室である。

「えー、急遽海外からの留学生として本校へやってきた……えーと」

「フローラ・ウロボロシュタインでっす! イギリスから来ました。もう気軽に『フローラ』と呼び捨てちゃってくださいな♪」

 六時間目――数学を受け持つ担任教師・笹本信明(二九歳 ♂ 新婚ほやほや)の前置きを引き継ぎ、ペールブロンドの外国人美少女が流暢な日本語で自己紹介をした。生徒も先生も『なんでこんな時期に?』ではなく、『なんでこんな時間に?』といった困惑した顔で彼女を見ている。

 どうでもいいけど、あの偽名は継続するようだ。

 一発ネタだとばかり思っていた紘也であるが、学生として生活するのであれば『ウロボロス』と名乗るのもどうかと思うので文句はない。

 そんなことよりも、紘也は時が進むにつれて深刻になる空腹の方が問題だった。

 金髪美少女の留学生と騒がしくなるクラスメイトたちを意識の外に追いやり、紘也は机に突っ伏した。結局、購買のパンは入手できなかったのだ。愛沙が待っていてくれたので少しばかりカロリーを摂取することはできたが、余計に腹が減るだけだった。

 紘也は恨みがましい視線を隣席の孝一に向ける。こいつだけ購買のラストあんぱんを入手しやがったのだ。もちろん分けてくれなかった。あの時の友情はなんだったんだ。

 孝一と愛沙にはあらかじめウロボロスが転入してくることを伝えてあったので、二人はさほど驚いてはいない様子。が、やはりこのタイミングで来るとは思わなかったようだ。

「じゃあ空いてる席に、と言いたいところだが、マンガみたいに都合よくそんな席はないんだ」

 笹本先生が眉をへの字にして頭を掻いている。突然だったから仕方あるまい。

「いえいえ、あたしはあそこで充分ですよ」

 花咲くような笑顔でそう言ったウロは――紘也と孝一の間に挟まるように腰を下ろした。スカートのまま床に体育座りする。

「よろしく、フローラ」

 孝一が臆することなく爽やかに挨拶する横で、

「……ああ、いい天気だ」

 紘也は窓の外を眺めて気づかないフリをしていた。決して目を合わそうとしない紘也に、ウロは僅かに朱を差した頬に両手をあてて首を振る。

「んもう、紘也くんってば、こんな美少女が隣にいるからって恥ずかしがることな――」

「写真でチーズと言った時に取るポーズは?」

「……コンニチハ、ヨロシク、今日ハイイオ天気デスネ。スシテンプラ」

 急に震えた声で片言の日本語を喋り出すウロボロス。紘也の右手は彼女にだけ見えるように机の下でしっかりとV字を作っていた。

「なんだ、お前らの知り合いか? だったら秋幡、諫早、お前ら空き教室に机と椅子を取りに行ってやれ」

 笹本先生が面倒臭げに指名する。少しとはいえ授業をサボれるのはラッキーだ。問題は、戻った後でクラス中からなにを言われるか、である。こればかりは空気を読んでくれない。そこは孝一と相談することにしよう。

 紘也は溜息、孝一は苦笑して立ち上がり、二人して教室から出て行く。

「あ、わたしも手伝うよぅ」

 愛沙も先生の許可を貰ってついてきてくれた。


        ∞


「いやぁ、皆さん陽気でいい人たちばかりだね」

 授業が終わり、早々に教室から退場しようとしたところで、紘也はウロに捕まってしまった。知り合っている理由は、海外にいる紘也の父親関係だとか言って適当に誤魔化した。嘘はついていない。

「だったらその陽気でいい人たちともっと親睦を深めてこいよ」

 カバンを肩に担いで紘也は気だるげに言った。廊下に出たところで捕まったため、他クラスの生徒たちが好奇の視線をこちらに向けている。皆、突然だったにも関らずもう留学生のことを知っている御様子。こういう噂は音よりも速く広く伝播するようだ。

「それですそれですそれなんです! もっと仲良くなるためにはどうすればいいのかを紘也くんにズバリ訊きたいのですよ」

「はぁ? 普通に話してりゃいいだろ」

「いやいや、このクラスの流行等を前もって知っておけば会話が弾むでしょ? だからまず、どんな風に話しかければウケを狙えるか教えてくれないかなぁ?」

 大きな青い目をパッチリとさせ、上目遣いでお願いするウロ。顔が可愛いだけに破壊力抜群である。が、正体を知っている紘也はドキリとするよりも鬱陶しく感じる方が強かった。

「わかった、教えてやる」

「うんうん」

「お前はあの偽名で通すんだよな? だったら自衛隊風に敬礼して『オッスおらフローラ。趣味は生きたミミズを釣り針にぶッ刺すことでありますげっへっへ』と言えば間違いはない」

「オゥ! 了解しやした! 早速やってみるよ!」

 やるなよ、と内心で呟き様子を見る。ウロは廊下に出てきた女子の一グループに近づくと、サッと右手を斜め四十五度の角度で額へ持っていき――


「オッスおらフローラ。趣味は生きたミミズを釣り針にぶッ刺すことでありますげっへっへ」

「……」

「……」

「……」


 めっちゃ引かれていた。紘也は思わず吹き出しそうになるのを必死に堪える。どうしよう、すごく笑える。

「これ以上ないってくらい引かれたよっ!?」

 ウロが肩を怒らせて帰ってきた。ニヤつかないように紘也は表情を整え、ぐっとサムズアップしてみせる。

「心配するな。引かれたのはまだ不完全だからだ。次は流暢な英語で『レッツ・バトル』と連呼しながら匍匐ほふく前進で近づけば万事解決だ」

「オゥ! まさかそんな解決手段が!」

 次に廊下に出てきた男女混合のグループに、ウロは言われた通り匍匐前進で床を這いながら近づいて行く。


「ふっ……ふっ……レッツ・バトル、レッツ・バトル……」

「うわぁあっ!?」

「な、なにやってるのフローラさん!?」

「めっさ怖ぇ!?」


 全速力で逃げていくクラスメイトを見て、紘也は笑いを堪えるあまり壁に手をついて小刻みに震えていた。腹筋が、腹筋がやばい。

「紘也くん! 実はあたしをからかってるね!」

「いや、そんなことはないぞ。今度は超速回転しつつ――」

「コラ! ダメだよ、ヒロくん」

 後ろからの咎めるような声に、紘也は顔の横で人差し指を立てた体勢で固まった。

 声の主――鷺嶋愛沙が庇うようにウロの手を引き、自分の背中に隠す。愛沙は普段あまり見ることのない柳眉を吊り上げた顔で紘也を睨んだ。

「フローラちゃんをイジメちゃいけません」

「いや、つい面白くなって」

「なにぃ!? やっぱりからかってたんだね紘也くん!? あたしに友達ができなかったらどうしてくれるの!?」

「正直お前の交友関係がどうなろうと知ったことじゃない」

「ノゥ!? なんという酷いお言葉!?」

 ショックで大げさに仰け反るウロ。紘也はまたも愛沙に睨まれたのでそれ以上なにも言えなくなった(一応、昼食時の恩があるので彼女には逆らえない状態)。

「大丈夫。わたしがフローラちゃんのお友達になってあげるよぅ」

「オゥ! 天使が、天使がここにいた!」ウロは感涙し、「えーと、あたしがなにか知ってる人……だよね?」

「そうだよ。ウロボロスさんなんだよね? わたしは鷺嶋愛沙です。よろしくね」

「よろしく、愛沙ちゃん。あ、『フローラ』は偽名なので紘也くんみたいに『ウロ』と呼んでほしいかな」

「わかったよぅ、ウロちゃん」

 なんか女の子同士の友情みたいなものが芽生えていた。そして何気に『ウロ』という愛称も気に入っているようだ。と――

「なんだ紘也、面白そうなことするならオレも混ぜろよ」

 いつの間にか孝一が横に立っていた。

「そろそろ湧いて出る頃だと思ってたよ、孝一」

「人を黒光りするGみたいに言うな。――それはそうと、フローラ、もっとウロボロスについて話を聞きたいんだが」

 紘也の言葉に嘆息した孝一は、愛沙と話し込んでいるウロに呼びかけるが、

「愛沙ちゃん小説が好きなんだね」

「うん。ミステリーとファンタジーが大好物です」

 呼ばれた本人はまったく聞いちゃいなかった。聞こえなかったと思ったのか、孝一は声のボリュームを上げて再度彼女を呼ぶ。

「おい、フローラ」

「あはは、それあたしも読んだことある」

「フローラさーん」

「でさ、あそこの犯人がさ」

「おーい」

「動機がアホらしくて笑っちゃったよね」

「ウロ」

「はいはい、なんだい紘也くん?」

 紘也がそう呼ぶと返事はすぐに返ってきた。愛沙と楽しそうに会話していたので、自分が偽名を使ったことをすっかり忘れていたのではなかろうか。

「いいんだ。どうせオレなんてトイレットペーパーみたいに流される存在なんだ。そうさ、よくあることさ、トイレットペーパー現象なんて。ははは」

「そこでグレてる孝一がなんかいろいろと聞きたいんだと」

 紘也は廊下の隅で小さくなっている孝一を親指で示した。

「おや? 彼はそんなに暗いキャラだったっけ?」

 壁に指で『の』を書き続けている孝一を見て、ウロはきょとんと小首を傾げた。愛沙がよしよしとあやすように孝一の頭を撫でつつ、ほんわかした笑顔で言う。

「わたしもウロちゃんのこともっと教えてほしいな」


「それは私も知りたいわね」


 知らない声に紘也たちは振り返る。ほとんどの生徒が部活やら帰宅やらでいなくなった廊下を、一人の生徒が紘也たちに向かって歩いて来ていた。

 セミロングヘアーの前髪を、勾玉に似た白と黒の変わったヘアピンで留めた女子生徒だった。双眸は猫のように大きくて吊り上がっているが、顔立ちはアイドルが嫉妬しそうなほど整っている。左上腕には『風紀』と刺繍された緑色の腕章を巻いていた。

「風紀委員がなんの用だ? 別に通行の邪魔になんてなってないと思うぞ」

「秋幡紘也、あなた、一体なんのつもりなの?」

「は? いきなりなんのことだよ?」

 目の前で立ち止まった彼女がなにについて問うているのかわからず、紘也は眉を曇らせる。すると、グレ状態から復活したらしい孝一が口を開いた。

「五組の葛木香雅里だな。風紀委員長の仕事ご苦労様。でもオレたちはなにも悪さしてないぜ。なあ?」

 孝一がウロと愛沙に振ると、二人ともコクコクと頷いた。それより『葛木』という苗字には非常に引っかかるものがある。

「風紀委員は関係ないわよ。ていうか悪さしてないってよく言えるわね。昨日の夜中に墓地で騒いでいたのはあなたたちでしょ?」

 その言葉で紘也はピンときた。

「あんた、もしかして陰陽師の?」

 紘也が言うと、彼女――葛木香雅里は「知らなかったの?」と意外そうな顔をした。反応からして、どうやらこちらの素生は知悉しているようだ。

「そうよ。私は葛木宗家の長女、次期宗主候補の葛木香雅里かつらぎかがり。これでもう、私がなにを言いたいのかわかってもらえたかしら?」

「いいや、さっぱり」

 肩を竦めて首を振る紘也に、香雅里は片眉をピクつかせた。

「なんで妖魔――あなたたちでいう幻獣が生徒として学校にいるのかって言いたいのよ!」

 ビシッと犯人を示す名探偵のように香雅里はウロを指差した。なるほど、苛立っている原因はそれらしい。幻獣ウロボロスは陰陽師にとって警戒すべき存在なのだろう。

「ウロちゃん、正体バレてるね」

「うんまあ、そうみたいだけど。別にいいよ。あたし野良じゃないし」

 ウロは楽観的に様子を見ている。自分のことだというのに説明する気はないらしい。というより、香雅里は契約者である紘也に説明を求めている。面倒だが、さらなる面倒事を避けるためには仕方ない。

「ああ、こいつがここにいるのは――」

「待って」

 説明しようとした紘也を香雅里は制した。彼女の視線の先には演劇部と思しき生徒たちが衣装を持って移動していた。

「場所を変えた方がいいわね。ここじゃ一般生徒にも聞かれてしまうわ」

 そう言って、香雅里は踵を返す。


「屋上に行きましょう。話はそこで聞くわ」

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