Section4-4 幻想島

 ヴィーヴルが与えた衝撃は巨大な振動となって島全域を激しく揺るがした。


 背の高い南国風の木々に囲まれた、石造りの際議場。

「なんですか、この揺れは?」

 魔術的宗教結社『黎明の兆』の構成員が大勢集まるそこで、総帥のリベカ・シャドレーヌは近くの柱に掴まって振動に堪えていた。

 すると一人のシスターが揺れに転びそうになりながら青い顔をして駆け寄ってきた。

「た、大変ですリベカ様! 何者かに〈不可知の被膜〉が破壊されました!」

「!」

「馬鹿な!? アトランティスの〈不可知の被膜〉は何者にも感知されないはずだぞ!?」

 声を荒げたのはリベカの側近である神父だ。

「……感知はされませんが、所詮は『膜』です。強度はたいしたことありませんわ。ドラゴン族にでも攻撃されれば一溜まりもないでしょう」

 僅かばかり焦燥の色を顔に出したリベカは、努めて落ち着いた口調で指示を飛ばす。

「一班から五班は侵入者の捜索を。残りの者は作業を急いでください」

「ですがリベカ様、今の振動で術式の一部が変容してしまったようです。人員を割いてしまうと、修正に少々お時間が……」

「その修正を含めて、残りの人員で急いでください。わたくしも手伝いますわ」

「了解しました」

 そう言って速やかに立ち去るシスターを横目に、神父がリベカに問う。

「破壊された〈不可知の被膜〉の方はいかがいたしましょう?」

「考えなくて結構ですわ。アレはアトランティスが自然に発生させているもの。放っておけばすぐに修復されます。そういう特性です」

 リベカは天を仰ぐ。どのような手段でこの場所を察知したのかは不明だが、敵は確かに侵入したようだ。

 ――まさか無差別に攻撃を行って偶然当たった、なんてことはありませんわよね?

 もしもそうだったら葛木家の正気を疑うところである。さっさと蒼谷市付近から離脱しなかった自分たちに非はあるが、があるのだから仕方がない。見つかってしまうリスクは想定内だ。

 何人侵入したのかは不明だが、〈不可知の被膜〉が修復されれば援軍は寄越せない。見つかったのが偶然だった場合、に限られるが……。

「とにかく、急がないといけませんわね」

 そうして総帥自ら指揮を離れて術式を組む作業へと入っていく。


        ∞


 煌びやかな宝石が宝物庫のごとく大量に飾られた豪奢な部屋。

 横殴りされたように揺れる部屋の玉座に青髪の青年――グリフォンは泰然と腰かけていた。

「……来たか」

 頬杖をつき、グリフォンは一切の動揺を見せずそう呟いた。せっかく飾っていた宝石類が撒き散らされる様だけを不愉快そうに眺めている。

「存外に早い。一体どうやって…………ん?」

 無造作に散乱した宝石の中で、足下に転がってきた一際大粒の紅玉石にグリフォンは目を向ける。

〈ヴィーヴルの瞳〉。

 それが、なにかと共鳴するかのように明滅していた。

「ハハッ。なるほど、そういうことか」

 得心がいったようにグリフォンは口元を斜に構え、その紅玉石を拾い上げる。

「奴らでないことは残念だが……まあ、退屈凌ぎにはなろう。次は左目も抉り取ってやるか」

 愉快そうにひとりごちると、グリフォンは〈ヴィーヴルの瞳〉をジャケットの内ポケットに仕舞い、揺れを感じさせない足取りで部屋を後にした。


        ∞


 衝撃による振動は当然、愛沙が軟禁されている部屋にも届いた。

「きゃっ」

 短い悲鳴を上げた愛沙は咄嗟に天蓋を支えている柱に掴まる。

 だが直後、脆くなっていたらしい天上が崩れ落ちた。天井の瓦礫は愛沙が寝かされているベッドの天蓋を突き破り、頭上直撃コースで迫り降る。

「おっと危ねえ」

 愛沙が押し潰される前に騎士服の青年――ユニコーンが空中の瓦礫を全て蹴り払った。そのまま愛沙をお姫様抱っこで抱き上げ、一蹴りでその場から大きく跳び退る。

 一秒後、今度は床が抜けて天蓋つきベッドを呑み込んだ。

 あのままベッドにいたら確実に愛沙は死んでいた。

「あ、ありがとう。ユニコーンさん」

「女の子を助けるのは俺様の務め――って言いたいとこだが、愛沙ちゃんを攫ったのは俺様だ。礼は言わなくていい」

 自虐的に苦笑するユニコーン。そんな彼に愛沙は屈託なく微笑んだ。

「それでも、助けてくれたから、『ありがとう』だよぅ」

「あーあーあーもう、なんつういい子なんだよ愛沙ちゃん。俺様惚れちゃいそう。いやマジで。愛沙ちゃんが魔術師だったらなぁ。よかったのになぁ」

 ユニコーンは適当に軽口を叩きながら愛沙を抱えたまま部屋を出た。

「いいの、出ちゃっても?」

「こんな脆い場所にいられるかっての。たぶん愛沙ちゃんのお友達が助けに来たんだろうよ。すげえな、ここを見つけちまうなんて」

 感心するユニコーンは軽薄な口調ながらも素直に驚いているようだった。それだけこの場所を見つけてしまうということは異常なのだろう。

「ここって、どこなの?」

 だから愛沙は訊く。ユニコーンも隠さずに答えた。

「アトランティスっていう大陸の、ほんの一部分だとさ」


        ∞


 アトランティス。

 古代ギリシアの哲学者であるプラトンが記した著書の中に登場する、大陸とも呼べる大きさの島とそこに栄えた王国のことだ。強大な軍事力で世界征服を企んだ挙句、全知全能の神・ゼウスの怒りを買って沈められたとされる。

 大西洋のどこかに存在すると未だに信じている人もいるらしいが、地質学的に大陸規模の質量が短期間で消え去ることはありえない。

 そのため、一般的には実在説は否定されている。

 魔術師的には、実在説は既に『説』ではないが。

「ウロ、そこは間違いなくアトランティスなんだな?」

『イエス、ですよ紘也くん。と言いましてもアトランティス本土じゃあないですね。本土なら大陸レベルですのでこんなところに存在できません。なにかがあって切り離された部分ってところでしょうか』

 葛木家の車(黒塗りの高級車)で移動中、紘也は敵地に侵入したウロたちからできる限り情報を聞き出していた。

 ウロ曰く、本来アトランティスは幻獣界に存在する大陸らしい。それも物理法則を無視して海上に浮かんでいるため、一ヶ所に留まらず常に漂流しているとのこと。

『切り離されても特性は消えないみたいですね。漂流することと、「あらゆる生物が感知できず無意識に避けてしまう」という特性です。だから幻獣界でも「幻想大陸」って呼ばれてるんですよ』

「だったらどうして今は感知できるんだ? それに『黎明の兆』はどうやってそこを見つけたんだよ?」

『感知できなくなる特性は〈不可知の被膜〉と言いまして、アトランティスの周囲を覆っている結界みたいなものなのです。見つけることができない代わりに割と脆いんですよね。だからさっきのヴィーヴルの攻撃でバリリズゴーンとあっさり破れたんです。「黎明の兆」がどうやって見つけたのかは知りませんよ。本人たちを締め上げて聞き出しましょうか?』

「後でいいよ」

 アトランティスに生息すると言われているペリュトンを、『黎明の兆』が群れで保有していた理由はこれでわかった。奴らはアトランティスの一部を完全に支配下に置いているようだ。

「それで、そのヴィーヴルの様子はどうだ?」

『気を失ってるだけですね。あんな憔悴し切った体で大技をぶっぱしたんですから当然です。今は腐れ火竜が看病してますが、目覚めても戦力として期待はしない方がいいですよ』

「そうか。とりあえず親父に保護したことを連絡しておく。一旦切るぞ」

『ああ! ちょっと待ってください紘也くん!』

 護符での通話を切断しようとした矢先にウロに止められた。

『〈不可知の被膜〉はすぐに修復されてしまいます。そうなったらこうやって通話もできませんし、紘也くんたちがアトランティスに乗り込むことももう一度見つけることもできないんですよ』

「ずいぶんと詳しいな」

『そりゃあ博識のウロボロスさんですからね! まあ本当は二千年くらい前に一度だけ偶然上陸したことがありまして。当時栄えていた王国の種族に教えてもらったのですよ』

「長生きはするもんだな」

『あーあー紘也くんがなに言ってんのか全然キコエマセーン!』

 なんかウロが奇声で通話を妨害し始めたので、紘也は顎に手をやってしばし考える。窓の外に海が見えた。現在紘也たちは港へ向かっているが、場所がわからなくなってしまえば船を出しても意味がない。

「……ヴィーヴルは、どうやってそこを見つけたんだ?」

 思いついたのはそこだ。ヴィーヴルが攻撃を仕掛けたからこそ、紘也たちが今アトランティスを感知できている。

『……ヴィーヴルは右眼を奪われています』

 そう抑揚なく答えたのはウェルシュだった。

『マスターが仰っていました。右眼を奪ったのはグリフォンです。ヴィーヴルの右眼は、ここにあります』

「アトランティス自体じゃなく、自分の右眼を感知して場所を特定したってことか?」

 ウェルシュがコクリと頷いた気配が護符を伝って届く。

「そういう魔力的なリンクまでは遮断されないってことなら……ウロ、ウェルシュ、お前たちがそこにいれば契約のリンクを辿れるかもしれない」

『オゥ、それもそうですね』

 そうでなければ『黎明の兆』も帰還できなくなる。幻獣契約を行っていないグリフォンも帰れることから、恐らく契約以外に位置を特定する独自の方法を奴らは持っているのだろう。

『あ、でも修復された傍から膜を破壊していけばいいんじゃあないです?』

「敵に見つかったらそれどころじゃなくなるだろ。破壊するのは俺たちが近づいたと思った一回だけでいい」

『イエッサ! 了解です! もしそれが上手くいかなかったら、あたしたちだけで愛沙ちゃんを救出してもいいんですか?』

「そん時はそうしてくれ。頼む」

『頼まれましたぁっ!』

 そこで紘也は護符の通話を切った。次に携帯電話を取り出して父親――ヴィーヴルの契約者である秋幡辰久の番号にかける。

 しかし父親は電話に出なかった。こんな時に、と思うが、向こうは向こうでいろいろと忙しいのだろう。留守電にメッセージだけ残しておく。

 そして丁度メッセージを入れ終わったところで、紘也たちは港に到着した。急なことだったのに中型クルーザーが三隻も用意されてある。紘也たちと葛木家の精鋭たちが乗り込むには充分な数だ。

 自分たち以外に人気はない。抜かりなく人払いが施されている。

「やっぱりあなたも連れて行かないといけないみたいね、秋幡紘也」

 船の前に立った葛木香雅里が諦めたようにそう言ってきた。黒装束の完全武装。いつでも戦闘を行える体勢だ。彼女とは乗っていた車が違っていたが、ウロたちとの話は護符を通して聞いていたのだろう。

《当然だ。陰陽師の小娘。吾が力を振うにはこの人間の雄が必要。見える場所にいてもらわねば困る》

 紘也の隣で山田がふんぞり返った。この青色和服幼女はこのままだと異常に使えないが、紘也が魔力を与えれば本来の、ヤマタノオロチの強大な力を使役できる。

 ただし戦力は格段に上がるものの、一度に与えられる魔力では長時間戦闘を続けられない。しかも一度与えるとしばらく紘也が動けなくなるため、切り札として温存しておくべき力だ。

「出航するわ。急いで」

「ああ」

 香雅里に促されて船に乗り込もうとしたところで、紘也は見送りとして港までついてきた親友が悔しそうに拳を握っていることに気づいた。

「紘也、オレは……」

「悪い、流石に孝一を連れて行くことはできない」

 はっきり告げておく。紘也たちの事情を全部把握していると言っても、一般人の孝一をこれ以上危険に巻き込むわけないはいかないのだ。

「……だよな」

 孝一もそれを理解しているので、食い下がることはしなかった。

「絶対に愛沙を助けて帰れよ。もし失敗したらぶん殴ってやるからな」

「それは嫌だな。孝一に殴られないよう、絶対に愛沙を助けて、みんなで生きて帰るさ」

「その言葉が死亡フラグになんねえようにしろよ?」

「恐いこと言うなよ。大丈夫だ。ウロもウェルシュも葛木も、まあついでに山田もいる」

《吾はついでか!? 人間の雄! 吾はついでなのか!?》

 クルーザーの甲板から聞こえる叫びをスルーして、紘也も乗船する。

 軽く手を振る孝一に見送られ、船はエンジン音を轟かせて出航した。

「秋幡紘也、アトランティスを感知できなくなったわ。〈不可知の被膜〉が完全に修復されたみたい」

「大丈夫だ、わかる」

 ウロたちとの魔力リンクが方向を示してくれる。

 幻想大陸、いや、幻想島――アトランティスの位置を。



 そして。

 港に一人残った孝一は、三隻のクルーザーが豆粒のように小さくなるまで見送ってから踵を返した。

「さて、オレはオレのやるべきことをやるかな」

 小さく呟き、ポケットから携帯電話を取り出す。

「死ぬんじゃねえぞ、紘也」

 最後に海へ向けてそう告げると、しんと静まり返った港から彼の気配がすっと溶けるように消えていった。

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