Section5-9 貪欲のウロボロス

 巨大な霊威ある者――幻獣ヤマタノオロチの端々からマナの乖離が始まっている。

 それを、紘也たちは丘の上に集まって眺めていた。

「ははは、よく倒せたな。あんな化け物」

 事の偉業さと安堵感に紘也は腰が抜けそうになるのを根性で堪えた。八櫛谷の景観は見るも無残なことになっているが、それでも死者が出なかったことは奇跡としか言えない。

「ムフフ、ムフフフ、さてさて紘也くんにはどんなお願いを叶えてもらおうかな♪」

「!?」

 紘也はハッとした。さーっと顔から血の気が引いていく。それがあった。ウェルシュはともかくとして、ウロがどんな無理難題を願ってくるか予想できない。

「紘也くんと無限日デートもいいけど、紘也くんがあたしの天井裏にお引っ越しも捨て難い」

 好事家のように嫌らしくニヤけるウロに、紘也は冷や汗たっぷりに言う。

「そ、その話は帰ってからだ。それまでに考えておけばいいだろ。あとできるだけ良心的に頼む」

「んもう、わかってますよぅ。こうやって悩み妄想することも楽しみの一つなのです」

「……(ぽっ)」

「おいそこの赤いの。一体なにを妄想しやがった」

 比較的安全だと思っていたウェルシュにも危険を察知せざるを得ない紘也だった。

「夕亜、これでお前は自由だ。もう封印術式に命を蝕まれることもない」

 実の妹に優しい微笑みを向ける朝彦。それは彼の鉄仮面が初めて緩んだ瞬間だった。

「おめでとう、夕亜。私も心から祝福するわ。本当に、よかった」

 夕亜に抱擁し、香雅里は嘘偽りのない嬉し涙を目の端に滲ませる。

「ありがとう、お兄ちゃん、香雅里ちゃん。だけど――」

 どういうわけか夕亜は表情に影を落とし、困ったような苦笑で言い辛そうに告げる。


「私の中の封印術式なんだけど……まだ消えてないみたいなの」


 ――え?

 この場にいる誰もが凍りついた。

 まさに、その直後――


《うぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!》


 噴火のごとき八重の雄叫びが、空気に大地、あらゆるものを激しく振動させた。

 積怨を煮え返したような戦慄の叫喚に、紘也たちはこの世の終わりを幻視する。止まらない体の震えが逃走の意思を根こそぎ刈り取っていく。

 これはやばい。

 非情にやばい。

 すべからくやばい。

《そこか人間どもっ!!》

 彼の幻獣が八つの鎌首をもたげる。次の刹那、天高く噴き上がった大質量の水流が四方向へと伸びる。

 すなわち、ヤマタノオロチ滅殺術式における全ての発動地点へと。

「――くっ!」

 いち早く動いたのは日下部朝彦だった。彼は光を失った魔法陣から〈天叢雲剣〉を掴み抜くと、大地を強く蹴って高く跳び、迫りくる死の水流を自らが盾となって受け止める。

「がっ!?」

「お兄ちゃん!?」

 水気を操れると言えど、元はあのヤマタノオロチの体内から出てきた業物。さらに多大な力を使ったばかりとあっては接戦にも持ち込めなかった。力の差は歴然。刀身が半分に折れるのと同時に、朝彦は彼方へと吹き飛ばされる。

 水流はなおも勢いを失わない。

「……!」

 ウェルシュが駆けた。

「〈守護の炎〉最大出力です」

 真紅の爆炎が壁となるように噴出される。今度は競り合った。朝彦が水流の威力を僅かでも削ぎ取ったからだ。

 ドン!! と重い爆発音が轟く。

 相殺――かと思ったが、僅かに残っていた水流が〈守護の炎〉を纏っていないウェルシュに直撃する。僅かでも威力は絶大だった。ウェルシュも朝彦同様に吹き飛び、転がり、それから――

「きゃあっ!?」

 孝一の看護をしていた愛沙を巻き込んだ。二人ともぐったりと倒れ、意識を失ったように動かない。

「ウェルシュ!? 愛沙!?」

「愛沙ちゃん!? あと腐れ火竜も!?」

 駆け寄ろうとした紘也とウロだが、敵はそのような余裕を与えてくれなかった。

《まだ生き残りがいるかっ!》

 ヤマタノオロチの攻撃標準が完全にこちらへ向けられた。

「夕亜!」

「うん!」

 香雅里が〈冰迦理〉を回収し、夕亜と共にこちらへ移動しつつあるヤマタノオロチに対峙した。そして何度も氷刃を放つが、〝霊威〟を取り戻した奴には掠り傷もつけられない。

「ち、地脈だ……」

 ズタボロになった朝彦が這々の体で戻ってきた。

「奴は……この宝剣と同じく……地脈に干渉し……魔力を吸い上げることが……できる」

 そうやって傷を癒したようだ、と朝彦は途切れ途切れに続けた。

「やばい、やばいぞ、この状況は」

 恐らく他の三箇所は全滅だろう。しかも〈天叢雲剣〉はポッキリと折れてしまっている。こちらはもう〈八塩折酒〉も〈天羽々斬〉も使えない。使えたとしても、間に合わない。

 どうする?

 どうすればいい?

 自分にはなにができる?

 焦りが臨界点に達していながらも紘也は頭をフル回転させる。頭痛がしてきた。だがそれでもなにか打開策がないか死ぬ気で考える。

 と――

「紘也くん、ちょいと目を瞑っててくれるかな?」

 ウロが、前に出た。

「お前、なにをする気だ?」

「しょうがないから『人化』を解きます。ウロボロスさんは御立腹です。腐れ火竜はどうでもいいけど、愛沙ちゃんを傷つけたあのゴミクズ野郎は噛み砕いてやらないとあたしの気が済まないんだよ」

 ウロは、どうやら本気でキレているようだった。

「それで、なんで俺は目を瞑らないといけないんだ?」

「あたしの本当の姿を好きな人に見られたくないからに決まってるじゃあないですか。きゃっ、恥ずかしい」

 両頬に手をあててくねくねするウロ。普段は裸体を積極的に見せつけてくるくせに意味がわからない。偽りの姿だからいいのだろうか。というか本当に激怒しているのか怪しくなってきた。

「それにあたしがすること見たら、たぶん、引きますよ?」

 なんでだよ、と紘也は言おうとしてやめた。たかが目を閉じるくらいで口論している余裕がどこにある。ここは彼女の言う通りにするべきだ。

「わかった。――ほら、閉じたぞ」

「オッケーって言うまで絶対開かないでよ」

 ウロは念を押すと、その気配を紘也の前から遠ざけた。

 紘也はなにも見えていないため、聴覚だけで状況を判断するしかない。

 聞こえてくるのは、爆撃のような轟音に、怪獣大決戦でもしているのかという咆哮。感じられる二つの強大な魔力が激しくぶつかり合っている。

 気になった。

 すごく気になった。

 駄目と言われればやりたくなる、そんな人間の天邪鬼的心理が働く。爆発すると知っていてもボタンを押したくなるあの感情。

 紘也は瞼を薄目に開いた。


 異世界にでも繋がっていそうな超長大な蛇――もといドラゴンが、ヤマタノオロチを雁字搦めで束縛し、その山峰のような巨体を頭から丸呑みにしていた。


「……」

 紘也は瞼を下げた。なにも見なかった。目眩がするほどグロい光景なんて見えていない。

 ウロボロスが、ヤマタノオロチを、食べた。いや比喩ではなく。

 そんな事実は見なかったことにした方がいい。忘れた方がもっとよさそうだけれど、紘也の物覚えはそこまで悪い方ではない。しっかりと記憶に焼きついてしまった。

〝貪欲〟の特性は伊達じゃないってことだろう。彼女に悪いし、トラウマにだけはならないようにしよう。

 そう心を強く持つことにする紘也だった。

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