Section4-6 解かれた封印

 永久に溶けないらしい氷の破片が、水蒸気になるでもなくすぅと消えていく。それは紘也がいつぞやに見た幻獣がマナの乖離を起こした時とよく似ていた。

 この場にある全ての視線が今、祭壇上に向けられている。

 そこには対照的な男女が屹立している。漆黒のロングコートを羽織る男に、純白の死に装束を纏う女。二人の周囲は薄暗く、まるで一昔前のテレビ画面を思わせるモノクロさがある。

 時が止まったかのような静寂。

 それを打ち破ったのは祭壇上の黒い方だった。彼はなんの予兆もなく高さ五・六メートルはある祭壇から後ろ向きに飛び降りたのだ。――いや違う。自ら飛び降りたにしては不自然なアーチを描いている。吹き飛ばされた、そう表現した方が合点はいく。

「――〈都牟刈大刀〉! ――〈八重垣剣〉!」

 空中に身を晒しながらも男――日下部朝彦は自分を中心に周回する四本の宝剣のうち二本を操る。二重刃の曲刀と櫛状の刀身を持つ日本刀だ。前者から突風が、後者からは猛火が放たれ、互いに混ざり合って相乗効果を起こし威力を何倍にも引き上げる。

 ドラゴンブレスにも匹敵しそうな業炎が祭壇上の女性を襲う。それは祭壇ごと女性を炎上させ、その灼熱は洞窟の端々にまで行き渡る。

 祭壇の近くにいた人々が慌てた様子で避難している。かくいう紘也も割と近くにいたため、焼け爛れそうな熱波をもろに浴びてしまった。耐熱度の高そうなウェルシュがその身を持って盾となり、ウロが俊足で紘也を炎から遠ざけてくれなければ、逃げ遅れて生ける白骨の戦士スケルトンに生まれ変わっていたかもしれない。危なかった。

「熱っ……あいついきなりなんて無茶やらかすんだ!」

「ウェルシュはさっきより居心地がいいです」

「むぅ、さっきの炎も風も昨夜の比じゃなかったよ。地脈とやらの力を得ている証拠だね」

「そんな見てわかる分析いらねえよ! まさか今の一撃で終了とかいうオチじゃないよな」

 できればそうであってほしいと願う紘也だが、現実はそう甘くないことを五秒後に思い知る。

 あれだけ燃え盛っていた炎が一瞬で掻き消えた。術者である朝彦が消したのではなく、中から凄まじい力で爆散させられたという感じの消え方だった。


 トッ。


     トッ。


         トッ。


             トッ。


 煙がかった祭壇の上から何者かが裸足で階段を下りてくる。言うまでもない、死に装束の女性だ。彼女の纏う白い布には一点の焦げ跡も見当たらない。

 女性が一番下、紘也たちと同じ地面に足をつく。億劫そうに開かれた瞼の奥には、人間のものとは思えない血色の瞳が濁った光を灯していた。

《目覚めて早々に面白い歓迎をしてくれるな。人間ども》

 どういうわけか声が何重に聞こえた。女性っぽいアルトから変声期前の少年っぽいボーイソプラノまで、紘也の幻聴でなければ声質も多種多様だった。ヤマタノオロチなだけに、恐らく八種類だろう。

 と、ウロが過剰なくらい戦慄いていた。

「え? 嘘? この声は、お、お、お、オロちん……」

「はぁ!? じゃあアレお前の知り合いかよ!?」

「オロちんじゃない!?」

「それにしても話がおかしくないか? アレは人間じゃなかったのかよ」

「はいスルーポイントいただきましたぁ……くすん」

 啜り泣くウロはその辺に放置しといて、紘也は祭壇下にいる女性を注視する。聞いた話のままなら、あの女性は先代『生贄の姫巫女』である夕亜の曾祖母であるはずだ。

「う~ん、たぶん曾お婆ちゃんの体にヤマタノオロチが憑依してるんじゃないかな」

 いつ現れたのか夕亜が紘也の隣に並んでいた。人差し指で顎を持ち上げる仕草は相変わらず緊張感の欠片もない。宗主モードはどこへ消えたのだ。

「憑依って、ゴースト系の幻獣でもないのにそんなことできるのかよ」

「なんでこっち見るんですか紘也くん。いくら万能なウロボロスさんでも幽体離脱くらいが関の山だよ」

 なんでもやってのけそうな身食らう蛇が可能と言えば可能な気がしたのだ。というか幽体離脱はできるのか。

「憑依とはちょっと違うわ。言ってみればヤマタノオロチは『生贄の姫巫女』の魂で繋がれた状態。元々あの人の中にいて、内側からあの人の体を乗っ取ったってところかしら」

 香雅里がそれらしい説明をする。そのまま彼女は紘也に突き刺すような視線を投げ、

「そんなことよりどうするのよ、秋幡紘也! まだ個種結界は発動してないみたいだけど、このままじゃ鷺嶋さんたちが妖魔化するわよ!」

 必死に冷静さを保とうとしているが、香雅里は相当焦っているようだった。紘也も内心ではいつ〝霊威〟の個種結界が発動するか気が気でならない。

 ――どうする? ウロとウェルシュに二人を乗せて全力飛行で離脱させるか? いや、それこそ二人が死んでしまう。

 ウロやウェルシュは素で空を飛んでいるようで実は浮遊魔術を駆使している。浮遊魔術は飛空中に対象者を安定させる効果があるが、それだけだ。人間の堪えられないスピードで飛んだ場合は普通に死ねる。風圧をもろに受けるため肉体が無事でも窒息は免れない。ウロの背に乗って飛んだことのある紘也だからわかる事実だ。

 こうやって思考している間にも時間は流れていく。焦りが蓄積していく。

「結界を張れ。それで一時凌ぎにはなる」

 意外な人物から打開案が飛んできた。黒コートを翻す日下部朝彦は、体の調子を見るように人間の手足を動かしているヤマタノオロチから視線を離さずに言う。

「奴があの器に入っている間は個種結界を張っても八櫛亭までは届かん。どうしてもその一般人を助けたければ、邪魔だ。貴様らは消えろ」

「あん? 邪魔ってなんですか? 喧嘩売ってんですか?」

「ちょっと黙ってろいちゃもんつけんな昔の不良かお前は!」

 這い回る騒音スプリンクラーことウロボロスを強制的に沈黙させ、紘也は朝彦に訊く。

「俺たちがいなくても大丈夫なのか?」

「貴様らの助けなど必要ない。目障りだ。さっさと失せろ」

 言い方はキツイが、紘也はそこに彼の優しさを見出した気がした。『俺が引きつけておくからさっさと一般人の下へ行け』と紘也は勝手に脳内補完した。

「主、我も共に戦おう」

「その傷では無理だ、ヤタガラス。貴様は下がっていろ」

「……御意」

 ヤタガラスは自分が足手纏いであることを悟ったように潔く身を引いた。

「今が奴を滅ぼす好機。これ以上貴様らに構うつもりはない」

 冷たく言い捨てた刹那、朝彦の姿が消えた――ように見えた。彼は高速で跳躍しヤマタノオロチに接近していた。明らかに昨夜までと動きが違う。神話級の術者とやらになったからだろうか。

 四本の宝剣を自在に操り、体術も駆使した日下部朝彦の戦いが始まる。

 そちらも気になるが、戦い始めたということはそれだけ個種結界の発動が早まる。紘也は自分のやるべきことを再確認し、次に香雅里と夕亜を交互に見る。

「葛木、日下部、どちらかついてきてくれ。俺は結界なんて張れないから」

 ウロたち幻獣の個種結界では個種結界を防げない。ウェルシュの〝拒絶〟や〝守護〟でも物理的なものでなければ通してしまう。だから人間の術者が必要だ。

「私はお兄ちゃんとここに残るわ。これは私のための戦いなんだから、一人逃げるようなマネはしたくないの」

「じゃあ私が行くわ。夕亜ほど強靭には作れないけど」

 やはり香雅里が来ることになった。そうなると次はどうやって戻るかだ。徒歩で帰ろうものなら一時間強かかる。せっかく上に穴があるんだから利用するべきだ、と紘也はウロとウェルシュの方を向く。以心伝心でもしたのか二人とも翼を出して既に準備万端だった。

「オゥ! そうと決まればさくっと飛んでいきますよぅ! 紘也くん紘也くん、あたしに乗って。このウロボロランサット236便に!」

「マスター、ウェルシュに乗ってください。こちらはウェルシュテッド93便です」

 だからなぜ二機とも墜落しそうな名前なのだろうか。どうでもいいことだけれど。

《逃がすか。人間》

「――ッ!?」

 八つに重なった声にバッと振り返る。そこには夕亜……ではなく、夕亜にそっくりの女性が幽鬼のように佇んでいた。

「あ、あいつはなにやってんだよ!?」

 日下部朝彦の姿を捜す。彼はどこにも見当たらなかった。代わりに妙な土煙が空洞の隅で巻き上がっている。紘也たちが離脱するまで引きつけてくれるのではなかったのか。

《ああ。憎い。憎いぞ。人間。よくも吾を封じてくれたな。吾はただ人間の雌どもを侍らせ『神聖不可侵の所』を築こうとしていただけというに》

「おい、こいつからもアホ臭がするぞ」

 どす黒いオーラを放ち髪が八束に分かれゆらゆらとうねっている。物凄い迫力だったが言ってることは要するにハーレムを作るってことだ。そういえば日本神話でも足名椎命と手名椎命の八人の娘を毎年一人ずつ喰らっていたが、とりあえず女好きのレッテルを貼ってもいいと思う。

「儀式の生贄や葛木の術式解放者が女性である理由がこれよ。男性だとありえないほど抵抗されるらしいわ」

 香雅里が真面目な顔で警戒しながら解説してくれたけど、やはり内容がくだらない。

《殺してくれる。滅ぼしてくれる。吾に屈辱を与えた人類皆喰らってやる。――あ。いや。雌は残しておいてやろう。吾に平伏せ》

「もうこいつ引っ叩いてもいいよな!」

 どうしても突っ込まざると得なかった紘也に、ヤマタノオロチは血色の瞳をぎょろりと向ける。

《ほう。そこの雄の魔力は実に美味そうだ。だが人間の雄など吾にとって目の毒以外の何物でもない。吾の視界に入るな愚かな雄よ。吾に食われるか。もしくは消えよ》

「なっ!?」

 八重の声が凄みを増した途端、女性の周囲に三つの水球が出現した。玉転がしの玉くらい大きなそれが、予備動作も見せずに紘也へと殺到してくる。

 ウロたちが悲鳴を上げる。物凄い球速に避けることはおろか防御の姿勢を取ることもできなかった。三方から押し潰さんと迫る水の球に、紘也は成す術なく呑み込まれる。互いに衝突し弾けて混ざる水の球。半端ない水圧に紘也の一般庶民的肉体が耐えられるはずがない。

 ――そう、誰もが思っただろう。

《む? 己はなにをした?》

 水が地面へ吸い込まれていく中、紘也は変わらぬ姿でそこに立っていた。否、一瞬前と違う箇所が一つある。それは紘也の体を膜のように覆っている温かい真紅の輝きだった。

「これ、ウェルシュの〈守護の炎〉か」

 だがウェルシュ本人がなにかをした様子はない。なにかできるような暇もなかったはずだ。となると――

「このアミュレットか」

 紘也はポケットに入れていたウェルシュからの『預かり物』を取り出す。〈守護の炎〉で編まれた六芒星は薄ぼんやりと明滅していた。どうやら目に見える形で御利益があったようだ。

「チッ! 今回ばかりはあんたに感謝するよ、腐れ火竜」

「当然です。マスターを〝守護〟するのがウェルシュの役目です」

 ウロの舌打ちが非常に気に食わないがそれどころじゃない。ヤマタノオロチの深淵から湧き出るようなどす黒いオーラが三割増しになっている。

 紘也を包む〈守護の炎〉が消える。

《竜族の加護を得ていたか。腹の立つ雄よ。吾は不愉快だ。次こそ逝ね》

 ヤマタノオロチが数も大きさも先程の倍の水球を生成した――その刹那、ヤマタノオロチを囲むように四つの塔が地面から聳え上がる。

《ん?》

「――砕けろ」

 唱えるような声がしたかと思うと、岩でできていると思われる塔が爆音と共に崩壊する。全ての瓦礫が内側にいるヤマタノオロチの頭上へと雪崩込み、白装束の女性の姿を、水球もろとも容赦の欠片もなく押し潰す。

「なんだ貴様、まだいたのか」

 紘也たちを氷刃のような視線で睨めつけたのは日下部朝彦だった。

「邪魔だ。早く行け」

「悪い」

 無駄話をしている場合でもないので、紘也はそれだけ言ってウロとウェルシュに駆け寄る。

「紘也くん紘也くん、是非ともあたしに!」

「マスター、ウェルシュに乗ってください」

「秋幡紘也、私がウェルシュ・ドラゴンに乗るわ」

「ああ。悩む時間もない。それでいい」

「イヤッッッホォォォウ!! 腐れ火竜ざまあ! やっぱり最終的に紘也くんはあたしを選ぶんですよ!」

「……くすん」

「いいからさっさと離陸しろ!」

「げふっ……あうぅ、やっぱり背中に乗るんだね」

 ウロの背にサーフィンをするみたいな格好で搭乗する紘也。さめざめと泣きながらウロは巨大な鱗を幾重にも合わせたような翼を羽ばたかせ、宙に浮く。香雅里はというと、ウェルシュにおぶさる形で掴まっていた。流石に紘也と同じ乗り方には抵抗があるのかもしれない。

 飛び立つ前に、紘也は朝彦に向けて言う。

「いいか、俺たちは絶対に戻るからな! 死ぬなよ!」

「フン、余計な御世話だ」

 朝彦は振り向きもしなかったが、それでいいと紘也は思う。

「行け、ウロ」

「あいさぁ!」

 ウロに指示を出し、紘也たちは天井の穴から戦線を離脱した。

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