Section1-1 大魔術師の息子の日常

 七月七日 火曜日。

 先日の大雨が嘘だったような快晴の下、秋幡紘也は一人路地を歩いていた。時刻は放課後。学校の帰り道である。

「うん、今日はこれといったトラブルもなくてよかったよかった」

 天を仰ぎ、紘也は坊さんのような平和主義的微笑みを浮かべてそう呟いた。

 秋幡紘也は魔術師の息子である。

 それも世界最大規模の魔術組織である、世界魔術師連盟が誇る大魔術師の息子だ。そのため紘也の魔力量はそこら辺の魔術師とは比べ物にならないほど多い。それは自他共に認める事実である。

 しかし、紘也は魔術を使えない。才能がなかった、というわけではない。寧ろ天分の才を秘めていたのだが、ある魔術的事故で母親を傷つけてしまってから、紘也は自ら魔術を封印したのだった。

 魔術を捨てたことで、紘也は普通の人々と同じ生活を手に入れた。友人たちと戯れ、学校で勉学に勤しむ。そんなどこにでもある高校生の日常を謳歌していた。

 つい数日前までは。

「ちょっとちょっと紘也くん! どうして置いてっちゃうんだよ!」

 後方から猛烈な勢いで駆け寄ってきたのは、高校の制服を着たペールブロンドの少女だった。宝石のような青い瞳に、白い肌、黄金比的な肉体美を持つ彼女は、通りを歩けば誰もが注目する美少女である。

 もちろん、こんな美少女が人間であるはずがない。

「よう、ウロ。こんなところで会うとは奇遇だな」

「奇遇だな、じゃないよ! 紘也くん、職員室に用があるから待ってろって言ったよね! だからあたし校門のとこでずっと待ってたんだよ! 一緒に下校する恋人を待つ気分をキャッキャウフフのドキドッキンって感じに堪能してたんですよ! なのに先に帰ってるとはどういう了見ですかっ! あたしは紘也くんの契約幻獣なんだよ!」

 彼女の正体は無限の大蛇――幻獣ウロボロスである。

 つい一週間ほど前のことだ。世界魔術師連盟の大魔術師である秋幡辰久――つまり紘也の父親が行っていた魔術実験が失敗し、世界中に野生の幻獣が召喚されてしまった。マナという地球には存在しない物質で構成された幻獣は、この世界に居続ける限りいずれマナの乖離を起こして消滅してしまう。それを防ぐための方法が、人間と契約を交わすか、人間を喰らい続けて魔力を補充するかである。そして、野良幻獣の大半は人間と共存など考えず後者を選択している。

 そんな幻獣から紘也を守るために、父親がこのウロボロスを寄こしてきた。

 ――と、紘也は最初勘違いをしていた。

 本当は、彼女は父親の契約幻獣ではなかった。遥か昔から地球で暮らしていた野良の幻獣だった彼女は、連盟が始めた幻獣狩りを回避するために紘也と契約したのだ。自分の安全のために紘也を利用しようとした彼女に一度は怒りを覚えたが、動機はどうあれ彼女は紘也と紘也の友人たちを守ってくれた。そこに感謝の念はあれど、怒りはない。

 今は『人化』により人の姿をしているが、実体はこの蒼谷市を押し潰してしまうほど巨大らしい。紘也の目で確認したわけではないので本当かどうかは謎だけれど。

「まったく、紘也くんにはあたしの恋人だっていう自覚はないの!」

「お前こそ、その発言が妄言だということにさっさと気づけ」

「紘也くん紘也くん、あの時もうあたしを拒絶しないって言ってくれたよね?」

「それはそれ、これはこれって便利な言葉だと思わないか?」

「思わないよっ!? 単なる逃げ言葉だよっ!」

 一昨日のとある騒動で紘也は契約幻獣として正式に彼女を受け入れた。そのことでこの蛇は調子に乗っているらしい。昨日はどういうわけかおとなしかったのだが、その分今日は爆発している。最終授業が終わった後も「一緒に帰りましょ♪」と周りに関係を見せつけるようにつきまとってきて非常にウザかった。

 紘也は大きな溜息を一つ。

「お前がせめて愛沙くらいお淑やかだったらストレスは溜まらないんだろうなぁ」

「え? なに言ってるの紘也くん? このお淑やかの権化たるウロボロスさんを捕まえて」

「そいつは人違い、もとい蛇違いだ」

「蛇って言うな! ドラゴンだいっ!」

 彼女は頑なに蛇と言われることを嫌っている。ウロボロスは種族的にドラゴン族に分類されるようだが、紘也にそれを認める気はさらさらなかった。

「ところで、紘也くん、職員室になんの用事があったの?」

「いや、あれはお前を巻くための嘘なんだが……まだ信じてたのか」

「なにうぉッ!? そ、そういえば、紘也くん似の強い魔力が学校から遠ざかって行くなぁって思ってたらまさか本人だったとは!?」

「なぜ気づかない」

 このウロボロス(通称ウロ)は時々、いやしょっちゅうアホになる。そこを弄くり回すことが、非日常な存在と暮らし始めた最近の紘也のストレス解消法だったりする。

「ううぅ、このS太くんめ!!」

 なんか涙目で罵り始めたウロ。失敬な。善良な一般高校生たる紘也のどこがSなのかまったくもって理解に苦しむ。

「紘也くんは罰としてこれからあたしとデートです! ここいらでガッチリとウロボロスルートのフラグを固めておく必要があるからね!」

「あー、ちょっと待ったウロ。電話だ」

 紘也は微振動する携帯を片手にウロを制した。画面には『孝一』という親友の名が表示されていた。

「どうした孝一? え? 今日? まあ、いいけど」

「ちょ、紘也くん、あたしとのフラグを圧し折るだけじゃ飽き足らずアブノーマルな方向に走る気ですかっ!? いや待って……孝×紘……それはそれでありかもじゅるり」

 携帯を仕舞い、紘也はなにやら涎を垂らして恍惚しているウロを真っ白い視線で睨む。

「アホ。そんなんじゃねえよ。今日の夜、孝一と愛沙がうちに来て勉強会をするんだと」

「ほえ? 勉強会?」

「明日から期末試験だろうが」

 言うと、ウロは思い出すように顎を人差し指で持ち上げ、

「あー、あったねそんな行事。まあ、この博識のウロボロスさんには関係ないことだけど」

「てなわけで今日は遊ぶ日じゃないんだよ。一夜漬けの日だ」

「紘也くん紘也くん、それは学生としてなんか間違ってる気がするよ」

 余計なお世話だ。

「ハッ! てことは今日の七夕イベントは?」

「そんなもんはない」

「なぜ!? せっかくそれらしいイベントがあるんだからあたしとラブコメしようよぅ!」

「コメだけならやってやらんこともないな」

「ううぅ、紘也くんの愛が行方不明……」

 そんな風に話していると、紘也の自宅が見えてきた。大魔術師として儲けている父親が建てたそれなりに立派な一軒家である。家族が海外にいるため紘也はそこで独り暮らしをしていたのだが、先週末からウロボロスが、今週からもう一人居候が増えたために随分と賑やかになっていた。

「ストップ、紘也くん」

 家の敷地に足を踏み入れかけたところでウロに呼び止められた。彼女はいつになく真剣な顔をし、紘也を押し退けて先に家の敷居を跨ぐ。

「ウロ?」

「紘也くんはそこで待ってて。いいって言うまで絶対に入っちゃダメだよ」

 ウロは一度振り返ってそう告げると、玄関を開けて一人家の中へと消えて行った。

 居候のもう一人は野暮用で昨日から出かけている。つまり、今、家には誰もいないはずだ。それなのに、玄関の鍵が開いていた。鍵をかけて登校した記憶はしっかりある。

 まさか、また野良幻獣が現れたのだろうか?

 ウロの真剣な表情が脳裏に蘇ってくる。ヴァンパイアと戦った時すらあのような顔はしていなかった。ドラゴン級の大物が待ち構えているのではないかと心配になる紘也である。

 だが、いくら待っても家からは争っているような気配を感じない。幻獣の個種結界が働いているからだと思ったが、その考えはすぐに捨てる。ここまで近くにいれば、魔術を使えなくとも紘也は結界を感知することができるからだ。今、結界は張られていない。

 何分待っただろうか。やがて玄関の扉を隔てて「どーぞー」というウロの暢気な声が聞こえてくる。

 何事もなさ過ぎて逆に怖い。紘也が恐る恐る玄関の扉をスライドさせると――そこにウロがかしこまった様子で正座していた。

 ――なぜか裸にエプロン姿で。

「……」

「……」

「……」

「……うふ♪」

 紘也は見なかったことにして扉を閉めた。上目遣いで「うふ♪」なんて言った気持悪い生命体など存在しない。いなかった。そこにはなにもいなかった。

「紘也くん紘也くん、心の準備ができてないことはわかってるから早く入って来なよ」

 中から催促の声がかかる。強引にラブコメ展開に走る気だ。激しく入りたくないが、このままでは埒が明かない。

 奴のやりたいことは手に取るようにわかる。恐らくは古典的な展開、『ごはんにする? それともお風呂? それとも――』って流れだ。どの選択肢を選ぼうとも悲惨な目に会うことは請け合いだろう。

 スルーするしかない。

 自分の家に入るのに覚悟が必要とはどういうことだ、と思いながら、紘也は渋々と家の中へ入った。

「お帰りなさい、あなた」

 当然のようにそこにいたエロティックなエプロン姿の金髪美少女がペコリと頭を下げ、

「今日はどうなされますか? 世界の幻獣TCGですか? それともモンバロですか? それとも、で え と♪」

 選択肢がおかしかった。

「じゃあモンバロ」

「やったぁーい♪」

 三十秒で瞬殺してやった。

「あぐ……あぐぅ……」

 巷で人気の対戦格闘ゲーム『大乱戦・モンスターバトルロイアル』の対戦結果画面を前にして涙海に沈むウロ。彼女は天性のゲーム音痴なのだ。下手に無視するよりこうした方が速いと考えたが、正解だった。

「じゃ、俺は着替えてくるから」

 そう言って紘也は二階にある自室へ向かった。後ろから「鬼! 悪魔! あんたは手加減って言葉を知らんのか!」という恨み声をぶつけられたが、そこはスルーする。

「ったく、あいつに付き合っているとホント疲れ――なっ!?」

 自室に入った紘也は、眼前に飛び込んできた光景に絶句した。

「嘘、だろ?」

 紘也の部屋が、荒らされていた。

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