1-15『鴻上永代』

 三谷の笑みには、妙に酷薄な色があった。それが少しだけ僕には不思議だ。

 奴は確かに悪党だが、決して他者を甚振って悦ぶような人格ではあるまい。そもそも津凪を人間とさえ認めていないのだから。

 ならばなぜ、三谷は津凪にこうも厳しく当たるのか。


「驚くな。まさか本当に自力で逃げ出せたと思っているのか。そんなわけがないだろう。お前は見逃されたんだよ――そうすれば必ず六路木に行く。そうすれば必ず、。六路木は呪術師に優しいからな」


 津凪は恐怖している。その言葉は呪いだ。

 その正体を知っているからこそ、耳に届くことを恐れる。

 けれど彼女には、耳を塞ぐこともできなかった。


「なん、で……そんな」


「決まってるだろう。


 だから六路木に送ったのだと、三谷はそう、感情のない瞳で言いきった。

 僕は動じない。そんなことだろうと、ここに来るまでにだいたい考えついていたから。倉崎が僕に、それらしいヒントを寄越していた。

 ――僕に会わせるために逃がしたと、倉崎は言った。

 正確には、津凪を助けようとする人間なら誰でもよかったということだろう。それが僕になったのは偶然だ。


「お前という装置は、その絶望で完成する。なぜだかわかるか? お前は、相手の心の在り方に沿った呪術を他者に与えることができる――とはいえ、それは必ずお前という存在を通してのことだ。せっかく授かる呪術が、使えないモノじゃ意味がないだろう? お前はあくまで兵器として……関わる人間を兵器にする者としての機能が期待されているのだから。絶望したお前なら、そういう呪術を発現させてくれるだろう」


 絶望した津凪が創る呪術なら、きっとその性能は破壊に向く。

 世界に嫉妬し、全てを呪う彼女ならば、戦うための呪術を創り出すだろう。

 ただそのためだけに、《王国》は津凪を六路木へと送り込んだ。

 彼女に絶望を植えつける存在として、僕は最高の素材だと見做されたということだ。公園で見逃されたのも、それが理由ということらしい。


「……ぼくを、絶望させる、ため……? それだけの、ために……?」


「そうだな。その意味では僕は、彼に礼を告げる必要があるかもしれない。まさかこんなに短い期間で、ここまでの絆を築いてくれるなんて想定外だったよ。だから予定を早められた。きっと君なら、追ってきてくれると信じてね」


「な……なら、永代は――」


「そうだ。お前が関わったせいで死ぬ」


 僕は。

 それを黙って聞いていた。


「お前さえ関わらなければ、お前さえ逃げ出さなければ――そいつは今も普通に暮らせていた。ここで死ぬようなこともなかった。助けを求めた時点でそうなるに決まってるだろう? お前もそのつもりで逃げて来たんじゃないのか……今さら善人ぶるなよ。そもそも人でさえないお前が」


「――ぁ……」


 決定的な何かが、そこで切れたようだった。

 膝を折り、津凪は地面にぺたりと座る。重力に落とされたような力のなさで。

 彼女はその状態で僕を振り返った。その双眸は涙で濡れ、その表情は絶望に塗れている。


「ご、ごめ、ごめんなさい、永代……ごめ……っ」


 しゃくりあげるように、津凪はただただ謝罪を繰り返した。

 僕は小さく息をつき、それからぽん、と彼女の頭に手を乗せた。


「……前から思ってたけど、いい手触りしてるよね、津凪の髪」


「へ……っ?」


「うん。その黒い髪、綺麗で僕は好きなんだよ。真代の白い髪も素敵だけど、なかなか負けてないと思う」


 何を言っているんだコイツは、という視線を再び頂いた。

 僕自身、なんでそんなことを言ったのかわからない。でもまあ、この程度で津凪の冷静さを取り戻せるならいいということにしよう。

 彼女の髪から手を離し、僕は言った。


「――そういえば、まだお礼を言ってなかったね」


「お……お礼?」


「そうだよ。僕のところに来てくれてありがとう、って。お陰で僕は、君を助けるために戦える。……いや、我ながらクサいなこのセリフは。さすがに恥ずかしい――けどまあ、真代や出水さんたちに聞かれなきゃいいや」


「何を、言って」


「謝られる意味がわからないって話。僕は感謝してるのに、君に謝られちゃ立つ瀬ないよ。ていうか、これさっきも言ったんだけどなあ。僕は、僕の意思でここに来ているって」


「永……代……?」


「僕の願いを叶えに来た。それは出水さんの願いで、そして真代の願いでもある。僕はまだ、君の口からちゃんと聞いてない。――だから、言えよ。願いを。君がどうしたいのかを」


「でき……っ、できるわけないだろ!」


 津凪が、吠えた。だがそれは、本当は願いを抱いているという告白に等しい。

 その慟哭から僕は目を逸らさない。見て見ぬ振りをして、その上で自分だけが助かる道なんて選びたくない。

 それは僕の願いだ。僕は自分で言うほど善人じゃない。当たり前だ。僕は自分の願望を、ただ叶えたいと思っているだけ。

 でも、そんなことはきっと誰だって同じだろう。

 それが普通だ。誰だって、身近な誰かの不幸をわざわざ願ったりしない。それが自分の大切な相手ならなおさらだろう。

 津凪は、きっと、そんなことさえ教えてもらったことがないのだ。


「そんなの駄目だ! 今もしこの場を逃れても、これからだってきっと同じことが何回もある! そんなことに君を巻き込めない!!」


「いいよ、巻き込んで。僕の人生を君にやる。僕がそうしたいと思うから」


「なんで……、そんなことが言えるんだ……っ!」


「その理由も言った。この先どんなことがあっても、僕は君を見捨てないと誓う。そういう呪いを、君が僕にかければいい」


「それで死んだらどうするんだ……」


「別にいい。僕は呪術師だ。人を呪わば穴二つ、だからね。どうせいつか、ツケを払って死ぬだろうさ」


 それでも。


「それでも僕が眠るなら、それは君の隣がいい。でなければきっと後悔する」


 塞げない穴が胸に開く。

 そんなのはごめんだった。


「――っ!」


「一蓮托生ってことで。いっしょの墓で死のうぜ、津凪」


「……ぅ、ぁ――」


「どんな穴でも構わない。僕らでそれを塞げばいい。だから言え! 僕をのろえ、津凪!」


 彼女は。

 逆坂津凪は言った。


「――永代。ぼくといっしょに死んでくれ」


 それが呪い。僕らにとっての、つながりの呪詛カースコード

 僕と津凪を結ぶ呪詛が、今こうして成立した。


「そののろい、受け取った」


 僕は前を見据えた。津凪も僕の隣に立ち、いっしょに並んで前を見る。

 その先で、三谷秋生は小さく拍手を打っていた。


「感動的だね。これは皮肉じゃなく素晴らしい。本当に――ここまでのことがあり得るとは思ってなかった。ドラマティックとはこういうことを言うんだろう」


「そのほうがお前にはいいわけだ。僕を殺したとき、より津凪の絶望が深くなるから」


「まあ、そうだね。それがわかっててあんなことを言ったわけか。いや、年甲斐もなく顔が熱くなってくるよ、僕までね」


「当たり前だろ。感動的なシーンだったんだ、あとはお前を倒してハッピーエンド。ほかに何がある?」


「確かに、その状態で立ち上がってくるなんて思わなかったよ。愛と勇気というヤツかな?」


「そんなもん露ほども信じてねえよ。愛や勇気を理由にしなくたって、ヒトは意外と戦えるもんだ」


「津凪とふたりなら僕に勝てると? 彼女が僕に逆らえないことに変わりはないし――」


 三谷は大きく両手を広げ、僕らに向かってこう言った。


「――僕はまだ、にもたらされた呪術を使ってさえいない」


「なら使ってみればいい」


 僕は言う。笑って。自信満々に。

 そうだ。津凪から呪いを貰ったのだから。笑わずにはいられない。

 僕が負けることはない。

 僕がであることは何度も言っている。


「それを破って、僕らは帰る」


 ――鴻上永代は。

 初めから、願いを叶えるための呪術師だと。



     ※



「――なら死ね」


 水の呪術で、僕を殺せなかったことに業を煮やしたのか。あるいは僕らの言葉を、もう聞いていたくないと思ったのか。

 ついに三谷は、津凪が創り出し、自らの身に着けた呪術を使おうとしていた。

 それまでの呪術の世界観には存在しない、三谷に固有の異能とも呼ぶべき。既存の手法では絶対に破ることができず、ゆえに呪術師にとって最強の一手となる呪術。

 そんなものを使われてしまった時点で、僕の敗北は決定するだろう。そうでなくとも、呪術師として三谷のほうが実力は高いのだから。


 ――

 使


 三谷が手をかざし、なんらかの儀式を成立させる。

 既存の法則に適さないそれは当然、僕には理解さえできなかった。何をしているかなどまったくわからない。

 そして、わかってやる必要だってなかった。


「……なぜ、だ……?」


 呆然と呟く三谷。その顔には、これまでついぞ見られなかった驚愕の表情が浮かべられている。

 呪術師らしく、せめて厭らしい表情で僕は笑う。


「なぜ――なぜ呪術が発動しない!?」


「何を言ってんだ、三谷さん?」


 僕は言った。ただ当たり前のことを言うように。


「アンタ、ただ手を伸ばしただけじゃないか。そんなことしたって何かが起きるわけないだろ。アンタ、魔法使いか何かのつもりなのかよ」


「ふざけたことを言うな! 貴様――貴様いったい、何をした!?」


「――


 それだけのことだ。呪術師としての僕は酷く中途半端で、弱くもないが強くもない――その程度の存在だ。

 出水さんや真代、あるいは倉崎や三谷のように、特別指定級と呼ばれるような呪術は一切使えない。今後どれほど技術を上げても、僕がその領域に到達することはないだろう。

 だが。呪術で勝てないのなら、呪術なんぞ使わせなければいいというだけの話。


「アンタ、意外と人がいいな。と津凪が話をするまで、わざわざ聞いて待っててくれたんだから。でも、そのお陰で津凪が赦してくれた。だから俺にはそれができた」


 まあ実際には津凪を絶望させるために、僕と仲良くしていてもらいたかったというだけだろうが。

 それが僕には都合がよかった。それで決心がついたとも言える。


「お約束だよな、ヒーローの変身を待っててくれる悪役みたいじゃねえか。でも――お約束ってのは、外すためにあるもんだぜ?」


「何を言っている!? なぜ、なぜ呪術が発動しない!?」


「だから、逆に訊くけどさ。そんな風に手を伸ばして、何が起きるっていうんだよ? 普通に考えて何かが起きるわけないだろ。だってアンタ、単に手を伸ばしただけじゃないか。ゲームやマンガじゃないんだから、そんなことしたって意味ねえよ」


「永代……君は」


 横に立つ津凪も、驚いたように僕の表情を見ている。

 僕は小さく笑みを作って、肩を竦めてこう答える。


「小さい頃、俺はある実験施設に囚われててな。物心つく前から、そこで呪術を受け続けていた。ひとつの兵器として完成させるために」


「それ、は――」


 その通り。この程度の悲劇など、でしかないのだ。呪術なんてものに携わる以上は。

 津凪と会ったとき、初対面から馬が合った理由がよくわかる。だって僕も、僕自身、同じ境遇にいたのだから。同情ではない、僕が彼女に感じていたのは、初めから共感だったということ。

 だが、僕がそこで発言した呪いは、津凪とは決定的に違う。その向きは完全に逆を向いている。


「実験の結果、完成した俺は機能を持った呪具だ。呪術を創る津凪とはまったく逆。俺はね、津凪。呪術を――その成立に至る過程を、人類の積み重ねを、歴史の重さを、全て壊して消してしまう。俺が消した呪術は世界から消え、使


 解呪とは違う。これは呪いを解くのではなく、呪いを壊す行いだから。

 解呪ならぬ

 この世でただひとり、他者の思いを現実に変え、新しい呪術を創造するのが繋ぎなら。

 僕はこの世でただひとり、存在するはずの呪術を破壊して、単なるオカルト信仰に戻してしまう。

 オカルト壊呪の呪術師。


「――祝福を呪う者System/code:gray。鴻上永代は、原初はじまりの九色を継ぐ者だ」


「なん、だ――それは。そんなものが、そんなものがこの街にいるなんて聞いてないぞ!! 原初はじまりの九色だと!? そんなことがあり得るものか!」


 三谷が叫んだ。いっそ悲痛なまでの怒りを込めて。

 僕は答える。


「あり得てるだろ、こうして、実際。僕は、の後続機だ。お前如き、敵じゃない」


「奴らは死んだ! 原初呪術は失われたんだよ、永遠に‼ なのに、そんなこと……そんなこと僕は知らない‼」


「いや、当たり前だろ、言えるわけない。これが知られたら、それこそ津凪の比じゃないよ――俺は、俺という道具が存在しているというただそれだけで、この世から呪術そのものを消してしまえる。そんな奴、呪術師が知ったら間違いなく殺しに来る。苦労して努力して培った能力を、その成果を、俺は消してしまうんだから。まあ、そう簡単に使えるわけじゃないんだけど」


 この機能を使うには制限があった。当然だ。道具が自らの意思で機能を使っていいわけがない。

 人間だれかに求められること。呪具としての僕の所有者である真代の許可を得ること。最低でもその二つがなければ、僕は僕の機能を使えない。


「ふざけるな!」


 三谷が叫ぶ。呪術師ならば、いや――呪術師ならずとも、叫び出さずにはいられない行為だろう。


「それは人間の努力の否定だ! 積み重ねた歴史に対する冒涜でしかない!! そんなことが許されて堪るものか! ならば僕たちが積み重ねてきたものはどうなる!? なんの権利があればそんなことができるんだ!! それは――そんな行為は許されない! 人間がやっていいことじゃないぞッ!!」


「だから、俺は道具なんだよ。誰かに求められなければ、応えることさえできない道具。馬鹿だなお前、道具なんぞに善悪を問うな。知ったことじゃねえよ、そんなこと」


 もちろん詭弁だ。そんな理屈を積み重ねたところで、僕から罪悪感が消えたりはしない。

 子どもの頃から練習を重ねて、野球選手になった少年の努力を。遊ぶ時間を減らして勉強を重ねて、見事合格を果たした受験生の努力を。時間を費やして技術を積み重ね、ついには認められた芸術家の努力を。

 全て踏み躙るような行為なのだから。

 それが呪術だとしても、僕の行いは呪術師が励んできた過程の全てを破壊する。

 そんなことが、赦されていいはずがない。


「……それでもは、津凪を助けると決めたんだ」


 僕は津凪を見た。津凪は笑顔で頷いて言う。


「わかってる。その罪はきっと、ぼくもいっしょに背負うから。――永代の罪は、ぼくが赦すよ」


「そっか――ありがとう」


 それさえ――その言葉のろいさえ貰えれば充分だ。

 僕は前へと歩き出す。


「あ、ああ――あああああああああっ!!」


 恐慌状態に陥った三谷が、叫びながら小瓶を取り出した。

 だが、それはただの小瓶でしかない。砕こうが撒こうが飲もうが、瓶は瓶としての機能しか果たさない。

 雨を呼ぶことも風邪をひかせることも病を癒すことも肉を抉ることもない。

 ただの水だ。

 三谷の放り投げた小瓶が、地面に落ちて砕けて割れた。


「なぜだ! なぜ――なぜ何も起こらない!」


「僕が、《雨乞い》という呪術を。もう二度と、人間は呪術で雨を呼ぶことなんてできない。永遠に」


「ふざけるなあッ!! そんな、そんな冒涜が認められて、認められてなるものか――!!」


「知るか」


 僕は三谷の目の前に立ち、拳を強く握り込む。


「――呪術なんてものは本来、この世界にあっちゃいけないものなんだよ」


 そして、それを力強く振り抜いた。

 二度目の打撃に、三谷が吹き飛ばされて地面に倒れ込む。

 再び起き上がってくることはなかった。

 振り返れば、こちらを向いた津凪が、目に涙を浮かべて微笑んでいる。


 ――よかった。そう思えた。

 この顔を見られたというだけで、全てが報われたように思える。本心だった。


「本当に、ぼくのことを助けてくれたんだね」


 津凪は微笑んで言った。

 言ってはならないと、そう約束したはずの言葉を。


「――、永代」


 僕は頷き、やはり笑顔でこう答えた。


「おう」 

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