第四十六章 24
一生懸命頑張っても何も届かない。そのうち、全ては無意味だと諦めた。
デビルは十歳になる前に、人生を投げ捨てた。厭世観でいっぱいになり、死んだ魚の目になってこの世を見渡すようになった。
それは小学三年生になったばかりの頃の話。
クラス替えの結果、やたら金持ち自慢の嫌な奴が、デビルと同じクラスになった。自慢するだけではなく、羽振りよく他人に奢るので、そいつに一生懸命媚を売る同級生が何人も現れた。
それを見て、デビルはどちらに対しても嫌悪感でいっぱいになった。もちろんデビルは媚びるような真似はしない。
デビルと同じように、媚びようとしない児童は何人かいた。金持ちの子はそれが気に食わず、自分に媚びる児童に、媚びない児童をいじめるように訴えた。
クラスでいじめが恒常化して、エスカレートしたあげく、女子が骨折して救急車も呼ぶ騒ぎになり、PTA会議にもなったが、学校と保護者によって事件は無かったことにしてもみ消された。金持ち野郎の親がただ資本家というだけでなく、代議士でもあったおかげだ。
自分は何をやっても許されると増長した金持ちの子は、それからますますやることがエスカレートしていったが、この情報化社会でチンケな権力者がやりたい放題できるなど不可能ということを、そいつの親も学校も理解していなかったようで、事件はあっさりとネット上で拡散し、新聞でも週刊誌でもニュースでも取り沙汰され、大炎上した。
結局その金持ちの子は転校を余儀なくされ、親も議員を辞めさせられるまでに至る。
デビルはその一連の流れを見て思う。因果応報などではない。たまたまやり過ぎただけ、馬鹿なだけの自業自得だと。
その金持ちの子がもっと上手くやれば――金持ちの子に生まれたという、自分の運の良さを最大限に駆使すれば、こんな目には合わなかったと。その時はそう思っていた。
そして実際上手くやっている、賢くて悪い奴はいっぱいいるという事を、デビルは知っている。他人を食い物にすることで、幸福を得ている者は確かにいる。例えばそう――デビルの親のように。
「幸福は屍の上に築かれている。そうなるようにできている」
デビルの父親は小さい頃から、デビルにそう言い聞かせていた。
父親はデビルに様々な習い事を強いた。英語、スイミング、そろばん、武道、芝居までも。幼稚園に入る前に英才教育も施していた。
「強く賢い者だけが幸せになる権利を得る。それがこの世の中だ。お前のためを思って、お前を強くしているわけじゃないぞ。俺のためだ。俺の息子が、他人に食い物にされるような、搾取される弱者なんて、虫唾が走るからな。そうならないように、俺を満足させるように、お前は優秀な強者にならないといけない。そのために最大限努力しろ。それが俺の子として生まれてきた、お前の義務だ」
小さい頃から何度も何度も、父親はデビルにそう言い聞かせてきた。
デビルの父親は裏通りの住人だった。いわゆる闇金の金貸しを行っており、まさしく他者を食い物にしている男である。
父親がデビルにあれこれと押し付ける一方で、母親はデビルに全く無関心だった。貴金属で自分を着飾る事だけにしか関心が無いような女だ。デビルは母親から声をかけられた記憶すら無い。
「何をやらせても中途半端な結果しか出さないな、お前は」
ある日、父親はデビルに冷たい視線を浴びせながら、さらに冷たい声で言い放った。
「期待した俺が馬鹿だった。お前への投資は全て無駄だった。無意味だった。お前は出来損ないの無能だ。あの女の遺伝子が悪かったか? あいつとお前は捨てる。もういらん。俺の遺伝子だけ優秀でも、片方が屑だとやっぱり駄目だな」
確かにデビルは父親が望んだ結果を出せなかった。デビルなりに頑張ったが、尽く届かなかった。
デビルと母親は本当に捨てられた。母親は自殺し、デビルは母親の祖父母に引き取られた。
デビルも最初は嘆き悲しんだが、悲しみはやがて諦めへと変化した。
一生懸命頑張っても何も届かない。親の言うとおり、自分は無能だったと、やること全て無意味だったと、デビルは何もかも諦めた。人生を半分以上放棄したのである。
こんな親の元に生まれてきたという、ただそれだけの運の悪さ。それで自分の人生は早くも終わったと、デビルは実感する。
その一方で、あの金持ちの子を思い出す。あれは自業自得と思っていたが、あれも結局運が悪かったのだ。親は金持ちだが馬鹿だったから、馬鹿な子が育った。子の責任というより、親の責任で、惨めな顛末になってしまったのではないかと。つまり、運が悪かったと。神様に弄ばれた哀れな犠牲者だと。
この世は全て運だけで決まってしまう虚しい代物だ。本人の努力? それも運だ。努力できる環境と、根性という名の、努力する才能があってこそだ。そもそも努力したところで運が悪ければそれもかなわない。事故にあって死ねば一巻の終わりだからだ。皆、神様という底意地の悪い糞野郎に、踊らされているだけ。それが幼くして辿りついた、デビルの人生観だった。
引き取られた先の祖父母は、反社会的で利己的な父親とも、浪費癖が激しく我の塊である母親とも、全く対極に位置する人達だった。厳格で、規律と遵法精神と公徳を重んじる、社会派の人達だった。
それまでと環境が一変したデビルからすると、正直それまで父親にあれこれと押し付けられていた生活よりも、祖父母の家での生活の方が辛いと感じた。何しろ価値観がまるで合わない。
神様はいつもいつも、思いもよらぬ意地悪な脚本を自分に突きつけて、自分を舞台の上で無様に踊らせてくれる。祖父母が自分と全く相容れぬ人種であったことも、正にそうだ。
祖父母も祖父母で、無口で何を考えているかわからず、自分達の言うことにまるで従わないデビルを持て余していた。
デビルの中で反社会性が育まれていったのは、間違いなく祖父母の影響である。これまでのギャップと祖父母への反発とにより、元より厭世観に満ち溢れていた少年だったデビルは、これまで以上に世界を否定するようになっていく。
「ルールを守る正しい人間にならないと、大人になって幸せな人生は送れなくなるぞ」
祖父がことあるごとに口にしていたその台詞は、デビルの頭の中に、汚く不快なヘドロのようにこびりついている。
そもそも幸せとは何だ? 幼い日のデビルは、そこからして理解できなかった。
デビルがその意味を理解できたのは、ある日、大規模な災害のニュースを見た際だ。
「死んだ奴は全て負け犬だ。何もできなくなる」
父親がそんなことを口走っていたことを思い出す。
死んだ人間はきっと、死にたくないと思っていたことだろう。死んだ人間の家族はきっと、悲しんでいることだろう。つまり、彼等は負け犬ということになる。
世界の全ては運でしかない。運の悪い負け犬共。生きていてこれまで築いてきた事は全て台無しになった負け犬共。そう考えると楽しい。
「自分の幸福は他人の不幸の上に築かれる」
父親の台詞をまた思い出す。デビルは他人の不幸を見ることで、知ることで、いい気分になれることを発見した。そしてこれこそ幸福の時間だと理解した。
自分は不幸だったかもしれない。だがその不幸のおかげで、不幸な人生の中での楽しみ方を見つけた。それは何と幸せなことだろうと、デビルは本気で思う。それに関しては、あの空前絶後の下衆野郎――神様に感謝したい。
以前は他人の幸福を妬む気持ちも強かったデビルだが、そんな気持ちは無くなった。不幸も人生のお楽しみの一つだと思いこむようになり、不幸を体験できない者こそ哀れで、真に不幸であるという考えに至ったのである。
そしてデビルにとってくだらないと思える秩序――社会に敢然と牙を剥いた者達を、多くの不幸を量産した凶悪な犯罪者達を、英雄であると真剣に思い込んだ。いや、そうとしか感じられなかった。
***
デビルは力を手に入れた。
デビルは社会に負けることなく、社会に巣食う者達に、不幸という名の人生の醍醐味をプレゼントしていくことが可能になった。
それはとてもデビルにとって幸福な時間である。クリスマスに限定されないサンタクロースになったかのようだ。
そんなデビルの前に、次から次へと、自分の活動の邪魔をする者達が現れてくれる。
デビルはそれすら歓迎する。障害もまた楽しみだ。彼等の出現も、敗北も、真剣にムカつくし、真剣に悔しい。だからこそ価値がある。
この世の全ては運という考えも、いつしか無くなった。別の考えになった。この世の全ては、神様の思し召すままと信じ込むようになった。
これは意地悪な神様とのゲーム。神様が創ったこのくだらない世界と、神様が仕掛けてくるつまらない運命。それらに如何に抵抗して面白いと感じるか、それを味わうためのゲーム。それらに如何に反抗して面白くしていくか、それを作り上げるゲーム。
自分が不幸と悲劇を撒き散らせば、きっと神様も楽しんでくれる。デビルはそう信じて疑っていない。ゲームは一人で楽しむものではない。皆で楽しむものだ。
特に今回は素晴らしい。神様に本気で感謝しているし、本気で呪っている。自分に素晴らしい贈り物を授け、そして奪ってくれた。神様。嗚呼、神様……。その底意地の悪さには、自分如きでは到底かなわない。実に素晴らしい。軽蔑にも敬服にも値する。流石は神様。
デビルは負けるつもりはない。悪魔よりも陰険で残忍なあの糞野郎と戦い続ける。遊び続ける。あの全能の汚物と相対し続ける者だからこそ、自分は
勝ち目の無い戦いであるとわかっていても、悪魔は神と戦い続ける。ただ一方的に弄ばれるだけとわかっていても、悪魔は神と遊び続ける。神に踊らされているとわかっていても、自分の意思で踊っていると、悪魔は信じ続ける。
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