第四十六章 邪神を復活させて遊ぼう

第四十六章 プロローグ

 制服姿の少年がその屋敷を訪れると、顔見知りの幼子が軒下に座ってうなだれていた。


「おい輝坊。まだ落ち込んでるのか」


 少年が声をかけ、幼子の頭を撫でる。少年は十五歳。幼子は四歳になる。


「もう大丈夫……。ありがとう、ニーニー」


 輝坊と呼ばれた幼児が無理して微笑むのが、ニーニーと呼ばれた少年の目には痛々しく映る。

 少年は知っていた。この子がつい先日、両親を亡くしたばかりだということを。


 その子はとても頭がよかった。そして幼子らしくなく気丈だった。自身に課せられた運命の重圧と、この歳で向き合うつもりでいる。少年から見て、それは過酷を通り過ぎて残酷とすら感じる。


「大丈夫そうに見えねーよ。綺羅羅は何している?」

「ここにいるけど、何しにきたの?」


 奥の部屋から、少年と同い年の少女が現れる。


「俺、学校辞めるわ。サイモンと一緒にアメリカ行く」


 少年の言葉に、幼子も少女も呆気に取られる。


「あいつ、軍人になるっていうからさ。俺も一緒になろうかなーと」

「ニーニーまでいなくなっちゃうの?」


 幼子が涙声になる。


「ネトゲの中で会えるし、ちょくちょく帰ってくるよ」

 渋い顔になる少年。


「あんたは昔からいろいろやらかす奴だったけど……。はあ……。まあ、勝手に行けばいいんじゃない?」


 少女の冷たい怒気に満ちた声に、少年はおもいっきりたじろぐ。


「綺羅羅おねーちゃん、ニーニーと結婚してよ」


 泣きそうな顔になっての幼子の発現に、少女の方もたじろいだ。少年も固まっている。


「そうすればニーニーいなくならないよ。だから結婚してっ」

「いや……年齢的に無理だから……」


 必死に懇願する幼児に、少女は困り顔で諭す。


「じゃあ可能な年齢になったら、結婚してくれて、毎日タダマンさせてくれるのか?」

「輝坊の前で下品なことぬかすな! つーか話をこじらすな!」

「うわああああんっ!」


 少女が怒鳴って、少年の顔面を容赦無くグーで殴り飛ばしたので、幼児はとうとう泣き出した。

 それが大体十三年くらい前の話。


***


 努麗村どれいむらは現在『黒之期』のピークにある。

 一人を除いた全ての村人が、その名称の意味は知っている。何百年も昔から村で定められている。


 黒之期は三十三年に一度訪れ、約二十年続く。つまり村では黒之期の期間の方が長いが、黒之期も最初のうちは平和なものだ。始まって七、八年後辺りから、村を蝕むようになり、十年を越える頃にはかなり酷いことになる。十数年後辺りから終わりまでは、その酷さがピークに達する。


 努麗村の家屋の大半は、未だに藁葺き屋根の昔ながらの木造建築の家だ。

 玄関の引き戸が開き、その家の長女が虚ろな目で帰宅する。服はあちこち破れて乱れ、体には痣が見受けられる。


「葉子……また蠱酉の所にやられたのね」


 母親が哀れみを込めて、今年十五になる娘に声をかける。


「ねえ……いつまでこんなこと、我慢しなくちゃいけないの……?」


 葉子が虚ろな眼差しで母を見つめ、虚ろな声を発する。


「あと一年の辛抱だから。そうすれば……黒之期も終わる。それまでは村のために辛抱して。他の子達もずっと辛抱してる。私達も若い頃は散々だった。御先祖様もずっとずっと……。乱暴されたことのない女なんて、努麗村にはいないのよ」

「ふざけんな! 何でそんな頭のおかしい風習を、うちの村だけずっと続けているのよ!」

「さあね……。ここに生まれたのが運の尽きなんだよ」


 激昂する葉子に、母親は諦めきった表情で告げる。


「言っておくよ。外に出てもろくなことはないよ? ここは黒之期さえ我慢できれば、その後はいい生活が保障されているんだ。国からお金を貰ってね。村の外に出ていった人達の多くが、すぐにここに戻ってくるのも知っているだろう? つまり、そういうことさ」


 自虐的な笑みを浮かべる母親。実はかつて黒之期に嫌気をさして、母親は村の外で出たことがある。しかし小学校すら通ったことのない母は、村の外の世界が全く合うこともなく、結局戻ってきてしまったという話だ。ここでは黒之期さえ我慢すれば、非常にのんびりと緩やかな生活が送れる。


「あと、もう少しの辛抱なんだ。それまでは我慢おし。その我慢した辛い気持ちも、もうすぐ全部吐き出すことができる」


 意味深に笑う母親の顔を見て、葉子はぞっとする一方で、胸の内で黒い炎を燃やしていた。

 それが二年前の話。


***


 葉子は村の戦士の一人になるため、厳しい訓練を積んでいた。

 葉子には目的があった。葉子なりの復讐をするという目的が。


 そしてその日、とうとう村人達の待ち望む日がやってきた。黒之期の最終日である。葉子はここで復讐を果たせる。


「畜生―っ! どうなってやがるんだーっ! これはーっ!? お前等、俺に向かってこんなことしてただで済むと思ってるのかーっ! むっきーッ!」


 村人達全員の前で、素っ裸にされて手足を拘束されて磔にされているのは、明日になれば二十歳の誕生日を迎えるはずの、蠱酉膿造という青年だ。


 蠱酉の生誕と共に、黒之期は始まった。蠱酉は幼い頃より村を統べる王の血筋であると言われ、ありとあらゆる贅を尽くして持て囃され、どんな所業すらも許された。度の過ぎた悪戯も、気に入らない者へのいじめや暴力も、村の娘達を犯すことすらも、全て王の行いであるが故に咎められない。結果、やりたい放題に振る舞い、村に害を成し続ける。村人達に怨念を貯め続ける。


 しかし蠱酉には、ある事実を知らされていなかった。

 しかし蠱酉以外の村人達は皆、ある事実を知っていた。

 蠱酉が――『黒之子』と呼ばれる村の生贄であり、黒之子を育てる二十年を『黒之期』と呼び、何百年も前から努麗村で代々執り行われてきた、大事な儀式である事を。


「今日でお前の命もおしまいだ。お前は今日という日に死ぬために生まれてきたんだ」


 蠱酉と同年代の青年が、憎々しげな笑みをたたえて告げる。いつも蠱酉とつるんでいた男だ。蠱酉と一緒になって悪行を働いていたが、その後で必ず被害を合えた相手に、謝罪してまわっていた。彼も辛かった事は村人全員が知っているし、彼を恨む者はいない。


「どういうことだよ……。何だよ、それ……」


 村人達の恨みの視線と口元に浮かんだ嘲笑が、蠱酉の心胆を寒からしめる。


 一人が蠱酉の右手の人差し指を取り、躊躇いなく折った。入れ替わった別の一人が折れた指を横に回転させて、さらに入れ替わった別の村人が爪に針を刺し、次の村人は口にドリルを突っ込んで歯茎に穴を開け、次は足の裏に焼き鏝を押し付けた。


 何度も悲鳴をあげる蠱酉。そして葉子の番がやってくる。

 葉子はすぐには行為に取り掛かろうとせず、じっと蠱酉を見つめて思案する。


「葉子っ、お前には優しくしてやったじゃんか! 俺に突っ込まれて気持ちよさそうに喘いで、お前だって悪い気しなかっただろ! それなのに俺を殺すのかよっ!」


 村人達の前で暴露するというその行為が、余計に相手の憎悪をかきたてるという事にさえ、蠱酉は頭が回らなかった。

 葉子は鋏を手に取り、蠱酉の股間へと向けた。数秒後、これまでで最大級の悲鳴があがった。


 その後たっぷり一日かけて、村人達はこれまでの恨みを晴らしていった。ただし、絶対に殺さないように。


「呪ってやる……お前等、呪ってやるぞ……」


 夜十二時が近づいた頃、ようやく拷問が終わったと思えた所であった。全身の皮を剥かれ、体中が切り傷と火傷と刺し傷だらけとなり、手足も目鼻も無くした蠱酉が、村人達に向かって呻く。


「呪い結構。おおいに呪うがいい」


 村の祈祷師が蠱酉の前に進み出て、厳粛に告げる。


無那引むなびき様が貴様の呪いを村の糧へと変えてくれる。永遠に苦しみながら、呪い続けるがよい。それが村の営みへと変えてくれる」


 無那引様という言葉に、蠱酉は聞き覚えがあった。村人達がその名前を口にしているのを、何度か聞いた。二回程尋ねてみても、知らないという答えと、とぼけた答えしか返ってこなかった。

 この儀式同様、それは自分以外の村人は全て知っている存在なのだろうと、蠱酉は察した。


「無那引様! 三十三年の時を越えて、今こそ我等の前に姿をお見せくださいませ! 黒之期の終わりは近づいております! 黒之子を我等の糧へと変えてくださいませ!」


 祈祷師が両手を広げて高らかに叫ぶ。


「無那引様!」

「無那引様あぁ!」

「無那引様ーっ! おいでくださーい!」

「無那引様、我等に安泰を! 黒之子に永遠の苦痛と呪いを!」


 村人達が狂喜しながら口々に叫ぶ様を見て、蠱酉は底無しの恐怖を覚える。


 やがて闇の中から、それは村人達の前に現れた。


 それはまさしく人外に他ならぬ存在であった。頭から尾までの全長4メートル、全高は2メートル程もあろうかという、白いぶよぶよした体の怪物。頭部らしき箇所に、黒い眼のようなものは存在したが、耳と口と鼻は確認できない。太い腕のようなものは伸びているが、手は確認できず、腕の先は丸くなっているだけだ。直立しているが足は非常に短い。


 村人達の中にも、その姿を初めて見るという者は多くいる。何しろ三十三年に一度しか現れない。


 白い怪物――無那引様が蠱酉の目の前までやってくると、眼の下に切れ目が走り、真っ赤な口が大きく開かれた。

 白い表皮と高いコントラストを成す赤い口中には、万年筆があるのが、蠱酉の目には見えた。

 そしてその万年筆が、蠱酉が見た最期の物となった。


 怪物の腕が、蠱酉の心臓を貫く。

 蠱酉の体から霊魂が浮き上がるのが、村人の中でも霊感の強い者達の目には、はっきりと映った。

 怪物が口をすぼめて大きく息を吸うと、蠱酉の霊が口の中へと吸い込まれる。

 再び怪物が口を開き、口の中から万年筆を吐き出し、先の丸い手で受け止めると、高々と掲げてみせる。


「あたしに! あたしにください! 戦士の訓練は受けてあります!」


 葉子が真っ先に手を上げて叫び、名乗り出た。


「いや! 俺に!」

「僕を選んでください! 無那引様ァ!」


 他の村人の何人かも叫んだが、怪物はのそのそと歩いていくと、葉子の前で止まり、万年筆を葉子へと差し出す。葉子の顔が綻ぶ。


「無那引様……ありがとうございますっ」


 感極まって涙さえ流しながら、葉子は万年筆を受け取った。


 それが一年前の話。


***


「百合様、お茶が入りました」


 自室にて調べものに熱中していた百合であったが、ノックの音と共に白金太郎の声がかかり、息を吐く。


「お入りなさい」

「最近部屋にこもりきりですね」


 寂しげな声と共に白金太郎が茶を注ぐ。


「あれこれと掘り出し物の書物を買い漁る一方、買うペースより読むペースが遅すぎて、本を積みすぎていましたからね。しかも特定の書物が……」


 百合が机の上に積み上げていたのは、すす茶けた古い本ばかりであった。大半が洋書ではなく、紐で閉じられた和書である


付喪神つくもがみ?」


 和書のタイトルに幾つかの共通する単語が並んでいたので、白金太郎は思わず口にする。


「百年経った道具には精霊が宿り、変化するという話ですわ。故に九十九年で器物を捨てるという慣わしがあり、捨てられた器物があと一年で命を得られたであろうにと腹を立てて、妖怪となって人間に反旗を翻すという話でしてよ」

「結局命を得るって話じゃないですかー」

「九十九と書いてつくもとも読みますわね。九十九年という意味もあれば、九十九の種類という意味もありますわ」

「どうしてそれに興味を?」


 白金太郎の質問に、百合は意味深な微笑をこぼす。


「生きている限りは、常に新たな力、新たな技、新たな知を求め、己を磨くものでしてよ」

「なるほど! 流石百合様です! 俺もより美味しい紅茶を淹れられるよう、精進します!」


 紅茶以外も精進するようにと言いかけた百合であったが、やめておいた。それだけしか取り得が無いとも言いかけたが、それもやめておいた。


「つくづく私も丸くなりましたわね」

「え? 何がですか?」


 不思議そうに尋ねる白金太郎であったが、百合は堪えず、ティーカップを口へと運んだ。

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