第四十四章 2

 一ヶ月間にわたって、真は過酷な訓練を続けた。

 今、自分が一ヶ月前とは別人になっているのが、真にはよくわかった。身も心も軽く、柔軟で、同時に鉄のように硬く、強靭になっている。


 最初は肉体作りのトレーニングと戦闘訓練も辛かったが、それらはすぐに辛いと思わなくなった。いつ純子が襲ってくるかわからない生活と、何の意味があるのか不明な拷問訓練の方がよほどキツい。しかしそれらさえも、真は耐え凌げるようになっていった。

 拷問訓練に至っては、呻き声一つあげない領域に入っていた。しかし、ドラッグを用いた快楽拷問だけはどうにもできなかった。痛みよりも快楽の方が耐えるのは難しい。真は痛みにはよく耐えたが、快楽への耐性は人並み以下であったし、訓練でどうにかなるものでもなさそうだったので、純子はこれをさっさと打ち切った。


 真の成長速度は、純子や累が舌を巻くほど目覚ましいものだった。しかしある領域にまで達してからは、その成長も緩やかになっていった。ここから先は時間と経験を積んでいくしかない。しかし経験次第ではまた大きく飛躍的に伸びることもあろう。


 純子は真を予定通り、傭兵にすることにした。それも短期間のうちに、できるだけ激戦地へ送りまくるよう、取り計らってもらうことにした。

 純子の知己に、常に激戦地へと赴いて戦ってばかりの傭兵がいるので、彼等に真を任せることにする。

 正確には、純子の知り合いがいるチームに同行させる方針だ。彼等の名はそちらの業界では有名である。


 そんなわけで、純子に傭兵生活をするよう言いつけられた真は、一人中東へと飛んでいた。


***


 二十一世紀も終わりかけた現在、世界中で戦争紛争が頻発している。


 特に多いのは民族紛争で、二十一世紀半ばが過ぎてから、世界の国の数は四十以上も増えてしまった。その大半は、多くの国から国家と認証されていない国である。

 国が国として認められるには、他所の国の承認がいる。主権国家として認められない国は、国際的にはその地域の特定の国の一部として勘定される。

 二十一世紀前半からそういった未承認国家は幾つもあった。パレスチナ、台湾、沿ドニエストル共和国、コソボ共和国、ソマリランド等。それらは大抵、民族問題や宗教問題が絡んでいたり、他国の一部とされながら、実際には統治下にはなく、明らかに実質上の独立状態にあったりする国々だ。


 もちろん、その独立の理由等の詳しい内情は、国によってそれぞれ大きく異なる。

 領土の拡大という妄執に前世紀から未だ呪縛されている、ロシアや中国等の侵略大国の周辺地域。部族対立の激化が止まず、さらなる分裂を繰り返すアフリカ。宗教問題と民族問題を抱えた中東と東南アジア。マフィアの抗争が激化の一途をたどる中南米。この辺は特に非承認国家が乱立しだしており、紛争に明け暮れている。

 他所の国から認められずとも、国内では立派に独立国として機能しているし、認めない連中相手に武器を取り、戦争もしている。


 ロシアと中央アジアと西アジアの境にある、真が訪れたその国でも、独立して二十年弱の非承認国家が少数民族を弾圧し、少数民族はゲリラ化して政府に立ち向かい、二十年以上も内戦状態にあるとのことだ。

 戦争に善も悪も無いとしたり顔で語る者が世には多いが、事前に仕入れた知識だけでも、どちらが善でどちらが悪かなど、歴然としているように真には思えた。仮に戦争に善悪が無くて、戦争そのものが悪いとするなら、この国の政府に弾圧されている少数民族は、武器を取らずに黙って死ねという話になる。


 この国には数多くの少数民族がいて、その多くが差別的に扱われている。それに抵抗して立ち上がったのは、最も数の多い民族一つだけであった。

 アリアダ族という、ニュースでも一切聞かず、検索しても出てこない名前の少数民族は、ゲリラ化して激しい抵抗を続けている。そして多くの傭兵達がアリアダ族側についていた。


 傭兵達は高給が支払われているわけでもない。衣食住と戦闘行為だけが保障された状態で、義勇兵達と混じって、ほぼ無給で戦っているらしい。

 これから世話になる傭兵達は、主に民族紛争が起こる地域を主戦場にしているらしい。全て民族紛争に限定しているわけではないらしいが、国家間の戦争よりも、内戦による紛争地帯で戦う事が多いという。


 ひどく揺れるオンボロジープに乗せられて、岩石砂漠の合間を地平線の果てまで続く道を走ること一日半で、真は目的地へと辿り着いた。


 岩石砂漠の中にある、いろんな人種が混じって行き交う大きな町。真が合流する部隊は、現在この町で短い休暇を取っているという話だ。

 ここは現時点では戦禍とは無縁の中立地帯だが、ここからほんの少し移動すればもうそこは激しい戦地だと、真を乗せた運転手は行っていた。


「そんな激しい戦地がすぐ側にあるのに、この町には戦禍が及ばないってのはどうしてだい?」


 真と一緒にジープに乗ってきた男が、運転手に尋ねる。背の高いスキンヘッドの白人青年で、顔にも腕にもタトゥーを入れまくっている。一目でゴロツキとわかる顔つきだ。

 互いに名乗ってはいない。その白人は真を一目見ただけで忌々しげに舌打ちをしていたくらいだ。真も話しかけなかったが、運転手の現地人とその男はよく話していた。


「むしろ何故戦禍が及ぶと考えるんだね。この国からすれば重要な貿易生産の要とも言える町だから、ここを戦場にしてまで、俺等を燻り出したくもないだろう。そもそもアリアダの全員が、政府に逆らっているわけでもない。町に入ってしまえばレジスタンスと見分けもつかんのさ」

「なるほど……」


 髭面のジープの運転手――アリアダ族のレジスタンスのメンバーの言葉に、白人の男も真も納得した。


 それから三人は、レンガ造りの建物が並ぶ町を無言で歩き、やがて細い裏路地へと入ってしばらく歩き、建物の一つへと入っていった。

 中はただの宿屋だった。しかしエントランスには様々な人種の、十数人の屈強な男達がたむろしている。その多くは大体が白人だ。


「ようこそ糞貯めへ」


 背が低く若い黒人男性が、にっこりと愛想よく笑いかける。身長は160センチ程度だが、ノースリーブのシャツから露になった瘤のような肩や太い腕は、ひ弱な印象など微塵も与えない。精悍な顔つきをしているが、その笑顔はとても朗らかで、見る者を安心させる。年齢は二十代前半と思われる。


「純子の推薦てのは、お前の方かな? 英語はわかるか?」

「ああ。英語も学んできた」


 黒人が自分の方を向いて日本語で声をかけてきたので、真は頷いた。


「サイモン・ベルだ。新居は弾食らってベッドの上だから、代わって面倒を見てやるよ」

 英語に戻って自己紹介するサイモン。


「はっ!? お前があのサイモン・ベル? 弱そうじゃねーか」


 真と一緒にきたスキンヘッドの白人青年のその言葉に、エントランスの空気が変わる。

 白人青年は、自分を無視されて、ちんちくりんの小僧にまず声をかけてきたことが、気にいらなかった。


 エントランスにいる二十人近い男達は、軽蔑の視線を向けるか、珍獣を見るような眼差しを向けてニヤニヤ笑っているか、呆れかえっているかのどれかだった。


「ああ? 何がおかしいんだよっ」


 そんなリアクションがまた、白人青年は気にいらず、声を荒げる。


「随分と威勢のいい坊やがいるねー」


 そう声をあげたのは、カウンターのテーブルの上に腰かけ、漫画に目を落としていた白人だった。甘いマスクの優男で、前髪が目に隠れそうなほど長く垂れている。


「坊やじゃねえよ。これでも『ヌーディスト・スクール』の一員だし、最下級とはいえ、幹部にもなった。もう人を何人も殺してる」


 白人青年が目をひん剥いて噛み付く。


「こういうのもたまーに来るよねえ。名前は? あ、俺はシャルルね」


 イケメン白人が漫画を置いて、カウンターから降りて名乗る。顔だけ見れば、とても傭兵には見えない柔和そうな人物だ。


「ジョニーだ」

「で、ジョニー君はここに何しに来たんだ? わざわざアメリカから俺達に喧嘩売りにきたのか?」


 別の男が口を開く。ヌーディスト・スクールはアメリカの有名なギャングであるが故に、アメリカから来たという事はわかった。


「傭兵になって人殺しをエンジョイするために来たんだよ」


 大きく肩をすくめてみせてステップなど踏みながら、傲然と言ってのけるジョニーに、エントンランスが失笑に満ちる。

 ジョニーは自分が何で笑われているかも理解していないようで、逆に狼狽すらしていた。


「何がおかしいんだよっ!」


 ジョニーが精一杯凄んで吠えて見せたが、男達の笑みは消えない。虚勢を張って、無様に失敗している構図の出来上がりだ。一人恥さらし劇場だ。


「おかしいわよ~。私達は傭兵であって、コメディアンじゃないのよ~ん」


 やたら裏返った気色悪い声をあげたのは、エントランスにいる中で最も体格のいい巨漢だった。身長は190センチを優に越え、上腕部が真の太股よりふたまわりほど太い。胸板もTシャツがはちきれんほどに厚いムキムキマッチョな白人だ。パンパンに膨れ上がった顔をしていて、目は細く糸目である。

 ジョニーはそのマッチョに向かって何か言おうとしたが、マッチョの方がクネクネと身をよじりながら内股で近づいてきたので、本能的に危険を察知して、引いてしまった。


「ルックスは合格だわ~ん。でもできれば髭を生やした方がいいわね~」


 なおも顔を寄せてきて品定めをするマッチョに、ジョニーは今やはっきりと顔を引きつらせ、マッチョから距離を取る。


「アンドリュー、新人の坊やをびびらせるのはやめような?」


 サイモンがオカママッチョに声をかける。


「そっちの坊やは下の毛も生えてるかどうか疑わしいわねえ~」


 真を一瞥し、アンドリューは興味無さそうにそっぽを向いた。アンドリューの関心が自分には向かなくて、心底安堵する真。


「口ばかり達者だが、その口に腕前も比例してくれると、明日は俺達も楽ができるかもな」

 ジョニーを見て、サイモンが告げる。


「ああ、見てろよ。殺しまくってやるよ。俺がここに来たことを感謝させてやる」

「よくまあそんな台詞、出だしから口にできるもんだよ」


 なおも粋がるジョニーに、シャルルが笑う。


「俺と一緒にきたこの小僧が特別扱いの理由も、聞いておきたいな」


 ジョニーが真を一瞥して問う。


「特別扱い? 何の話だか……」

 サイモンが軽く肩をすくめた。


「コネで紹介されただけだぞ。そういう意味ではお前さんと同じだよ」

「そんな空気に見えなかったな」

「へえ……」


 ジョニーに対して、サイモンは初めて感心の声をあげた。意外と洞察力があると見た。


「俺と――今は病院行って療養している奴の知り合いの推薦ていうから、興味はあった。それだけだが、そんな細かいこともいちいち癪に障るのか?」

「ああ、ムカつくね」


 サイモンの言葉に対して、ジョニーは忌々しげに吐き捨てると、真の方を見た。


「一緒に来たのによ、なーんも喋らないで、愛想も悪ければ気色も悪い餓鬼だぞ? まともにコミュニケーション取れそうにない奴だ」


 ジョニーが自分を棚に上げてコミュニケーションがどうだと口にした瞬間、エントランスは爆笑の渦に包まれる。


「な、何がおかしいっ!?」

 うろたえながら叫ぶジョニー。


「お、お、お前はちゃんとコミュニケーション取れてるってのかよっ」


 サイモンが腹を抱えて笑いながら指摘する。


「そっちが僕を気に入らないようだから、声をかけない方がいいと思っていた」


 たどたどしい英語で真が言った。


「はあ? わけわかんねー。何を見てそう思った?」


 ジョニーは真を見下ろし、本気で不思議そうな顔をしていた。


「僕と顔を合わせただけで舌打ちしていただろう」

「あれはお前が気に食わなかったわけじゃねーよ……別の理由だ。今じゃはっきり気にくわないけどな」


 真を睨みつけ、ストレートに言い放つジョニー。


「何騒いでるんだよ。って、また新しいのが来たのか」


 二階の階段から、東洋人の男が降りてきて声をかける。四十歳前後と思われる、無精髭を生やした中肉中背の男だ。


「また新兵だとさ。しかもやたら威勢のいい愉快な奴がいる」

「おいおい、またかよ」


 エントランスにいた男の一人が言うと、東洋人の男は、ジョニーと真を交互に見て、露骨にだるそうな顔をした。


「『傭兵学校十一期主席班』のメンツで、それぞれ担当して世話してあげればいいよねー。人数もぴったりだし、李磊リーレイにはあの有望な子を任せようかー」


 シャルルが李磊の方を向いて言い、ジョニーを指す。


「冗談やめてくれよ。あんな見るからに頭悪そーなの、御免だね」

「何だと!」


 李磊と呼ばれた東洋人が、本人を目の前にして遠慮なく言ってのける。ジョニーはジョニーでまた反応し、がなっていた。

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