第四十四章 1
真の目の下にはクマができていた。
「いただきます……」
力ない声を発する。純子が作ってくれた朝食をこうして食べるようになって、丁度一週間になる。
リビングルームで食事を取るのは真と純子の二人。累はとある理由で、しばらく一緒に食事をしなくなった。
食事が始まって一分経った頃であった。
いきなり銃を抜いて撃つ純子。真は即座に椅子から転がり落ちてかわす。
純子が銃を置き、真が席に戻り、何事も無かったかのように食事が再開される。
食事が終わって真がトイレに行くと、トイレから出た所で、純子が日本刀で斬りかかってくる。
雪岡研究所に住みだすこと一週間、ずっとこんな調子だ。寝ている際にも襲われるので、熟睡できない。
「だめだねー。これじゃ」
すんでのところでかわした真に、純子が告げる。
「何でだよ、かわしてるだろ」
「隙を見せず常に警戒、緊張しているのはいいよ。でもさ、それじゃ疲れちゃうでしょー。神経がどんどん磨り減っていくよー」
苛々している真に、純子は優しい声で諭す。
「普段はもっと無警戒でいいんだよ。危険を寸前で察知して反応するくらいでさ。もちろん明らかに危険地帯にいる場合は話が別になるけどね。すぐ近くで弾丸の飛び交う戦場で熟睡するくらいできないと駄目だよ。いつでも体力の温存をはかれるようにさ。もちろんそんな場所で実際に熟睡しても困るけどね」
「やたら無理のある注文だけど、それならもう少し早く言ってくれよ」
「んー……私がアドバイスするより、真君自身で悟ってほしかったんだけどねえ」
「じゃあ僕は見込み無いのか?」
純子のその言葉を聞いて、後ろ向きな気持ちになってしまう。
「そういう風に繋げちゃ駄目だよー。そんな風に言った覚えはないし。人に言われるより、自分で悟った方がいいとは思わない?」
「そういうこともあるかもしれないけど、わからないまま無駄な時間を消費するよりいいんじゃないか?」
「なるほどー、そういう考えもあるねえ。まあケースバイケースというか分量の問題で、このままでは無駄な時間消費になると思ったからこそ、私も口にしたんだし」
「わかった、もういい」
睡眠不足からくる苛立ちをさらに募らせ、真は純子の隣をすり抜けていった。
真はわりと怒りっぽいタチでもあるが、この頃は特にひどかったと、純子は後々になって振り返ってみて思う。母親も友人も殺され、こっちの世界に堕ちてきた経緯を考えれば、気が立つのも無理はない。
純子の側で――裏通りで生きることを決めた真は、純子に自分を鍛えてくれと申し出た。それを後悔はしなかったが、想像していたよりはるかにキツい鍛錬の日々が、真の心身を蝕んでいった。
***
午前中、実戦射撃訓練と射撃回避訓練をみっちりと叩きこまれる。
真は真っ暗な部屋に、全身にフィットしたスーツを着て、銃を手に駆け回っていた。
銃を手にした悪漢の立体映像が時折現れ、仮想弾を撃ってくる。
仮想弾を食らう度に、慣れることができない激痛を与えられた。激しい痛みと恐怖を同時に与え、弾を死に物狂いで避け、撃つようにするためだと純子は言っていた。
体に極度の痛みを与えれば、それだけ必死になる。考えるよりも早く体が自然と覚える。そういう狙いだそうだ。これまでにもこの訓練は、何人もの裏通り志願のマウスに施したらしい
そして真には特別に、コンセントを一切飲ませないという処置を取った。自前の集中力だけで、コンセントを飲んだ者達以上の集中力と反射神経を身につけさせるという、純子の狙いだ。
「元々運動神経が際立って優れてるのも手伝って、飲み込みもいいから、上達早いねー」
訓練を始めてたった数日で、めきめき腕をあげた真を見て、純子は感心する。
(でも昨日から頭打ちって感じもあるね。そこまで一気に駆け上がったのは凄いんだけどね。あとは時間をかけてゆるやかに向上していく感じかなー。実戦を積むか、さもなきゃ私が付き合うかして……)
自分の気持ちとしては後者を選びたいが、真のことを考えれば、実戦の場に放り出して様々な経験をさせつつ、強くさせるという方が適切と、純子は判断した。
傭兵として戦場に送り込むのが一番よいと思うが、しかしそれにはまだ基礎的な肉体作りや訓練が足りない。一ヶ月ほどかけて、その辺をみっちり叩き込もうと決める。
体力作りは適度な運動と休息に加え、純子特性の栄養食品の定められた摂取によって行う。技術的なことであれば――体を使うことなら人一倍吸収が早く、器用にこなす真であるから、これまで見たペースなら、一ヶ月もあれば十分だろう。
(あとはガッツをつけるために、拷問訓練でもしておくかなー。ふふふ、これは凄く楽しみ)
SもMもいける純子には、効果的に人を苦しめる方法が、頭の中に湯水のように沸いてくる。
射撃訓練が終わった後、純子は早速拷問訓練を開始した。
言うまでもないことだが、拷問の基本は痛覚と恐怖心への刺激である。まずは真の痛覚そのものを鋭敏にすることから始める。
「拷問訓練するから、気合い入れて臨んでねー」
射撃及び射撃回避訓練が終わった直後、屈託の無い笑顔で告げられた言葉に、真は絶句していた。
「痛くても声をあげちゃ駄目だよー。我慢するんだよー。でもどうしても我慢できない時は、ギブアップしていいからね。ギブアップするイコール、拷問に屈して白状したという形での終了と定義するから」
純子にそう言われた真は、呻き声一つあげてやるものかと心に決め、たっぷりと気合と覚悟を入れて、純子の極めて気まぐれな拷問訓練に付き合うこととなった。
「あああぁぁぁぁあぁあぁっっ!」
数分後、真は絶叫していた。
苦痛と恐怖に顔が引きつり、歪み、痙攣も起こしている。その顔色は、青ざめて死人のようだ。
全裸にされた真の体は、麻酔無しでばらばらにされていた。首も手足も胴から離され、内臓も全部露出されている。それでもなお神経や血管は繋がっているので、胴から離された部位も痛みを感じる。
全身の皮が剥かれ、神経が露出されている。そのうえ神経を過敏にする薬とやらを投薬されたおかげで、常に激痛が走るという有様だ。空気に触れているだけでも痛いのだからどうしょうもない。
そんな状態にされながら、純子は針で内臓を刺したり、神経丸出しの肉をやすりで研いだり、弱い酸をかけてみたり、カッターでゆっくりと切ってみたり、電気を流してみたり、蟻にたからせたりと、やりたい放題の拷問『訓練』を行い続ける。
特にキツいと感じたのは電気を流されることだ。拷問で最も過酷なのは電気を用いるものだと、何かの本で読んだ気がするが、それは正しいと実感した。電気を流され続けている体の部位が感じる衝撃は、とても堪えられるものではない。
真は何度も叫んでいたし、何度も気絶し、汚物も垂れ流していたが、それでも決して降参だけはしなかった。
「えっとね、コツを教えてあげるよ。そんな風にギブアップするもんかーって耐えてたら逆に駄目だよ。いつでも降参しちゃっていいやって考えるの。その大前提で自問自答するの。まだ降参しなくてもいけるかな? もうちょっと頑張れるかな? ってね。それで頑張れると思うなら頑張ってみるゲーム感覚だよ」
手を止めて、純子が優しい声音で語りかける。
「人生も同じだよね。辛い道を選んだり辛い境遇に陥ったりしても、諦めちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、負けちゃ駄目だなんて自分にプレッシャー与えるのはよくない。いつでも逃げていい、いつでも諦めていいと考えた方が楽だよー。不思議なことに、その方が頑張れるもんなんだよ」
拷問に限らず、真はこのアドバイスを、苦しい局面においての思考法として、胸に刻み込んでいた。
拷問訓練後、真は体を元通りにしてもらったが、立ち上がる気力は失っていた。
「次に基礎体力作りするよー。いつまでもへばっていると、もうやめるって見なしちゃうよ?」
真の扱いはもう理解している純子である。プライドをくすぐるのが一番いい。優しく声をかけてしまうのは純子の性分だが、優しいのは声と言葉と笑顔だけであり、内容には一切容赦が無い。ひたすら抑圧し続けて、いびり続ける。真は明らかに叩けば伸びるタイプなのだから、それでいいと見なしている。叩くのが逆効果で、褒めると伸びるタイプには、こんなことはしない。
その後の基礎体力作りは別の意味で拷問だった。胃が、肺が、脳が破裂するのではないかと思ったほどだ。体中に重い荷物を持たされて走らされ、走っている途中にいきなり腕立て伏せやスクワットを指示された。少しでももたつくと、荷物に仕掛けてある電撃を食らった。
***
その日の全ての訓練が終わり、夕食となったが、真は一向に食べる気配がない。
「あのね、食欲無いのはわかるけど、食べないとどーにもならないからね? 食べないでいるとエネルギーが満たされないから、よく噛んで、吐きそうになっても無理矢理押し込んで食べてね」
相変わらず声だけは優しく、しかし手心は無い純子に、真は無言で従い、食べたくも無い飯を無理矢理押し込む作業を行った。
「累君、お待ちかねのお風呂タイムだよー」
「はい……」
純子が笑顔で声をかけると、累も嬉しそうににっこりと笑った。
累が抵抗する力の無い真を風呂まで連れて行くと、裸にして風呂に入れる。もちろん累も裸だ。
真をゆっくりと湯船につからせている間、同じ湯船に入った累が、手首や肩や首などに念入りにマッサージを行い、風呂からあげてマットに寝かさせた後も、全身にマッサージを施す。
そのまま一線を越えたい衝動にも駆られる累であったが、真に軽蔑されたくもないので必死で抑えていた。一緒に風呂に入ってマッサージするだけでも十分に至福のひと時だ。
真はというと、初めて累の裸を見て驚いた。大きな切り傷が胸、腹、背中にそれぞれ幾つかあったからだ。
「大昔……戦国時代についた……傷が、そのまま残ってますね……」
傷跡に視線を感じ、累は心なしか誇らしげに微笑んでいるように見えた。
「一番……楽しい時代でした。御頭と一緒に……」
喋りかけて口をつぐみ、マッサージの続きを行う。
「純子にしてもらいたかったですか……?」
話しかけられても返事をする気力が無かったが、目を細めて睨むことだけはできた。
「洗うのは自分でやる」
累に洗われそうになり、億劫だが口を開く真。これ以上は黙っていると何をされるかわからないし、そこまでしてほしくはない。
***
同じような日がさらに一週間続いた。
深夜――いつものように、真に与えられた部屋に、純子が進入する。
熟睡している真の頭に銃を突きつけて撃つが、寸前で目を覚まして避ける。ちなみに実弾ではないが空砲であるので、当たれば痛い。それどころか、空砲で死ぬケースさえある。
「やればできるじゃなーい」
純子が称賛し、真も無表情のままだが、少しだけ嬉しかった。
(もっと強くなって、望みをかなえる。こいつを守れるように……そのポジションに相応しい男になる。そしてこいつを改心させる)
過酷な訓練子の中で、純子を見ながら、真は何度も何度も決意していた。が、望みはそれだけではない。
(僕を……僕達を陥れた何者かを殺すためにも……)
その時はまだ、三つの目的の中で、復讐を望む心が一番強かった。
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