第四十三章 24

 純子が森の生き物達の調査や研究をする傍ら、真とみどりとクォはひたすら遊んでいた。


「違う、こう、脇腹を叩いたら手を上げろという合図だから、手を上げるんだ」


 言語が通じないと知りつつも声をかけ、うつ伏せのクォに覆いかぶさる形で両足を絡めた真が、クォの脇腹を平手で叩きつつ、腕を取ろうとする。


「くぉぉ……」


 通じたようで、クォがうつ伏せのまま両手を背に回した状態で上げる。

 真がクォの両手首を取り、クォの体を一気に引く形で、自分は地面へと転がってクォの下になり、クォの体を仰向けに変えて、両足を絡めたまま押し上げた。両手も上に伸ばす。クォの体は両手足を背中側に向けた状態で、仰向けに空中に押し上げられた格好になっている。ロメロ・スペシャルという技だ。別名、吊り天井とも言う。


「くぉおぉぉ、くおぉぉっ」


 生まれて初めての体験に、痛いのと面白いので、複雑な悲鳴をあげるクォ。


「これは、男性警官が婦人警官にかける技として、昔の警察では伝統になっていた技だ」

「いや、伝統にはなってないから……」


 真面目な解説をする真に、純子が半笑いで突っ込んだ。


「かけられただけじゃ面白くないから、今自分がどんな技かけられたか、見せてやるのがよくね?」


 みどりが提案する。


「そうか、じゃあ……」

「あたしがかける役で、真兄がかかる役な。やっぱり言い出しっぺがかける役するもんだよねー」

「いや、逆だろ、それは」


 めちゃくちゃなことを言うみどりだったが、結局真が今度はかけられる番になり、クォにロメロ・スペシャルをかけられている所を見せた。


「クォオォ」


 クォも理解したようで、真に技をかけたがり、押し倒そうとする。


「いや、順番からすると、今度はみどりの番だぞ」

「くぉクォクォぉ」

「へーい、クォは真兄にかけたがっているんだ。諦めなよォ~」


 自分にくれず、真をうつ伏せに寝かそうとするクォを見て、勝ち誇ったように歯を見せて笑うみどり。


「楽しそうですね……」


 純子の隣にいる累が、三人の様子を横目に呟く。


「楽しいことばかりではすまないけどねえ。そろそろちゃんと伝えないとさー」


 アンニュイな面持ちで純子が言った。


「みどりちゃん、そろそろあれをお願いしたいんだけどー」

「ふえぇ~……気が乗らねーよォ~」


 純子のお願いが何であるかを意識し、みどりが顔をしかめる。


 クォに、いずれ自分達はここからいなくなることを、伝えないといけない。それにはみどりの力が必要だ。


「でも、いつかはやらなくてはならいことですし」

「てやんでーい。御先祖様も手伝えよなァ」

「わかりました」


 累が諦めたように立ち上がり、術を唱える。

 みどりのように純粋能力ではないが、累も術を用いて、精神世界に入ることができる。無論、他者の心の中にも。


 二人で同時に、クォの精神へと潜る。


「これがクォの心の中ですか」


 お花畑だけが延々と続く風景に、累は不思議そうな声をあげた。


「御先祖様、これは一見穏やかそうに見えるけど、微妙に違うよォ~」

「なるほど……お花畑だけで、他は何も無いですしね」


 みどりに言われ、累も理解する。


「平和だけど、穏やかだけど、誰もいない。他に何も無い。そういう気持ちを映しているんだね」


 そう言ってみどりが青紫の空を見上げる。


「へーい、クォ、あたしの声聞こえる~?」


 声をかけると、累とみどりの前に、クォの姿が実体化しはじめた。


「わかる……どうして? ひょろひょろ髪長女と、綺麗な金髪の気品ある子が、俺の中に入ってきてる?」


 クォが不思議そうに尋ねる。


「むっかー……そんな風に認識してたんかーいっ。あたしの名前はみどりだっ」

「ちょっと見直しました。僕は累です」


 みどりが憮然とし、累はくすくすと笑う。


「ま、心が直接触れ合っているから、言語の壁も突破してるんだわさ」

「だったらそれを早くしてくれればいいのに」


 にっこりと屈託なく笑うクォ。その笑顔を見て、みどりは余計に話を切り出しにくくなる。


「あのさ……どうしても伝えなくちゃならねーことがあるんよ……」


 言いづらそうにみどりは話しだした。


「あたし達さ、もう少ししたら、帰らなくちゃなんねーんだわさ。あたし達はね、ここではない別の星から来たんだよね。星と星を繋ぐ門を通じてさ」

「どっちも知ってた」


 明るい笑顔のまま告げるクォに、みどりと累は驚いた。


「みどりと累はさ、俺が一人になって寂しくなっちゃうからと思って、気遣ってくれて、こうして俺の心の中に入ってきたんだよね?」

「察しがいいんですね」

「人の心の中に入れる力を持つ根人や下位根人もいるからね。それで精神干渉してくるんだ。俺らは精神攻撃からの守り方も身につけている」


 クォの話を聞いて、累とみどりは納得した。


「ていうか、真兄と純姉の精神もこっちに連れてこれんかねえ。クォだった真兄と話したいだろォ~?」

 みどりが言う。


「あの二人も連れてこれるなら是非!」

 クォが顔を輝かせる。


「精神世界は知己同士で繋がっているものですから、当然可能でしょう?」

 と、累。


「そりゃ理論上は可能だけど、試したことないし、上手くいくかわからないよね。てなわけで、真兄はあたしが担当、純姉は御先祖様ね」

「担当を変えましょう……」

「いやいや、真兄とあたしがリンクしてるのは御先祖様も知ってるだろぉ~? 純姉には内緒だけど」


 そんなわけで、みどりと累は一旦クォの心の中から出て、それぞれ能力と術を用いて、純子と真の精神も連れてくる。


「ふわわぁ~、初めからこうすりゃよかったって話だよォ~。とは言っても、初の試みだけど」

「いらっしゃーい。二人共、俺の声聞こえてるー?」


 真と純子が頭の中に現れたので、クォは大喜びでにっこりと笑う。


「ああ……驚いたな。他人の精神の中に他人の心も導けるとか……。それにクォが喋っていることにも驚いた」


 見た感じは現実世界と全く変わらないクォと向かい合い、真が言った。


 それから純子と真も自己紹介をする。


「精神世界だから言語の壁が無い理論はわかるが、名前も伝わるってのは妙な話だな」

 と、真。


「真……からは、父さんと似た匂いがする。今こうやって接していると、さらに強く感じる」


 真に顔を近づけて、懐かしそうに微笑みかけながらクォが言った。


「私は? 私は?」


 純子が自分を指差して、笑顔で尋ねる。


「俺の子供を産ませるにはいい母体だと思う。凄く交尾したい」

「……」

「あのな……」


 言葉を失う純子と、憮然とする真。真もこの世界では、表情がそのまま出てしまう。それが現実世界と大きく異なる所だ。感情を隠せない。


「わかってる。真の雌なんだよね。奪ったりしないよ。真に嫌われたくない。でも真と純子の子供が雌だったら、絶対俺と交尾させてよね。真と純子の子に俺の子供産ませるとか、考えただけでわくわくするし、とっても素敵なことだよ」


 どこまでも純粋であけすけなクォに、一同絶句していた。


「ていうかさ、これ、精神世界の外でも、クォ君と会話もできるように術をかけること、できなくないかな? つまり、念話という形で意思疎通できる術。術そのものを編み出す必要があるだろうけど、ここでこうして会話できている以上、理論上はできそうじゃない?」


 純子がみどりと累の方を向いて訴える。


「それは……新たに術を編み出す必要がありますけど、確かにできるかも……」

「できるか~? それはあたしじゃキツいけど……御先祖様ならできるのか……」


 精神操作そのものはみどりの方が長けているが、術の扱い方は累の方がずっと長けている。新しい術などほいほい作れるものではないし、みどりには難しいと思えたことだが、累が出来ると言うならできるだろう。


「どんくらいかかる~?」


 純子が尋ねる。新術の創造が大変なのは純子も知っている。


「ちょっと待ってください……。今考えてます……。あーしてこーしてそーして……あ、一度こうして喋れるようにしたから、クォと僕達限定でなら、会話可能かと。現時点で精神が接触しあっているわけですから、それを部分的に持続する形ですね」


 真とみどりが精神をリンクさせている状態にあることに、累はヒントを得た。しかし真は純子に知られたくはないであろうから、それはここでは口には出さないでおく。


「会話という形限定で、四人とクォの間のみで、精神を繋げる術……か。僕ら同士は繋がらないんだよな?」

 真が確認を取る。


「はい。クォと行き来するだけです」

「私と真君もついでに繋げられない?」

「できるけどやりません。真が望まないでしょうし、それならまず僕が繋げます」


 純子の問いに、累はきっばりと答えた。


「んー……そっか……」


 頬をぽりぽりとかき、横目にちらちらと真を見る純子。


 四人は一旦精神世界から帰還する。肉体はもちろんそのままで、心だけ飛ばしていた状態だ。


 累が術作りを開始する。一度繋がった心なので、その状態を部分的に維持すればいいだけなので、累からすれば簡単な術だ。


「聞こえますかー? クォ」

 累が肉声でクォに呼びかける。


「聞こえるー」


 念話ではなく、クォが肉声で日本語を話したので、純子、真、みどりの三人は驚愕した。


「どうなってんの?」


 純子が驚きの眼差しで累を見ると、累はしてやったりといった風に、にっこりと笑ってみせた。


「さらに一工夫して、別の術にしてみました。精神世界で言語の壁が一度取り払われたなら、物質世界にもその状態を持ち込めるのではないかと思いまして。実はクォは日本語を喋っていませんが、僕達には認識が自動変換されているんです。僕達の言葉は、クォの耳にはクォの種族――無宿の言葉として、自動変換されているはずです」

「ふぇ~……御先祖様が珍しく有能だァ」


 得意げに語る累に、みどりが感心する。


「いや、累君はかつて、神様に最も近づいた男だとか、最強の妖術師とか言われてた子だし、元々できる子なんだよー」

 純子が言った。


「これまた、最初からこれをやればよかったということですけどね。あれこれ手順を踏んで、ようやく可能なことに気づいたんです」


 褒められ慣れていない累が、照れくさそうに言う。


「ていうか正直、クォの心に直接触れるの、ちょっと抵抗あったんよ。地球人とは微妙に精神波の波長も違ったしさァ。あ、こんなこと言ってすまそー、クォ」

「気にしなーい」


 謝るみどりに、真にまとわりつきながら、笑顔でクォが言った。


「それより皆と喋れるようになって凄く嬉しいな」

「でも御先祖様が近くにいて、術の効果が働いている時限定だぜィ」

「よくわからないけどそうなんだね」


 よくかわらないままクォは納得する。


「ちょっと……いろいろ質問したいことがあるけど、いいかなあ?」

「いいよ」


 純子がクォに断りを入れ、クォは笑顔で頷いた。


「クォとアルラウネはどうして争ってるの?」

下位根人アルラウネは敵。アクルが見せた通り、俺の母さんの命を奪った。俺達からすれば寄生植物は皆敵。ずっと争いあってた。争いの理由は……よくわからない。他の無宿なら……理由を知ってるかも?」


 笑みを消し、暗い表情で語るクォ。


「すまんこ、辛いこと聞いちゃって。それと週末に吹く強い風のことを教えて」

「俺達は『伸び角』って呼んでる。父さんがそうだった。大昔に一人の無宿が、凄く強いアルラウネを宿した生き物を取りこんだのが、始祖らしい。俺もその血を引いているから、このねじれた角もいずれ真っ直ぐに伸びるし、風や気温や雷を操る力が身につくって信じてる。今も風だけは操れるんだよ」


 笑顔を取り戻して、クォは自慢げに言った。


「君のお父さんが仲間と戦っていたのは?」

「父さんは同じ一族である、無宿も敵視しているんだよ。この辺一帯の無宿をほとんど殺してしまった。母さんが死んだ時――アルラウネ達との交戦時、同じ無宿達がそれを知りながらも、護りに行かなかったから。祭りだか何だかに夢中になっていたらしい。で、父さんは遠出していたから、近くにいなかった。父さんとはそれからほとんど会わなくなったよ。一族の裏切り者という自覚があるからだろうね。たまに会っても会話もしないんだ……。ただ目配せする程度……」


 またクォの笑顔が消え、今度は今までで最も悲しげな表情になる。


「クォの父親がクォから離れた理由は、無宿達とも敵対しているので、巻き込みたくなかったからなんじゃないか?」


 真がフォローする。


「だと……いいな」

 小さく首を振り、微笑むクォ。


「週末に吹く強い風――父親の名前は何て言うんだ?」

「ラクィレァ」


 日本語では発音しづらい名だった。


「そろそろ肝心の話を……」

「それなら伝えたよォ~」


 言いづらそうに切り出そうとした純子に、みどりが言った。


「その時、僕はいなかったし、僕にもう一度伝えさせてくれ。僕の口で確認したい」

 真が申し出た。


「クォ、もうみどり達から聞いているようだけど、僕らはあと少ししたら帰らなくてはならないし、もうこちらにも二度と来られなくなる。多分」


 真がストレートに告げた言葉に、クォの表情が目に見えて曇った。

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