第四十三章 17
アルラウネと春日は草原を歩き、長い小山の近くまで接近した。
近づいて間近で見ると、それが動いているのははっきりとわかったし、生物の体皮であることも見てわかった。
「やっぱり生き物だったな」
「軟体動物っぽいねー。何食ってこんなにでかくなるんだろーねー」
「地面の草や微生物を貪ってる。光合成も同時にしているな。これもまた、動物と植物が一体化した生き物だ。いずれにせよこの巨体を維持するには、莫大なエネルギーが必要だろう。しかし同時にその巨体が、土に新たな養分を撒き続けている……」
「まるで知っているかのような語り草じゃーん。何か思い出した?」
春日に指摘され、アルラウネははっとする。
「確かに……。私はこれの存在を知っている。この生物は……他にも途轍もなく重要な役割が……」
額を押さえ、懸命に記憶を探ろうとするアルラウネであったが、それ以上は思い出せない。
『ようこそ、故郷へってか?』
聞きなれた声がアルラウネの耳に届く。
「何この声」
ボイスチェンジャーでも通したかのような声に、春日がいぶかる。
「ミルク……やはりいたか」
アルラウネが小山を見上げて呟く。
「知り合いか?」
「この声の主に会いに来たんだよ。敵意は無さそうだ。今は――な」
尋ねる春日に、アルラウネは意味深な含みをこめて言った。
『上がってこいよ。ここのキモは上にある。見ればまた何か思い出すかもしれねーぜ』
「上がる……」
そこでアルラウネは逡巡した。わりと神経質な性格なので、巨大生物のぶよぶよぬめぬめした外皮をよじのぼるのに、抵抗を感じてしまった。
「おお、表面ネチョネチョしてるから登りやすいぜ」
春日が何の躊躇もなく外皮に触り、そのねちょねちょした粘液にまみれながら平然と登り始めたのを見て、アルラウネは引いてしまう。
「ん? ひょっとして汚れるのが嫌なの?」
春日が外皮にしがみついたまま、振り返って声をかけてくる。
「だったらオイラがおんぶしてやるよ」
「いや……そこまで世話になるのもどうかと思うし、何より重くて大変だろう」
「いいのいいの、オイラってばこー見えて力持ちなんだぜ」
春日がしゃがみこみ、背中に乗れとスタンバイする格好になる。
「じゃあ御厚意に甘えて……」
かつてない気恥ずかしさを覚えつつも、春日におぶさる。
「うっ……ぐぉ……これは……」
しかしアルラウネをおんぶした春日は、壁にへばりついてそこから動かなくなった。
「やはり無理があるね。降りよう」
「いや、降りなくていい。こんなシチュエーションにうってつけの怪奇現象が、オイラにはあるっ!」
怪奇現象があるとはどんな日本語だと、アルラウネは呆れる。
「都市型怪奇現象発動! 新宿高層ビルを這いまわる怪人ヤモリ男!」
春日が叫ぶと、まるで床を四つん這いになって這うかのように、テンポよくスムーズに壁面を登り始めた。
あっという間に頂上へと辿りつく二人。
「ありがとう。でもそれ、怪奇現象じゃなくて、ただの命知らずの変態さんなんじゃないのか?」
春日から降りたアルラウネが突っ込む。
「オイラが怪奇現象と認識したら、それはもう怪奇現象だからっ」
何故か誇らしげに笑いながら、春日は服について粘液を振り払う。わりと簡単にぽろぽろと落ちていく。
『服が血でべったりじゃねーか。何があった?』
電子音声のような声と共に、一匹の白猫が二人の前に現れる。
「ふざけた奴だ。君のマウスにやられたんだよ」
この発言には、アルラウネも呆れて憮然となる。
『何だ、そうか。なら別に問題無しですね』
ますますふざけた台詞を吐いてきた。明らかに馬鹿にしているとアルラウネは感じる。
「ま、まさかこの猫が喋ってるの?」
春日が猫を指して、アルラウネの方を向く。
「そうだ。草露ミルク。マッドサイエンティスト三狂の正体がこの化け猫だ」
『てめー、人の正体勝手にバラしてんじゃねー。殺すぞ』
「人じゃなく猫だろ」
険悪な声を発するミルクに、アルラウネは憮然とした顔のまま言い放つ。
「うおおおおっ! 今回はもう駄目だと思って諦めてたのに、こんな所で見つけたぞ! 怪奇現象ーッッ! 喋る白猫! 人生どこで何があるかわからないもんだーっ!」
ミルクとアルラウネの張り詰めた空気など他所に、春日は一人興奮してはしゃぐ。
「しかしこの怪奇現象、オイラの能力にどう取り込めるというのかっ」
『こいつ何なの? お前の彼氏? 変わった趣味だな』
「違う」
真面目に問うミルク。即座に否定するアルラウネ。
「君のマウスに私を捕獲させようとしていたようだが、あれはどういう意図だ?」
怒りを押し殺した声でアルラウネが問う。
『お前はこないだ私達のマウスにちょっかいだして、楽しませてやっただのとぬかしたろ? それと似たようなことさ。つくしにもたまには遊ばせてやりたかったからな。本当に捕獲できるとは思ってなかったよ。でももし成功したら、それはそれでラッキー』
その意趣返しかと、アルラウネは納得した。
「捕獲できたとしても、今更私を実験動物にする意味もあるまい」
『まあな。でも、私の言いなりにすることはできるかもな』
「どういう意味だ?」
『今の私を三十年前の私と同じだと思ってんじゃねーぞ』
「それはこちらも同じことだ。易々と君の思う通りになる気はないよ」
「なあなあ、ここも植物とかいっぱいだけど、調べなくていーの? お、あっちに誰かいるぞ」
両者の張り詰めた空気を他所に、春日が呑気に声をかけてくる。
「あの子は?」
春日が指した方にいる、座って瞑目したままの少年――ナルを見て、アルラウネは尋ねた。
『私のマウスの一人だが、今大事な作業中だから、声をかけてくれるなよ。ここを探ってる。で、てめーは何か思い出したのか? この風景見てさ』
「いや……。ここは何なんだ? この生き物に何の意味がある? 何か重要な意味を持っていることだけは、漠然と思い出したが、具体的には何も出てこない」
『言うならば、都市ですかね?』
「都市?」
思ってもみない単語が出てきたので、アルラウネは驚いた。
『この星には複数の知性を持つ種が存在する。アルラウネ然り、アルラウネの天敵然り、そしてさらに別に知性ある生き物がいる。それが、ここ……なんだが、まだ調査中ですね。ま、これ以上の詳しい話は、ここの調査が完了して、純子や霧崎と会ってからだな』
「一つ、どうしても聞きたい事がある」
ミルクが最もこの星の調査を進めていると見て、アルラウネが最も知りたい質問をぶつけてみることにした。
「私の仲間は――アルラウネは、一体たりとも見つかっていないか?」
『わかりやすい痕跡は見つけた。おそらくこの辺――門周辺の土地にも住んでいるか、あるいは過去形で住んでいただろうな』
「痕跡とは?」
『これだ』
亜空間の扉を開き、上体を突っ込んでごそごそとまさぐり、中から何かを取り出すミルク。
小さなミイラだった。背中に双葉も頭の赤い花も無いが、脚の根はまだ有るし、それらの特徴が無くても、それが同族のミイラであることは、アルラウネには一目でわかった。
『それほど年数も経ってない。見つけたのは森を抜けた盆地の先だ。あの辺は調査するのが面倒そうだから、後回しにしていたですがね』
「面倒?」
『単純に広いから。まあ、ここの手前の沼地も広かったら、適当に済まして後続に任せるつもりだったし、沼の先に来て、こいつを見つけてラッキーだったわ』
「こいつ――とは、この生き物か」
『ナルの頑張り次第だが、大きな謎が解き明かされるかもしれない』
その大きな謎とやらに、アルラウネは興味を覚える。ミルクがここまで言うのだから、相当なものであろうと。
『それはそうとアルラウネ、お前に個人的な話がある』
「オイラ、席はずしてよーか?」
「すまないがそうしてくれ」
即座に気を利かす春日に、アルラウネは会釈して頼んだ。
『純子と手を組むのは本気か?』
「具体的なプランは何も無いよ。私の終宿主を探すための手がかりなんて、何も無い。私の漠然とした予知――『鬼の子』という単語だけが頼りではね。今は……何をしたらいいかはわからなくなっている。休憩しているようなものだ。もし今後その何かがあれば、彼女に手を借りるつもりだ」
『単刀直入に要求してやんよ。純子じゃなく、私と手を組め』
ミルクの要求に、アルラウネは呆れ返る。
「何故?」
『何故? 私の目的達成のためだ。私も人間じゃあない。お前も――』
「君は体が猫なだけで、頭の中身はほぼ人間と変わらないよ」
嘆息まじりにアルラウネは言った。
「私は頭の中まで違う。物の考え方も感じ方も、明らかに人間のそれと微妙にズレている。微妙程度のズレだが、確かに違うんだ」
『それが辛いのか?』
「正直に言ってしまえばね。辛いし寂しい」
傲岸不遜なミルクであるが、意外と情にモロい部分があるので、こうした感情は素直に打ち明けられる。
『私の目的は知ってるだろ。それはお前にとって魅力は感じねーか? 我が物顔でのさばる人の世をぶっ壊して、人に創られた
「魅力など全く感じないし、支配者になどなりたくもないし、是非やめてほしいと思っているが?」
『あんだとォ、こんにゃろー』
声に怒りを露にし、ミルク本体もフーッと唸り、毛を逆立てる。
「そんなくだらん野心のために、どれだけの命が失われると思ってるんだ」
『あほか。何で誰かが死ぬ前提なんだ。無血で成し遂げるに決まってんだろヴォケガ。自分の望みをかなえるために、誰かの命を奪うような野蛮なこと、私がするわけねーだろ』
嘲りをこめたミルクのその言葉を聞いて、さしものアルラウネも絶句した。
「どうやって……?」
『あほか。そんなもんまだ思いついてねーに決まってんだろヴォケガ。思いついてたらとっくにやってるわ』
さも当然といった風に答えてのけるミルク。さらに絶句するアルラウネ。
(こいつは三狂の中で一番駄目な子かもしれない……)
この星の調査を最も進めているので、三狂の中で、ミルクが一番優秀ではないかと思いかけていたアルラウネであったが、その考えを改めた。
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