第四十三章 16

 佐保田学は友人達と一緒にいる時だけが、心安らぐ時間だった。その時間を心の支えにしていた。

 家に帰れば、程度の低さ丸出しの母親がひたすら他者を貶める悪口を言い、勉強の強要をしてくる。それも母リリカが監視している前での勉強だ。


「他の子は遊んでばかりいるから、ろくな大人にならないわ。人生設計は幼稚園の頃からしなくちゃ駄目。それができない馬鹿な親の元に生まれちゃったから、遊んでばかりいる子は、もうそれだけで人生おしまいなの。ろくな仕事につけない、ろくでもない人生なの」


 ろくでもない人生とは何なのだろうかと、学は心の中で母親を唾棄していた。友達の一人の父親は、運送業を立派に勤めているし、遊びに行くと笑顔で迎えてくれて、楽しい話もしてくれる。それがろくでもない人生を送っているとはとても思えない。ろくでもない人間とはとても思えない。

 一方で、自分の母親こそが、ろくでもない人生を送っているろくでもない人間としか、学の目には映らない。


「学はちゃんとした親の元に生まれただけ、幸せなのよ。その幸福の上に胡坐をかいちゃ駄目。ちゃんとした親の元に生まれたんだから、ちゃんと勉強して、いい大学に入って、いい仕事に就くことが、あなたがやらなくちゃいけない事なの。しっかりしたよい人生を送るというのは、そういうことなのよ」


 学は母親の言うことがさっぱり信じられなかったし、それどころか小学生の視点から見ても、自分の母親がどうしょうもなく悪い親だということも、はっきりとわかっていたし、軽蔑していた。


 そんな学の本心を、リリカも密かに感じ取っていた。そして成長するにつれて、態度が悪くなり、言うことを聞かなくなり、あげく汚いものでも見るかのような視線を自分に向けてくる息子に、怒りと焦りと恐れの感情を募らせていった。


 そしてある時リリカはとうとう爆発した。


「あんな悪い友達と遊んでいるから、あんたにも悪影響が出ておかしくなってるのよ! やっぱり友達なんか作って遊んじゃ駄目! その遊びの時間も全部、家で私の見ている前で勉強しなさい! そうしなければ承知しないわよ! 私はあなたの親! 私の言うことが絶対正しいの!」


 狂乱の形相で喚くリリカ。しかもこれを、学の友人達がいる前で、これみよがしに叫んでいた。

 こうすれば息子も友達に嫌われ、もう友達と遊ぶこともできないだろうという、リリカの計算だった。そしてこれでもう遊ぶこともなくなり、勉強に集中できると。甘やかしてないでもっと早くこうすればよかったと、リリカはこの時思った程だ。


 学もそれでひるんだりしなかった。それどころか、とうとう一線を越えた母に、学もスイッチが入って、これまで貯めに貯めていた憎しみと怒りが爆発した。

 気がつくと学は、友人達の目の前で母親を殴打しまくっていた。


『母親とは、この世で最も尊く美しくなることもできれば、最も邪悪で醜くなることもできる生物である』


 ある本にこんな一文が載っていたのを学は思い出す。自分の母親は間違いなく、邪悪で醜い側の生き物だと、心底思う。


「お前は世界で一番醜い人間だ!」


 泣きながら母親を何度も殴打して叫んだ学の言葉に、リリカも多少は感じ入ることがあったようで、学にも友人達にも謝罪し、発言も撤回した。

 そして学は知った。この世で最後にものをいうのは暴力だと。最も尊いのは勉学でも学歴でも無いと。だからこそ社会は弱者のために、必死に暴力を抑制しにかかっているのだと


 リリカは、一旦謝りはしたものの、その後、自分の引いたレールに息子が従わないことが、忌々しくて仕方ないという態度や言動を隠そうとしなくなった。それがまた学の怒りを増幅させた。

 母親への不信と憎しみと殺意は日々募っていった。一人で生きてはいけないから仕方なく従っているが、顔を見るのも声を聞くのも嫌だった。暴力に味をしめて、気に入らないことがあれば暴力に訴えるということは、学にはできなかった。母親など殺してもいいと思っているが、父親の方は悲しませたくなかったからだ。


 学の父親は気弱で優しく、学の理解者だった。しかし母親の言いなりで、見ていて可哀想だった。

 父親を悲しませないためにというブレーキも、いずれは壊れるだろうと、学は漠然と予感していた。それほどまでにストレスは増していた。


 母親がしゃしゃり出て侮辱したことを、学は友人らに謝罪した。友人らは笑顔で気にしないと言ってくれたし、学の環境に同情も示していた。また、学と同様に、家庭の問題でストレスを貯めている者達もいて、それを吐き出しあったりした。


 ある日のこと。学達は、賭源山に遊びに行こうという話になった。

 以前から賭源山はUFOや宇宙人の目撃情報があったり、謎の山火事が起こったりで、安楽市ではいろいろと話題に挙がっていた場所だ。オカルトマニアやUFOマニアにとっては聖地と化しているらしい。


 山火事で禿げ上がった山の中で、学達八人は光の塊を見つけ、撮影してSNSにあげる。

 そして八人中、学を含めた六人が中に入った。


 中の光景に驚き、感動したのも束の間。すぐに気分が悪くなる。

 光の門をくぐった六人のうち、一人は脱出できたが、五人は倒れて動けなくなっていた。


 そして五人が目を覚ました時には、体の中に別の生き物が入っていた。肉体そのものが大きく変化していたことを、彼等は実感した

 強い力が宿っていることも理解した。彼等の精神構造そのものが大きな変化をきたしていた。

 帰りたいという気持ちは失せていた。この地で生きていくことこそ自然として受け入れていた。


 特に学は清々しい解放感を覚えていた。もうあんな醜い世界に帰って、醜い母親の言いなりにならなくていい。


***


「美香、そいつら自身が戻ることを望んでないんだし、そっとしておけよ。特にお前の依頼主の子供は、いろいろ深刻そうな気がする」


 そう口出しをしたのは真だった。学とその仲間、そして美香と十三号が意外そうな視線で、真を見やる。


「依頼失敗ってことにしてさ。不服なら雪岡に依頼料払わせるから」

「何でそこで純子に払わせる!」

「僕は貯金が無いからな。財布が空になったり、必要になったりした時は、その場その場で雪岡に貰ってるし」

「そうだったのか!」


 今まで知らなかった意外な事実を知る美香であった。


「まあ、正直私もそんな気がする。あの母親ではな……」


 依頼者の佐保田リリカのことを思い出し、美香は渋面で吐息をつく。


「いやいや、二人共、大事なこと忘れてねー? ここって日本とは違って、野生環境そのまんまだし、地球と違って人類は万物の霊長でもないんだぜィ。クォからすればモロに餌だったんだし、放っておいたら、そう長いことは生きられないと思うわ~」


 みどりの指摘に、子供達とUFOマニア達が動揺しだす。


「確かにその問題があるけど、君達はその自覚あるのー? 覚悟あるのー?」

「いや……」

「そこまで考えてなかった」

「どうしよう……」


 純子の問いかけに、子供達とUFOマニアの動揺が激しくなった。


「俺達はここに来てから、今まで俺達を脅かすような生き物に会わなかったし……」

「ここだって結構猛獣出るけど、僕らが一番強かったもん」


 力なく反論する者もいた。


「運がよかっただけだよー。霧崎教授がこの辺の生態調査を記していたけど、明らかに君達より強そうな生き物もいるみたいだしねえ。ここにいるクォ君だってそうだよ。餌を求めて広範囲を巡回する肉食動物が、多数いるっぽいよー」

「ううう……」


 さらに純子に突っ込まれ、それ以上言い返す気力は失う。


「ここは自由な楽園だと思ってたのになあ……帰るしかないか」


 UFOマニアのリーダー格が、がっくりと肩を落とす。


「学、帰ろう……」

 子供の一人が促す。


「嫌だ……。あんな所に帰るくらいなら、あの糞女とまた暮らすくらいなら、危険でもここにいたい」

「本当にそう思ってるのか?」

「学が残るなら僕も残る。でも……帰った方がいいと思う」

「俺もだ。佐保田一人にはしておけないしさ」


 友人達の発言に、学はショックと嬉しさと申し訳なさを一度に覚える。このままでは自分のために彼等も巻き添えにしてしまう。


「お前らまで……巻き添えにできない。わかった。帰るよ」


 暗い面持ちでうつむいたまま、学は決心した。


 実はこの時、学は帰ることだけを決心したわけではないが、他の面々からは、帰ることを決めたとしか見られていなかった。


***


 子供達とUFOマニア達、そして純子達は、光の門前へと戻った。

 UFOマニア達が先に門をくぐる。子供達はその後で門をくぐった。


「どうもあの子達は、寄生された植物に精神面も支配を受けていたみたいですけど、僕達と接して、ここが危険ということも意識して、その精神支配も解けたようですね」


 子供達の後姿を見送ってから、累が観察してわかったことを述べる。


「悪いがここで私達も帰らせてもらう!」

 美香が両手を顔の前で合わせて叫ぶ。


「途中で抜けてすまん! 表通りの仕事も立て込んでいるからな!」

「気にしなーい」


 そんな美香に、純子がにっこりと笑ってみせる。


「皆さん、お世話になりました。貴重な経験をさせていただきました。また来てみたいですね」

「そうだな! 来れたらいいな! じゃあ健闘を祈る!」


 十三号と美香が笑顔で純子達に向かって手を振り、光の門をくぐって地球に戻っていった。

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