第四十三章 7
ビトン、牛村姉妹、ポロッキー、博士の五人は、森を抜けた先の盆地のチェックポイント近くでキャンプをすることにした。
盆地のチェックポイントのタブレットには、ほとんど何も情報が入っていなかった。未調査ということで、博士が活動拠点をしばらくこの辺にすることに決めた。
盆地はかなり広く、とても一日では歩ききれない。一週間あっても探索しつくすのは無理だと思われる。ぱっと見ただけで所々に林があり、川が流れている。小さな丘もぽつぽつとある。薄紫の短い草が一面に生えていたが、遠くにある山は麓から真っ白で、草も生えていないようだ。白い山の麓には、白い巨大な岩石が幾つも転がっている
テントを張っている最中、彼等は日没を御目にかかることになる。
青紫だった空が鮮やかな青へと変わっている。
盆地の先に沈んでいく太陽の周囲は、特に鮮烈な青さだった。盆地一帯も青く染めあげられている。
「青い夕陽だ……」
夕日を眺め、ポロッキーが呻くように呟く。
青い夕焼けという幻想的な光景に、一同はすっかり心を奪われていた。皆して写真を撮りまくり、動画も撮る。
「森を今日のうちに抜けておいて正解」
「うん、おかげでこの景色が見れた」
麻耶、伽耶の順番に言う。
「火星の夕陽も確か青いんだっけ」
と、ポロッキー。
「火星の夕陽の動画を見たことがあるが、あれはくすんだ青空と青白い太陽といった感じだ。この星の夕焼けの青さと美しさは、火星の比では無いな。まあ、画像で見るか、現実に生で見るかという違いもあるが」
博士が言った。
「この星は昼間といい、今といい、どうしてこんな空の色になっているんだ?」
ビトンが博士を横目にして、疑問を口にする。
「私は天文学者でも地質学者でもないが、仮説はたてられる。あの恒星の光そのものが太陽とは異なる性質の、特殊な光を発しているか、あるいはこの星の大気の影響じゃろう」
博士がそこまで喋ったその時であった。
一同が眺めている夕日の前に、園児服の幼女が飛来し、空中静止した。そして一向に背を向けた格好で、夕日を眺める。
「あれは何?」「博士、仮説プリーズ」
伽耶と麻耶が空飛ぶ園児を指し、博士の方を向く。
「日本の幼稚園児……だな。よかった。私の頭がおかしくなったんじゃなければよいが……。しかし仮説は無理じゃ」
顔を引きつらせ、博士は思う所をストレートに口にした。
「頼りにならない博士」
「麻耶、それは無茶言い過ぎ」
麻耶も思う所をストレートに口にし、伽耶がたしなめる。
「小学生が踏み入ったというのはわかるが、幼稚園児まであんな山奥に?」
不審げにビトンが言う。
「小学生達と一緒についてきたとか?」
「この星の空気に平気なの? そもそも食事は? そもそも園児は空を飛ばないのでは?」
伽耶が推測し、麻耶が疑問を続けざまに口にする。
「空を飛んでいるのは、先程の子のように、この星の植物に寄生された影響と見てよいな」
博士が冷静さを取り戻し、腕組みしてもっともらしく言ったが――
「不正解。私は寄生されてはいないし、自らの能力で飛翔及び浮遊をしています」
幼女が振り返り、五人を見下ろして、幼女らしからぬ口調で告げた。
「マイマスター、この姿のために、探索者達からあらぬ疑惑をかけられている模様」
何者かに向かって話しかける幼女。
「喋り方がいろいろ変」「園児に似合わぬ喋り方」
姉妹が同時に言ったその時、幼女はゆっくりと地面に降りた。
「私も貴方達と同じ目的でこの地を訪れし者であります。名はつくし。以後よろしく」
幼女――つくしが自己紹介したその時であった。
また強風が吹き荒れる。
「くぅおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおぉおぉぉぉ……」
そして風の跡に必ず響く、長く尾を引く叫び声。
「むう……まただ……」
博士が唸る。
「風の後に必ず叫び声?」「近所迷惑」
「時折強い風が吹き、その後には必ずこの声が響きます。声の主、風との関連性は未だ不明。調査案件の一つ」
伽耶と麻耶を見上げ、つくしと名乗った園児服姿の幼女が語る。
「直接会えたのも何かの縁。直接の情報交換を希望します。加えて――しばらく行動を共にしていただくことも希望します」
つくしの要望に、五人は顔を見合わせた。
***
森の中のチェックポイント近く。
「今のは何でしょう?」
「ここの主か!?」
十三号が辺りを見回し、美香が叫ぶ。声は森の中にも聞こえたし、風も吹いていた。
(今の咆哮……まさか……)
累は聞き覚えがあった。四百年以上前に聞いた咆哮。しかし未だに覚えている。あれを思い出させる。
「声は結構遠かったねえ」
夕食の準備をしながら、純子が言う。
「正直……少し怖くなってきました」
「大丈夫だ! ここにいる連中だって揃いも揃って相当怖い!」
「それもそうですね」
不安げに両肩を抱く十三号に、美香が説得力のある言葉をぶつけた。十三号もそれで納得して安心してしまう。
「しかしこのチェックポイントで、調査の報告しあう形は面白いな!」
食事をとりながら美香が言う。食しているのは全員、レトルト食品だ。
「駅の掲示板とか思い出すなあ。アルファベットで暗号書いて始末屋に依頼とかあったねえ」
「懐かしい感じですね。携帯電話の無い時代」
「そういえば携帯電話の普及でどこでも人と繋がれる時代になったのも、当時は凄いと思ったよ」
「インターネットの普及でもそう思いました」
歴史の生き証人である純子と累が、微笑みながら語り合う。
「んー、チェックポイントで報告しあうだけじゃなく、霧崎教授やアルラウネとも直に話がしてみたい。電話ですぐに呼び出しできないから、ここと門前に時間指定の待ち合わせ希望って書いておくかな」
食事を取ったあとで純子がそう言った。
「貸切油田屋の連中も来ているなら、そいつらも含めて、全員集合の呼びかけをしてみたらどうだ?」
真が提案する。
「ああ、それもいいねえ。チェックポイント作った人とも連絡取りたいし」
人じゃないけど……と、これは口の中で付け加える純子。誰がチェックポイントを作ったか、もうわかっている。
「今から十六時間後……朝にしておこう。門の方にも行って書いてくるねー」
そう言い残し、純子一人、キャンプを後にする。
「真兄、純姉を一人にしていいのォ~? 単独行動する奴から狙われて殺されるパターンだぜィ?」
「あいつを誰が殺せるんだ?」
からかうみどりに、真は言い返す。
「ここは別の星ですし、何が起こっても不思議ではないですが、純子ならまあ上手く切り抜けるでしょう。逆を言えば、純子ですらあっさりと危機に陥るようでは、一刻も早く立ち去った方がいいという話になります」
累が真面目に語る。
「月が二つあるんだな。しかも大きい」
真が空を見上げてぽつりと呟いた。真の呟きに反応して、他の四名も空を見上げる。葉の隙間から、確かに月が二つ見える。二つとも満月ではないが満月に近い、小望月か十六夜といったところか。二つの月は、極めて近くに接近している。
「月、地球より大きく見えますね。漫画に描いてある月みたいな大きさです」
と、十三号。
「デカいと不気味だな!」
「確かに」
美香の叫びに、真が同意した。一方累は、その不気味さが気に入っていた。
***
光の門前のチェックポイントへとやってきた純子は、タブレットに報告と集合の言伝を書き込む。
「これでよし、と」
気配が近づくのを察知しつつ、声に出して呟くと、純子は接近する気配の方角へと向いた。
闇の中から純子の前に現れたそれは、子供だった。
子供の顔は逆さまになっていて、首と頭頂が繋がっている。腰から下は百合を彷彿とさせる花びらの中に埋まっている。花の下は幾重にも絡まったツタがタコの触手のように何本も伸びて、これで這いずるようにして移動していた。
(最初に行方不明になった子供の一人かな?)
純子はそう推測する。
二酸化炭素中毒で死ぬこともなく、植物と同化したことで生き延びているようだ。とろんとした目つきと、開いたまままの口を見た限り、すでに正気を失っていると思われる。
「あー……お姉さん、とても可愛い」
子供が口を開く。
「えっ? そ、そう?」
おだてに滅法弱い純子は、子供の言葉を真に受けて照れまくる。
「肌綺麗、柔らかそう。食べたらどんな味? 食べる前に触りたい。裸見たい。揉みたい。それから食べるけど、いい?」
「んー……いい? って聞かれても……駄目かな……」
「駄目とかひどーい。駄目と言われてもやってやるぜーっ! レッツ揉み揉みだーっ!」
かさかさと音を立てて素早く這いずり、純子に襲いかかる子供。
純子の近くまで接近した所で、子供の動きが止まった。
凄まじい突風が吹き荒れ、子供の体が吹き飛び、純子も思わず顔を右腕で覆う。
風は一分近くも吹いていた。子供は川に落ちていた。
『くぉぉぉぉおぉぉぉぉおぉぉぉっ!』
風が止むと、また吠え声が響く。今度は非常に近い。
何かが空からやってくる気配を感じ取り、純子が見上げると、まっすぐこちらに向かって飛来する人型の存在が確認できた。
それは、川から上がった子供の前に降り立ち、子供と純子をそれぞれ一瞥する。
フォルムこそ人型であるが、体色は人のそれではない。つやつやと光る淡いピンクだ。頭髪は燃えるように赤く、肌と同じ色の捻じ曲がった角が二本生えている。背中には昆虫を思わせる翅がある。全体的に赤っぽいのに、瞳だけは対照的に青い。
(え……? この子って……)
空から現れた異形に、純子は見覚えがあった。
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