第四十二章 エピローグ

 犬飼との勝負を終えたヴァンダムは、その二日後に日本を発った。


 ケイトは公式には死んだことになっているので、できる限りヴァンダムと共に人前には出ないようにしているが、今回は顔をレースつきの帽子で隠して、夫婦揃って移動していた。

 かつては普通の飛行機で移動していたヴァンダムであるが、ケイトのためにビジネスジェットを個人で購入し、最近はそれを使って移動するようになった。


「皆が優しくアリ、人を思イやれる心がアレバよい世界になレマス。これは同感デス。デモ、心無い人が増エテいるのに、人権や平等とイッタ価値観が蔓延れば、世界は歪になるトイウのは、私ニハ未だ理解できません」


 犬飼の小説の序文を引き合いに出し、ケイトが隣に座る夫に話しかける。ヴァンダムは読書をしていた。


「そうか……。今の私には理解できるがね」


 読書を中断し、渋い顔になってヴァンダムは言った。


「私の商売がまさにそうだ。善意を矛にも盾にもして、商売ビジネスをしている。つまり彼は善意から利を貪る者や、その構図を見抜けずに利用されている者達を嫌悪しているのだろうよ」


 そういう意味でも自分とは相容れない者だったと、ヴァンダムは結論づける。


「不思議な男だったな。私は彼と会う前と、彼を知った後で、まるで印象が異なるよ」

「本当に亡くナラレたのでショウか?」

「生きているだろう。バイパーの台詞や動作は、どうにもわざとらしかった。脇腹の傷は軽いものでは無かったが、あの出血量では、出血死に至るようにも思えん」


 ヴァンダムはそう確信しているようであったが、ケイトはそれを不思議に思う。


「デハどうして見逃シタのですか?」


 ケイトに尋ねられると、ヴァンダムは小さく微笑んだ。


「どうせあの勝負は私の勝ちだからな。死の偽装による逃亡も含めて、彼は負けていた。それなら無理して殺そうとする必要も無い。いや、正確にはできなかった。彼の死を疑い、とどめをさそうとしたところで、例え満身創痍といえどもバイパーを敵にするのは、こちらの命を危うくする。故に見逃さざるをえなかっただけだ」


 結局最後は暴力がものを言うと、ヴァンダムは口の中で付け加える。


「彼は死んだ事にして、このまま姿をくらますだろう。私の追撃を警戒してな。私ももう無理には追うつもりはない。ケイトが実際に殺されたわけでもないし、お返しは十分にしてやった。溜飲が下がったし、これでよいとしよう」

「デモ……」


 不安げな面持ちになるケイト。


「死ヲ偽装することヲあのゲームの最中に考えてイタとしたら、すでにアノ時点で、彼は計算してイタのではナイですか? ホテルの中で貴方を倒せナイ場合の保険とシテ、死の偽装をシタと。そして犬飼さんハこの先機会がアレバ、貴方を狙ってクルと私は考えマス」

「だから探し出して殺した方がよいというのかね?」

「イイエ……」


 笑いながら口にしたヴァンダムの問いに、ケイトはますます顔を曇らせる。


「死体蹴りという言葉を知っているかね? 私が学生の頃、友人と格闘ゲームをした際に、友人が、負けて倒れた私のキャラを、散々蹴りつけるという行為をしてくれてな。私はあれが嫌で仕方なかった。今の私は勝利者だ。勝利者が保身のために敗走者を追い回すなど、みっともない行為はしたくないな」


 悠然と述べるヴァンダムの言葉を聞いて、ケイトは安心する。


「ソレニしても貴方……」


 と、ケイトが読書を再開したヴァンダムの本を覗き込む。


「いつ頃カラそういう本を読むヨウになりマシタの?」


 ヴァンダムが読んでいたのは萌え絵イラストの見開きのついた本――ラノベだった。少し前から気になっていたケイトである。


「雪岡純子が私にラノベをくれた事があってな。それがきっかけであれこれ手を出して……。今や飛行機での移動の際は、必ずラノベを読む習性がついてしまった」


 言いながら、照れくさそうに笑うヴァンダムであった。


***


 犬飼は薬仏市の、裏通りの住人用の病院に入院していた。


「何度も言うが、正義の旗を掲げて他人を傷つける奴等、他人から奪っていく連中が気に入らないだけだ。どんなに理屈つけても、感情的に気に入らないという理由だけで、奴等は奪っていく。潰しにかかってくる。傷つけてくる。だから俺もお返ししただけだよ」


 実の姉とキーコを前にして、犬飼は告げる。

 別に夢を見ているわけでも幻と会話しているわけでもない。みどりに交霊術を用いてもらって、呼び出しただけだ。


「先にそういうことをしなければ、俺も何もしないさ。ああ、ケイトのような他人を欺いていながら自分に酔っている奴も大嫌いだな。ああいうのも見過ごせないね」

『キーッ! みっちゃん、やっぱりこいつ全然反省してないじゃな~いっ!』


 ベッドに寝ている犬飼の前で、キーコの霊が怒り狂う。


『でもハジメちゃんがそういうことしてるって知って、お姉ちゃん驚いちゃったし、少し悲しいわ』

「少しなのか」


 姉の霊の言葉に、犬飼は意外そうに笑う。もっと嘆くかと思っていたが、けろっとしている。


『こっち側に来ると、いろいろと価値観も変わっちゃうからね。また人間界に生まれ変わるまでの間は……。まあ、詳しくは教えてあげられないの。ごめんね。教えたくても教えられないっていうか、霊界の情報はそちらに持ち込めないというか、表現の仕方もわからないというか……』

「そっかー」

『あの子とは会わないの? その子の力を借りて、一緒に呼べばよかったのに。せっかくまだ転生する前だっていうのに』


 姉の問いに、犬飼は難しい顔になった


「正直怖い……。例え幽霊でも会って声を聞いたら、気持ちが爆発して頭が壊れるんじゃないかってさ」

『なるほど。そっちの価値観だと、それも仕方ないか……』

「つーか、価値観が変わるとか聞くと、死ぬの怖くなるな。死後の世界の情報はこっちに教えられないとか言っときながら、価値観の変化と、情報を教えられないという、二つの情報を教えちまってるし」


 自分が自分でなくなるというのは、とんでもなく恐ろしいことのよう、犬飼には感じられた。


『それくらいは教えられる範囲なの。決まりとかではなくて、表現の伝達ができないのよ』

『みっちゃん、そろそろ行かないと……。ていうか何であたしまで呼び出されたのよっ。キーッ!』

「そりゃこっちの台詞だ。ねーちゃんだけ呼び出してくれと言ったのに」


 文句を口にするキーコに、犬飼は言った。


「たまにそういうこともあるんよ。イタコみたいに依代に霊を降ろすんなら、そんなこたーないと思うけどさァ。二人が親しいからとしかあたしには言えねーわ」

「そっか……」


 みどりの説明を受けて、納得できないが納得するしかない犬飼であった。


『じゃあ……あっちから見守ってるから、元気でね』

『キーッ! 死ぬ時はせいぜい苦しんで死ぬといいわ~んっ!』


 犬飼の姉とキーコは消えた。


「あ、言っておくけど、霊全部呼べるってわけじゃないからね。血の繋がった家族は呼べても、恋人は呼べないとか、そんなケースもあるし」

「それを聞くと、キーコがセットで呼ばれたのは、どういう理屈なのか、さらに謎になった」


 十分程前、犬飼とみどりで雑談していた際に、死後の世界があって、縁者の霊は生者のことを見守っていると、そんな話をみどりが口にしていたため、犬飼は、こんな人生送っている自分のことを、かつてよく可愛がってくれた姉が見たらどう思うか疑問に思い、みどりに呼び出せるかどうか試してもらったのである。


「おっ、みどりもいるのか」

 犬飼がよく知る大男が病室に入ってくる。


「へーい、よっしー、おひさ~」

「よくここがわかったな」


 義久が見舞いにきた事に、犬飼は少々驚いていた。


「バイパーに聞いた。仕事の都合で関わってね」


 正確にはバイパーの主から仕事を受けたのだが、余計なことは言わない義久だった。


「あいつの様子はどうだった?」

 犬飼が尋ねる。


「普通だったけど」

「普通って……」


 相当な重傷を負っていたのに、同じ病院に入院しているわけでもなく、義久曰く普通という答えに、不審に思う犬飼。バイパーの負傷はミルクに治してもらったことなどと、犬飼は知らない。そもそもバイパーがマッドサイエンティスト草露ミルクのマウスであることも、犬飼は知らないので、無理も無いが。


「義久に俺が何で入院してるかとか、ヴァンダムのこと言ってねーよな?」


 みどりの耳元に顔を寄せて囁く犬飼。


「ふわ~? 知られたら困ることなの?」

「わりとややこしいことになるな、うん……」

「何こそこそ話してるの? 俺に知られたら困る悪いことあるの?」

「わりとややこしいことになるな、うん……」


 みどりと義久に同じ質問をされて、同じ答えを返す犬飼だった。


「ああ、みどりに言い忘れてた。義久にも言っておかないといけないけど」

「何だ?」

「ふえぇ~? 何よ」


 神妙な面持ちになる犬飼に、義久とみどりは怪訝な面持ちになる。


「俺はしばらく身を潜める。死んだ事にする」

「はあ~? それってあたし達にだけの秘密ってこと?」

「うん。純子にも優にも他の誰にも言わないでくれ」

「優姉にも本当のこと言わなくていいの?」

「あいつは利発だけどね、わりと抜けてる部分もあるし、感情面でもまだ未熟だから、死んだことにしておいてくれ」

「犬飼さんの都合で優姉は超悲しむじゃんよォ~。勝手だなァ、それっ」


 みどりが険のある顔になる。


「いい奴からいなくなっていくのを見まくって、寂しい気分味わう立場ばっかりだったし、たまには俺がいなくなる立場に回ってみるのもアリだろ?」

「犬飼さんは全然いい奴じゃないだろォ~」

「まあ、少しはイイヤツかなあ……」


 犬飼の言い分に呆れるみどりと、笑う義久。


「俺の命がかかってる大事なことだからな。頼む。これから裏通りの組織を利用して、俺が死んだことにする工作もするつもりでいる」

「せめて優姉には教えろっつーの。ったくよォ~……」


 憮然とした顔で言うみどりに、犬飼は苦笑いを浮かべるのみだった。


***


「くぅぅぅぅうあぁぁ……」


 クラブ猫屋敷。自室で寝ているバイパーを、ぶかぶかのブラウスを着た小柄な少女が覗き込み、心配そうに声をかけている。


「大丈夫だって……。ミルクに治療してもらったし、明日には多分治る」


 心配する少女――繭に向かって、バイパーが笑いかける。


『ろくでなしのために体を張っておつかれさまままだな』


 繭の足元にいるミルクが、毛づくろいをしながら皮肉っぽく言う。念動力で空気を震わせて喋っているので、毛づくろいをしながらでも声は出せる。


「ま、俺も一応は楽しめたからいいさ。疲れはしたし、呆れてもいるけどよ」


 繭の頭を撫でながら、バイパーは諦めたように言う。


「人を振り回すタイプの奴と付き合うのは慣れてるしな。藍然り、お前然り」

『そういうこと言うですか、このロリコン野郎。じゃあ今後は私のためにもっと振り回されろ。私の猫じゃらしとなって私を楽しませろ』

「別にロリコンじゃねーし……」


 否定しても無意味とはわかっているが、それでもそれだけは否定したいバイパーであった。


『藍を孕ませたお前が言っても説得力ねーし。それだけじゃない。繭やつくしとも、暇さえあればじゃれているくせに』

「くうぅぅ~」


 ミルクが指摘した直後、繭がバイパーの頭髪をくしゃくしゃにいじって玩具代わりにしだす。


「文字通りじゃれてるだけだろ。子供と遊んでいるだけの感覚だ」


 繭の両手を押さえて封じながら反論するバイパー。


『そんなことわかってますけど~? あ、ひょっとしてわざわざ言い返すってことは、一見、子供と遊んでやってるだけっぽく見せて、実は心の中ではゲヘゲヘしてたとか?』

「この糞猫……」


 バイパーがベッドの下に手を伸ばしたが、ミルクは悠々とかわして、部屋を出ていった。


***


 みどりが犬飼の見舞いに行った翌日。雪岡研究所。


『今日未明、薬仏市市民病院で、脳減賞作家の犬飼一氏が、肺炎で亡くなりました。三十七歳でした』

「えー……」


 純子が驚いてみどりを見る。

 みどりは驚いた反応もせず、ただ憮然としている。


「みどりちゃん?」


 みどりの反応がおかしいので、純子は何となく察する。少なくとも悲しんでいる風ではないので、何か事情があって死亡を偽装していて、みどりもその事情を知っているから憮然としているのだと、そこまで全部看破した。


「あー、かなしーなー、犬飼さんが死んじゃったー、うえええーん」

「……」


 仏頂面かつ棒読みで、悲しいアピールをするみどり。それを見て無言で苦笑いをうかべる純子。


 みどりが断りなくテレビのチャンネルを変える。犬飼のニュースをこれ以上見ていたい気分ではなかった。


『女なんて勝手な生き物なんですよ。苦労している男の身にもなってみろと』


 すると別の番組では中年の芸人が、したり顔でそんなことを口にしていた。


「ふぇ~……何言ってやがるってんでい。男の方がずっと勝手だろーによォ~」


 ますます機嫌を悪くして、さらにチャンネルを変えるみどりだった。


***


 作品のプロットを練る時、犬飼は自分の意識を、自分の意識の中へと深く沈める。おかしな言い方だが、他に例えようがない。

 人は誰もが世界を持っている。自分の中に世界を持っている。狭い世界しか持たぬ者もいれば、ありふれたテンプレートの世界を持つ者もいるし、歪な世界を持つ者や、創造性に溢れた美しい世界を持つ者もいて、探究心に満ちた深く広い世界を持つ者もいる。


 犬飼は考える。本当は人が持つ世界に、限りなど無い。それらは無限であるはずだが、人が勝手に面積も体積も決めてしまうだけの話なのだと。それが結果的に狭い世界へ繋がってしまう。どこかで思考を停止し、どこかで異なる価値観を拒み、どこかで認知の柵を設ける。それは犬飼とて変わらない。


 犬飼は自分の世界の底へ底へと、自分の意識の深遠へと、自分の意識の塊を沈めていく。確かに自分の中には世界が広がっていて、その中を泳ぐことも舞うことも沈むことも、思いのままだ。

 その中で見つけた何かを外の世界へ出す。外から運んだ何かで、己の世界も変えていく。


 頭の中に思い描いた喜劇を、現実に持ち運ぶ。文章の作品は手がけない。作品は現実に創っていく。


 しばらくは養生のために病室に寝たきりなので、時間は腐るほどある。ゆっくりとたっぷりと、自分の中に自分を沈めるつもりでいる。



第四十二章 トリックスターをハメて遊ぼう 終

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