第四十二章 31

 撃つまでは笑っていた犬飼であったが、流石に自分で自分の腹を撃ちぬいた直後も、笑っていることはできなかった。新たに二つ目の穴が腹に開き、苦悶の形相で椅子から転がり落ちる。


「うぐ……あぁ……ぁ……」


 床に倒れて喘ぐ犬飼を、ヴァンダムは嬉しそうににやにやしながら見下ろし、ケイトは眉間に皺を寄せながらも目をそらすことなく見つめていた。


「ヘーイ……犬飼さん、大丈夫?」


 横向きに倒れ、新たに血が噴き出る腹を押さえて苦痛に顔を歪める犬飼を見下ろし、みどりが心配そうに声をかける。


「へへへ……こ、これが大丈夫そうに見えたら大したもんだ」


 大しておかしいわけでもないのにおかしく感じられ、犬飼は笑ってしまった。その笑い声は掠れていたが。


「続けられるのかって意味で聞いたんだわさ。何だったらさっさと降参してもいいんじゃね? 降参して命乞いしてゲーム投げ出しても、それを通すことだってできるんだぜィ」

「無駄だよ、みどり。この馬鹿は自分に酔ってる馬鹿だから、この状況から逃げ出せやしねーんだよ。諦めるとか降参する事ができない馬鹿だからな」

「うん、まーわかってるけど、一応ねー」


 半眼で喋るバイパーに、みどりは苦笑する。


「言われてるぞ?」


 バイパーとみどりの言葉を受け、ヴァンダムがおかしそうに微笑む。


「ああ、そうだな……だからこそ負けないんだがな」


 喋りながら、体をひきずって椅子に戻る犬飼。


「さっきも話しただろ。生き物には、諦めって概念がある。無効や失敗が繰り返されると、努力が無駄に終わって徒労感を味わい続けると、やがて諦めという名の絶望を受け入れる」

「何が言いたいのかね?」

「俺はここまで全て突破してきた。その俺を、あんたは果たして殺しきれるかい? そろそろ諦め時だろ? あるいはもう脅えて、心が受け入れ始めているんじゃないか? こいつは自分には殺せない――ってさ」

「ふむ……。そうだ、先ほど話そうとして、後で話すつもりだった話があるな」


 犬飼の言い分を聞いて、ヴァンダムはその件を思い出した。


「あるライオンのハーレムで、雄の交代が起こった。雄同士がハーレムを巡って争い、雄の交代が起こると、かつての雄が雌に産ませた子供は、全て殺されてしまう。劣悪な遺伝子を残さぬようにな。そして雌もそれを黙って見ている。諦めている。しかし、だ。こんなケースもあった。ある雌は雄に殺された子供を諦めきれず、ずっと舐め続けて生き返そうとしていた。最期までその雌は諦めなかった。文字通り死ぬまで子の骸から離れず、舐め続け、そのまま果てた」

「美談じゃねーし、教訓でもねーし、普通に悲劇だな」

「そうだな。しかし生き物の想いは時として、諦めという概念も超克する。そういう個体も現れる。死も省みず、諦めきれない者もいる。君がその一人なら、私もその一人だ。故に、君のその煽りは、私の心にはそよ風ほどにも感じんよ。無意味だ」


 薄笑いを浮かべて語るヴァンダムに、犬飼はそれ以上反論しようとせず、銃に弾を込める。


(そういやヴァンダムは、純姉相手にもしつこく食い下がって、晒し者にしたよね。普通ならあれだけのことやられれば、そして相手のイカレっぷりがわかれば、退くだろうにさァ。でもこいつは諦めなかった。退かなかった)


 ヴァンダムを見ながら、みどりはかつて純子が逮捕されて報道されたことを思い出す。


「お返しだ」

 2発込めて、銃をテーブルに置く犬飼。


 ヴァンダムが無言で銃を取ったその時であった。

 ロビーのあちこちで一斉に爆発が起こった。


 遥善、ケイト、みどり、ヴァンダムが驚く一方で、バイパーは顔色を変えず、犬飼は笑っている。


 爆発の後、火事まで起こる。


「まさか……」

「キッチンにあったものをいろいろと使わせてもらった。タイマーは無かったから、長い導火線を作って工夫したよ」


 睨んでくるヴァンダムに、へらへら笑いながら犬飼は教える。


「ここだけじゃないぞ。別の場所にも仕掛けてある」


 これははったりだが、効果はあると確信する。


「逃げたい奴は逃げればいい。勝負を続けたければ続けようぜ。俺は最期まで付き合うぜ? 一酸化炭素中毒になって死ぬのが先か、勝負の果てに死ぬのが先か」

「ロビーの広さを考えたら、そこまで延焼するにも時間がかかるな。その前にケリはつくだろう。随分と無意味な演出だ」


 不敵な物言いの犬飼であるが、ヴァンダムは冷めていた。


「そうかな? 爆発と火事だけだと思ったか? 混ぜるな危険と書かれた洗剤も幾つかあったから、爆発した際に混ざるように仕掛けておいたんだが、ロビー自体広いから、塩化ガスだか硫化水素が出たとしても、こちらも平気か?」

「ふむ。そうやって逃げおおせる気か? あるいは道連れが欲しいのか?」

「後者かな? それよりも、あんたの反応が見たかった」

「盤を引っくり返そうとしたつもりなのかもしれんが、引っくり返すには君の力では脆弱すぎるな」


 嘲り、笑い飛ばすヴァンダム。まるで動じていない。


「肝杉君もバイパー君もそこの君も、避難した方がいいぞ」

「イェア、そこの君、了解~。犬飼さん、冥福は祈らないぜィ。どうせ地獄行きだし」

「よく聞くフレーズだ」


 さっさとホテルの外に避難するみどりに、犬飼は微笑む。


 みどりに続いて遥善も避難するが、バイパーとケイトは動こうとしない。


「バイパー、何してるんだ? つーかケイトさんも残る気か」

 犬飼が二人を交互に見やる。


「ケイトは避難しろと言ってもどうせ聞かないだろうと、私はわかっていたから、最初から言わなかった」

 と、ヴァンダム。


「俺には、今にもくたばりそうなお前を、運び出す役目が残ってるからな。付きあわせて悪いと思ってるなら、さっさと勝負決めろよ」

「へいへい」


 座ったまま告げるバイパーに、犬飼は手をひらひらと振ってみせる。


「続けるとしよう」


 ヴァンダムが己の脇腹に銃口をあて、引き金を引いた。弾は出ない。

 さっさと銃に弾をこめ、テーブルの上に置く。


「3発だ。脚が動かなくなれば、逃げるのも困難になるな。バイパー君に助けてもらうか? わかっているだろうが、バイパー君の今の状態も危ういぞ」


 銃を手に取った犬飼を煽るヴァンダム。


「さっさと殺しにくるかと思ったら、じわじわと嬲る方向にシフトしたのか?」

「イエス。君が余計なことをしたからだよ。自業自得で後悔しながら死なせるのも、乙なものだと思ってね」


 皮肉っぽく尋ねる犬飼に、意地悪く答えるヴァンダム。


 犬飼は銃を取って思案する。


(しかしこれを凌げば……残弾は5発だぞ。残弾が4発を切ったら、残りの弾全てを使うルールだ。そしてこのルートだと、俺はどうやっても4発切った状態ではヴァンダムには渡せず、ヴァンダムは4発切った状態で俺に渡せる……。俺は……次で4発選んで渡す安全策か? そうすれば残りは1発になって、ヴァンダムは1発の状態で俺に渡すしかない。それとも……俺の方からいちかばちかで、1発で渡すか? いや、それは流石に馬鹿げた賭けだ……。そいつをやってヴァンダムが生き残ったら、残り4発だ。そしてヴァンダムは4発という最良の条件で、俺に銃を渡すことができる。俺は三分の二の確率で頭を撃ち抜くことになる)


 考えているうちに、犬飼は眼がくらんできた。思考力もどんどんぼやけてくる。


(ヤバい……その前に死にそう……)


 考えたいことは他にもあったが、これ以上の時間の引き延ばしは不味いと判断し、犬飼は脚を撃った。

 銃声。新たな衝撃と痛み。本日三つ目の銃創ができる。


(マジかよ……。運悪すぎだろ……)


 愕然とする犬飼。二分の一の確率であるから、そこだけ見れば運が悪すぎるという事も無いが、先に三分の一の確率で一発食らって、さらにまた食らい、一方でヴァンダムは無傷という経過を見ると、そう感じられてしまう。


「いよいよ風前の灯のようだな」


 ヴァンダムがいやらしい笑みを広げているのを見て、全くその通りだと犬飼は同意していた。最早怒りも悔しさも感じない。痛みとダメージと疲労の蓄積で思考もままならない。


 犬飼が無言で銃に手を伸ばし、弾を込めんとする。

 息も絶え絶えとなりながら、銃に弾を込めている間に、犬飼は意識が薄れていき、また椅子からズリ落ちる。


(あれ? 体に力が入らない……。そろそろ……限界がきたか……?)


 自分が銃を落とし、椅子から落ちたことにさえ、犬飼は気付いていなかった。


(予定通りとはいえ、しまらない終わりになっちゃいそうだね、こりゃ。せっかくこいつが、わざわざ俺なんかのために出向いて、勝負のテーブルについてくれたのに、それも……台無しにしちまうことになる)


 ぼやける視界の中で、見覚えのある女性が自分を見下ろして微笑んでいるのが見えた。


(ああ……待たせちゃってるか? 俺なんか待ってないで、天国そっちであいつとくっつけばいいのに、相変わらず馬鹿だねえ)


 幻だとわかっていても、それが見えたことが嬉しくて仕方がない。


(はぁ? 馬鹿はお互い様って……。いくら俺を待っていても、俺は地獄に堕ちるから一緒にはなれないんだぞ? はぁぁ? そうなったら一緒に地獄に行くって……どこまで馬鹿なんだか……)


 床の冷たさを心地よいと感じつつ、亡き妻の幻を見つつ、犬飼は語りかける。


(お前も、あいつも、姉ちゃんも、いい奴は皆すぐにころっと死んじまう。そういう嫌な世界だけど、そんな世界でも俺は少しでも楽しんで生きようと、これでも必死に足掻いてた。お前はどうせまた、相変わらず子供のままとか思ってるんだろうけどな)


「いつまでそうしている気だ? さっさと立ちたまえ」


 ヴァンダムが促す声が聞こえ、犬飼の意識は現実へと引き戻された。


(立ちたいけどな……。もう死んでもいいから……予定もかなぐり捨てて、最後まで勝負したかったけどな……。でも……無理みたいだ……。こんな終わり方で……すまないね……。ヴァンダムさんよ……)


 意識を失う前に、犬飼は心の中で謝罪していた。


 倒れて動かなくなった犬飼の元にバイパーが寄り、首筋に手を当てる。


「死んだよ」


 まだ脈があるのを確認しつつ、バイパーが告げると、犬飼の細い体を肩に担いだ。


『ヴァンダムを殺せなかった場合の保険に……死の偽装をしておく……。協力してくれ』


 六番目のミッションで、わざと腹部に大怪我を負った際、犬飼はバイパーの耳元で呟き、バイパーはそれを理解した。

 ヴァンダムを殺せなかったとしたら、この先も狙われ続ける可能性が高い。そのために、保険をかけて死の偽装をしておくという意味だったのだろう。


 バイパーも死の偽装の協力を引き受けたが、このままでは、犬飼が本当に出血多量で死ぬのではないかと考える。


(果たしてヴァンダムを騙しきれるかどうか、怪しい所だぞ)


 ヴァンダムの言葉を待たずして、バイパーは犬飼の体を抱えたまま、ホテルの外へとゆっくりと出ていく。


「貴方……」

「私達も出るとしよう。ここにいるのは危険だ」


 側に寄るケイトを抱き寄せ、ヴァンダムもホテルの入り口へと足早に向かった。


***


 ホテルが延焼する様子を、ヴァンダム、ケイト、バイパー、みどり、遥善の五人が見つめる。意識を失っている靴法は遥善が外へと運んだ。


 海チワワの面々も裏口から避難したと連絡を受けた。すでに消防車は呼んであるとのことだ。


(ヴァンダムは俺の台詞を真に受けたのか? 本当に犬飼が死んだかどうか、確かめようともしない。こいつはもっと用心深いと思っていたが)


 ヴァンダムを横目に見つつ、疑問に感じるバイパー。


 そのバイパーの腹が大きく鳴った。


「腹減った……」


 犬飼に食事に誘われていた事を思い出す。しかし食事どころではなくなってしまったと、バイパーは乾いた笑みを浮かべた。

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