第四十二章 29

 ロビーに着いた三名がまず目をやったのは、倒れた靴法であった。


「靴法は生きているのか?」

「脳震盪くらいは起こしてるかな~」


 ヴァンダムの疑問に、みどりが答えた。


「清次郎君、すぐに救護班をロビーへ」


 内線で指示をすると、ヴァンダムは犬飼、みどり、バイパーの三名を順に見た。


「君が除霊したというのか」

 ヴァンダムがみどりに視線を向けて声をかける。


「へーい、しがない除霊師ですよォ~。正確には浄霊だけど」


 渋い顔で答えるみどり。ヴァンダムに存在を知られてしまったことは、一応は真に報告するつもりでいるが、真はいい顔をしないだろうと考える。


 清次郎と数名の完全武装兵士達がすぐに到着した。


「そこにいるバイパー君にも応急処置を。犬飼はいい」

「えー、いじめじゃね?」


 ヴァンダムの言葉を聞き、腹の傷を押さえて笑う犬飼。笑うと響く。

 バイパーは正直ありがたいと感じていた。痛み止めと適切な止血だけでも、かなり違う。


「さて、君は人生最後のゲームを私としてもらおうか。ああ、君にとってのだぞ」


 犬飼の言葉を先回りして、意地悪い口調でヴァンダムは告げた。


「意外だな。あんたそんなタイプには見えなかったが」

 犬飼が言った。


「何が意外なのだね?」

「あんたが戦う時ってさ、これまでは、あくまで表の戦いをする一方で、裏にもこっそり手を回すとか、そんなやり方だった。純子を晒し者にした時もそうだったし、世界中のマスゴミを敵に回した時もそうだった。なのに今回は、完全に裏だけで……そこがどうにも不思議だよ」

「君に限っては、いつものやり方――社会的にハメて貶めるやり方をする気には、どうしてもなれなかったのだ。それでは私の気が収まらない。闇の中で葬った後に、その名を辱めてやる方が、君のような悪魔的な男には相応しいと感じてね」

「いやー、悪魔的ってそれほどでも……」


 まさしく悪魔的な男と思う相手に面と向かって言われ、犬飼は照れて頭をかく。そんな犬飼を見て、そこは照れる所なのかと、バイパー、みどり、遥善が、心の中で突っ込んでいた。


「振る舞いは悪魔的であるが、一方で正義感や義憤のようなものも持ち合わせているのが、歪で面白くあるがね」


 皮肉げに薄笑いを浮かべ、ヴァンダムは言った。


「君の小説を散々呼んで理解した。君は偽善というものを心から憎む。歪んだ正義、形ばかりの綺麗事を、心底嫌悪し、憎んでいる。だからこそ自分の小説の中で、偽善を茶化し、弄ぶ。ブラックユーモアを乱発し、美辞麗句で飾った自称正義の味方をこきおろし、痛めつける、そんな小説ばかり書いて、しかもそれが多くの大衆の心を掴んでしまった。大勢に影響を与えてしまった。一方で、君が小馬鹿にした者達は、君を目の仇にした。そこまで君の目論見通りだろう」


 ヴァンダムがそこまで喋った所で、バイパーと靴法への手当てが終わった。ヴァンダムが彼等に目配せすると、会釈してロビーから去る。ヴァンダムは話を続ける。


「その一方で君は飢えている。性善説を捨てきれない男だ。人間という生き物に希望を求め、善性に飢えている。求めている。だからこそ紛い物の正義を憎む。そうなるに至るということは、過去に何かあったのかね?」


 からかうような口振りで尋ねるヴァンダムに、犬飼は目をそらす。


「一つじゃねーし、いろいろ積み重ねだよ。とてもここじゃあ話しきれねーさ」


 犬飼のその言葉に偽りは無かった。有りすぎるからこそ思い浮かばない。


「では少しテーマを変えようか。言葉は暴力になる。言葉で人を殺すこともできれば、言葉で国を滅ぼすこともできる。これは君が言ったことだ。まさに君がやったことではないか? 余計な真実を突きつけて、私達の心を殺さんとした」

「それが?」


 少し怒気の宿ったヴァンダムの言葉に、悪ぶりも開き直りもせず、せせら笑う犬飼。


「俺はあんたの妻を悪と見なして敵視した。敵に容赦する必要は無いだろ」

「そうか」


 犬飼の言葉を聞き、ヴァンダムの瞳に静かな怒りの炎を宿っているのを、何人かは見てとった。


「今モ私のコトは敵だと認識シテいますか?」

 ケイトが思わず口を出す。


「犬飼さんがココで生き延びた後、私ヲまた殺そうとシマスか? あるいは私が生きてイルことを世間に公表シマスか?」

「面倒だからしねーよ。そういうのってしつこく執着するのは、何か違うっつーか、一度やったんだから、もういいわって気分。いや……正直に言うと、さっきあんたと面と向かっていろいろと話しちゃったから。そのうえでまだしつこく嫌悪して、執着できるかって問われれば、俺には無理と答えるかな」


 曖昧な答えで返そうとした犬飼であったが、途中から正直に自分の気持ちを述べていた。


「ソウデスカ。では、先程の私との会話は無駄ニハなりませんでしたシ、最初からチャント話してイレバ、このようなコトにもならなかったカモしれませんネ」

「あんたのそういう考え方が、俺には受け付けないんだがな。まあ……言ってることに間違いはないが」


 笑顔で告げるケイトに、犬飼はばつの悪そうな顔になる。 


「こっちからも質問だ」

 犬飼はヴァンダムの方へ視線を戻した。


「遥善や靴法を自分の前に戦わせようとした意図は? ラスボスを自分に据えておくとか、何か痛々しい感じだが、自分が直接勝負するつもりだったら、その前におっ死んじまったらどーする気だったんだよ」

「たった今、肝杉君にも、似たような質問をぶつけられたばかりだよ。私は君を貶める舞台を用意してなお、迷いがあった。君という人物をどう扱うかという迷いだ。そのための自分の心の整理のために、儀式として必要だった。この答えで納得してもらえるかな?」

「わかるような、わからないような」


 微苦笑をこぼす犬飼。


「私は君のおかげで非常に貴重な体験を出来たと思っている。幾つもの発見があった。私はね、犬飼君。性格破綻者だった。サイコパスだと散々陰口も叩かれたが、それとはまた少し違う異常者アブノーマルだった。どちらかというとアスペルガーに近いな。感情表現やコミュニケーションに難がある。だから……今までこんなに強い感情を抱いたことは、五十年以上生きてきて、一度も無かったんだよ。君が私に教えてくれた。愛する者を貶められ、悲しみと絶望の中で、裏切られた怒りと憎しみによって殺意を向ける。あんな経験は初めてだよ。あんな気持ちになったのも初めてだ。そして――それらを計算し、操ろうとした悪魔のような男――つまり君に対し、底無しの怒りを覚えた。しかし……」


 ここでヴァンダムは長広舌を切り、しばし間を開けて、言葉を選んでいた。


「そう……君という男を、君の作品を通して掴もうとして、その怒りは迷いへと変わってしまった。なるほど、君の行動原理も一理あると感じてしまった。許す気にはなれないが、理解できてしまった」


 ヴァンダムが犬飼を見るその時の目には、怒りも憎しみも見受けられないよう、周囲には感じられた。


「おっと……随分と長く話し込んでしまったな。まだまだ喋りたいことはあるが、そろそろ最後のゲームといこう」


 ヴァンダムがロビーにあるテーブルの一つに向かい、椅子に腰を下ろす。


「結局受けるのか」


 犬飼が動こうとする前に、床に座り込んだバイパーが声をかけた。


「これが小説だとして、ここでとんずらする展開やったら、読者ドン引きだからな。それに……あのおっさんはあれだけの地位を持ちながら、わざわざこっちの領域に入ってきやがった。しかも最後にはこうして俺と向かい合ってるしさ。壮絶に馬鹿な奴だ。しかし敬意を抱くに値する馬鹿だ。こういう馬鹿をただの馬鹿にはして終わらせたくねーよ。こっちも全力で馬鹿になって、相手してやんよ」


 ここに至るまで、犬飼は読み違えていた。今、考えを改めた。

 当初、最後のゲームできっとヴァンダムは、絶対に逃れられない罠にハメて自分を殺しにくるのではないかと考えていた。しかしヴァンダムは小説の内容を忠実に再現し、自らが勝負の席に座ってきた。ヴァンダムの性格も心情も、自分が想像していたものとは違っていた。

 敵にそういう気構えがあるとしたら、犬飼はそれを無視できない性格だ。


 ただし、無視はできないが、正々堂々と勝負をするつもりもなかった。勝負は受けるが、あくまでそれは自分流に受ける。自分流に相手をする。


「へーい、犬飼さん、あたしの見てる前で死ぬなよ~」

「前向きに善処します」


 応援するみどりに、犬飼はおどけて返す。


 一方でケイトは、ヴァンダムを見ながら、両手を合わせて祈っている。


 テーブルを挟み、ヴァンダムと向かい合って席に座る犬飼。


「君には説明の必要は無いだろうが、ギャラリーも意識して、ちゃんと説明しておこう」


 ヴァンダムが言い、テーブルの上に回転式拳銃リボルバーと、弾薬の入った箱を置いた。それは犬飼の予想していた通りの小道具だった。


「最後のゲームは、作中で用いられたものと同じ、『優しいロシアンルーレット』だ」

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