第四十二章 8

 バイパーの登場に、兵士達は緊張していたが、ヴァンダムは悠然と構えていた。


「タブーのバイパーか……。大した助っ人だな」


 ヴァンダムも当然バイパーのことは知っている。以前、グリムペニス日本支部ビルに乗り込んできて、ヴァンダムの側にいる強化吸血鬼達と交戦している。それ以前にも幾度となく海チワワと抗争を繰り広げてきた男だ。


「さ~て、どーすんの~? ヴァンダムさんよ」

 にやにや笑いながら声をかける犬飼。


「あんたがたっぷりと金と手間をかけて築いた目論見、これであっさりおじゃんじゃねーの? まさか俺が外部に助けを呼んで、俺を助けられる奴が来るなんて、ちっとも想定していなかったのか?」


 嫌味たっぷりに言う犬飼であったが、ヴァンダムは余裕たっぷりに笑い返した。


「いいや、つい先ほど、君がモールス信号を送った時点で、そのヴィジョンが見えた。だからこそ先に私が君の前に出向いたのだよ。君を逃さないようにね。最初の予定では、ミッションの二つ目のタイミングで、君の前に現れるつもりはなかった」


 ヴァンダムのこの台詞の意味が、犬飼にわからないわけがなかった。犬飼の顔から笑みが消え、真顔になる。


「俺を逃がさないよう釘を刺すためか。もしここで俺がゲームを降りたら、俺の正体を曝露すると?」

「君がこのゲームで死んでも、同じことをするぞ?」

「ゲームに勝利したら、やめてくれるのか? そもそも俺に勝たせるつもりなんてあるのか?」

「もちろん、無かったさ。しかし状況が変わってしまったな。私にとっても生き死にを左右する展開となったようだしな。君の言うとおり、同じビルにいたのがあだとなったか」


 ヴァンダムが皮肉っぽく笑い、肩をすくめてみせる。


「で、互いの落とし所は?」

「先程、君が言っただろう。君も私のウィークポイントを押さえている。ケイトを貶めることができる」


 ヴァンダムのその台詞で、犬飼はあることを確信した。


(それをウィークポイントと言い切る時点で、こいつはやっぱりケイトを殺していないな。そのうえで、ケイトの名誉を何としてでも守りたいようだ)


 憎しみに駆られて殺していれば、こんな台詞を口にするはずがない。


「あんたはダモクレスの剣をぶら下げたまま、生活するのをよしとしないタイプだろ? 俺を消して、自分を脅かすものは払拭したいだろうさ。ま、手遅れだけどな」

「手遅れ?」

「ホテル内は電波を通じなくしているようだが、電波を遮る妨害電波が一瞬だけ途切れるタイミングを発見して、ケイトのデータをアップロードした」


 犬飼が口にした言葉に、ヴァンダムの顔が強張った。


「データは特殊なアップローダーに上がっている。このサイトはな、ちゃんと鍵がかけられているから、条件を満たさないと、誰もデータをダウンロードできない。その条件ていうのは、毎日決められた時間内に打ち込むパスワードを、打ち込まないことだ。パスワードを打ち込む期限内に、パスワードが入力されないと、中のデータが自動的にそこら中に拡散するようになっている。そういう保険と脅迫のためのサイトなのさ」


 犬飼は嘘をついていた。そんなサイトなど存在しない。いや、もしかしたらあるかもしれないが、犬飼は知らない。ただのハッタリだ。だが――


「つまり俺が死ねば、自動的に――」

「今思いついたハッタリだろう」


 犬飼の言葉を遮り、ヴァンダムは嘲笑を浮かべて断言した。


「しかしよい情報を教えてくれたものだ。私もそのサイトを利用するとしよう。これで条件は互角になるではないか」

(互角? 泥沼の間違いだろ)


 犬飼はほくそ笑む。この泥沼に引きずり込むための虚言だった。犬飼はヴァンダムが自分の嘘を見破ってくるのも、計算していた。


 普通に提案した場合、ヴァンダムは絶対にそれをそのまま受け入れないと、犬飼は考えていた。何故なら、普通に申し込んだのでは、犬飼が自分を対等の立場に引きずり込もうとしていると、ヴァンダムはそう受けとる。ヴァンダムの性格を考えれば、それを嫌がるはずだ。

 逆に犬飼側が、ハッタリをかまして身の安全の保険をかけようとしていると見せれば、ヴァンダムは犬飼が精一杯健気な努力をして我が身を護ろうとしていると、下に見てくる。そのうえで、自分も同じことをして、ちゃっかりと保身に走ると。


 しかし――互いに質を取った状態のまま、ヴァンダムが済ますはずがない。あくまで保険だ。そして犬飼の方も、これでよしとはしない。


「ああ、ハッタリだ。そんなサイトは無い。でも、作ることはできるだろう? そして互いに同じことができる」

「なるほど……」


 犬飼の言葉に、ヴァンダムは納得した。


(例えここで俺が逃げても、例え俺が保険をかけたつもりでも、ヴァンダムはどうにかして俺を屠るか、俺の情報を曝露しにかかるだろう。こいつは暫定的な駆け引きでしかない)


 そんなサイトを作る気も、犬飼にはさらさら無い。


「ハッタリだとしても、今ここで犬飼君に逃げられれば、それは実行できる、か。ふむ……膠着状態に持っていけるわけだ」


 それはヴァンダムの望まない展開ではあるが、場合によっては受け入れざるをえないとも理解している。


「それを差し引いても、あんたは俺を逃がしたくないはずだ。せっかくのお膳立てを無駄にしたくはない。予定通り、俺を苦しめて殺したいんだろう? 俺の正体も晒したいんだろう?」

「何が言いたい?」

「俺も決着をつけたい。このままあんたのゲームに乗ってやるよ。ただし、今のままでは、ゲームとは呼べない。俺を玩具にした、あんたらの一方的なお遊戯だ」

「ふむ。断れば君は今すぐここを出て、保険をかける――か」


 曝露するのではなく、保険をかけて膠着状態にするという点がポイントだと、ヴァンダムも察した。その対等の関係ですら、互いに望んでいない。しかし犬飼は、決着の機会だけは対等に望んでいると。


「では具体的な要求を述べたまえ」

「さっきの靴法、そして他にもまだ誰かいるか? そいつらもあんたも含めて、プレイヤーになってもらおう。命がけのな。俺が死なない限り、ここから出るな。条件はそれだけだ。俺はあんたのゲームに従ってやるさ」


 犬飼はこの要求が、実は口にするまでもないことも、わかっていた。靴法も、見えない誰かも、そしてヴァンダムも、最初からプレイヤーとして自分と戦うつもりでいただろうと判断している。自分の小説を再現してデスゲームを仕掛けてきた時点で、それはわかりきっている。元となっている犬飼の小説には、対決場面も幾つかあったからだ。


「ふふふふ……あははははははっ!」


 犬飼の要求が何を意味するか悟り、ヴァンダムは大声で笑った。


「はははははっ、傑作だな。実に傑作だ。しかし……君の狙いがそういうことなら、そんなことをわざわざ口にしなくてもよかったのではないか?」


 元からそのつもりだったヴァンダムである。そして犬飼がどうして、一見ナンセンスとも言える要求をしたかも理解している。これは実は要求ではない。犬飼の宣戦布告だ。


「いいや、釘を刺しておく意味はある。バイパーが来た事で、生き死にが関わるって、あんた自身が言ってたじゃねーか。つまり、ゲームをやめて逃げることもできる。あるいはゲームを続行する傍ら、あんたらだけこっそりホテルからとんずらも出来る」


 犬飼がバイパーを呼んだのは、逃亡するためではない。自分がいつでもバイパーの力を借りて逃亡する事ができるようにするための保障のためだ。そして彼等が自分を玩具にするという、一方的なお遊戯ではなくするためだ。

 しかも同時に、ヴァンダム達の命を脅かすことを示唆してしまう。


「で、もしも私がホテルから逃げたら、君もホテルから逃げて、ケイトの情報を曝露すると? もし私が、君が教えたサイトを利用すれば、君の正体を曝露してしまうことにも繋がるが?」

「また話を戻す気なのか? 俺が言いたいのは一つだけだぜ? あんたは俺に逃げるなと釘を刺した。俺の答えは、わかった逃げない――だ。俺からの要求は、あんたらも逃げるな――それだけだ。もういい加減理解して受け入れろよ。できないなら、もう玉砕覚悟で好きにさせてもらうぜ」

「いいだろう。君が信じるかどうかわからないが、その条件を飲もう。元からそのつもりだったしな」


 ヴァンダムは満足そうな笑顔で頷いた。


「で、二つ目のミッションは?」

 犬飼が問う。


「無いよ。ここに移動して会話しただけで終わりだ。君の小説と異なり、ここまでがチュートリアルだな」


 そう言ってヴァンダムは踵を返す。


「やれやれだ。こっちも逃げないからそっちも逃げるな――たったこれだけのことに、ここまでこじらせるんだから、実に面倒な奴だよ」


 コルネリス・ヴァンダムがそういう男だと、犬飼は見抜いている。だからこんなに回りくどい駆け引きを用いて念押しせねばならなかった。


「おい、どういうことだ? 話が全然見えねーが、逃げるつもりはねーのか?」


 ヴァンダムと兵士達が姿を消した所で、苛立ち混じりの声をかけるバイパー。


「すまねえ、バイパー。状況が変わっちまった。つーか俺が馬鹿で、頭が回りきらなかった。いや、これでも必死にいろいろ頭使って、あれこれ手も考えていたつもりだし、先のことも考えていたつもりだったけどな……」


 頭をかきながら、申し訳なさそうに告げる犬飼。


「もし面倒なら帰ってくれていいぜ。俺は……俺の命より大事なものを人質に取られた格好だ。でもそいつは誰かの命ってわけでもねーし、俺のすげー勝手な都合だ。それにお前さんを巻き込むのもどうかと思うし……」

「はん、心にもねーこと言うな。本心は俺にここで引いてほしくはねーくせに」

「そりゃそうだ。でも心にも無いってことはないぞ。そっちも本心だよ。おかしなことに付き合わせちまうのは悪いって思ってる。すまん。そしてありがとさままま」


 獰猛な笑みを浮かべるバイパーを見上げて、犬飼も笑みをこぼし、改めて謝罪と礼を述べた。


***


 ヴァンダムは部屋に戻ると、妨害電波を一時解除し、電話をかけた。


「テレンス、イレギュラー発生だ。キャサリンとロッドとミランを連れて、マスラオホテルに今すぐ来てくれ」

『了解です――と言いたい所ですが、キャサリンとミランは日本にはいませんよ』

「では君とロッドだけでもいいから、すぐに来てくれ。排除してほしい者がいる。タブーのバイパーだ」

『了解です』


 テレンスの声が微かに喜悦を帯びていたことを、ヴァンダムは聞き逃さなかった。


「ヴァンダムさん、さっきの会話の意味がわからない。ゲームが終わるまでここから出るなとは、どういうことだ? 何故奴はあんな要求をしたんだ?」


 遥善が尋ねる。要求されるまでもなくその予定であったが、犬飼の方から要求した意味が、遥善にはわからなかった。靴法も二夜もわかっていない。

 ケイトは理解していたため、暗い面持ちでうつむいていた。


「つまり――だ。犬飼は私達をこのホテルの中で、皆殺しにするつもりでいるのだよ。それが彼の狙いだ」


 微笑みながら語るヴァンダムに、靴法と遥善は絶句した。


 犬飼の殺意を悟ったからこそ、ヴァンダムは爆笑してしまったし、わざわざ口にしなくてもいいと犬飼に告げたのである。口にしなければこちらも、犬飼が本気で自分達を殺しにかかるなど悟ることなく、油断していたかもしれないのにと、そういうニュアンスをこめて。


(彼がそれでもなおあんなことを口にしたのは、要求の振りをした、挑発であり挑戦だからだ。宣戦布告というわけだ。いいだろう……上等だ)


 嬉しそうな顔をしているヴァンダムを見て、ケイトの暗い気持ちが、どこかへ吹き飛んでいってしまう。


(男ノ子同士の遊び……のヨウナ、そんな感じニ思えてキマシタ。そう考えるト……)


 これは悲観するような話ではないのではないかと、一瞬、ケイトには思えてしまった。

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