第四十一章 16

 誓とのデートを終えた護は、誓と別れた後、こみあげてくるにやけ笑いを抑えきれず、ふわふわとした気分のまま帰宅した。


(好きな女の子とのデートって、こんなに幸せな気持ちになるものなのか。怖いくらいだよ。俺なんかがこんな幸せな気分に浸れるなんて……いいのかな?)


 ずっといじめられ続け、辛い日々を送ってきたことを振り返ると、地獄と天国ほどの違いだ。


「初デートどうだったー?」


 護が帰宅すると、リビングで下着姿の姉がにやにやしながら声をかけてきた。


「普通だよ」

 言葉少なに答える護。


「最近護が明るくなったのは、その彼女のおかげかー。どんな顔してるのか見せてよ」


 姉に要求されて、護は無言でディスプレイを投影する。


「うわ、可愛いし。クール系だね。護には勿体無いわ。あはは」


 意外そうに言う姉を見て、護はむっとした。


「あのさ、護」

 突然、姉が神妙な顔をする。


「あんた……凄く変わったよね。私、あんたのことが何か気に食わなくて、いろいろ悪く言って……ごめん。いつか謝ろうと思ってたけど……その……」


 以前、母や姉はかなり護に辛く当たった。母は未だに護のことを疎んでいるようだが、姉との関係は良好になっている。


「うん、凄く気にしてるよ」


 気にしてないよと言おうと思って、しかし思い留まり、笑顔で正直に告げた。


「いや、そこは気にしてないよって言ってよっ」

「実際気にしてるもん。気にしてたからこそ、悔しくて変わったんだよ。イジメもはねのけたし」


 護の言葉に、姉の顔色が変わる。


「あんたイジメられてたの?」

「中学高校とずっとね。で、家に帰っても姉ちゃんも母さんもあんな風だったし、どこにも居場所なかったよ」


 あえて爽やかに笑いながら言ってやることで、姉のダメージを抑えようというつもりの護であったが、完全に逆効果だったようで、姉は暗い面持ちになってうなだれる。


「そんなんだったんだ……。私、そんなこと知らなくて……」

「いいよ。もう俺は大丈夫。いじめっ子達にもちゃんと落とし前つけたら、いじめられなくなったよ」


 護の言葉に、姉の顔色がまた変わる。顔色だけではなく、ぽかーんと口を半開きにして、しばらく絶句していた。弟の言葉が信じられなかったが、嘘をついているとも思えなかった。


「落とし前つけたって……。いやあ……人間て、変われば変わるもんだわぁ。こりゃ参った。負けてらんないなー」


 弟の変貌に驚きはしたものの、姉としても素直に嬉しかったし、姉のそんな反応は、護からしてみても嬉しく感じられた。


***


 誓も護同様、にやにやと笑いがこみ上げてくるのを必死で堪えながら帰路についた。

 歩いている最中、護に買ってもらった人形の入った包みを抱きしめながら、ずっと意識していた。


 家に入り、足早に自室へと向かい、自室の扉を閉めると大急ぎで包みを開ける。


「みんなー、新しい仲間が増えたよー」


 アザラシのぬいぐるみを取り出し、部屋に四方に置いてある人形とぬいぐるみに向かって、対面させる。


 今夜は特別にこのアザラシを愛でるつもりでいる。今までは戦隊レッドの人形を護に見立てていたが、このアザラシに変えようかと一瞬考え、慌ててその考えを打ち消す。それではあまりにレッドの人形が可哀想だ。

 しかしアザラシは護と本当の意味で繋がりを持つ。やはり特別なものとして扱うのも致し方ないと、他の人形やぬいぐるみに言い訳するニュアンスで、意識する誓だった。


***


 昨夜、凡太郎は家に帰らず、その翌日も夜まで家に帰らなかった。


 昨夜のうちに大量に盗聴器を仕入れ、昨夜から今日の夕方にかけて、ずっと学校のあちこちに盗聴器を仕掛けてまわった。祝日だからこそできた。祝日にも学校には人がいるし、監視カメラも働いていたが、何とかやりすごした。

 これで反逆者の会話も拾えるかもしれない。そしてヴァン学園を支配する者が校舎内にいれば、その会話も拾えるかもしれない。凡太郎はそう考え、行動に移った。


 いや、この考えはとっくにあったのだ。しかし実行まで踏み切れなかったが、あの黒い少年に触れられて、心が驚くほど明朗になり、全ての迷いが消え、思いつきと欲求の赴くままに行動ができるようになった。


「一日も帰らないで、一体何をしてたんだっ! この不良息子が!」


 リビングルームにいた父親が、凡太郎の顔を見るなり怒鳴り散らす。


 凡太郎はこの厳格な父親に逆らったことが一度も無いが、父親として親しみや尊敬の念を抱いたことも、一度も無い。非常にくだらない、つまらない人間として見下していた。

 リビングルームには兄夫婦とその息子もいる。母親は台所だ。家長の怒りに、兄夫婦は恐々としている。


「うおおおおおぉおっ! 一日帰らないくらいでやかましいわ! このド低俗糞親父が!」


 しかし息子の咆哮と罵倒を耳にし、父親は仰天する。

 今まで反抗したことなど一度もない次男が、怒りに顔を歪めまくって喚くなど、それだけでも衝撃であったが、父親は本能的に気付いた。息子が正気ではないと。


「狂ったか……?」

 思わずそう呟いてしまう父親。


「狂ったか――だとぉ~? 狂ってるのはうちの苗字だろうッ! 苗字が仏滅とか何考えてんだ! 頭おかしいのか!? うおおおおおおおぉっ!」


 喚きながら凡太郎は父親めがけて、蹴りを放つ。


 いつも従順だった次男が突然憤怒の形相になり、わけのわからないことを叫び、あまつさえ親を蹴るなどという行動に出た事に、父親も兄夫婦も驚いた。


 しかし本当に驚き、そして震え上がるのは、その後の出来事だ。

 とても威力のある蹴りには見えなかったが、蹴られた腹部に、父親は猛烈な痛みと衝撃を覚えた。しかもそれは蹴られた箇所から体全体へと拡がっていく。


「ぐぽおおぉっ!」


 内臓を複数破裂させ、腹部の血管の大部分も破裂させ、背骨と腰骨と仙骨も粉々に砕かれ、口から大量の血を吐き出し、下からも血と糞尿を大量に吹き出し、父親は絶命した。


「それだけじゃねえっ! 俺の名前も凡太郎とか名づけやがって、馬鹿じゃねーのか!? 何考えてこんな名前にしやがった!? おかげでいじめられたんだぞ! この恨み、晴らさでおくべきかーっ! うおおおぉおおおぉっ!」


 自分に名をつけた、歳の離れた兄を睨みつけて喚く凡太郎。


 死の予感と共に硬直した兄の顔めがけて、凡太郎が拳を振るう。

 奇跡的に硬直は解け、兄は反射的に両手で顔をかばい、凡太郎のひょろひょろパンチは、両手で防がれた。


 全く威力が無いと思いきや、ほんの一秒か二秒ほど遅れてから、途轍もない衝撃が兄の両手を襲い、肘から上の肉が爆ぜ、毛細血管も大動脈も尽く破裂し、骨も粉々に砕ける。


「ぐわあああーっ!?」

「キャアアアアアっ!」


 兄夫婦が悲鳴をあげる。兄の両腕は、肘から先が飛び散って床に血肉を撒き散らしていた。


 凡太郎の能力は、素手で直に攻撃した物体に、怒りや恨みに応じた破壊エネルギーを送りこむという代物である。どんなにへなちょこなパンチやキックでも、その時の負の感情が、純粋なエネルギーへと転換され、感情の強さに応じた破壊をもたらす。


「おぎゃーっ! おぎゃーっ!」


 凡太郎や両親の声に反応して、生後七ヶ月の甥が喚く。兄夫婦の子だ。


「赤ん坊だからってつけあがらせやがって! 躾しろーっ! うおぉぉおおおおぉぉぉっ!」


 無茶なことを叫びながら凡太郎は、ベビーベッドに向かって容赦なく拳を振り下ろした。


「やめっ……」


 義姉の制止の声は途中で止まった。ベビーベッドの中のものがいともたやすく破裂して、血肉の花火が打ち上げられたからだ。手足は残っているが、他は原型を留めていない。


「躾完了! これが正しい躾也! 世の阿呆親共は俺の躾の仕方を見習うように!」


 両手を組んで得意気にふんぞり返り、ドヤ顔で言い放つ凡太郎。


「うおおおおぉーっ! うおおぉぉおぉぉーっ! うおおおぉぉぉぉーっっっ!」


 その後も凡太郎は、ノリノリで家族を皆殺しにしていく。


「うおおぉおおーっ! 気分爽快! 心が解放! 何て清々しい気分なんだーっ!」


 血肉と臓物が飛び散ったリビングルームで、大きく両手を上げて、満面の笑顔で叫ぶ凡太郎。彼にとって、今が人生の絶頂であった。


 こっそりと家の中にあがり、部屋の入り口から殺戮の光景を眺め、心地好さそうに目を細めている黒い少年の存在に、凡太郎は気がついていなかった。

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