第四十一章 9

「マンネリ化してきたし、そろそろ新しい刺激が欲しいんだよね」


 校長室にて、ヴァン学園の実質上の支配者である大安武蔵は、相棒であり参謀格の先負九郎に話しかける。

 二人は毎日同じ部屋にいるわけではない。普段生徒が入らない部屋を転々としている。生徒達が授業中の際は、放送室に入ることもある。


「何か大きなイベントとかしてみる?」


 武蔵の言わんとしていることを察し、九郎が言った。


「うん、何かいい案無いか?」

「学校行事に絡めたイベントがいいかなあ……」


 九郎が思案する。本来の予定では、もうすぐ文化祭があった。


「ある程度内容を煮詰めたら、イベント告知しよう」

「いいの期待してるよ」


 九郎に向かって、武蔵はにやりと笑った。


***


 元太と実が雪岡研究所で力を身につけたその翌日。


 いつもは一緒に登校するが、実は姿を現さなかった。

 元太が実にメールを入れても電話をかけても、実から返答は無い。


(実験が失敗した風なこと言ってたけど……まさかもう死んで……)


 不安を抱きつつ、元太が教室に入ってから数分後、実が蒼白な顔で現れる。


「お前、どうしたんだ?」

「どうしたって……?」


 心配して問う元太に、実は虚ろな目で問い返し、席に着く。


(様子おかしすぎだろ、これ。改造失敗のせいか?)


 席に着いて何故か震えだす実を見て、元太の不安はさらに増す。


「力は得たけど、具体的にどうするんだ? 学校をこんな風にした奴をまず突き止めないと、どうにもならないし」


 元太が声をかけるが、実はまともに反応しない。椅子に腰かけたまま、がたがたと震えたままだ。


「返せよ……返せ……」


 ぶつぶつとうわ言を言い続ける実に、元太はぞっとする。


「あんなの俺の……じゃない……。返せ……の赤口を返せ……」


 続けて口にしたうわ言を聞き、元太はさらにぞっとした。そして会話そのものを諦めた。


***


 朝、通学路で誓と護と優と冴子は落ち合った。登校する前に校舎の外で、軽く今日の打ち合わせをする事になっていた。


「優と冴子さんは、暗示を解いてもらったけど、学校に行ったらまたかかっちゃったんでしょう? それなら教師も……」

「生徒にかかる暗示と、教師にかかる洗脳は別だと思うんですよねえ。どう見ても先生達は異常で、学校がこうなる前とは別人ですから」


 教師誘拐案への疑問を口にする誓に、優は言った。


「昨日言った外部で雇った人にも早速協力してもらおうかと思っていますう。で、ターゲットは一年五組担任――つまり私のクラスの担任教師。村澤町子先生でえす」

「英語の町子先生か。一組では丁度一時間目に授業があるよ」


 護が言った。学校がこうなる前は、生徒には人気のあった教師だ。町子先生の呼び名で親しまれ、明るく話題豊富で、何より見た目が可愛らしい。


「何でこの先生を選んだかと言えば、小柄なので取り押さえやすいということと、いい先生なので、私が個人的に助けてあげたいという私的理由です」

「いいじゃない。そういう私的理由なら全然おっけー」


 優の言葉を聞いて、誓は小さく微笑む。


「狙うのは放課後、先生が帰宅する頃ですねー。協力者の方が誘拐しやすいように、私達も働きます。外で偶然出会った振りをして気を惹き、どうにかして人目のつかない場所まで誘導しましょう」

「結構アバウトな作戦なのね……」


 誓の微笑が微苦笑に変わる。具体的にどう気を引き、どう誘導されているか説明が無い時点で、そこまでは考えていないのがわかる。


「臨機応変にするためには、多少大雑把にした方がいいんですよう」


 誓の反応を面白がるかのように、優も微笑んでみせた。


***


「さーあ、今日もばりばり授業いってみましょーかあぁぁ! Cの豚共は覚悟しておきなさあああいっ!」


 誘拐するターゲットと決めた教師――村澤町子は、口の端から涎を撒き散らしながら、丸眼鏡の下で目を血走らせて喚いていた。

 かつては学校一可愛い先生と囁かれ、町子先生と呼ばれて親しまれた面影は、そこに微塵も無い。


「おやおや、そこのCは眠たそうな顔をしていますねええーっ!? 私が目を覚ましてあげまーすっ!」


 町子先生が、手近にいる女子生徒の顔面に、容赦の無い殴打を見舞う。洗脳効果で潜在能力のリミッターが外され、その細腕からプロボクサーをはるかに上回る威力の殺人パンチが繰り出される。すでに町子先生はこのパンチで、生徒二人の頭蓋骨を割り、一人は植物人間にして、もう一人はあの世へと送っている。

 しかし今回は多少手加減していたようで、歯が数本折れて、顎にヒビが入る程度で済んだ。床に這いつくばって喘ぎ、折れた歯の混じった血を吐き出す女子生徒。


「床を汚すんじゃありませえええぇーん! 貴女の服を雑巾代わりにして、綺麗に拭き取りなさーいっ!」


 町子先生が命令するが、痛みに喘ぐ女子生徒はすぐに反応できない。いや、例え殴られていなくても、すぐに実行できないことであろう。


「このくされCがぁぁ! 聞こえなかったのですかああああーっ! 耳の通りをよくしてあげましょうかああぁぁっ!」


 激怒した町子先生が、女子生徒の片腕を取ると、女子生徒の腕を本来曲がらない方向へと軽々と折り曲げて、へし折った。


「ぎゃああああぁああぁぁ!」

「ふひゃーっはっははっはっはっはァーッ! さっさと動こうとしない悪い手を凝らしめてあげましたよおおううぅう! 感謝しなっさーい!」


 折られた腕を抱え込み、泣き喚く女子生徒を笑い飛ばし、顔を踏みつけて唾を吐く町子先生。何人かの生徒は心の中で、耳はどうしたと突っ込んでいた。


(これ、洗脳解けたらどうなるんだろう……。こんなことしていた記憶も残るのかな?)


 記憶が残っていたら、悲劇だと誓は思う。かつての優しい町子先生なら、自分がこんなひどいことをしたなど――生徒を再起不能にしたり殺したりしていることを知ったら、どれだけ嘆く事か。


「うっうう……うう~……う~……」


 その時、苦しげな呻き声をあげた男子生徒がいた。クラスの皆の注目が集る。もちろん倒れている女子生徒はそれどころではなく、突っ伏してすすり泣いているままだ。


「うううう……うぐぅぁう……うぁ……ぁぁ……」


 うつむいて苦しげに呻いていたのは実だった。


「お、おいっ、実……」


 元太が声をかける。どうして実がこのようになっているか、元太は知っている。


(あのマッドサイエンティストに、長いこともたないって言われてたけど、もうなのかよ……)


 実の苦悶の形相を見て、元太はそう思い、啞然としてしまう。


「おいこらあぁあぁあぁぁあぁあぁ、そこのぶっさいくな坊主頭! Cの分際で、何をお産前の豚みたいな声あげてますかあぁぁあっ!」


 町子先生の怒りの導火線に火がつき、実のいる席へと歩いていく。


「うがあぁぁぁぁ!」


 その実が咆哮をあげて立ち上がり、その左腕が弾け飛んだ。

 弾け飛んだ実の腕から、先の尖った長く太い触手が生えて、猛スピードで伸びていく。

 さらに実の目から、鼻から、口から、血がしたたり落ちている。


 触手が暴れ始め、手近の机をなぎ払う。生徒達も椅子に座ったまま触手によって吹き飛ばされた。恐るべきパワーであったが、まだこれは本調子ではない。


「丸米が変態した!?」

「逃げろっ!」


 荒れ狂う触手から逃れようと、生徒達が教室の外へと逃げていく。


 触手は闇雲に振られているが、振るたびにその速度は増し、その長さは伸び、その威力も増している。最初は机をなぎ倒した程度だが、机や椅子に当たると、机と椅子が変形しながら吹き飛んでいた。

 教室に残ったのは、実、町子先生、元太、誓、護、そして町子先生に顎と腕を破壊された女子生徒の、六人だけとなった。


「おのれえぇぇえぇ! 私の授業を滅茶苦茶にしおってー! しかも触手とかいやらしい! 今や欧米ではすっかり、日本人は触手プレイが大好きと思われちゃってるんですよおおぉぉおぉっ! テンタクルズ・イズ・ギルティ!」


 いろいろと事実であることを叫ぶと、怒り狂った町子先生が実に飛びかかる。


 潜在能力リミッターを外して超人化している町子先生が、触手の一払いでいともあっさりと吹き飛ばされ、黒板に背中をしたたかに打ちつけて落下する。


「不味い、これじゃ誘拐する前に丸米に殺されちゃう」

 誓が護の方を見る


「でもここで力使うの?」


 まだ残っている女子生徒と元太を意識する護。実と元太には護の能力は見られているが、誓の能力まで見せることは無いと思う。


「うがががーっ!」


 苦悶に満ちた叫び声をあげ、さらに触手を振るう実。しかし狙いを定めてはおらず、痛みと苦しみのあまり荒れ狂っているだけのように、傍目からは見えた。


「ぶぽっ!」


 町子先生に殴られて倒れていた女子生徒の腰を触手が直撃すると、おかしな叫び声と共に、女子生徒は口から大量の血液を吐き出した。明らかに致死量だ。

 触手の一撃で、女子生徒の腹部はぺちゃんこになっていた。


(ああ……これ……天罰なんだ)


 自分が死ぬことを実感すると同時に、女子生徒はそう意識する。


 彼女はずっと義母をいじめていた。去年実父と籍を入れた気弱な義母。できちゃった婚だ。義母の気弱さと人の良さにつけこみ、父の預かり知らぬ所で暴力を振るい続け、妊娠している義母の腹部を執拗に殴る蹴るの暴力を働き、ついには流産にまで追い込んだ。

 ざまあみろと思ってせせら笑う一方で、やりすぎたという後ろめたい気持ちもずっと引きずっていた。

 今こうして自分が死ぬのは、仕方の無いことだと、そしてこれからきっと地獄に落ちると、女子生徒はそう思い込んで絶望しつつ、息を引き取った。


「誓は先生を護って」


 護が力強く告げ、実の前へと進み出る。


「護君……」


 止めようとしたが、護の背中に闘志の炎が燃え上がっているのを確かに見て、誓は思い留まる。


「丸米は俺を恨んでいるから、正気に戻るか、狂ったまま俺に狙いをつけるかもしれない。でも念のため、頼むよ」

「わかった」


 護を失うという恐怖も覚えつつも、信じて任せることにする誓。


「あ、赤口ぃ……」


 自分の前に立つ護を見て、実はその名を呼ぶ。少し実の気配が変わったように、護、誓、元太の目には映る。


「返せ……」


 恨めしそうな目で護を睨み、そんな台詞を口から吐く実。


「俺の赤口を返せ……」

「何を言ってるの、こいつ……」


 ひょっとして自分に向かって言ってるのだろうかと意識する誓であったが、実の視線は護に向けられている。


(返せってどういうこと? しかも本人に向かって……)


 考えてもその意味はわからない。すでに錯乱して幻覚でも見ているのではないかと、誓は勘繰る。


「君等も雪岡研究所で力を身につけたの?」


 護が未だ教室に残っている元太に問うと、元太は恐怖に震えながらこくこくと頷く。


「ああぁあかかかかかぁあぁぐうぅううぅ~ちィィっッっ!」


 憤怒の咆哮をあげ、実が護に向けて触手を振るった。

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