第四十章 3

 踊る心臓の本部は、安楽市のとあるオフィス街のテナントビルの中にある。踊る心臓以外は、全て表通りの企業が入っているビルだ。


 踊る心臓という裏通りでも特に危険とされる組織が、同じビルの中にいることは、ビルを出入りする者は皆知っている。彼等はビル内やビルの外で、物々しい警備を行っているからだ。どう見ても筋者のヤバそうな人相の者が集団で目を光らせている。

 それどころか、ビルの中や周辺で抗争が起きたことも多々ある。巻き添えの死人がこれまで二人しか出ていないのは、奇跡と言える。しかしそんな場所だろうと、経営者達は賃料が安いのでオフィスとして使うし、サラリーマン達は身の危険を他人事として意識するよう努めながら、日々のお勤めに参る。


 春日祐助は踊る心臓の幹部の一人にして、優秀な戦士でもあった。ランディや龍雲同様に、積極的に抗争の前線に赴く。それを楽しみにすらしている。しかし今日は留守番を仰せつかって、不満げに本部ビル前で待機していた。

 その春日の前に、ランディと龍雲が部下を引き連れて帰還する。小学生ほどの男の子が、強面を無数に引き連れて歩くというそのシュールな光景も、ビルを出入りする者達はすでに見慣れている。


「おかえりなさーい、ボス、龍雲さん。おやおや~? 出て行った時に比べて随分と数減っちゃったねえ」


 へらへらと笑いながら軽口を叩く春日に、ランディは無表情のまま無反応、龍雲も一瞥しただけだった。


「最近イーコの目撃報告が相次いでるらしいんだ。例の新宿封鎖霊乱騒動で見たって報告も多いしねえ」


 ビルの中に入るランディ達と歩きながら、春日が話しかけるが、誰も反応しない。


「イーコが動く所は、超常の陰謀の匂いと連動しているというのが、怪奇現象ハンターのオイラとしての見方なんだよね。ボスもそう思うだろ? 裏通りにも俺含めて超常の力を持つ者は多いけど――」


 それでもお構いなしに、自分しか興味の無い話題を平然と振り続ける春日。


「春日、情報組織の新たな介入は無いのか? そうした動きは?」


 春日の方を向きもせず、能面のように無表情のまま、ランディが問う。


「依然として、フリーの情報屋と、マシンガン的出産のみかなあ。『オーマイレイプ』の介入が不思議とないよね。あいつらが絡んできたら中々厄介だけどー」

「誰が絡んできても俺達のすることは変わらない。だが対処の仕方は変える」


 淡々とした喋り方であるにも関わらず、ランディの言葉には、聞く者の心を揺さぶる力がこもっていた。


「オーマイレイプはもう動いていると、俺は見る。動いていないわけがない。最も優秀で巨大な情報組織であるオーマイレイプが、動かないなど不自然すぎる。他の情報屋共と違って、こちらに動きを悟らせていないだけだ。『凍結の太陽』の方も警戒しておけ」


 ランディの最後の言葉に、春日も周囲の手下達も驚いた。情報組織である凍結の太陽とは、踊る心臓とは懇意にしている関係であり、それ故に凍結の太陽は今回の件において、踊る心臓を探る事はないと明言している。


「奴等が裏切るとでも?」

 龍雲が口を開く。


「所詮、他所は他所だ。同盟相手であろうと、裏切らない期待などしなくていい。同盟なんて、裏切られなければラッキー程度の安い保険だ」

「やれやれ、ボスってば無駄にニヒルだねー。いや、リアリストと言えばいいのかな~?」


 冷めた口調で言い切るランディに、茶化すような口振りの春日。ランディに対してこんな態度で接することができるのは、春日だけだ。他の者はとても恐ろしくてできない。


 いや、他にも一人だけいる。組織の者ではないが。


「ランディ君、お帰り。明日も気をつけるのよ」


 廊下を通り過ぎるランディに、清掃服姿の老婆が笑顔で声をかけた。ビルの清掃を請け負っている彼女だけは、いつもランディを見かける度に、愛想よく声をかけている。

 ランディはそれに対し、一切返事をせず無視という構えを貫いていた。

 表面上は。


***


 安楽警察署に『肉塊の尊厳』による襲撃があった頃、恐るべき情報がネット上に上げられていた。

 アメリカの反物質爆弾が一つ、輸送中に何者かに奪われたというのだ。しかも流出先は日本であり、日本の裏通りの組織が預かる予定になっていると。


 情報の出所は、この盗難の片棒を担いだ軍人だった。何十人もの米国兵士がそれぞれ異なるミッションを与えられ、反物質爆弾の流出のために動いており、そのうちの一人が良心の呵責に耐えられず、自分の知る限りの情報をネット上に曝露した。

 この兵士はすぐに米国政府によって身柄を拘束され、調査の結果、情報が真実であることが証明された。そして他にも関与した者も数名明らかになり、それらも拘束されて厳しい尋問を受けたが、計画の全容までは判明していない。

 最初に情報を曝露した者のおかげで、米国政府で秘密裏に処理というわけにもいかず、日本に協力を求める格好になる。日本国内に持ち込まれるルートも、持ち込まれた先のルートも、その日時もわからない。ただ一つわかっているのは、日本国内に持ち込まれた反物質爆弾の輸送と保管を担うのが、踊る心臓という名の、裏通りの組織であるという事だけだ。


 国内でアメリカの工作員や兵士に好き勝手をやられてはたまらないし、軍を動かすのもどうかと考え、政府――というより国の真の支配者層は、裏通りの住人達を動かすことに決めた。支配者層からすれば、こういう時のために、彼等を飼っていると言っても過言ではない。一応は、裏通りを動かすだけではなく、安楽警察署にも要請してあるが。

 アメリカには海上の監視や、衛星からの監視と追跡に留めさせている。彼等が日本国内で動くとあれば、一般市民も平然と巻き添えにしかねないし、全く信用できない。最悪、日本国内で反物質爆弾を爆破されるという事態も予測できる。


 一つの組織相手に大袈裟ではあるが、対象が裏通りの組織の中でも上位に位置し、戦績豊富な踊る心臓であるという事と、失敗したら非常に大事になってしまうため、過剰なほど手を尽くす方針と相成った。


 それから二週間が経ち、安楽市の裏通りは、踊る心臓という組織と反物質爆弾の行方を巡って、大騒動になっていた。

 特に動いているのは情報組織及び情報屋であるが、その護衛や救出や支援に、始末屋達が大量に駆り出されている。

 さらには、元々踊る心臓と敵対していた組織達がこの騒ぎに便乗し、踊る心臓に総攻撃をかるという、混沌の様相を呈している。しかし踊る心臓は被害を出しつつも、尽く襲撃を退けていた。


「これだけやっても、楽観はできないよ」


 和室に正座した初老の人物――警視総監にして裏通り中枢最高幹部『悦楽の十三階段』の一人、北条斬吉は言った。


「踊る心臓という組織は正直底が知れない。これまで抗争で負けたことが一度も無いしね。そのうえあのボスは……」

「僕と同じく天才児だよね~。いや、僕よりデビューは早いかもだよう」


 北条の前に胡坐をかいて座った、白い着物に身を包んだ浅黒い肌の美少年が、緊張感の乏しい笑顔で言う。彼は北条と同じく、悦楽の十三階段の一人であり、霊的国防を担う大家、白狐家の当主であり、さらにはこの国の真の支配者の一人でもある。名を白狐弦螺という。


「貸切油田屋の日本支部が動きたがっているんだけどねえ。僕は彼等に任せてもいいと思うけど、他が皆反対しているるる」

「私も正直反対だね。白狐さんは随分と彼等を評価しているようだけど」

「例の新宿霊乱の件ではお世話になったもーん。騒ぎを起こしたのも貸切油田屋だけど、収束に力を貸してくれたのは、貸切油田屋の日本支部だったからねえ」


 他の支配者層の者や警視総監が反発しようが、弦螺はその機会が来たら、貸切油田屋に任せるつもりでいる。


「彼等は実質上、日本に潜伏する、アメリカ及びイスラエルの工作員だろう?」

「でも支部長のラファエル・デーモンは意外と話が通じる人なんだよう。だからできるだけ、友好関係を築いておきたいんだあ」

「日本人的な友好関係の築き方や義理人情など、日本人以外の国の者は簡単に踏みにじってくれるじゃないか」

「それは人次第だよう。ま、何かあったら僕が責任取るから大丈夫」


 にこにこと笑いながら言う弦螺であるが、仮に国内で反物質爆弾が爆発したとして、それでどう責任の取りようがあるのかと、北条は呆れていた。


***


 ランディは一人の時間のほとんどを読書にあてる。

 読む本は思想書、哲学書、専門書といった類だ。娯楽の類は読まない。小説やら漫画などは一切読むことは無い。


 読書以外では、ネットを閲覧して様々な情報と知識を収集して回る。表通り裏通り問わず、世情の把握にも努める。

 それらの行為の全ては、自分という人間を伸ばすためという意識の元に行われている。部下であり師でもある龍雲の言いつけで、行っている。


 趣味でやっているわけではない。楽しいわけもない。感情は一切交えず、淡々と吸収している。同年齢の十二歳の子供と比べれば、比較にならない知識量であろう。それどころか下手な大人でも太刀打ちできないほどだ。

 趣味など存在しない。故に遊ぶこともない。強いて言うなら、遊びは己の生そのものだ。命そのものを燃焼する遊びのために、その下準備をしている。遊びであるからこそ真剣にならなければならない。


 しかしそんなランディが、睡眠以外に心の安らぎを求める時間がある。

 ホログラフィー・ディスプレイを空中に投影し、ぼんやりと見上げる。

 ディスプレイには二人の男女の顔が映っている。ランディは寝る前に、この二人の画像を見ることを日課にしていた。そして――


「今日はね、凄く手強い奴と会ったんだよ。面白かった。一人は俺とそんなに歳が変わらなくってさ」


 ディスプレイに映し出された画像に向かって、ランディは声に出して語りかけている。これも彼の日課だ。その日にあったこと、思ったことを報告する。

 普段は能面のように無表情で、子供とは思えない冷たい目つきのランディが、歳相応の子供のような顔つきになっている。口元が綻び、穏やかな眼差しで、画像の男女を見ている。喋り方も、普段は抑揚に乏しい声を発してばかりなのに、子供らしく弾んだ声をあげている。


「龍雲さん、俺のことよく観察してるんだよね。俺が楽しそうにしているみたいなこと言ってたし。そんな顔してたのかな?」


 人前では龍雲のことを呼び捨てにしているランディだが、内心では抵抗を感じていた。それどころか、自分が尊敬して慕っていた人物を部下扱いしなくてはいけないことも、あまり好ましく思っていない。


「春日さんは相変わらず妖怪だのUFOだの超常現象だの、そんなんばっかりだよ。でもあの人といるとほっとするんだ。それと、掃除のおばさん、今日も会ったよ。俺が無視しても、いつも笑顔で声をかけてくれる。こっちの挨拶は、ちゃんと通じているかな? 声に出して挨拶するわけにはいかないから、いつも頭の中でしてるんだけどさ」


 いつも自分に挨拶してくれる清掃員の老婆に、本当は声に出して挨拶を返したいランディだが、それができないことを申し訳なく思っている。いずれ挨拶をしてくれなくなるんじゃないかと考えると、それが怖くもある。


「じゃあ……おやすみ……またね。ごめんね。父さん、母さん」


 ディスプレイを消す前は、いつも別れの言葉と同時に謝罪の言葉を、画像の二人に向かって投げかける。いつもこの瞬間になるとランディは、自分の中の何かが決壊しそうになるのを必死に堪えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る