第三十九章 27

 ビルの一階で侵入者達とハチコーが戦闘をしている事も、一階に結界が張られて外から入れない事も、ビルにいる星一郎達アルラウネ狩りの面々は、すでに知っていた。


 星一郎が弥生子に電話をして、状況を説明する。


『おそらくそれは、少人数ずつ結界の中に引きずり込んで、処理していくと思われる』


 アルラウネの方の声で告げられる。


『現場にいないので把握しきれないが、もしハチコーが雫野累達に敗北するようであれば、敵も相当な戦力だ。全員でかかれば勝てなくもないが、そうはさせないための結界だろう。少しずつ殺されていくよう仕向けられる。つまり――戦いを挑まぬ方が賢明だ』

「つまり、ハチコーとデビルが死んだら、逃げるか降伏しろってこと?」

『そうだな。しかし降伏しても命の保障は無い。逃げて構わない。私の目的も大部分達成されたし、これで解散でもいい。そろそろ潮時だ』


 アルラウネの指示を聞いて、星一郎は呆けた顔になる。


(これで終わり……?)

 実に呆気ない幕切れ通達。


(壊れていく。失っていく。そしてとうとう終わり。これで……日常に戻る?)


 アルラウネという非日常と出会い、異能の力を授かり、彼女についていくことにさしたる疑問も感じなかったが、ここで初めて激しく疑問を抱いた。今までの自分達の命がけの働きは何だったのか?


(警察にマークされてる俺は、もう日常に戻れない。久保さんも死んだってのに……俺達を守るハチコーに殺される形でさ……)


 裏切られたとか見捨てられたとか、そこまでは思わなかったが、喪失感のような感覚は覚えていた。


「アルラウネが、皆逃げろってさ。これで解散だって。そうしないと、皆殺されるってさ」


 星一郎の伝達を受け、アルラウネの宿主達がざわつく。しかし中にはそれで吹っ切れた者やほっとした者もいるように、星一郎には見えた。


(本当にこれで終わりか。俺が笠原の代わりにリーダーやるとか息巻いておいて、リーダーらしいことなんか何一つしていない。みっともない……恥ずかしい……)


 まるで道化だと、自虐的に思う星一郎。


『終わった……負けた。俺の人生は、今度こそ……終わりだ。望み通り、戦いの中で死ねてよかった』


 林の中で戦った、アルラウネ三体を仕込まれたあの化け物の最期の台詞が、星一郎の脳裏に蘇る。あの時のあの台詞に、星一郎は衝撃を受けていた。

 戦いの中で死ねることは幸福だと、今際の際に言い切ったあの化け物の言葉は、嘘では無いだろう。自分も絶頂のまま果てるとしたら、あの死に方が最高の理想なのではないかと、今改めて考える。


「幸司、ちょっと来てくれ」


 他のアルラウネ狩りに聞かれたくない事なので、星一郎は廊下へと幸司を連れて行った。


「幸司、俺は逃げない。俺は逃げられない」


 星一郎の言葉に、幸司は目を丸くする。


「何言ってるの? まさか死ぬつもり?」

「うん。最後まで絶頂のままでいるのは無理だけど、落ちぶれて生き延びたくは無い。今、俺はきっと、まだ幸せな夢の中にいる。夢から覚めたくない。夢から目覚めることなく逝きたい」


 爽やかな笑顔であっさりと肯定する星一郎を見て、幸司は納得してしまった。星一郎らしいと。


「一緒に逝かないか? 目が覚めれば、そこはくだらない現実だ。覚める必要は無い」

「夢の中でさらに眠りにつく……か。それならいいよ」


 誘ってもらったことを嬉しく思い、幸司も笑顔になって頷いた。


***


 デビルは歓喜した。自分に怒りの意識を向けられている事に。


 無垢で愛らしく凛々しい美少女が、自分に怒りの意識を向けている。こんなに嬉しいことは無い。この瞬間を、この事実を大事にしたい。より楽しみたい。


 デビルが上美に殴りかかる。

 上美は体を入れ替えて、デビルの大振りの拳をあっさりとかわす。拳を振るった時には上美が自分の斜め後ろにいたので、デビルは驚いた。


 上美が跳び、ジャンプの最頂点で、隙だらけのデビルの後頭部めがけて回し蹴りを放つ。


 延髄斬りをまともに食らい、デビルはよろける。後頭部という鍛えようの無い場所――しかも神経が詰まっているうえに脳にも直接響く場所への攻撃は、デビルにも効果があった。視界が一瞬暗転し、前方によろける。

 デビルは致命的な隙を晒したが、上美も体勢を立て直すため、すぐに追撃とはいかなかった。


 代わりに銃を撃ってとどめをさしてやろうかとも考えた真であるが、控えておく。上美に経験を積ませてやろうと考えた。もちろん危ない時はなるべく早く助けに入る気でいる。


 梅津と松本はデビルのことがよくわからないので様子を見ている。バイパーも真に倣って見守っている。


 上美がデビルの腹部めがけて蹴りを入れる。さらに顎めがけてハイキックを決め、脳震盪を起こしたデビルがさらによろける。


「見えそうで見えないもんですねー」

 戦う上美を見て、松本がぽつりと呟く。


「スカートの中がか?」

 梅津が白い目で松本を見て尋ねる。


「え、ええ、まあ……」

 苦笑気味に認める松本。


「残念だがスパッツはいてたぞ」

「そ、そんなっ!? 許せない!」


 衝撃の事実を告げられ、松本は思わず大声をあげた。


 このままだといいように蹂躙されると感じたデビルは、脳震盪を起こしたまま跳躍した。

 天井にヤモリの如くへばりつくデビル。こうなると上美も手出しできない。ダメージの回復までこうしていようと考える。


 上美がデビルの真下へとやってきた。チャンスと踏んだデビルは落下して上美に襲いかかるが、これはあまりに愚かな行為だった。

 空中で隙だらけのデビルめがけて、上美が突き上げるように垂直に蹴りを放った。蹴りが綺麗に鳩尾に決まる。


 敏捷性や膂力は、アルラウネによって強化されているデビルが上回るが、その動きはお世辞にも洗練されているとは言い難い。戦いそのものに全く慣れていないし、おかしな行動も取ってしまう。


 デビルもそれをようやく悟り、肉弾戦オンリーを諦め、得意の幻覚催眠を用いる事にする。今回は集団催眠ではなく、上美にのみだ。催眠範囲を広げると、ハチコーと戦っている二人に知られ、また解除されると踏んだからだ。


 デビルが後方に跳んで距離を取りながら腕を振るう。


「あぐっ!?」


 上美が苦悶に満ちた悲鳴をあげた。デビルの腕から生じた不可視の刃が、上美の右脚を切断したのだ。

 幻覚であるが、上美はそれが幻覚だと認識する事もできなかった。上美の動きが止まり、致命的に隙を晒してしまう。


 デビルが上美に接近し、蹴りを放つ。上美は殺気を感じて上体を逸らしたが、胸部に蹴りを受け、心臓が止まるかと思うくらいの衝撃を受けて吹き飛ぶ。

 デビルも本調子では無かったので、威力が大分殺がれた。上美が咄嗟に身を逸らして威力が殺された分もある。本気でクリーンヒットしていたなら、即死だったろう。


 さらに追い討ちをかけようとしたデビルの前に、真が立ち塞がった。流石に見ていられなくなった。


「選手交代だ」

 真が言い放つ。


 デビルは目を細めた。せっかく可愛い子と楽しく遊んでいたのに、男がそこに割って入ってきたので、あまりいい気はしない。


「一人で平気か?」

 バイパーが真に声をかける。


「後輩の前で恥かかせないでくれ。上美は一人で戦っていたんだし」


 デビルを見据えたまま、真が言う。


「お前が手出ししたから、もう一人で戦ったことにならねーぞ」


 梅津がからかったが、真は黙殺してデビルに銃を撃つ。


 銃弾がデビルの頭部を貫くも、デビルは全くひるむことなく襲ってくる。


「僕は胸を狙って撃ったぞ」


 自分が幻覚催眠にかかっていることを意識して呟くと、真は静かに意識を集中させて、抵抗レジストによる幻覚破りを試みる。


 その間にデビルが迫り、真の側頭部に拳を振るう。食らえば一撃で死ぬが、幻覚にかかっている状態なので、デビルの動きを視覚的に読めない。


 だが第六感と触覚で、殺気の電磁波を感じ取り、真は身をかがめてデビルの攻撃を回避する。


 催眠が消えたことを確認し、真はデビルの顎を下から銃で殴りつけた。


 大きくのけぞるデビルに銃を向け、二発撃つ。今度は間違いなく二発とも当たった。

 胸と腹を撃ちぬかれるが、ひるみはすれど、倒れようとはしない。再生能力の有無は不明だが、強靭な耐久力がある事と、即座に機能するような強力な再生能力が無いことだけはわかる。


 デビルの動きが明らかに鈍くなったので、さらに撃とうとした真であるが、突然足場を失い、転倒した。


(これは……)


 立とうとしたが、滑って立てない事実に、真は駅で戦った摩擦操作の使い手を思い出す。


(最初から使わなかったということは、あいつほど長距離や広範囲には使えないと見ていいのか? あるいは別な条件があるのか)


 真の読みは前者も後者も当たっていた。アルラウネによって転写されたが、デビルは上手く扱いこなせない。距離も範囲もかなりの制限があるうえ、一日に一度しか使えない。ようするにデビルは身の危険を感じ、切り札としてこの能力を用いた。


 倒れた真にデビルが攻撃しようとした所で、梅津が銃を撃つ。

 デビルの腰を銃弾が貫く。


 さらに上美がいつの間にか接近しており、横からデビルの喉元を回天掌でえぐった。


 血を撒き散らし、デビルがうつ伏せに倒れる。肌の色だけではなく、ほとばしる血まで真っ黒だった。


「余計なことしなくても平気だったんだがな」


 摩擦消去が解除されたのを確認し、真が立ち上がりながら上美の方を向いて言う。


「先輩だって、私が危ない所で乱入したじゃない」

 悪戯っぽく笑い、そう返す上美。


「安楽二中で、未だに伝説の不良として語りつがれている相沢先輩を死なせたとあっては、安楽二中の裏番の名がすたるっての」

「裏番なんかやってたのか?」

「いや、勝手にそう呼ばれてるだけ……」


 意外そうに問う真に、決まり悪そうに答える上美。


「呼ばれるには呼ばれるだけの理由があるだろ」

「そこら中の不良をとっちめてやっただけよっ。それなのにいろいろ噂に尾ひれつきまくって」

「何だ、僕と同じパターンじゃないか」


 それを聞いて、上美に親近感を抱く真であった。


「おい、まだ生きてるぞっ」


 和みムードになっている真と上美に、バイパーが声をかける。


 うつ伏せに倒れていたデビルが、うつ伏せのままゴキブリよろしく高速で手足を動かして這いずり、真と上美から距離を取る。

 そして立ち上がると、ビルの入り口から外に逃げていった。


(再生能力も多少はあったのかな……。次会ったらちゃんと仕留めないとな)


 そう心に決めて真は、未だハチコーと戦っている累とみどりの方を見た。


「結界が張ってあったんじゃないですかね……」


 あっさりと外に出たデビルを見て、松本が不思議そうに言う。


「出ることはできても入ることはできない結界なんだろ」

「なるほど」


 梅津に言われ、松本はそれで納得した。

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