第三十九章 4
雪岡研究所のリビングルーム。純子は自室にこもっていないので、真はみどりとプロレスごっこをし、累は読書、せつなはネット閲覧をしていた。
「ヤバい、J警報発令っ」
みどりに言われ、みどりにチキンウィングアームロックをかけていた真が、みどりから素早く離れてソファーに座る。みどりは精神分裂体を廊下に忍ばせ、純子の接近が無いか見晴らせていた。
「やっと新刊出来たー。次の創作オンリーイベントには、間に合わないんじゃないかと思ったよ」
部屋の扉を開け、純子が嬉しそうに報告し、バーチャフォンからディスプレイを無数に投影させると、描きあげた創作同人誌を真達に見せる。
「ふえぇ~……純姉ってば漫画なんか描いてたのォ~? ここに来てわりと経つのに、初めて知ったよォ~。しかも萌え漫画じゃーん」
みどりが驚きの声をあげる。研究室ではなく自室にこもっているので、プラモでも作っているのかと思ったら、まさか漫画を描いているとは思わなかった。
「萌えを馬鹿にしないでよー。これでも、そこそこだけど売れてるんだよ」
自慢げに純子。
「五人くらい……固定ファンついてますね……」
毎回いろいろと手伝わされ、付き合わされている累が言った。その固定ファンも、実は純子の漫画目当てではなく、純子そのものや一緒に売り子をしている累の方が目的で来ている事を、累は気付いていたが、純子は全く気づいてなくて、自分の漫画が支持されていると信じて疑っていなかった。
「五人か……いや、それでも認めてもらえるだけ見込みあるのかな」
言いづらそうに真。
「どれどれー、せつなにも見せてみたまえ~。せつなはドージンにはうるさいんだヨっ!」
せつなに声をかけられ、純子がせつなの前にホログラフィー・ディスプレイを飛ばす。
「んー……何だかなあ……主人公がキャラ立ちしていないっていうか、うまいことキャラの魅力で出ていないっ」
「そ、そうかなあ……」
せつなの容赦ない批評に、純子は引きつった笑みを浮かべていた。
「場の中心人物なのはわかるけどさ、ただひたすら主人公の周囲から凄い凄いと連呼されるだけだったり、理屈も無く主人公が成功してしまったり、底が浅いっていうかー……大昔はともかく今の時代はウケない路線だヨっ、読者の目から見て魅力が伝わらないヨ。主人公の何がどう凄いのかも描写されてないし、結果だけ見て凄いと言われても読者はシラけちゃう~」
せつながさらに容赦なく批評を続け、純子は心臓をめった刺しにされているような気分になる。
「作者がキャラに変に思い入れしすぎているのは伝わるけれど、読者視点だと何だこりゃって感じだな」
真もせつなに同意する。
「あははは……二人共容赦無いなあ……自信無くしちゃうよお」
笑っている純子だったが、実際は相当なダメージを受けていた。創作を行う者は、己の創作に関する事となると、ガラスのハートと化す者が多い。
「絵はまあまあじゃないカナ?」
何とかフォローするせつな。
「いいえ、もう少しデッサンの勉強をした方がいいですよ。体の輪郭とか所々狂ってます」
累も口を出す。前々から言いたいことは山ほどあったが、助言や注意は少しずつにしておこうと考える累であった。
「へーい、イベントで売りたいのなら
「うーん、マッドサイエンティスト廃業したら、漫画家になろうと思ってるからさあ。修行も兼ねて創作で勝負したいんだよねぇ」
純子のこの言葉に、一同驚く。
「初めて聞いた……。辞めるつもりあったのか。しかも漫画家って……」
「真君が辞めさせてくれるんでしょー? その後の身の振り方もちゃんと考えないねー」
頭の中で目を丸くした自分を思い浮かべる真に、純子が冗談めかして言った。
「純子おねーちゃん、お金いっぱいあるんだし、ニートもいいと思うヨ」
「いやいや、それは暇になりすぎて困ると思うし」
せつなに勧められるが、純子は微苦笑を浮かべた。
「それより真面目な話だけどさ」
真が切り出す。
「アルラウネの宿主が襲われまくっているけど、どう対処する気だ?」
「ああ、それなら法継君から電話がかかってきてねー。私の方でちゃんと守るようにって」
「ノリツグ?」
「河西法継君。安楽警察署の」
「ああ、あのすり抜け男か……」
元少年課の警察官で、純子のマウスでもある。真は散々この男に追いまわされているし、補導された事もある。純子のマウスの中でも、そして安楽警察署の中でも、上位に入る実力者である。
「彼もアルラウネ持ちだからねー。法継君の方でできるだけ守ってあげているみたいだけど、一人でカバーは大変みたいだしさー」
「のんびりしてないでお前も守れよ。いや、僕が行く。守りたくないような奴は除外するけど」
「わかったー。リスト送るね」
純子がディスプレイを投影して、アルラウネ持ちのマウスのリストを、真のバーチャフォンへと送った。
***
バイパーとアンジェリーナが神谷家を訪れた翌日の朝。
「バイパーさんに味噌汁って合わないよね」
「見た目で食事との組み合わせとか決められてもな」
味噌汁のお椀を手にしたバイパーに、惣介が冗談めかして言い、バイパーも微笑んでいた。
「こうして貴方と惣介と朝から団欒するなんてね。ずっとここにいてほしいけど……」
つい本音をぽろりと口にする藍。
(そうすると、また喧嘩しまくりそうでな……)
藍を見てバイパーは思う。子供の頃の藍の我の強さと天邪鬼っぷりには、バイパーも手を焼かされた。甘えていた部分もあるのだろうが。
「ジャップ」
隣に座ったアンジェリーナが、バイパーの肩をぽんと叩く。
(どういう意味で肩を叩いたんだ……? どうにでも解釈できちまうな)
苦笑いをこぼすバイパー。
「このイルカの口で器用に味噌汁飲むものね……」
「慣れてるって感じだよね……」
味噌汁をすするアンジェリーナを見て、藍と惣介が感心する。
「ねーねー、アンジェリーナって普段どこで暮らしてるの?」
食事が終わった所で、惣介が質問する。
「ジャップ」
「そりゃ日本だろうよ……。って、ジャップは日本人への蔑称であって、日本国ではないのかな?」
端的に答えるアンジェリーナに、バイパーが言った。
「ジャップジャップっ」
慌てたように、電話をかけるジェスチャーを行うアンジェリーナ。どうやら帰る場所も待つ人もいるようで、連絡をしたがっていると察する。
藍から電話を受け取ったアンジェリーナだが、あんぐりと口を開けたかと思うと、おろおろと首を左右に振り出す。
「ひょっとして、電話番号わからないとか?」
「ジャップ……」
藍の言葉に、アンジェリーナはうなだれて肯定する。
「字は書けないのかよ。どこに連絡したいか書けよ」
「ジャップ!」
バイパーがホログラフィー・ディスプレイを出したので、アンジェリーナは直接英語で入力する。
『uenoharadoujou』
「上野原道場……か。藍、電話帳を……」
「はい」
バイパーが藍に電話帳を促すが、すでに藍は持ってきていた。
『はい、もしもしー』
「ジャアアァァップ!」
バイパーが電話をかけると、受話器越しに上美の声がしたので、アンジェリーナが大声で叫び、アピールする。
『アンジェリーナさんっ? 無断外泊とかしてどうしたのよー。皆心配してたんだよー。聞いて聞いて、あの糞親父でさえ心配してて傑作でさ~……って、それはいいとして、一体どうしたのよ~』
「ジャップジャップジジャップジャプジャ~ップ」
『いや、わかんないよー。ていうか、アンジェリーナさん電話持ってなかったよね?』
「えっと……ちょっとお前黙ってろ。もしもし……説明すれば長くなるんだが……」
アンジェリーナを押しのけ、バイパーが喋りだす。
『えっ? どなたですか?』
「あ~……怪しいもんじゃねえ。このイルカ……アンジェリーナは保護しなくちゃならない状況にあってな。今、外に迂闊に出せないんだ。聞いても信じてくれるかどうか……。ああ、このイルカ女がどうしてこんな姿になったか、知ってるか?」
『はい。知ってます……。繰り返し伺いますが、どちらさまですか?』
バイパーが困ったように話すので、上美もさほど警戒はしていなかった。
「俺は……裏通りの住人だ。タブーのバイパーって検索してみてくれ。結構有名だから、表通りの検索でも引っかかるかもしれない。わりと極悪人だけど、別にこのイルカに危害を加えるつもりはねー。むしろその逆でな……えっと、じゃあ雪岡純子ってのは知ってるよな?」
それからバイパーは、アルラウネというものについて語り、アンジェリーナの体にそのアルラウネが移植されたのか、あるいは移植した者から遺伝した可能性があるということを話し、最後にそのアルラウネの宿主が全て危険であることを伝えた。
『そうですか。わかりました。一応私も会いに行って確認したいんですけどー』
「できればやめた方がいいな。危険だし。狙ってきた奴と鉢合わせって可能性もあるぞ」
『だからといって放っておけません。アンジェリーナさんは大事な家族なんです』
「ジャップ……」
上美の言葉を聞き、両手を合わせて乙女のポーズになって感激するアンジェリーナ。
(家族か……ていうか、こいつと一緒にいた葉山はどうなったんだか)
アンジェリーナを一瞥し、バイパーは思う。
「わかった。でもくれぐれも気をつけてくれ」
どう気をつけろっていうんだと、心の中でセルフ突っ込みするバイパー。その後、現在の住所を上美に伝える。
『アンジェリーナさん、大人しく待っててね』
「ジャップぅっ」
明るい声で告げる上美に、アンジェリーナも元気に返事を返した。
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