第三十八章 1

A月26日 13:12


 羽賀堂久美はがどうくみは飢餓感のようなものを抱えて生きている。


 親の言いなりになって進学校へ通い、学年で常にトップの成績を収め、親を喜ばせるためだけに頑張って生きているような、無味乾燥でどうしょうもない毎日。

 人前では明るく振舞っていて、クラスでは目立つ存在だ。容姿も優れているので、余計に注目される。


 だが久美はずっと、何もかも退屈でうんざりしているし、何も楽しいと思えなかった。級友達の前で明るい態度で接することも、くだらない雑談に付き合うことも、全く悦びを見出せない。

 クラス内には誰も友達を作らず孤立しているような生徒もいたが、そういう子が羨ましいとすら感じてしまう。ある意味、正直な自分を出している。周囲に交じれないし、交じることができない己に対して、正直かつ忠実に生きているように、久美の目には映る。本来は久美もあれと同じなのに、孤立するのが嫌で無理して友人を作り、誰とでも明るく会話する。


 無理して明るく振舞っているが、実は根暗――というわけでもない。本来の久美も明るく前向きな性格だ。しかし相性の問題は関係無い。自分の今いる世界は自分と合わないし、友人達とも何もかも噛み合わない。普通の人生というものに嫌気が差している。


 人生そのものが息苦しい。世界は何でこんなに退屈なのか。

 久美にとって、もっと力を出せる場所が欲しい。もっと打ち込める何かが欲しい。もっと面白い人と接したい。しかし何もかも見つからない。どうにもならない。


***


A月31日 13:55


 その日、犬飼は『プルトニウム・ダンディー』を直接訪れて、依頼をした。


「純子のマウス達が運営していた、小さな組織のボスが殺された。俺の知り合いだ」


 来夢と克彦を前にして、犬飼は依頼内容を語る。互いに面識はあった。克彦が来夢と再開した際に、犬飼と関わった事がある。


「純子には話したの?」

 克彦が問う。


「純子と真にも話したさ。今は実験台いじるのに夢中だから、それが終わってからと言われた。真は別件で忙しいとか言ってきたし。ていうか、真はどことなく俺のこと避けているみたいだからなあ。俺のこと胡散臭いおっさんと思って警戒してるんだぜ」

「俺もそう思ってるよ」


 にっこりと笑って言う来夢に、犬飼も一瞬だけ微笑をこぼす。


「純子に気になる事を聞いてね。特定のマウスが他にも、四人も襲われたらしい」

「特定のマウス?」


 怪訝な表情になる克彦。自分達の身も危ないのだろうかと考える。


「アルラウネっていうもんを移植したマウスだけが殺されて、そうでないマウスは見逃されたらしい。俺の知り合いも同じケースだそうだ」

「同じ奴に殺されたの?」

「それが違うらしいんだわ。いや、同じ奴もいたけど、違う奴もいたと答えればいいか。目的の一致した少人数による仕業か、あるいは大掛かりな組織が動いているのか、現時点では全くわかんねー」


 克彦の問いに、犬飼はかぶりを振って言った。


「俺達の中にはアルラウネってのを移植されたマウス、いるのかな?」

「純子に確認してみた方がいいな」


 来夢と克彦が顔を見合わせる。犬飼の話は置いといて、まず純子にメールを送る。


『いないよー』


 メールを送ると即返信があった。


「俺達の中にいないのはよかったけど、知り合いのマウスにはいるかもしれない。だから俺達としても放っておけない。放っておいたらいけない」


 来夢がきっぱりと言った。例え犬飼の依頼という形でなくても、これは看過できないと。


「で、犬飼さんはどうしたいの? 復讐したいの?」


 来夢に訊ねられ、犬飼は視線を落として曖昧な微笑を浮かべる。


「ああ、それ聞かれるの二度目だけど……。俺はそんな仇討ちとかするガラじゃあないんだけどさ……。それでも気になるっていうかね。放っておきたくないというかね。一応ほら、知り合いだったわけだし。まあ……復讐なのかなあ。そんな気負いは無いけどさあ」


 好奇心からくる面白半分という気持ちもあったが、もう半分は真面目でもあった。知りあいがいなくなるのは寂しい。殺されたとあれば余計に悲しいし、殺した者を放っておきたくはないという気持ちが、自然に沸き起こっている。


「犬飼さん、照れてる? 照れて自分を偽ってる?」

「それもあるけど、それだけじゃあない。自分で自分に戸惑ってる」


 突っ込んでくる来夢に、犬飼は心情を吐露した。


「いい奴だったのに、それが目の前で殺されちまったし、俺にはどうすることもできなかった。そうだな……それがきっと悔しいんだろうさ。俺にこんな感情があった事自体驚きだし、ああいうのは初体験だったからな」


 言いつつ犬飼は、出されたティーカップを口に運ぶ。茶は冷めかけている。


「ただ殺すだけじゃなく、目的を知っておきたい。そいつ一人じゃなく、お仲間のことも知りたいしな」


 依頼しておきながら、できれば最後のトドメは、来夢達に任せたくないと考えている犬飼である。うまくチャンスが巡ってくれば自分の手で片付けようと。


***


A月26日 13:14


 安楽市北部――つまり東京の北部で、埼玉県との県境辺りの地区の繁華街。


 その奇怪な集団に、行き交う人々の視線が嫌でも向く。

 特に目立っているのは、中心にいる、凄まじくボロボロの僧衣をまとった、初老の僧侶だった。錫杖を持ち、かんらかんらと陽気に笑っている。

 周囲にいるのは老若男女四人。僧侶より歳のいった老婆もいれば、十代後半と思われる少年もいる。


「衆人諸君! 元気にやっとるかねーっ!? 生を楽しんでいるかねーっ!?」


 僧が突然叫び声をあげたので、さらなる注目の視線が降り注ぐ。


「命の悦びを実感できず、暗く落ち込んでうつむいて生きている者はおらんかねーっ!? そういった者はのう、魔に捉われておる。もしよければ、この電々院漸浄斎が喝を入れて、魔を退散してしんぜようぞーっ!」


 叫ぶ僧侶――漸浄斎に、眉をひそめる者はいなかった。僧服というイメージもさることながら、見る者に心地好い印象を与える満面の笑顔の効果が大きかった。

 周囲にいる信者と思しき者達は、無言で佇んでいる。


「さあさあ、遠慮せず! こちとら発足したての怪しい新興宗教ではあるが、お布施は気持ち程度にしかもらう気は無いからのおっ!」


 ふと、一人のセーラー服姿の少女が、漸浄斎の前へと進み出た。

 漸浄斎の取り巻きである、歳の近い少年は息を飲んだ。彼女がかなりの美少女だったからだ。目尻がややキツめに上がり、気の強そうな印象もあったが、それでも美少女である事に変わりは無い。


「むむっ? お主は……バイタリティーに溢れているようであるし、拙僧の喝は必要無いようであるが……」


 笑顔のまま、漸浄斎は少女を見て訝る。


「むしろそれが悩みなのよ」


 自虐めいた笑みをこぼし、少女――羽賀堂久美は言った。


「今の自分の生き方にうんざりしてる。自分を抑えきれないっていうか、別の世界を見てみたい、今無い何かが欲しいって、もやもやした気持ちがずーっとあった。暗く落ち込んではいないけど、命の悦びなんてまるで実感できない。充実感を得られない」


 久美の瞳はギラギラと輝いていた。まるで飢えた獣のように。


「なるほどなるほどっ。然様なケースもあるかっ。カッカッカッ、で、拙僧に何を望む。人生相談にものってやるし、愚痴も聞いてやるぞ。子供から大金を巻き上げるような真似もせんから、望みを言うてみるがよい」

「新しい生き方が欲しい」


 通行人達が立ち止まって、会話も聞かれている中で、久美ははっきりと己の望みを口にした。


 それを聞いた漸浄斎は、所々欠けた黄色い歯を見せて、にかっと笑ってみせた。

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