第三十七章 19

 銀二がコンビニへ買出しに行く途中、突然目の前に香苗が現れ、ぎょっとする。

 驚く一方で、うまいこと早くにチャンスが巡ってきたと思い、銀二は拳を握り締めた。

 先に銀二の方がホログラフィー・ディスプレイを出して、文字を打ち込む。


『歩きながらでお願いします。外に行く人間の動きまで、全てGPSでチェックされているので。一箇所に長いこと停まった場合、それだけで不審がられる』

『わかった。徹底してるのねー。剣持の性格もその辺からわかるわ。警官時代は、どういう人かまるでわからなかったけど』


 銀二の話を見て、香苗は眉根を寄せる。


『まずこっちのやることを伝える。剣持だけを殺し、構成員は一切殺さないという条件で、暗殺者を雇った。私もそいつらに同行する』


 香苗の要求を見て、銀二は息を飲んだ。いよいよ剣持のくびきから解かれる時が来たのかと、期待と興奮で動悸が早まった。


『お前の協力もいる。こちらは四人いるから、その潜入の手伝いをしな』


 しかし続く香苗の要求を見て、銀二は顔を引きつらせた。


『四人も潜入させるのは、難しいですよ』

『夜中にこっそりとか無理?』

『深夜は無理です。入り口の虹彩認証が反応しなくなりますから、出入り自体できなくなります。監視カメラもついています。夜の九時には反応が消えます』

『監視カメラだけでもどうにかできない? 入り口だけでなく、建物の中のも全てね』


 横を歩く香苗が明らかに苛々しだしているのを見て、銀二はこれ以上無理無理言っていたら、せっかく香苗が動き出したことも台無しにしてしまいそうな、そんな危惧を抱いた。


『やってみます。ただ……入り口の虹彩認証が反応する時間ギリギリでないと難しいです。その時間に、監視室の奴を上手く誤魔化してみます。監視係は……肉塊の尊厳が今の商売になってから入った構成員だから、説得は無理でしょうし』


 時間指定という条件を出されても、香苗は特に文句は無かった。銀二もしんどいのは理解しているし、これ以上の要求は難しいだろうと見てとる。


『時間は?』

『二十三時四十五分でお願いします。零時にはパスワードが反応しなくなりますし、零時の少し前には入り口に見回りが来ます』


 つまり猶予はほとんどなく、時間ほぼぴったりに合わせて行動しないといけないということになる。おまけに電話もチェックされているから、銀二と連絡を取り合う事もできない。無線での連絡もおそらく無理だろう。相手は元警察の剣持だ。それくらいのチェックもしているに違いない。

 もちろんトラブルの発生も考えられる。かなり強引な綱渡りになろう。そして失敗すれば、銀二の身が危ない。


『キツいならそちらは無理しなくていい。一番危ないのはお前だからな』

『はい、竹田さんも御気をつけて』


 香苗は親指を立ててみせてから、銀二の目を撮影してから別れて、待機場所へと戻った。


***


「そういう綱渡りはすっごく俺の好まざる所なんだよね」


 香苗から作戦の流れを聞き、李磊はげんなりした面持ちで言った。


「もうちょっとマシな方法にはできなかったのかな」

「ああ? これでも精一杯なんだよ。何も事情知らんくせに注文すんな」


 文句を垂れる李磊にイラつき、香苗は思いっきり眉をひそめて、低くドスの利いた険悪な声を発する。


「おねーさんは自分の命が安いのかね? 俺達、命がけで行動して、人一人の命を取りに行くんだけど、そこんとこわかっているのかい?」


 李磊も珍しく険のある顔つきになって食い下がる。


「もちろん承知してるわ。でもお前らも私も、切った張ったの世界で生きている者だろ? 時としてこういう綱渡りだってあるもんだ。それともお前は今まで、ヌルい喧嘩しかしてこなかったわけ?」

「いーや。絶対死ぬんじゃねーかと思える修羅場を何度も何度も潜り抜けてきて、今生きてるのが不思議だよ。だからこそ俺はゆとりある安全策でいきたいのよ」


 煽り口調で言う香苗に、李磊は大きく息を吐き、アンニュイな声で返す。


「ケースバイケースだろう。リスクを犯してでも攻めないといけない時はある。今がその時じゃないのか?」


 そう言ったのはアドニスだ。


「はいはい、俺の我侭ですね。俺は攻めより守りを重視する考えだからね。こういうのは本当嫌いなんだよ」


 露骨に不貞腐れたような声を出す李磊だが、本気で不貞腐れているわけでもない。


「組織のアジト内で誰かと遭遇しても、殺さない方針か。交戦するしかなくなった場合はどうするんだ?」

「できるだけ銃は使わないで近接格闘で戦って。銃を使うならサイレンサー付きので。んで、殺さず気絶させる」


 真の問いに、いちいちこんなことまで答えなくちゃならんのかと思いつつも、真だからいいやという気持ちで答える香苗。自分が可愛いと思った者には、優しい気分になれる。


「気絶した後に、気絶させた奴をそのままにしていても不味い。どこか隠せる場所があればいいけど、無い事も想定して準備した方がいい。人一人入れられるくらいの大きな袋を幾つか用意してさ」

「まさか……気絶させた奴は、袋に入れて持ち運ぶっての?」


 真の案に啞然としてしまう香苗。李磊も苦笑いを浮かべている。


「隠せる場所を見つけるまではそうかな。僕の案、そんなに変か? そのまま置いておくよりはマシだろ」

「ん……まあそうだけど」


 真に真っ直ぐ見つめられて言われ、香苗が口ごもる。


「じゃあどっかでデカい袋買ってくるか。他に注意することはあるか?」


 李磊が確認するが、誰も何も口にしなかったので、李磊はそのまま部屋を出て行った。


***


 そして潜入決行時刻の二十三時四十五分がやってきた。


 アジト前には誰もいない。しかし入り口が虹彩認証もできなくなり、完全に閉まってしまう直前に、見回りが来るという。今すぐに入らなければ、その見回りと鉢合わせする可能性もある。


 香苗が銀二と接触した際に、銀二の目を撮影しておいたので、入り口の虹彩認証はあっさり突破できた。虹彩認証は高感度の写真なり画像なりであっさりと騙せるという欠点を、いつまで経っても克服できない状態にあるが、わざわざ他人の目を接近して撮るという行為もしがたいため、生体認証としては比較的ぬるめに機能している方だ。


 建物の中にはあちこちにカメラがあるようだが、隠されていると思われ、ぱっと見には確認できない。それらのカメラは銀二が何とかしてくれているはずだ。


「ここまではスムーズだな」


 しんがりを歩いているアドニスが小声で言う。建物の中は静まり返っており、何者かに遭遇する気配も全く無い。


(多くの者は自宅に帰っているからなんだろーけど、必ず何人かはいる。そして……剣持の姿が全く確認されないという事は、剣持はずっと組織に寝泊りしているってことよ)


 そういう推測の元に、剣持を暗殺するために侵入した香苗達であるが、他の人間に変装して出入りをしているとか、他の秘密の入り口を使っているという可能性も実はある。そうではない可能性に賭けたい。


 扉を一つずつゆっくりと開けていくが、どの部屋にも誰もいない。どこも不気味なほど静まり返っている。


「剣持のいる部屋くらい聞いておけばよかったんじゃない?」

「あの接触の仕方でそこまで聞けなかったし、大体、自室にいるともかぎらないでしょーが」


 李磊の指摘に、香苗はむっとして言い返す。


 その数十秒後。

 廊下を歩いていると前方の扉が開き、一同緊張しつつ足を止める。

 扉から出てきたのは、香苗よりもひどい乱れっぷりの髪を腰まで伸ばした長身の男だった。腰には一振りの刀剣をさしている。


「ちょっ……いきなり……」


 思わず香苗は呻いた。一番遭遇を避けたかった相手――虹森夕月と、真っ先に出くわしてしまった。


「侵入者か。しかも知る顔もある。雪岡純子の殺人人形相沢真、そして最近売り出している始末屋アドニス・アダムスか」


 夕月が刀の鞘に手をかけながら言った。まだ柄には手をかけていない。


「お前が田沢を殺したそうだな」

 夕月が真に声をかける。


「知り合いか?」

「飲み友達といったところかな」


 真に問い返され、夕月は懐かしそうに微笑をこぼす。


「田沢は中々面白い奴だったが、剣の腕はいまいちだった。銃を持つ相手に、わざわざ屋内に引き入れてガスをまいて銃を封じるなんて真似も、俺から言わせれば減点だ」


 夕月の言い分に、真は苛立ちを覚える。田沢との戦いの時から真はかなり腕を上げたが、それでも田沢と戦った時は、好勝負と呼べるほど楽しめたし、田沢は強敵だったと思える。それらを侮辱されたような気分になった。


(しかし……こいつは相当な腕前だし、こいつならそれだけのことが言える)


 首筋と手が小刻みに震え、総毛だっているのを意識しながら、真は思う。夕月と対峙しただけで、体が激しい恐怖を覚えている。


「構成員は殺しちゃ駄目なんだろ? こいつを殺さずにどーにかできるかね?」


 李磊も真同様に、夕月に対して戦慄しながら、香苗に確認を取る。全員わかっていた。夕月が途轍もない強者であることを。


「俺は構成員ではない。事情は知らんが、その条件は気にせず殺しにこい」


 四人を前にして堂々と言い放つ夕月。気圧されそうになるのを、四人は必死に堪えている。


「これはあれだ。誰か一人が奴を足止めして、その間に、他がターゲットを殺しに行くのがいいだろうな」


 李磊が気乗りしない顔で言った。


「ま、言いだしっぺだから、俺がやるよ」

「馬鹿を言え。お前が依頼者であり指揮官だ。ここは雇われた側の役目だろう」


 前に出ようとした李磊を制して、アドニスが進み出る。


「それに……楽しめそうな相手でもある」


 夕月を見据えて闘志を滾らす一方で、アドニスも本能では理解し、震えている。目の前の挑発の男が、明らかに自分より強いことを。


「無理する必要は無いよ。あくまで足止めだからね。私達の侵入を知らせないように、時間稼ぎをしてくれるだけでいい」

「わかった」


 香苗に言われ、アドニスは頷いた。


 アドニスを除く三人が来た通路を引き返す。ここに来るまでの間に上に上がる階段もあった。一階は調べつくしていないが、夕月が立ち塞がっているので、一階以外にいることを賭けて、階段へと向かう。


 三人が離れるや否や、サイレンサー付きの銃を抜き様に撃つアドニス。夕月は軽く横に動いてかわす。


(足捌きに妙が有るな)


 夕月の移動の仕方を見て、アドニスは思った。まるで床の上を横に滑るかのように動いていた。


 夕月が剣の柄に手をかけ、腰を低く落とす。

 アドニスはそれを見ただけで、後方へと跳ぶ。

 アドニスの体は自然に動いていた。まだ夕月とは十分に距離が開いているが、それでも危険を察知した。


(あくまで足止めだ。時間稼ぎだ。気に入らなくはあるが……それに徹する)


 そう自分に言い聞かせるアドニス。その方が自分の生存率も上がるという事実も、弁えている。


(相手は刀。俺は銃。常識的に考えれば、こちらに分があるはずなのに……全く勝てるヴィジョンが見えない。俺が斬り殺されるヴィジョンは、どんどん浮かんでくるのにな)


 未だ剣を抜いていない夕月を見ながら、アドニスは死の恐怖に体が凍りつきそうになる事を、必死に堪えていた。

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