第三十七章 3

 今日はいい天気だと、ぼんやりと青空を眺めながら思う。

 太陽の恵みを浴びると、己の命を実感できる。この世で二番目くらいに。


「まだ生きている……か」


 自宅の窓際にて、リクライニングチェアを倒して寝転びながら陽光を浴び、男は呟く。


 腰まで伸びた乱れまくった長髪。背は高く、肩幅が広く胸板も厚い。鼻筋が長く鼻も高く、顎先が細く、シャープな印象を与える顔つきをしている。リラックスした状態でも、目つきは鋭く、口元も引き締まっている。


 その男――虹森夕月は今年で四十一歳になる。裏通りに堕ちてから二十年近い。裏通りで荒事を生業としながら、これだけの年数を生きるのは脅威とも言える。生き延びるだけの実力も見合わせていたし、おそらくは運にも恵まれていた。

 当然、彼の名も裏通りでは有名だ。トップクラスに入る始末屋の一人であり、裏通りの生ける伝説の一人ともされている。殺しも護衛も、とにかく荒事オンリーで引き受ける始末屋。仕事が入ってくる頻度は高い。しかし難易度の高そうな仕事のみに限定している。それでもなお彼は生きている。


(俺の命を奪うほどの強敵とは巡りあわないという意味で、運に恵まれていた。だが……それが駄目なんだ。運に恵まれている事が不運。いつになったら俺は死ねるんだ? もうこんな年齢になるまで生きてしまったぞ)


 どうしても焦燥感を覚えてしまう。もっと早くに死ねるかと思ったのに、もっと早くに死んでおきたかったのに、肉体の下り坂にさしかかるまで生き延びようとは、思っていなかった。


 ホログラフィー・ディスプレイを開き、仕事が入っていないかをチェックする。

 依頼のメッセージが一件届いている。依頼内容は護衛と殺しの両方。依頼主は、肉塊の尊厳という名の人身売買組織。

 名前だけは知っている。裏通りでもそこそこ名が知られているが、その実体は謎に包まれているという組織だ。人身売買などという禁忌を犯しているため、警察も長年追っているが、まるで尻尾が掴めずいるという。存在そのものすらも疑われている。そんな組織が堂々と名を出して、しかも護衛まで依頼するだろうかと、夕月は激しく疑念を覚えた。


 の組織にとってそれほど一大事なのか、あるいは騙りか悪戯か。しかし本物だとすれば、かなり危険な仕事になると予想できる。最悪の場合、警察の裏通り課が敵に回るかもしれない。それは最悪のケースであるが、夕月にとってみれば素晴らしい展開だ。


 依頼を受けるたびに願う。今度こそ自分を討ちとるほどの強敵と巡りあえる事を。死力を尽くして戦った末に、満足して死ぬ事ができるようにと。


***


 日本の警察の取調室に初めて入る事に、李磊はわくわくしていたが、いざ実際に入ってみて、テレビドラマで映されるそれで刷り込まれた先入観のイメージと、異なっている事に気がつく。


「あれ? 取調室ってこんな風なんだ。電気スタンドとかねーの? あれで犯人に顔に当てて恫喝したりとか、日本の刑事ドラマでよくやってるけど」

「テーブルの上に物を置いておくのはまず無い。あれはドラマの中だけの話だ。投げられたりしたら面倒だからな。でもまあ、カツ丼は出すぜ。他の警察署では禁止されてるけど、うちに限っては手作りのカツ丼が出るぞ」


 李磊を前にして、頭髪の薄くなった刑事――梅津光器が答えた。先程の竹田香苗もいる。

 梅津の頭髪は薄いが、李磊は彼が自分と近い歳にいると見た。同じ三十代後半であろうと。


「おお、そりゃ食ってみたいね」

「じゃあ頼んでみるか。もしもし大日向さん。カツ丼こっちに一人分頼むわ」


 愛想よく笑って李磊が言うと、梅津も微笑み、内線で本当に注文した。


「煙草とかもくれるの?」

 調子にのって質問する李磊。


「あれもドラマだけの話だけど、うちではやるぞ。裏通りの連中はわりとそういう、情に訴える手が効く奴、多いからな」


 しみじみとした口調で答える梅津を見て、李磊は何となく察した。この男は裏通りの住人に相当理解を示しているし、きっと裏通りの者達からも親しまれているだろうと。会話をしていて、何となく自分も親近感のようなものを覚えてしまう。


「何でドラマでカツ丼やら煙草出すシーンはよくあるのに、現実では禁止されてるんだ?」

「さあ? 俺もよく知らんけど、安楽警察書では、テレビを真似てカツ丼出すのが恒常化しちまってるわ」

「カツ丼や煙草が駄目なのは、犯人(ホシ)を歌わせるために、袖の下を使ったという扱いになるからよ。警察全般で原則として禁止されてるわ」


 香苗が口を挟んだ。


「取調室にカツ丼のイメージがついたのは、昔、貧乏な犯人を哀れに思って、刑事が自腹で奢ったエピソードのせいとか言われてるけどね」

 と、梅津。


「で、ここでは何でオッケーなん?」

「オッケーな方が面白いってのと、さっきも言ったように、ちゃんと効果があるからだ」

「いや……でも、禁止されてるのに、ここでそれをやって大丈夫なわけ?」

「それが安楽警察署って奴だ。ちなみにここで特別許可が出されてるのはカツ丼だけじゃない。歌わせるために、ありとあらゆる手段が用いられるし、弁護士なんかも通されないからな。この取調室は完全治外法権だと思った方がいいぜ。ここからホトケになって出て行く奴も珍しくない。ここではそれがまかり通る」


 梅津が冗談を言っているようには、李磊には思えなかった。


「さてと、カツ丼食った後でも食う前でもいいから、あの場で何をしていたか、話してもらおうか」

「わかった」


 李磊の目からは、梅津はまだ話せばわかるタイプに見えたが、同室にいる香苗が恐ろしいので、素直に全て話すことにする。もしかしたら、協力もしてもらえるかもしれないという期待も込めて。


「なるほど……そういう事情があったのに、こっちはほぼ皆殺しにしちまったわけだ」


 話を聞き終え、渋い表情になる梅津。


「秘密工作員であるこっちは、証拠もちゃんと抑えようとしているのに、警察は証拠とか気にせず皆殺しにしようってんだから、面白いよね」


 李磊が冗談めかして言うと、香苗が睨んでくる。李磊が首をすくめる。


「カツ丼お待たせ~」


 少年課の婦人警察官、大日向七瀬がカツ丼と茶を乗せたお盆を手に、取調室へと入ってくる。


「確かにうめえええっ。ドラマで取調室で食うカツ丼とか、あまり美味そうになかったのに、これは凄いよっ」

「ありがとうございます。ゆっくり召しあがってくださいね」


 感激する李磊に屈託の無い笑顔で一礼し、七瀬は部屋を出た


「世の中には、先入観だけで物を見て、思考停止してたかをくくってばかりの、アホの自覚の無いアホンダラが沢山いる。それは仕方ない。でも、そんなアホンダラが俺の前に来て、口を開くのは許せねーな」


 梅津がここで初めて不機嫌そうな声を発した。何のことかと思った李磊であったが、カツ丼に対しての失言だと気付く。


「ごめん、そういうつもりで言ったんじゃないよ……」

「じゃあどういうつもりよ。しかも七瀬さんの前でさ」


 今度は香苗が突っ込む。


「いや、あれでも褒めたつもりだし、けなしてはいないって。けなしたのはテレビドラマだからさっ」

「知ってる? 警察官の何割かは、刑事ドラマで警察に憧れて警察官になるってことを……」


 必死の言い訳をする李磊だが、香苗は険悪な形相でさらに追及する。もう何を言っても駄目なんじゃないかと思い始めて、李磊は泣きたくなる。


「あまりイジめてやるな。すまんな。こいつはただのドSなんだ。被疑者を拷問して嬲り殺したくて、ウズウズしているだけなんだ。だから気にしないでくれ」


 梅津が助け舟を出してくれたので、李磊は胸を撫で下ろした。何か凄いことを言っていたような気もしたが、無理矢理安心させることにした。


「でさー、こっちも警察に協力するから、そちらもこっちに協力してほしいんだけど、駄目かねー。犯罪を取り締まりたいという目的は同じなんだからさ」


 肝心の共闘の持ちかけに、梅津は腕組みして難しい顔になる。それを見て、李磊は脈が無いかと思ってしまう。


「断る理由は無いが、連絡はこまめに取るようにしてくれ。それと、こっちを出し抜こうとか考えるなよ。そうすると最悪の場合、あんたもこちらの標的になる」

「わかってるよ」


 難しい顔をしたわりにはあっさりと承諾してくれたので、今度は本気で胸を撫で下ろす李磊。


「安心切開も、その取引相手だった肉塊の尊厳も、これまで警察を嘲笑うかのように、その姿を見せなかった組織だ。たまに捕まる奴等も、組織の一員とは呼べない、パシリのチンピラばかりだったしな。今、安心切開の方が浮上してきた。こいつは絶対に逃すことはできない。また潜る前に、仕留めたい」

(とても警察の台詞とは思えないよね。逮捕したいじゃなく、仕留めたい、か)


 梅津の台詞を聞いて鼻白む李磊だった。


***


 臓器密売組織『安心切開』は、長年に渡って警察に目をつけられながらも、その足取りを一切つかませなかった組織である。

 それを可能に至らしめたのは、取引相手である人身売買組織『肉塊の尊厳』の隠滅工作があったからこそだ。


 しかし安心切開のボスであるマクシミリアン保田は、肉塊の尊厳に対して、強い不満を抱いていた。

 安心切開は臓器の元となる者達を自力で調達する事もある。借金のカタとして、他の組織から売られるのだ。しかしそれだけでは商売が成り立たないので、臓器となる元は、実に八割近くを肉塊の尊厳から仕入れている。


 肉塊の尊厳はというと、中国の名も無いチャイニーズマフィアから人身売買を行って、安心切開へと売っている。マフィアは直接人さらいをして、人身売買を行っている。


 つまり肉塊の尊厳は、人身売買のブローカーをしているに過ぎない。しかも相当に値を吊り上げて、安心切開に販売している。

 その事実を知っていたからこそ、安心切開はずっと不満を抱いていた。


 そしてとうとう我慢の限界に達したマクシミリアン保田は、長年の取引相手である肉塊の尊厳を無視し、チャイニーズマフィアから直接ブツを仕入れようと画策したのだ。そうすれば、肉塊の尊厳を通さず直接仕入れた方が安く済み、チャイニーズマフィアも、肉塊の尊厳よりは安心切開の方が高く買ってくれるという。二つの組織にしてみればウィンウィンの関係になる。


 もちろんブローカーとしての役割を務めていた肉塊の尊厳からしてみれば、ふざけた話ということになる。

 臓器密売は前世紀からブローカーが必須であり、ブローカーがいたからこそ、警察に尻尾を掴ませる事無く、安定した商売が出来た。目先の利益に目がくらみ、ブローカーを無視することには多大なリスクが付き纏う。


 安心切開とチャイニーズマフィアが、初接触かつ初取引をした当日、あっさりと警察に突き止められて仲間が何人もパクられ殺され、工場は一つ潰され、散々な結果に陥った。


「私達の商売の隠滅工作に関しては、全て肉塊の尊厳に任せっきりでした。それを無視すればこうなるのは自明の理でしょう」


 組織のナンバー2である人物が、厳しい口調で吐き捨てた。ボスである保田の行いと、それによって招かれた失態に、激しく不満を抱いているようであった。他の幹部達の中にも、同様の考えの者はいる。安心切開は一枚岩の組織ではなかった。


「それは俺が悪かった。しかしもう起こってしまったことはどうしょうもない。これからどうするかだ」


 保田は非を認め、幹部達に意見を伺う。


「肉塊の尊厳に詫びを入れるしかないでしょう?」

「いや、それをチャイニーズマフィアが許すわけがない。向こうも肉塊の尊厳を無視しての安い取引にノリ気だった」

「それは説得するしか無いだろ」

「説得して通じなかったら?」

「それ以前に肉塊の尊厳が怒って相手にしてくれないか、最悪の場合攻撃される」

(本当に……何でこんなことをしてしまったんだ……)


 幹部が言い合いをする中、保田は口の中で、後悔の台詞を口にしていた。目先の欲につられて、取り返しのないことをしてしまい、破滅に落ちていくような、そんな予感すらしていた。


 彼のその予感は的中していた。

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