第三十七章 2

 李磊リーレイが所属する、日本に潜伏する中国秘密工作員部隊『煉瓦』が受けた任務は――本国のとあるマフィアが、日本の人身売買組織『肉塊の尊厳』と取引をしており、中国でさらった者達を日本へ販売しているという証拠を掴む事であった。

 その際に、証拠となる画像もちゃんといくつか揃えておくというのが、今回の肝だ。何故かと言えば、対象のマフィアは、とある政府高官とも蜜月の仲であり、その人物を吊るし上げる事も目的だからである。


 肉塊の尊厳で買われた者達は、今度は臓器密売組織『安心切開』へと販売される。それが何を意味するかは知れている。


 マフィアと肉塊の尊厳との取引現場も、肉塊の尊厳と安心切開の取引現場も、売られた者達の運搬の様子と証拠も、さらには売られた者達の臓器摘出の様子までも撮影しろという、中々ハードな任務だ。特にひどいのは、売られた者達が殺されて臓器を摘出される様も、助けずにただ撮影しろという部分であった。

 しかし巨悪の根を絶つためには、どうしても必要なことだ。相手もそれなりに大物であるが故に、確固たる証拠を揃えて臨まねばならない。


 撮影の後、それらの組織の構成員も何名か捕まえて、中国本土へと送る事も、仕事のうちに入っていた。彼等を証人とするためだ。


 このハードな任務にあたって、煉瓦の兵は最後の締めまで使わぬ方がよいと、李磊は判断した。外部の者を雇い、できるだけ少数精鋭で臨み、最後の最後に投入しようと。

 そう判断した事には、理由がある。現在、肉塊の尊厳も安心切開もマフィアも、警察にマークされてしまっている。しかも裏通りの住人達も恐れる、安楽警察署裏通り課にだ。

 ここに煉瓦を投入してしまっては、非常にややこしいことになる。最悪のケースとして、煉瓦の工作員達も捕まってしまう可能性も考えられる。

 故に煉瓦に動いてもらうのは最後の最後――できれば二つの組織の構成員を何名か捕えて、輸送する際のみに絞り、それまでは自分と、信用できそうな外部の者だけで動く方針に決めた。


 しかし最初から大失敗してしまった。撮影できたのは、外側から見たコンテナを運ぶ様子だけ。コンテナとその中味も撮影する予定だったのに、これではどうにもならない。


「ふりだしに戻るどころじゃないよね。マイナス100くらいになったわ。ひょっとしなくても全ておじゃんかも……」


 無精髭をいじりながら、李磊が苦虫を噛み潰したような顔で言った。


『それで、これからどうするんだ?』

 電話の向こうで真が問う。


「仕方ないからこっちで地道に調査するよ。時間がかかるかもしれないから……真とアドニスをそれまで待たせておくわけにもいかないかな」

『いや、別に構わないよ。手を貸すから、遠慮なく声をかけてくれ』

「ありがたいねえ。じゃあそういうことで」


 真との電話を切り、次はアドニスに電話をかける。

 電話をかける一方で李磊は、目の前にラーメン屋の屋台が現れたのを見て、目を細めた。この屋台を待っていた。


「まだ準備中だよ」


 屋台の椅子に腰を下ろすと、店主が苦笑いして言う。年齢は四十後半といったところか。優しそうな顔立ちをしている。


「評判を聞いてね。俺の同胞が、近くて遠い地で頑張っていると聞いて」


 李磊が意味深な笑みを浮かべて中国語で語りかけると、屋台の店主は顔が強張った。


「あんたが赴任していたのはチベットか? ウイグルか? それとも南モンゴルか?」


 血相を変えて包丁を抜いて構える店主に、李磊は笑顔のまま手を軽く上げて制する。


「落ち着けよ。敵じゃない。俺は情報を聞きに来ただけだ。報酬も払うし、それ以外の便宜もできるからね」


 日本に滞在する、中国人民解放軍の脱走兵に向かって、李磊は告げた。


「あんたみたいなのは珍しくないんだわ。反乱の鎮圧のための虐殺行為に耐えかねて、軍を脱走する奴はさ。そんなのは前世紀から、いっぱいいたそうだよ。そして今も昔も、うってつけの逃亡先の一つとして、日本が挙がる。今なら国交も断絶しているから、なお都合がいいよね。脱中してきた奴等の受け入れ手配をする、業者の組織までもがいるしね」

「工作員の言うことなど信用できるかっ」

「言っておくがあんた達は、俺達の活動にとって都合がいいから、見逃してやっているだけなんだよ? その多くは所在が把握されている。その気になればいつでも粛清できる。ただ、俺達はそんな仕事を請け負っていないし、請け負ったとしても、握りつぶす事もできる。ま、脱走兵の粛清なんて指令が来たことは一度も無いけどね。他にやらなくちゃならないことはいっぱいある。例えば、マフィアの相手とかさ」


 チャイニーズマフィアの多くが、日本を隠れ蓑として使っている。日本に潜伏している工作員は、これらのマフィアの弱体化も仕事のうちの一つだ。特に幹部級を仕留めることと、金や物資の流れを止めることは、極めて重要なミッションである。


「あんたもマフィアのブローカーの手引きがあったからこそ、過去を消して、こうして今暮らしていられる。繋がりはあるし、情報もそれなりに入ってくるだろう? マフィアからのお仕事の依頼があるはずだ。例えば――」


 ここで店主と繋がりの有るマフィアの名を挙げる李磊。


「彼等を売ることなどできないっ」

 蒼白な顔で首を振って拒む店主。


「俺が欲しいのは、あんたと繋がっている奴等の情報じゃないよ。最近安楽市にまで足を伸ばしているマフィアの情報だよ。当然、知ってるよね? 何せあんたは薬仏市を本拠とする組織の命令で、そいつらを探っているんだから」


 李磊が優しく語り掛けるが、店主は震えてなおも答えようとしない。しかしあと一押しだと李磊は見た。


「奴等、日本の裏通りの組織相手に、人身売買してるんだぞ。本国の者を……その中には、年端もいかない子供も多い。放っておいていいのか? 俺はそいつらを放っておきたくはないよ」

「わかった」


 意を決し、店主は毅然たる面持ちになって、李磊に情報を提供した。


 李磊がラーメンを食べ終え、屋台を立ち上がった所で、李磊の前に一組の男女が立ち塞がった。共にスーツ姿だ。そして共に腕利きだと李磊は見た。

 安楽警察署裏通り課の、竹田香苗と松本完であった。


「俺も手伝った方がいいですかね?」

 松本が香苗に声をかける。


「いらない。私一人で十分よ。それにお前に手伝われたら、もうそれで完全に負けって気がするからね」

「どういう意味ですか……」


 癖っ毛だらけの頭をかきあげながら香苗は、冷たい声で言う。しょげる松本。


「煉瓦副隊長の李磊さんよね? こちらは安楽警察署裏通り課の者よ。大人しく任意同行してくれますか?」


 警察手帳を見せながら、ほぼ棒読みで声をかける香苗。


「そんな殺気満々で、任意同行とか言われてもなあ……」


 無精髭をいじりながら、李磊がにやにやと笑う。


「はい、拒否と。そして公務執行妨害と。ついでに強制わいせつ罪もプラスしとこー」

「おいおい、どうしてそうなるの……」

「気分」


 絶句する李磊。香苗は端的に答えた直後、一気に李磊との間合いを詰めた。


(速い……。そして鋭い。かなり戦い慣れてるな)


 香苗の動きを見て、李磊も即座に戦闘モードに入る。


 香苗が左手刀を繰り出す。狙いは急所ではなく、李磊の右腕だ。一応は殺さずに捕獲するつもりなのだろうと、李磊は察したが、だからといって黙ってその攻撃を受けていいはずもない。


 半身になってかわしたつもりであったが、李磊の右腕からは血が噴き出していた。


(手に刃物を仕込んでいるのか? それとも気の刃か?)


 ざっくりと腕が切られているのを感じ取りつつ、李磊が香苗の手刀を見て、前者であることを知った。手が変形している。親指以外の指の長さが二倍以上に伸び、四本の刃と化している。

さらには、指の付け根近くまで金属に変わっている。


 今度は右脚を振るって、蹴りを繰り出す香苗。狙いは李磊の左脚太股だ。


 李磊は大きく後方に跳んでかわした。また刃が仕込んであって、リーチの長めの攻撃が飛んでくる事を警戒したからだ。


 果たしてその読みは当たっていた。香苗の右脚の膝、脛の両脇、足首、踵と、様々な場所から十得ナイフのように、あらゆる角度に向かって無数の刃が飛び出ていたのである。刃の形状も様々で、曲線を描いているものもあれば、直刀もあり、ノコギリのようにギザギサがついたものもある。当然、服も靴も突き破っている。


「惜しい」


 歪んだ笑みを浮かべ、刃だらけの右脚を上げたポーズのまま呟く香苗。


 あの体勢だと、また蹴りが来るのかと予測した李磊であるが、違った。香苗の右脚の刃が全て脚の中へと引っ込み、脚を地に下ろすと同時に、香苗はパーの形に開いた左手を李磊に向けて突き出した。

 左手の掌の中心の表皮が開き、円状の穴となる。穴の中にはガラスが張られているかのように見える。


 李磊が横に跳んだ直後、放たれたレーザービームがガードレールを焼き切り、アスファルトに切れ目を入れる。


 人体に組み込める小型高出力レーザー兵器という、現代の世界中の軍隊のどこでも実現していないであろう代物を御目にかかり、李磊は驚愕を禁じえなかった。まるで漫画の世界の住人が目の前に現れたかのようだ。

 レーザービームを兵器化するにはいろいろと問題点がある。例えば大気による威力の減衰という問題をクリアするには、エネルギー源たる高出力の電力が必要となるが、それらは一体どうクリアしているというのか。激しく謎だ。


 竹田香苗は、安楽警察署にいる四人のサイボークコップのうちの一人であり、その戦闘力は、化け物じみた精鋭揃いの安楽警察署の中でも、さらに上位に位置する。戦闘力ランキング五位の実力者であった。


 香苗がサディスティックな笑みを張り付かせたまま、再び李磊との距離を詰める。


(この女も厄介だけど、敵は二人いる。あっちの男が、この女の方より強いとは思えないが、裏通り課の刑事なら、それなりの力があるのは間違いない)


 交戦はもちろんのこと、逃げ切るのも難しいと判断した李磊は、両手を軽く上げた。


「降参」


 李磊の一言に、香苗の動きが止まり、仏頂面になる。


「お前もそれなりに出来るんでしょ? ちったあ抵抗すりゃいいのに……。久しぶりに歯応えありそうなのと楽しめるかと思ったら……。ったく……」


 戦いを放棄した李磊に向かって、不満を口にする香苗だが、無抵抗なうえに降参した相手を甚振るのもどうかと思い、攻撃の手を止めた。


「松本、治療してやって」

「は、はい……」


 香苗に命じられ、松本が李磊に駆けより、傷ついた手を取る。


「ひどいな……。俺、何もしてないのにこれだぜ」


 松本の治療を受けながら、思わず愚痴る李磊だった。


「俺もそう思います……。本当すみません。竹田さんは暴漢揃いな安楽警察署裏通り課刑事の中でも、さらに凶暴で獰猛な人なんで、来たのが竹田さんだったことを運が悪いと思って、せめて殺されなかったことを幸運だと思ってください」


 李磊の耳に口を寄せ、ひそひそと喋る松本。


「運が悪いのか良いのかどっちなのかと」


 呆れと諦めが入り混じった表情で、李磊は溜息をついた。

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