第三十六章 27
それは、牛村麻耶と牛村伽耶が十歳の頃の話。
六歳の頃にコンプレックスデビルの門を叩いて、魔術師歴はもう四年になる。才能の高さと、己が生きるための必死な修練により、彼女はこの歳ですでに、コンプレックスデビル内でも指折りの魔術師となっていた。
「伽耶、麻耶、新しい弟子をとったわ。貴女より年上だけど弟弟子になるからよろしくね」
師であるシャーリーの館を訪れた際、シャーリーにそう言われて紹介されたのは、牛村姉妹より六つ年上の少年だった。
墨田俊三、十六歳。
彼の反応は変わっていた。自分を見て、興味津々というか、嬉しそうな顔をしていたのだ。初対面でこんな目で見られたことは初めてだ。
「可愛い子だな。しかも頭二つとか面白い」
「失礼な……」
ストレートに思ったことを口にする俊三に、シャーリーが姉妹を気遣って注意するが、伽耶と麻耶は、全くそれを失礼とは感じていなかった。むしろ新鮮かつ快い驚きを覚えていた。
「何が面白いの?」「可愛いのはただの事実」
不思議そうに訊ねる伽耶の横で、麻耶はにやにや笑っている。
「顔が二つあるとか個性的で凄く面白いよ。素晴らしいよ。パターン外。しかも同時に喋ってるし、これまた良い。普通は嫌いだけど、普通から離れた存在は好き。それだけ。気を悪くしたならごめん。でもこれが僕の正直な気持ちなんだ」
初対面で、柔らかな笑顔と共に包み隠さず本音を語る少年は、牛村姉妹にとってさらなる大きなインパクトを与えた。
彼は色物を見るような目で見ているわけでもない。純粋に目を輝かせて、敬意と憧れと称賛の眼差しを向けている。失礼ではあったが、からかうわけでもなく、子供のように素直に面白がっている。
初対面でこんな眼差しを向けられたことなど、一度もない。こんな反応をされたこともない。大抵は気持ち悪がるか、珍獣を発見した時のような奇異の視線を向けられるかだ。道ですれ違う人達も、皆そのような目で見る。
『普通じゃないのは貴方』
「すごい。完全にハモってる。すごい。あ、僕は墨田俊三」
「牛村伽耶」「牛村麻耶」
「僕から見て左が伽耶で右が麻耶か。よろしくね」
「たまにツッコミの伽耶」「たまにボケの麻耶」
「それは打ち合わせしてるの?」
『してない』
出会った時も、その後もずっと、伽耶と麻耶はぶっきらぼうな対応をしていたが、内心では俊三に強く惹かれていたし、その日から俊三のことばかり考えていたし、二人して俊三に会うのが楽しみで仕方なかった。
俊三は普通というものを忌避する。俊三自身もいろいろと普通ではない。良くも悪くも変な奴だと、伽耶と麻耶は感じた。だが嫌ではない。
牛村姉妹ほどではないが、俊三も魔術師としての高い適正を持っていた。才能があり、習得も早かった。シャーリーに拾われてきた形であったが、魔術にすっかりのめりこんでいた。
そして伽耶と麻耶は知っていた。師であるシャーリー同様に、こっそりと人を殺し続けている事を。魔術の研究と称して、儀式の生贄と謳って人を殺す、おぞましい悪人である事を、見て見ぬ振りをして、意識しないように努めながら接していた。
知らない所で悪人でも、自分の前では良き師、一緒にいて楽しい年上の弟弟子であればそれでいいと、見ないようにしてきた。
「麻耶と伽耶も、私達と同じように、人を殺してみたらどうかな?」
ところが、麻耶と伽耶が十四歳になった頃、いつの間にか一人称が『私』に変化していた、二十歳になった俊三が、そんなことを提案してきた。
「私にはわかる。君は殺意を抱いた事があるし、世界を憎んだ事もある。でも必死でいい子ちゃんでいようと、目を背けている」
俊三の指摘は当たっていた。
俊三やシャーリーと、自分達は同じ人種だ。それはわかっていた。根っこは同じだ。しかし伽耶と麻耶は、恐れていた。そこまで踏み切りたくなかった。
伽耶と麻耶はわりと意識や欲求が統一しているが、それでも意見が分かれる事はある。受けとり方が違う事もある。俊三のこの悪魔の誘惑に対しても、違っていた。
「頭おかしいの?」「その通りね」
眉根を寄せて自分を偽ってなじる伽耶と、うつむき加減になってあっさりと認めてしまった麻耶。
「ちょっと麻耶……」
咎めるような声を漏らす伽耶。
「誰を殺したいの?」
屈託の無い笑顔で訊ねる俊三。
「本当は、私達を……この世の異物みたいに見て、気持ち悪がる人全部殺したい。でも……それはまだ仕方ないと思う。実際異物だから仕方ない。私にだって、そういう感情はあるんだから。だけど……」
震える声で麻耶は語り続ける一方で、伽耶は黙っていた。麻耶の口にする台詞と、伽耶も全く同じことを感じていた。これに異論は無い。
「そのうえでさらに……私達を陰で馬鹿にしたり、晒し者にしたりしている人達がいること、私達は知っている。凄く悔しい。飲み込もうとしてるけど、諦めようとしているけど、見て見ぬ振りしようとしているけど、私達、馬鹿だからできないっ。すごく傷ついてるっ」
いつしか麻耶は涙声になっていた。目は潤んで、今にも涙がこぼれそうになっていた。
「見世物小屋に入れられていなくても、私達は見世物小屋にいるのと同じ。この世界そのものが、私を晒す見世物小屋」
麻耶にあてられて、先に伽耶の方が涙をこぼしながら、掠れ声でそう呟いた。その呟きに反応し、少し遅れてから麻耶も涙をこぼす。
「殺そうよ」
天使のような笑顔で、再度行われる悪魔の誘惑。出会ったばかりの頃の少年が、自分に向けた笑顔とは微妙に違う。自分を好ましく思う笑みでありながら、慈しみも込められているのがはっきりとわかる笑み。
「殺してしまえば、きっと楽になる。この世には確実に、殺した方がいい奴がいる。殺してもいい奴がいる。でもそんな奴でさえも、法とか人権とか、そんな目に見えないまやかしに守られている。そんな馬鹿げたまやかしに、世の中のくだらない奴等は踊らされている。形無き形に捉われている。魂が束縛されている。そんなまやかしに縛られて、殺さないでいるのは馬鹿馬鹿しくないかい? 今のこの世の中こそが狂っていると私は思うよ」
麻耶と伽耶の理性と倫理観と常識は、俊三のこの誘惑に抗うことが出来なかった。そもそも姉妹は、法を蹂躙して人を殺せる力が十分に備わっている。
「私は殺意を解き放ったら楽になったよ。全て解き放ったわけではないが、それでも大分楽になった。本当は……目につく人間片っ端から殺してやりたいけどね」
「何でまた?」「世界が憎いの?」
「憎いのもあるけど、それ以上にくだらなく感じる。汚いものを見る感覚に近いかな? 世の中のどいつもこいつも、くだらなくちっぽけで面白くない、生きるに値しない、しょーもない存在に見える。だから私は人が死んだという話を聞く度、それが誰であろうと心が安らぐ。ニュースで聞こうと、直接聞こうと、よかったと思える。ああ、ゴミが一つ減ったってね。例えゴミだらけでも、それでもゴミが減るのはいいことだってね」
俊三はこの世界に生きながら、世界の大半が敵なのだと、伽耶と麻耶は理解した。自分達は社会を敵とまで思った事は無いが、心の奥底で常に隔たりは感じている。だから俊三の気持ちも、少しは理解できてしまう。
『私達は違うの?』
わかりきったことを口にして訊ね、俊三の口で直接確認してみる。
「君は面白い。くだらなくはない。君こそ私から見て、数少ない人間の一人だ」
伽耶と麻耶を交互に見やり、俊三は満面の笑顔で断言した。
かくして牛村姉妹は、自分に悪意を向けて晒し者にしようとする者に、自動的に呪いがかかるようにした。それによって、二人の心も安定した。
後ろめたさは感じない。罪悪感も覚えない。俊三の言うとおり、相手は死んでも心の痛まない悪だった。俊三はそれを教えてくれた。そして自分達の心を楽にしてくれた。心の傷を消してくれた。例えどんなに俊三が狂っていようと悪だろうと、この事実は絶対に捻じ曲げられない。
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