第三十六章 6

 頭部を除いた全身を、黄金に輝く甲冑で身を包んだ美少女が、丘の上で瞑目している。

 丘の下のはるか向こう側には、何千もの兵士が、幾つかの陣に別れて並んでいる。さらにその先には、自軍とは異なるデザインの甲冑を身にまとった兵士達が、こちらに向かって陣を気付いていた。

 少女の周囲には、槍を手にした西洋風の鎧姿の兵士達が綺麗に整列していた。


 風が吹くと、少女のウェーブのかかった長い髪がたなびく。それを合図にしたかのように、馬に乗った兵士が駆けてきて、少女の前で降りた。


「ユウ陛下! ユキオカ帝国の左軍が一斉に侵攻してきました!」

「こちらの左軍で迎撃してくださあい」


 間延びした声で指令をだす少女。

 さらに伝令の馬が来る。この演出は臨場感こそあるが、いちいち間を挟むのでいらないなと少女――暁優は思う。


「ユウ陛下! ユキオカ帝国軍の伏兵が、コノチカク村を襲っています!」

「あちゃー」


 報告を受け、優が苦笑する。その村は大事な中継所であり、物資も大量に置いてあった。しかし守備を厚くすると敵に悟られてしまうと思い、手薄にしてあったのだが、敵の情報力は大したもので、それも見破ってしまったようだ。


「長期戦はできそうにないですねえ。いちかばちか、竜騎士部隊と白馬騎士兵団で空から攻めましょう」

「はっ」


 優が口にして、さらに思考することで方針を決定すると、部下の兵士が応答した。

 竜と白馬の軍団が自軍後方から飛び立ち、敵軍の方へと高速で向かっていく


「うわ、ユキオカ帝国本軍周辺は、弓兵部隊と対竜砲が配置されてるじゃないですかあ。こっちの動きも予め読まれてます」


 敵情報を読んで、優は眉根を寄せた。


「ふっふっふっ。中継所の補給線を叩くのは定石だし、優ちゃんの戦力では、あとはそうくるしかなかったからねえ」


 この場にいない者の声が響く。


「こちらの戦力の方が低くていっぱいいっぱいですから、手は限られてきますよう」


 これが盤上のゲームの嫌なところでもあると優は思う。現実では盤を引っくり返すこともできるし、ルール外の方法も使えるが、ゲームはあくまでゲームのルールに沿うしかない。


「うーん……サジョウ王国とアンジョウ帝国の援軍は……期待できませんかあ。来夢君と克彦君もインしていませんしぃ」

「しゃーない。このまま嬲ってもあれだし、一騎打ちしてあげるよー」

「むむむ、そんな手加減されて勝ったとしても、嬉しくないですよう」

「いや、一騎打ちでも私が勝つけどー。じゃあ兵を止めといてねー。一騎打ちモードの要請送るよー」

「はーい、承認しましたあ」


 優が告げた直後、優の目の前の空間に、真っ白な甲冑姿の少女が現れた。こちらは兜も被っているが、兜の隙間から赤い瞳が確認できる。


『ユキオカ帝国、死皇帝ジュンコvsアカツキ魔王領、幻幽魔王ユウ 一騎打ち!!』


 空中に巨大な文字が浮かび上がり、優は白い甲冑の少女――雪岡純子と対峙する。

 優は両手棍を、純子はバスタードソードを構えて、じりじりと接近していき、やがて打ち合いが始まる。回避は考えず、ひたすら殴りあうだけだ。避けたとしても、武器が振られた時点で打撃判定が出るので、意味が無い。


『勝者、死皇帝ジュンコ! 敗者、幻幽魔王ユウ!! ユキオカ帝国の勝利!!』


 やがてあっさりと勝敗が決し、優は肩を落とす。


「それじゃあ私はそろそろ落ちますねえ。はあ……もっとレベル上げないと」

「おつかれさままま」


 ヴァーチャルトリップゲームの仮想世界からログアウトし、現実へと戻る優。

 ドリームバンドを外し、時計を見る。


(そう言えば、鋭一さんと竜二郎さんが仕事中でしたっけえ。何事も無く無事に終わればいいんですけどお……。私も行けばよかったかなあ……)


 何となく胸騒ぎを覚える優だった。


***


 竜二郎だけは、その双頭の美少女のことを知っていた。


(あれは……牛村姉妹ですねー。実物は画像で見るよりもずっと綺麗ですねー。優さんが可愛いタイプなら、こっちは綺麗という言葉が相応しいですねー)


 一人にやにやしている竜二郎であるが、幸か不幸か、誰もそのことに気がついていない。


「ま、まさか……伽耶、麻耶、私を助けにきたのか?」


 這いつくばっている俊三が顔をあげ、力なく笑う。


「その通り」「一応」


 俊三を見下ろし、素っ気無い返答を同時に帰す伽耶と麻耶。


「本当に死んだかと思ったが……いや、こんな仕事を引き受けて、狙われるようになったからには、もう私は長くないし、助ける意味は無いと思うぞ」


 俊三は今回の依頼での国仕えの術師の殺人は、せいぜい二、三人でいいと依頼者から言われていた。あまり殺しすぎると標的にされるということで。ところが俊三は限度なく殺し続け、高嶺流の妖術師を三組――合計で十一人も殺してしまった。今回も合わせれば十二人だ。


 刺激が欲しかった俊三にしてみれば、己の保身などあまり深く考えていなかった。しかしその一方で、自分がやりすぎている自覚もあったし、それによってもたらされる結果も十分に承知していた。しかし楽しいから辞められない。それだけの話である。

 自分を制御する。程々の所で辞める。我慢する。そういった事が、俊三にはできない。ひたすら欲望の赴くままに行動する。また、欲望を抑えるのは美しくないとさえ考えている。


「でも助ける。見放したくない」「それでも見殺しにしたら寝覚めが悪い」

「私達は俊三と同じ。やりたいことをやる」「出来の悪い弟弟子のために一肌脱ぐ」

『そういうわけで』


 伽耶、麻耶が同時に別々の事を喋ったかと思ったら、急に声をハモらせる。


「俊三は助ける」「この人達を退ける」


 鋭一、竜二郎、善治、高嶺の術師の方を見て宣言する牛村姉妹。


「同時に喋ってるから、たまに何言ってるかわからないんですけどー」


 竜二郎が申し訳無さそうに言う。


『わかる方を聞けばいい』

「聞くことができた方が、貴方の真実」「頭に入った方が、貴方が受け取った言葉」


 姉妹でハモらせて言った後、伽耶、麻耶がそれぞれ言った。


「四人相手に随分と強気だな」


 鋭一が言いつつも、自分は手出しをしないつもりでいる。今、俊三にロックオンしている。この少女と戦うとなると、それを外さないといけない。

 善治や竜二郎が戦っているうちに、ターゲットを殺害しようと鋭一は思ったが――


「騒がしい静寂に真なる沈黙を」「禁断の果実よ、地に落ちて地を突き抜けよ」


 伽耶と麻耶が同時に、それぞれ別の呪文を唱え、同時に左右の手を上げる。


(え……? ロックオンが外された……)


 鋭一が驚いて牛村姉妹を見た。俊三を捕らえていた照準の感覚が消失している。


(俺があいつをロックオンしていた事も見抜かれていた。そのうえで解除しただと……)


 鋭一が驚いている一方で、高嶺の妖術師の身にも変化が起こっていた。


「ぐお……ぐっ……」


 見えない何かに押し潰されているかのように、うつ伏せになってもがいている。念動力か、あるいは重力か。


「悪魔様に、お・ね・が・い」


 本能的に大きな危険を感じ取り、竜二郎は本日の悪魔様にお願いのストックの中で、最も強力なお願いを使用する事にした。

 薄紫の結晶が牛村姉妹の足元から吹き出るように出現し、怒涛の勢いで増殖し、姉妹の体を結晶の中へと閉じ込めんとする。


 この結晶を破壊しようとしても、その増殖速度と増殖量が故に、壊しても壊してもきりがない。いずれは結晶の中に閉じ込められて、身動きが取れなくなる。


「流れる空よ、可笑しくひしゃげよ」「赤子の柔肌、やすりでこすれ」


 しかし、伽耶の呪文で結晶は残らず粉砕され、増殖そのものも遮られた。同時に麻耶の魔術が竜二郎へとかかる。


「痛っ! 痛たたたっ!」


 全身をかきむしられるような苦痛を覚え、竜二郎は悲鳴をあげながら七転八倒しだした。


 善治が呪文を唱える。敵は一人のようで二人。攻撃と防御の術を短い間にほぼ同時に唱える。その呼吸はぴったりと合っている。かなり危険な相手だと見なす。


 善治の呪文が完成するまでの間、自分の方に注意を惹きつけるため、鋭一が牛村姉妹をロックオンする。


(かかった!)


 確かにロックオンした感覚。解除される前に、素早く腕を振るい、透明つぶてを降らす。


『あ痛っ!?』


 牛村姉妹はこれを防げなかった。つぶてを背中と後頭部に浴び、前のめりに崩れ落ちる。


「けたたましい沈黙に、静寂のメロディーを」「乙女の柔肌、消しゴムでこすれ」


 先程と似ているようで微妙に違う呪文を口にするが、術そのものの効果は変わらない。


 牛村姉妹に再びロックオンをかけようとした鋭一であったが、今度はかからなかった。いや、かかった瞬間にすぐ解除された。そして――


「あだだだだっ!?」


 鋭一も竜二郎同様に、全身を引っ掻き回されるような痛みを感じ、悲鳴をあげてその場に転げまわる。


 実は伽耶と麻耶が口にしているのは、正式に決められた呪文ではない。その場その場で思いついたフレーズが、そのまま呪文と化し、術として発動している。

 言霊が力となって、姉妹のイマジネーションが現実になる。訓練してイメージし慣れている現象は難なく引き起こせるが、即興で引き起こす現象となると、姉妹のイマジネーションがその場のノリで及ぶ範囲だ。出来ることと出来ないことはある。上手くイメージできるかどうかにかっかてくる。


 善治が雷軸の術を完成させる。紫電の束が、善治を中心として渦状に拡がっていく。転げまわっている竜二郎は器用に避けた。


「捻じれて萎んで縮んで収束する浮世の虚しさ」「喚く大地。今日から君は踊り子」


 伽耶と麻耶は顔色を変えることなく、呪文(フレーズ)と共にイメージを思い浮かべ、頭の中のイメージを現実へと解き放つ。


 姉妹へと向かっていく幾条もの紫電が途中で止まり、テープの巻き戻しのように回転して縮んでいく。まるで蚊取り線香が短くなっていく様を早回しで視ているかのように、善治の目には映った。


 いや、善治はその様をのんびりと見ていたわけではなかった。善治の足元が激しく揺れ、善治は立っていられなくなった。それどころか地面に何度も突き上げられて、数10センチほど宙に飛ばされては落ち、飛ばれされては落ちを繰り返されている。善治の足元だけが大地震の状態だ。


 あっという間に、俊三と敵対していた四人は倒れて動けなくなっていた。竜二郎と鋭一は痛みのあまり気を失い、善治と高嶺の術師は身を起こすことができない。


「はい、終わり」「勝利。つまり終了」


 俊三の方を向いて、伽耶と麻耶の顔が同時に、全く同じ造りでにやりと笑い、ダブルピースをしてみせる。


「相変わらず次元が違うな。じゃあとどめを……」

「やめろ」「駄目」


 起き上がり、四人に殺意を向ける俊三を、伽耶と麻耶が制した。


「もう戦えないから放っておこう」「私は不必要に殺したくない。さっさと逃げて」

「はいはい。殺しておいた方がいいんだけどなあ」


 苦笑いを浮かべて言うと、俊三はよろよろとした足取りで、その場を立ち去ろうとする。


「このままでは済まさないぞ……」


 捨て台詞とわかっていても、高嶺の妖術師は這いつくばったまま、俊三と牛村姉妹を睨みつけて言った。


「何故殺さない?」


 仰向けに倒れた善治が問う。体中を打ちつけられた痛みと衝撃で、立ち上がれない。


「情けをかけたわけではない」「私が争いを好まぬ優しい女だからではない」

「余計な恨みを買いたくないだけ」「多分麻耶と同意見」

「麻耶、それはどうかと思う」


 伽耶が突っ込んだが、麻耶は無言で微笑むだけであった。


「見逃すのは今回だけ」「次は容赦しない」


 倒れた四人に向かって言い放つと、姉妹とは堂々と背を向けて立ち去る。


「そう言われても、こっちも退けないんですけどねー。お仕事ですしー」


 意識を取り戻した竜二郎が、無理して微笑みながら呟く。すでに牛村姉妹の背中は遠くにあった。

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