第三十六章 1

 世間を騒がせた殺人倶楽部なる存在。その正体は、一人のジャーナリストが有名になるためにでっちあげた、架空の存在という事で落ち着いた。


 しかし裏通りの住人達の多くは知っている。表通りに対してはそういう事にしておいたが、殺人倶楽部は確かに実在した組織であると。

 しかし裏通りの住人達でも、特に事情通の一部の者達しか知らないことがある。殺人倶楽部が、霊的国防機関として生まれ変わった事だ。

 しかしその事情通の一部の者達の中でも、さらに限られた者達しか知らない事があった。それは、殺人倶楽部を潰そうとしたあげく、殺人倶楽部をでっちあげて有名になりたかったという汚名を着せられたジャーナリストが、今は殺人倶楽部を率いている事だ。


 夕陽ケ丘善治は、殺人倶楽部を潰そうとしていた壺丘三平が、殺人倶楽部のまとめ役になっていた事を知り、驚いた。


「まとめ役というより御目付け役かな。いや……俺がプロデューサーで、彼女がディレクターといった所だ。役割的にはな。あるいは俺が雇われオーナーで、あの娘が店長か」


 殺人倶楽部の本拠地建物のエントランスにて、目つきの鋭い中年の小男――壺丘三平は、善治を見上げて微苦笑を浮かべて言った。


「ていうかね、俺の方こそ驚いてるよ。まさか同じ学校に、殺人倶楽部の者と、星炭流の妖術師がいたとはね」

「そんな理由で組み合わせてほしくない。彼等とはあまり仲がいいわけではないんだ」


 これから行う共闘の相手の指名理由を聞き、憮然とした顔になる善治。


 同じ学校――私立アース学園に通うという理由だけで、鈴木竜二郎と芹沢鋭一の二人が選ばれ、善治と組んで任務にあたることになった。

 鋭一の方はまだしも、竜二郎ははっきりと嫌いな相手だ。学園理事長である彼の父親は尊敬しているが、息子の竜二郎ときたら、不真面目で捉え所がなくて、輝明とはまた違う形で自分をおちょくってくる。そしてあんな不誠実な輩に、生徒会長の選挙で負けたという事も、未だに尾を引いている。


「そうか。それは悪かったな。じゃあ仲良くなるよう務めるんだ。人生経験を積む一環だと思ってな」


 壺丘がにやりと笑って告げる。自分の言葉を聞いて、壺丘が人選を改めてくれることを期待したが、そんなにいい人ではなかった事に落胆する。


「おやおや、風紀委員長さんじゃないですかー。これはまた楽しいことになりそうですねー」


 そこに丁度、竜二郎がやってきて、いつものにこやかな笑顔で声をかけてきた。


「こっちはうんざりしてるが?」

「まあまあそう言わずに、楽しみましょうよー。僕は夕陽ケ丘君がこっちでどんな風に活躍するのか、わりと本気で楽しみにしているんですよー。夕陽ケ丘君には楽しみだという感情は、少しも無いんですかー?」

「いや……そう言われてみると……」


 竜二郎の台詞を聞いて、興味も沸いた善治である。以前の善治ならそれでもなお、頭ごなしに否定したことであろうが、いろいろあったおかげで、最近は考え方が柔軟になってきた。


 殺人倶楽部の本拠地に来る前に善治は、白狐弦螺と星炭輝明らと交えて会話をしていた。

 善治は輝明に、もっと自分に経験を積ませろと要求し、輝明もそれに応じ、星炭の上層部に話を通しておいたらしい。星済流の任務の選任は、引退した上層部の者達が行っている。


 輝明の計らいはそれだけではない。国が本腰を入れて霊的国防に乗り出す事になり、善治は星炭がその支援を積極的に行うべきだと主張した。そのため善治には、霊的国防機関と星炭の取次ぎ役兼支援役という、重要な役職を与えられたのである。

 この計らいに善治は驚き、素直に感謝しつつ、輝明を見直しかけたが、その数十秒後には激しく罵り合って喧嘩になっていた。喧嘩の理由は……すでにもう忘れている。いつもいつも喧嘩をしているため、喧嘩の理由など半々くらいの確率で忘れてしまう。


 これで善治は、己の理想の道を歩むことができるようになった。弦螺も善治のことを認め、学業に支障が出ない領域で、協力を仰ぐと告げた。

 その最初の仕事相手が、殺人倶楽部であった。そもそも術師の一族流派以外に、国家機関としての霊的国防機関が、現時点でこの殺人倶楽部しかないのだから、こうなるのも自然な流れだ。ようするに善治は当面、殺人倶楽部と付き合う事になる。


「君は星炭流の代表としてうちらを支援してくれる役割なんだろう? それなら好き嫌い言ってる場合じゃないだろう?」

「すみませんでした。よろしくお願いします」


 壺丘の注意を受けて、自分の発言が迂闊だったと恥じた善治は、素直に非を認め、頭を下げる。


「夕陽ケ丘も変わったな」

 鋭一がやってきて、意外そうに声をかける。


「今や夕陽ケ丘君の方が鋭一君より大人かもしれませんよー」

「そういう嫌味を言うお前こそ子供だろう」


 からかう竜二郎に、鋭一はむすっとした顔で言い返す。


「この三人で任務ですか?」

 善治が壺丘に尋ねる。


「とりあえずは、な。バックアップは必要に応じて行われる。また、人手がもっと必要な案件だと感じたら、無理せず早めに正直に言ってくれ。ちゃんと追加の人員を送る。まだこの組織は大して任務をこなしていないし、構成員の出動にも十分すぎるくらい余裕がある」


 壺丘が言った。国は、殺人倶楽部の登用をまだ控え気味というか、様子見している感があると、善治にも壺丘達にも見えた。


「ここでは何ですし、落ち着ける場所でゆっくりと打ち合わせをしましょう」


 竜二郎に促され、三人は場所を変えた。


***


 人はいろいろなものに捉われて生きている。魂を束縛されている。

 それは予定調和だの同調圧力であったり、前例であったり、法や規則であったり、権威や肩書きであったり、因習や慣習であったり、周囲の空気であったり、社会常識であったりと、とにかく形無き形に捉われて、人の魂に自由が無い。


 完全な自由など掴めないと、諦観するのは楽でいい。しかし、墨田俊三はそこで諦められなかった。


 自分だけはせめて完全な自由を得たい。心を縛られることなく在りたい。そのために俊三は生きている。

 俊三の目からは、世の中の人間は全て、汚物が動いているようにしか見えない。穢れもいい所だ。彼等は皆、魂を束縛されている。しかも自ら束縛を望んでいる。信じられない愚かしさだと、俊三に目には映る。糞の中に沈んだ魂は、糞と変わらない。

 自分がその束縛から逃れた事は、このうえなく幸運であったと、俊三は心底思う。


 俊三が所属する魔術教団『コンプレックスデビル』。そこに所属する多くの魔術師の目指す所は、意識の解放だ。想いを具現化することだ。俊三もそれは気に入っている。


 俊三は定期的に実験を試みる。大勢の人間を捕まえてきて、殺し合わせる実験だ。捕獲するのは表通りの人間に限定する。社会常識でガチガチの頭の固い人間が、特に理想的だ。

 洞窟の広間。集められた十人の男女。床にはナイフや棍棒や鎌や日本刀が落ちている。


「殺し合え。生き残った奴を解放する」


 俊三がそう宣告して、とりあえず手近にいる人間を一人、銃で殺す。


 最初のこの殺人が無いと、中々動こうとはしない。それがパターンだ。目の前で人が殺される場面を――物言わぬ屍が作られた場面を見て、初めて火がつく。それもパターンだ。

 それでも動かない時はどうするか? 今回も一人殺しただけでは動かなかった。火がつかなかった。これまたパターンの一つだ。皆恐怖に震えて動こうとしない。


 俊三が無言で、一人の男に銃を向ける。


 銃を向けられた男は得物を手に取り、側にいた男に斬りかかった。

 そして本格的な殺し合いが始まる。一度火がつけば火は燃え広がる。最後まで誰も殺そうとせず、一方的に殺されるか逃げ惑うだけの者もいる。これもまたパターンだ。


「やめろ。時間だ」


 俊三の声に、殺し合いをしていた者達が動きを止める。残っているのは四人だ。そのうちの一人は、最後まで逃げていた。逃げていたのは女性だった。


「殺し合いをしろと言われたから、それが許される空気になったから、仕方なく従って人を殺した。自分が助かるためだから仕方ないと心に言い訳して。そうだよな?」


 にやにや笑いながら確認する俊三。


「知らなかったのか? 日本では殺人はいけないことなんだぞ? 私が殺し合えと言って、やらなくちゃ自分が殺されると思ったから、殺してもいいということなのか? 空気に踊らされているね。心が縛られている証拠だ。形無き形に捉われて、人は愚かになる。魂が束縛され、魂が糞の中に沈み、魂が糞と同じになる。魂が糞となった愚者は死んだ方がいいよ」


 語った後、残った四人のうち、三人を射殺していく俊三。


 九人の霊魂は全て捕獲してある。恐怖と絶望のうちに死んだ者の霊魂を用いて、呪術に利用するために。


 最後まで人殺しに参加せず逃げ回っていた女性は、俊三に怒りの視線をぶつけていたが、俊三はにっこりと微笑んだ。


「貴女は生かす。貴女こそが自分の意思を貫いた。ちゃんと人間だった。形無き束縛をはねのけた者だ。解放された者だ」


 俊三がそう言い残して女性に背を向けると、広間の隅で控えていた、覆面をかぶって頭部を隠したローブ姿の男達が、女性に迫り、注射器を刺す。

 女性はたちまち意識を失う。あとは車で適当な所へ運び、解放するだけだ。


「相変わらずね。それ、楽しいの? 私にはわからない感覚だけど」


 洞窟内に痩せた白人女性が現れて、俊三の前に立ち塞がり、声をかけた。


 年齢は三十代か四十代かよくわからない。ひょっとしたらもっと若いのかもしれない。ローブをまとっているが、服の上からでも痩せこけているのがわかる。目の下には大きなクマが出来ており、顔の造詣をとっても、お世辞にも美人とは呼びがたい。


「お久しぶり、先生。導師メンターになられたそうで、おめでとうございます」


 白人女性に向かって恭しく頭を下げる俊三。相手は自分をこの教団に招き、魔術師としての指導をしてくれた人物だった。


「今更? もう二週間近く前の話だっていうのに」


 メールの一つも寄越さず、出会ってようやく祝辞を述べた不義理な弟子に、白人女性は呆れて苦笑をこぼす。

 彼女の名はシャーリー・マクニール。東アジア最大の魔術教団『コンプレックスデビル』の導師の一人である。


 この洞窟はコンプレックスデビルが所有する土地の山にあるもので、地図にも洞窟がある事は示されていない。霊的磁場も強く、一目に離れているので、主に犯罪的な儀式を行う事に、利用している。


「気になる噂を聞いたんだけどね」


 シャーリーのその一言で、来るものが来たかと思いつつも、不敵な笑みをこぼす俊三。


「貴方が国仕えの術師を殺して回っているっていう噂。他国に雇われて、霊的国防を削ぐための尖兵の一人となったっていう噂」

「噂が真実だとしたら、先生は私をどうするのかな?」


 動じた様子を全く見せず、笑いながら問い返す俊三。


「噂が真実だと証明されてしまったら、私が貴方の顔を焼いてあげる。でも真実の隠蔽には協力してあげてもいいよ」


 不義理ではあるが不肖ではない弟子に向かって、シャーリーもにやりと笑ってみせた。

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