第三十五章 2

 その日、純子は月那美香事務所を訪れていた。無論、ミュージシャンとしての表通りの事務所ではなく、始末屋としての裏通りの事務所にだ。

 美香はオフだったが、オフの時は大抵こちらの事務所にいる。クローン達も同様だ。


「タスマニアデビルのあの渋いウェイターに怒られてしまった! 未成年の一気飲みは駄目だと!」

「お酒がそもそもあまりよくないんだけどねー……」

「しかしタスマニアデビルでは未成年も年齢分けして、成長に合わせて酒の種類と飲む量まで決められているし、そのうえで飲み方まで注意されるとは!」

「ウェイターさんは、美香ちゃんの体を考えて注意してくれているんだから、ちゃんと大人になって聞き入れなくちゃ駄目だよー」

「ぐっ……そう言われると確かに私が悪いか! こんな風に愚痴ること自体も幼いな!」


 純子に諭され、己の非を認める美香。


「しかし一気飲みは私のポリシーであるし、それを否定されるのもだなっ!」

「おーい、幼稚なオリジナル。客が来たぜよ~」


 ノック無しに二号が部屋の扉を開けて声をかける。


「依頼者のアポなど無かったし、今日はオフだぞ!」

「だよねえ。直接来た時点で怪しいし、何かそいつの見てくれも怪しかったから、追い返すなら追い返しとくッスよ」

「いや、そう言われると興味が沸く! 何か事情があるかもしれんから、会うだけ会ってみよう!」

「まずここから様子見てみたら?」


 二号がホログラフィー・ディスプレイを開き、玄関前で待たされている来客の顔を映し出した。黒縁眼鏡をかけたくたびれたスーツ姿の、小柄な中年男だ。


「うっ……」

 そこに映った人物を見て、純子が嫌そうな顔になる。


「どうした!?」

「すまんこ。私……その人と関わりたくないから、ここから避難するね。じゃあ、また……」


 慌てた風に、純子は亜空間扉を開いて亜空間の中へと入り、姿を消した。


(どういうことだ!? あの純子が逃げるようにして帰っただと!? この人を避けて!?)


 そんなにヤバい男なのかと勘繰る。普通のサラリーマンにしか見えない。


「話を聞こう! 上がってくれ!」

『おお、ありがとうございます』


 インターホンに向かって告げると、男が玄関で深々と頭を垂れた。


 男は花野慶一と名乗った。内勤営業を務めるサラリーマンだという。にこにこと愛想がよく、ぱっと見は人畜無害なイメージだ。

 しかし美香は薄々感じていた。この男は羊の皮を被った肉食獣だと。人を殺したことも有りそうだと。


「アポを取ってほしかったものだが、一応ここまで来てくれたんだ! 話を聞こう!」


 応接間に通し、向かい合って座る二人。二号は部屋の外にいて、扉の隙間から様子を伺っている。


「その前に……今までここに、純子ちゃんがいませんでしたか?」


 にこやかな笑顔で問う花野に、美香は一瞬、答えを迷う。


「いたぞ! それがどうした!?」


 誤魔化すより正直に言った方がいいと判断し、正直に答える。


「いやね、私と会うのが嫌で、逃げたか隠れたかしたんじゃないかと。ふふふ……相変わらず嫌われてますね、私は。おっと、依頼内容ですが……」


 にこやかな文字通りの営業スマイルを張り付かせたまま、花野は用件を口にした。


「谷口陸という男を御存知ですか?」

 花野の口にした名に、美香は固まった。


「ああ、知っているとも!」


 変わらぬ笑顔の下に、おぞましい悪意が隠れ潜むのを感じ取り、美香は表情を強張らせる。


「あ、御存知でしたか。有名な殺人鬼らしいですね。ええ、私は裏通りのこととか、あまりよく知らないのですが、何でも、月那さんはその方に狙われたとか」


 いけしゃあしゃあと話を続ける花野。この時点で美香は、この男が依頼者というより、自分の敵ではないかと疑い、警戒する。


「もう死んだ! 殺した!」

「あ、そうだったんですか。知りませんでした。まあ、そんなことは大した問題ではありませんが、その谷口陸とずっと共に行動をしていた進藤由紀枝という女の子は御存知ありませんか?」

「知らん!」


 実際にはその名と存在くらいは、黒斗から聞いてはいる。しかし詳しい事情は知らない美香である。


(この男、何が狙いだ!? 小出しにして私の反応を見てからかっているようにしか思えんがな!)


 愛想よくにこにこと笑いながら話す花野に、美香は底無しの嫌悪感を抱く。


「おや、御存知無い? 谷口陸を家族のように慕って、ずっと一緒にいたのですが、谷口陸が死んでしまった彼女が、その後どうなったか興味はありませんか?」

「おいィ? おっさん。いい加減にしとけ~」


 部屋の外でこっそりと会話を聞いていた二号が扉を開けて、花野を睨みつけて険悪な声を発する。


「二号!」

「うひひ、何のつもりだか知らんが、このおっさん、依頼者とかじゃなくてはっきりと敵だべ? そうでなけりゃ、こんなネチネチとして脅しかけてこないだろーがよ」


 二号がねちっこい口調で言う。それくらいは美香もわかっているが、ここは泳がせて喋らせておきたかった。二号としても黙っていられなかったという気持ちはわかるが、ここで突っ込んだのは悪いタイミングだと、美香は思う。


「滅相も無い。ただ、私もいろいろと興味本位で尋ねてみた所でありまして。気に障ったのなら謝ります。はい、この通り」


 突然花野が椅子から降りると、床に膝をつき、笑顔で床に頭をこすりつけて、土下座してみせる。


「慇懃無礼どころの騒ぎではないな! 目的は何だ!? とっとと言え! 敵なら銃を抜く猶予くらい与えてやる! さっさと殺しあうとしよう!」


 立ち上がり、懐に手を突っ込み、美香は殺気を放つ。二号も臨戦体勢になっている。


「いえいえ、誤解ですよ。私はれっきとした依頼者です。進藤由紀枝ちゃんを助けてほしいのです。彼女、さらわれましたから」

「依頼は、その由紀枝を助けろというのか?」


 声のトーンを落として問う美香。しかしここまで散々慇懃無礼な態度を通し、全く切実さを見せずに、笑いながらこの話に至った時点で、敵意と悪意に満ちた罠だとしか思えない。


「はい。そういう依頼です。見つけだし、助けてあげてください」

「貴方と彼女の関係は?」

「ふふふ、殺したい者が同じフレンズとでも言いましょうかね?」

「断ると言ったら?」

「それを推奨します。何故なら由紀枝ちゃんはきっと、貴女のことも殺したがっていますから。そんな子を助けるなんてどうかしています。このまま見殺しにした方がいいでしょうねえ」


 楽しそうな口調で言うと、花野は立ち上がった。


「ではよろしくお願いしますよ」


 そう言って扉に向かう花野であったが、美香が動き、扉の前に立ち塞がった。


「ふへへへ、すげえ露骨な罠だけど、オリジナルは引き受けるつもりだよね? いつ何時でも、薄い本読んでいる最中でも、誰の挑戦でも受ける子だし」


 二号が後ろから訊ねてくる。


「応! 上等だ! 無視すれば無視したで、またちょっかいをかけてくるのも明白! しかし、お前はここから帰さない!」


 美香が懐から銃を抜き、花野の頭に突きつける。


「依頼という名の挑戦は受ける! その前にお前の本当の目的をゲロしてもらう! 拷問も辞さない!」


 ふと、純子がそそくさ逃げた事を思い出す。後で聞けば教えてくれるだろうが、あの純子があんなリアクションを見せるほどの男だ。一筋縄ではいかないと、美香は見なす。


「拷問は困ります。どうかお許しください。私は裏通りの住人でもない、ただのしがないサラリーマンですよ? 大目に見てください」


 全く臆してない様子で、やんわりと――いや、ぬけぬけと言ってのける花野。


「それは助かる! ただのしがないサラリーマンなら、そう長く拷問を続けなくても、ゲロしてくれそうだからな!」


 叫ぶなり、美香は花野の脛をしたたかに蹴りつけた。


「痛っ!」


 花野の顔から笑みが消え、顔をしかめて足を押さえる。


「おうおう、オリジナルもやる時はやるもんだわ。拷問の様子撮っていい?」

「もちろん不可! 私とて好きでするわけではない!」


 面白がって声をかける二号に言うと、美香は花野の鼻っ柱を容赦なく蹴り上げた。

 鼻血を噴出しながら、仰向けに倒れた花野の股間の上に、軽く足を乗せる。


「動くな! そして私の質問の答え以外を口にするな! 答えろ! お前は何者で、どのような意図で私に接した!?」

「私は邪魔者さえいなくなってもらえれば、それでいいんです。あの子に……私だけを見てもらいたい。それだけなんです。正直貴女のことはどうでもいいんですが、我々のリーダーの命令で仕方なく、貴女もターゲットにしました。つまり、動機は谷口陸と同じですよ。相沢真の巻き添えで、近しい位置にいる貴女は狙われた。はい、喋りましたよ。もう離してください」


 そこまで喋ってから、花野はハンカチで鼻を押さえる。


「全部は喋っていない! お前の動機が不明瞭なままだ! それに仲間のことも……」


 叫び声が途中で止まる。花野から殺気が迸ったからだ。


「ふんっ!」

「ギャアアアアアッ!」


 容赦なく花野の股間を踏みつける美香。花野も最早余裕ぶっていられず、苦悶の表情で絶叫をあげ、転げ回る。


 直後――美香は途轍もなく嫌な予感がした。


 美香の目の前――花野のすぐ横に、一匹の蜘蛛がいた。

 昨日、天井から蜘蛛が降ってきて、十三号が悲鳴をあげていた事を思い出す。


 美香は常日頃から、『夢使の報せ』という中級運命操作術がかかっている。これはパッシブな能力であり、意図的に使用する術ではない。常にかかった状態で、危険への予感を高める。この危険への予感は、連想という形で、危機へのさらなる指向性アンテナが働く。


(上だ!)


 落ちてきた蜘蛛から連想される、危険が来る方向。

 そしてどうにもできない事態を目の当たりにして、美香は目を見開いた。


「不運の後払い!」


 初級の運命操作術を発動させる。果たしてこれで乗り切れるか定かではない。


 天井一面にヒビが入り、応接間全体に崩れて落ちてこようとしているのが、美香の目には映っていた。

 何をどうやったのかはわからないが、花野の仕業という事はわかる。超常の力を用いたという事も。


(しかしそれではこいつ自身も……!)


 花野の方を見ると、転げまわって悶絶していた一方で、テーブルの下に避難している姿が映った。


 天井が崩れて落ちてきた。


「はあっ!?」


 部屋の外にいた二号は、一瞬何が起こったのかわからなかった。

 部屋中が瓦礫の山で溢れかえり、埃が立ちこめる。


「ふうふう……少しぞんざいな能力の使い方をしてしまったせいで、いまいちか……。でも、おかげで私も助かった」


 テーブルの下から這い出してきた花野が呟く。天井が崩れたとはいえ、上の階そのものが完全に落下してきたわけではない。天井の中央部程度に限られていた。

 故に、花野も――そして美香も生きていた。


「どういう能力かは知らんが、よくもやってくれたな!」

「え……?」


 同じ場所に無事な姿で佇む美香が怒号をあげ、憤怒の形相で自分を睨みつけているという事実に、花野は驚愕した。

 運命操作術は、最高の成果を発揮した。美香の頭上から落下する天井の破片は、全て落下の途中で縦方向になり、美香のいる空間だけを上手いこと避けた。


 美香が花野の側頭部を思いっきり蹴り飛ばし、花野は昏倒する。


「縛り上げろ。純子も呼んだうえで話を聞こう」


 静かに命ずる美香。


「自分で拷問するのが嫌だから、純子にさせるってことだよね。ぐひひひ。オリジナルってば本当、偽善者で卑怯者なんだからー。このっ、このっ」

「さっさとやれ!」


 いやらしい笑い声を漏らしてからかう二号に、不機嫌そうに怒鳴る美香であった。

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