第三十四章 8

 犬飼が肝杉柳膳という男に目をつけられたのは、犬飼が脳減文学賞を取って話題になり、仕事が大量に舞い込み、本屋で犬飼の本が売れまくっていた絶頂期の頃だ。


 それ以前から犬飼は、シニカルな題材や、ブラックユーモアが激しく、差別にも繋がりかねない作品や、風刺とも悪ふざけともつかぬキツい表現を多く書いていたが、有名になったことで、それらも自然と目立ってしまい、批判や糾弾の槍玉となっていた。

 その中でも最も酷い叩き方をしたのが肝杉であった。『悪書の影響がどうのこうの』『反論もせずに逃げている』と、犬飼が何も言わないことをいいのに、言いたい放題で、執拗に叩き続けた。


『脳減賞作家という権威を持つ立場でこの振る舞いは卑怯ですよ。ちゃんと表舞台に立って釈明なり謝罪なりすべきです。責任はあるはずです』


 肝杉のこの文言に、優は犬飼の前で怒りを露わにした。


「人前で無責任に人を叩くだけ叩いて商売する卑怯者が、よくここまで言えますね。こんなに恥知らずな卑怯者が、世の中にいることが――いえ、人間というのはここまで卑しくもなれるということに、絶望感のような気持ちを覚えます」


 優は真剣モードになっている時は間延びした喋り方をしなくなるのは犬飼も知っているが、その時はそれどころではない。犬飼は優が泣いている所など初めて見た。

 犬飼自身は批評されても全く気にしていなかったが、優がここまではっきりと怒りを訴えたのは、気にしてしまった。そして優だけでなく、自分のファンもこうして怒っているのかと意識すると、犬飼はその事実の方に胸が痛んだ。


「優……お前が俺の作品のために、そうして涙を流してまで悔しがっているのを見るとさ、俺も作家冥利に尽きるってもんで、嬉しいわ。お前のそんな台詞を聞けて、そんな所を見ることができて、肝杉に感謝してやりたい気分さ」


 優の気を和らげてやるため、大人ぶってそう言ってみた犬飼であったが、作品をけなされてファンが不快になった反応を直に見た事が、犬飼の中で小さな刺となって、突き刺さって残っていた。


***


 肝杉が国境イラネ記者団からの受けた最初の指令は、ケイトの懐柔であった。

 これまで散々ケイトを叩いていた自分が、どの面下げてケイトを懐柔するのかと、どう考えてもミスキャストだと肝杉は思ったが、この人選と指令は、自分が試されているのではないかとも勘繰った。それならば知恵を振り絞って、挑んでみる価値もある。


 まずはインタビューという自然な形で接触する事から始める。しかしその際に自分では駄目だ。故に取り巻きの中で最も使える、馬場殿治郎を起用した。


「懐柔以前にまず、ケイトを世間に引きずり出すことだと、国境イラネ記者団には言っておいたよ」


 喫茶店で馬場と向かい合い、肝杉は話す。


「数日前のネット配信による声明も、どこかに雲隠れした状態で、一方的に行われたものだ。記者と直に接して、インタビューという形で引きずり出すのが望ましい。現時点では、味方につける以前に、ヴァンダムのさらなる醜聞のために利用する方が、私は望ましいと考えるがね。話題を繋ぎ、さらにヴァンダムを貶めるためのネタにする、と」


 ケイトを味方につけるまでには、ステップを踏まなければならないと、肝杉は考える。


「インタビュー、応じてくれました」

 メールの返信を見て、明るい声をあげる馬場。


「意外だったなあ……。断られると思って、断れないようにする切り札も用意していたのに」

「切り札って?」

「七草がゆ事件だ」


 ニヤリと笑って答えた肝杉に、馬場は顔をしかめた。


「引き受けたから、使わずに済んだがね。こいつをネタにすれば、おそらくケイトはある程度こちらの言うことを聞く。いつか役立つと思って温存していた。ま、あの事件を書いた俺が引き合いに出しても、のってはこないだろうが、俺以外の記者が、いかにも誠実にあの事件を追っているように見せかければ、ケイトは断れないからな。しかし今は使わなくていい」


 あのネタを使ったら懐柔など無理ではないかとも思った馬場であるが、肝杉の判断に従えば、きっと上手くいくだろうとも考え、そこで思考を停止した。


***


 純子の元にメールが届いた。


『コルネリス・ヴァンダムを始末してほしい』


 相手はテオドールで、用件が端的に書かれていた。

 純子からテオドールに電話をかける。


「この電話は盗聴の心配はないよー。そういう風にできてるから。安心して話していいよー」


 テオドールが何か言う前に、そう切り出す。


「この前そう言わなかったっけ?」

『言ってないな』

「んー? 真君もいる前で言ったような気がしたけどなー」

『言ってないし、そもそも君と二人きりだった。誰か別の者と勘違いしていないか?』


 怪訝な口調で話すテオドールの反応を見て、これがテオドールのオリジナルではなく、研究所に足を運んで改造された、クローンの方であると見なす。

 一応かまをかけてみたが、本体が側で聞き耳を立てている可能性もあるし、録音している可能性も高い。あまり意味は無かったかと、純子は思う。


「今そっちの追い上げムードなのに、わざわざ殺害する意味なんてあるのー?」

『あくまで今そうであるというだけだ。奴がこのまま黙っているとも思えない。奴は世界を動かした男だぞ。エロコジカルブームを全世界に蔓延させ、人類の科学文明を停滞させた男だ。君にとっても忌々しい事をしでかしてくれた男だ。どんな反撃をしてくるかわかったもんじゃない。その反撃をさせないよう、殺せるものなら殺したい』

「私は殺し屋じゃないんだけどなあ。それに、私が改造してあげた力でもって、願いをかなえるってのが、私の所に来た者が通す筋なんだけど?」

『どんな改造をされたのかもこちらにはわからないのだが? 教えてもらってない。それに、君は改造した者をその後も手厚くフォローしてくれるとも聞くが、私にはしてくれないのか?』

「気にいった人限定っていう話でねー」


 純子の答えに、テオドールは押し黙った。


 純子は推測する。おそらく近くに本体がいて、次に何を言ったらいいか、指示を受けている最中だと。あるいは相談している最中だと。


『もう一つ……こちらから君の役に立てる事もある。デーモン一族の父とも言えるミハイル・デーモンを裏切り、殺したことで、一族内に君を敵視している者は多いが、それらを抑えるよう努力してみる。貸切油田屋もデーモン一族も、君とはもう敵対しないように訴える』

「そんな口約束を信じろっていうの? いや、あくまで努力してみる程度の話で、私に動けっていうのかなー?」


 自分でも言ってて意地悪だと思うことを口にする純子。しかしここはあえて、そういう態度を取らなくてはならない。


『それくらいしかもう差し出せるものが無いと、察してくれ』


 申し訳なさそうなトーンで言うテオドールクローン。この辺がオリジナルとの微かな違いであるが、本体もクローンも気付いていない。しかし彼と近しい立場にいる者が聞けば、きっと違和感を覚えるだろう。


「それにさー、別に私、君達に敵視されても全然困らないよ? そこからして間違ってるんだよねえ。私からすれば逆のことを要求したいなあ。もっと敵対してよ。どんどん刺客送ってきてー。私のルールでは、私に敵意や悪意を向けた人は、自由に実験台にしていいっていうことになってるから、敵は大歓迎なんだよねえ。いや、冗談じゃなく、これ本当に」

『執行委員会でそう伝えておこう……』

「ああ、それとさあ、テオドールさん、なるべく早いうちにもう一度うちに来てよ」

『何故? これでも忙しい身なのだがな』

「忙しいんなら別にいいよー。危険な改造をしたから、細かなチェックと調整が必要だと私は思うけど、強制はしないよー。ただの親切だし」

『……承知した』

「ヴァンダムさんの件は直接会った時に話そうかー」


 電話が切れる。


「さて、これで準備が整ったかなあ」

 顎に手をあてて微笑みながら、純子は呟いた。


「うまくいって、真君も納得してくれればいいけど」

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