第三十四章 5

 刺客側のバイクが一台転倒する。テレンスに撃たれたようだ。


 テレンスのバイクは、アドニスのバイクと並走する格好となった。

 先にテレンスが銃を撃つ。アドニスも撃ち返す。至近距離といっていいほど、互いの間合いは狭い。戦いはそう長く続かないと、アドニスは考えていた。

 さらに車からキャサリンが、アドニスめがけて撃ってくる。それによってアドニスの意識が分散される。


(バイクで走りながら二対一の銃撃戦か、まるで映画だな。しかし……あまり楽しいもんでもない)


 バイクに乗って銃弾を避けるなどという芸当、アドニスは慣れていないし、上手くはできない。それはテレンスも同じ条件だろうが、車から撃ってくるキャサリンのおかげで、余裕が全く無い。いずれ自分の方が先に崩れるのは目に見えている。


(もたない。離脱する)


 この状況で二人を相手にするのは無理がありすぎると判断し、アドニスがバイクの速度を落としたが、テレンスも同様に速度を落とし、ぴったりとついてくる。キャサリンのいる車とは距離が開く。

 一対一ならいけるかと踏み、アドニスがテレンスめがけて撃つが、テレンスはバイクを一瞬だけ大きく傾けてかわしつつ、地面すれすれまで傾いた所で撃ち返してきた。


「器用な奴だ」


 かわすだけでなく、あの体勢で撃ってきたことに感心するアドニス。そのうえ当ててきた。アドニスの銃に。

 アドニスの銃が弾かれ、車道に落ちる。予備の銃を取り出そうした矢先、テレンスがバイクごと接近する。


 テレンスがアドニスのバイク近くに迫った所で、バイクの上で逆立ちをしたかと思うと、まるでブレイクダンスをするような動きで回転し、体ごと足を大きく振り回して、アドニスの体めがけて回し蹴りを放つ。


(器用どころか、曲芸の域だな)

 テレンスの蹴りを食らい、バイクごと転倒したアドニスが思う。


 アドニスが起き上がる前に、テレンスがアドニスの側まで接近し、頭に銃を突きつけていた。


「何故撃たない?」

「殺すなと言われていますからね。今日は大人しく退いてもらいたいけど、どうします?」


 憮然として訊ねるアドニスに、テレンスは朗らかな笑顔で問い返す。街灯の逆光によって、あどけなさを残した愛嬌のあるテレンスの顔が、アドニスの目にもはっきりと見えた。


「わかった。降参だ」

 観念して両手を軽く上げるアドニス。


 一方、シャルル達は依然としてカーチェイスを続けていた。

 刺客側は車二台、バイクが三台あったが、バイク二台はリタイアした。そして今、車二台とバイク一台を、四台のバイクが後方から追いかけてきている。


 車の一台がタイヤを撃たれて停車する。こちらは防弾仕様ではない普通の車である。


 シャルルが乗る車の中から銃で応戦するが、敵のバイクは巧みにかわし、シャルルの車のタイヤも撃ちぬいた。


「俺に銃なんか使わせやがって」


 横転して停まった車の横にバイクを止め、ヘルメットも被っていないロッドが忌々しげに呟き、銃を腰に無造作に差す。


 横転した車の運転席から、弾かれたようにシャルルが飛び出し、ロッドめがけて透明の針を放った。

 見えづらい透明の針を、ロッドは大きく斜め横前方にステップを踏み、回避する。針が見えたのではない。シャルルの飛び道具を放つような手の動作を目にしただけで、反射的に動いて避けただけだ。


「他の人、手出しは無しでよろしく」


 シャルルが車から出てきた刺客達に釘をさす。一対一の戦いを楽しみたいという、ただそれだけの理由だ。


(殺気がないね。何かいろいろ事情でもあるのかな?)


 シャルルが口の中で呟き、今度は鋼線を三本ほど放った。


 鋼線を飛ばすための先につけられた錘も、鋼線そのものも、夜なのでひどく見えづらいが、ロッドは大体予測していた。ミランから聞いて、シャルルの手口はもうわかっている。


 ロッドの瞳孔が散大し、暗闇の中でも、こちらに飛来する錘と鋼線が、おぼろげだがロッドに見えた。それぞれ異なる角度から弧を描いて飛来してくる。

 地に胸がつきそうなくらい、大きく身をかがめてかわすロッド。


「くっ……!?」


 ロッドが身をかがめた瞬間、それまでロッドによって遮られていたバイクのヘッドライトの逆光が、シャルルの目を襲った。 


 シャルルの目が眩んだ所を、ロッドが四つん這いに近い格好のまま、一気に間合いを詰める。

 シャルルは慌てることなく、至近距離から鋼線をはねあげる。ロッドが接近戦を挑んでくることを警戒し、こっそりと仕掛けていた。


 位置的に見て、鋼線に絡み取られて輪切りになる確率高しと見たシャルルであったが、その見積もりは甘かった。

 あろうことかロッドは、その場でシャドーボクシングのラッシュをするかのように、素早く何発も拳を振るい、素手で鋼線を打ち、鋼線の軌道を全て反らしていた。


(いや、ただパンチで防いだだけじゃない。普通に打てば……拳が切断される。でも鋼線の方が弾かれている。打つ瞬間だけ、柔らかく――そしてコークスクリューで巻き込むように打って、斬撃を殺して、逸らしている)


 ロッドが間近に迫る最中、シャルルはどうしてロッドが鋼線を殴っても拳が切断されないのか、理解した。


 やがてロッドが己の攻撃の制空権まで、シャルルへと接近したが、シャルルにはまだ奥の手があった。


 シャルルは腹の前で両手の指先を合わせ、両手でお椀を持つような形を作ると、腹部に――丹田に気を集中した。

 ロッドの拳が放たれる前に、至近距離から裂帛の気合いを放つシャルル。かつて傭兵時代、仲間である李磊(リーレイ)より習った気孔術だ。本当はこんなポーズではなく、両手首を合わせて両手を広げ、腰に貯めてから前に突き出すというモーションで気孔塊を放ちたかったが、無理だと言われて仕方なく、シャルルからするとひどくダサいと思えるこのポーズで放つ。


 だがあろうことは、ロッドは至近距離から放たれたその気孔塊が見えているかのように、拳を叩きつけた。

 いや、実際に見えていた。かつてロッドが師事した剣道の師より、気という概念を徹底的に叩き込まれた事がある。その際は小馬鹿にしていたロッドだが、やがてそれを意識するようになり、それがはっきりと見えるようになった。


 確かにロッドの目にはシャルルの気孔塊が見えた。しかし、シャルルの力の方が上回り、ロッドの腕が弾かれ、ロッドの上体に気孔塊が当たり、大きく後方へとのけぞる。


 まだ油断はできないとして、シャルルは距離を取ろうと、後方に下がる。


 油断しなかったシャルルの姿勢は正解だった。ロッドは倒れることなく、すぐに上体を元の姿勢に戻すと、猛然とシャルルに向かっていく。


 ロッドめがけ、シャルルは腕を横薙ぎに払う。シャルルの腕より、大きく刀身の反った刃が体内より出現した。体の中に仕込んだ切り札の一つだ。


 ロッドは刃で胴を切り裂かれながらも、ひるむことなく、シャルルの腹部めがけてアッパーを放ち、とうとうその拳がシャルルの体にめりこんだ。

 うずくまり、血反吐を噴射しながら、七転八倒して悶えるシャルル。


「加減はした」


 面白くなさそうに言い、血の混じった唾を吐くロッド。シャルルの刃で切り裂かれた胴の傷は浅かったが、先程の気孔塊は結構効いた。


「ど、どうして?」


 最初から殺気が無かったが、どうして殺すつもりが無いのかが謎だ。苦痛に喘ぎながら、シャルルは尋ねる。


「殺すなと言われてる」

「誰に?」

「言う必要は無い。そもそももう追うことも無理だろう。大人しく戻ってキャンプしておけ」


 シャルルにというより、他の刺客達を意識してロッドが言い放つ。

 そこにテレンスとアドニスがバイクでやってくる。


「おやおや、ロッドは結構ぼろぼろですね」

「それでも勝った」


 からかうテレンスに、面白くもなさそうに言うロッド。


「追跡は失敗だ。こっちの負けだ。潔く戻るとしよう」


 アドニスが呼びかけ、刺客達が横転した車を元に戻して乗る。


(戻ってキャンプしてろってことは、ヴァンダムはまだ中にいるのかなあ? 出ていったのは他の人――そして警察は動かないけど、海チワワの面々がここまできっちりとガードするということは、それなりの重要人物……)


 そこまで考えて、シャルルは車に乗っていた者が誰か、何となくわかってしまった。


「ところで正美はどうした?」

「起こしたけど起きなかったよ」


 アドニスが問うと、刺客の一人が呆れ気味に答える。


「何しに来たんだか……」

 嘆息し、アドニスはバイクを走らせた。


***


 義久のもう一つの爆弾は、ヴァンダムが今後、各国政府に情報の流し売りを企んでいる事の暴露である。


「ヴァンダムに協力したメディアへの既得権益の件と一緒に暴露するより、時間を置いて暴露した方が効果的と踏んでね」


 夜になっても帰らずにいる犬飼に、義久が喋る。


「既得権益の件は、何の証拠も無いんだろ?」

 犬飼が確認する。


「無いね。でも実際に企んでいたんだから、例え証拠は無くとも、ヴァンダム陣営にはかなり大きな揺さぶりになっただろう。特に現時点でヴァンダムサイドについたメディアは、他のメディアにあげつらわれる立場となったしね」

「なるほどねえ、ヴァンダムがこれを否定した場合、高確率でこの既得権益は本当に無いものとされるわけだ。既得権益の甘い蜜を吸うことを夢見ていたメディアからすれば、肩透かしどころではない。ヴァンダム陣営に着いた事がデメリットでしかなくなる、と」


 義久の狙いを知り、犬飼は感心して微笑んだ。


「もう一つの爆弾は、各国を揺さぶるものだが、最初の一発で、各国政府も不審を抱いているはずだ。そこで俺はまず、ヴァンダムさんと繋がっていると思われる国々に、国境イラネ記者団名義で、繋がっている事はわかっていると指摘する文書を送りつけた」

「公開する前にやっちまったのか?」

「うん。その方が、効果があると踏んでね。もちろんヴァンダムは対策を取るかもしれないけど、構わない。ダメージにはなっている」

「なるほどねえ。しかしいいのかい? お前さん、完全にマスコミ寄りの立場になっちまってるけどさ」


 犬飼のさらなる確認に、義久は珍しくニヒルな笑みをこぼした。


「第四の権力と呼ばれるマスコミだけど、国家権力や財団の暴走の抑制にもなると、俺は信じてるからな。一応……俺もまだマスコミの端くれだと思っているし」


 法で裁けぬ悪や、法を隠れ蓑にした悪事を成す悪漢共に、ペンによる一撃を加える。そんな青臭い夢を見て、義久は新聞記者になった。いろいろと現実の壁にぶち当たってきたが、その気持ちをまだ失ったわけではない。


「権力者や金持ちからすれば邪魔者という側面もあるから、ヴァンダムが構想するマスコミ抑止機関は歓迎ってわけか。おまけに陰でこっそり情報の流し売りもするとあれば、流し売りした情報を元にして、マスコミに騒がれる前に手も打てる、と。しかし正直俺は、心情的にはヴァンダム寄りだし、マスゴミにまたデカい顔されたくないんだがなあ」


 複雑な顔で言う犬飼。


「犬飼さんはマスコミに嫌な思い出がいろいろあるみたいだから、そう考えるのも仕方無いと思うよ」

「ああ……俺が今まで出会ったジャーナリストっていう人種は、本当ろくでもない奴ばかりだったからな。尊大で横柄で自己中心的で、自分がこの世の中心なのだから、自分が知りたいと思ったことは全て周囲が教えなくちゃ駄目だと、そんなノリで接してくるんだぜ? そんな奴がテレビの前では善人面してやがる。義久以外は、大体そんなパターンだったわ」


 犬飼の話を聞き、義久も複雑な顔になる。確かにそういう人種は多い。


「あのね、記者のインタビュアーもさ、嫌々訊いてることも多いんだよ。こんな質問したくないけど、仕事だからって割り切り方でさ。嫌われるのもわかってて訊いてる。ま、そうでない奴もいるけどね。元々腐った性根の奴や、仕事している間に心まで腐っちまった奴も……」


 いろいろと嫌なことを思い出しながら、義久は語る。


「嫌われて、罵られて、冷たい眼差しをぶつけられ……特にあの視線が俺はキツいと感じたけど、しかし……皆慣れていく。順応していく。でも俺は慣れずに、ただ堪えていただけだったよ。堪えきれなかった後輩の一人が、取材時にひどく罵られた後、酒の席で喚いてた。『俺達を軽蔑していやがるくせに、お前ら新聞もニュースも見ているじゃねーか。お前達が望む情報を、俺達はかき集めて提供しているだけだ。俺達をいくら汚いものを見るような目で見ようと、俺達はお前達の写し鏡だ』ってね。その後輩も……昔は俺みたいに青臭い正義感で記者になったから、悔しくて悲しくて仕方なかったみたいだ」

「そっか……悪かったな。お前の前でディスったりして」

「いやいや」


 真顔で頭を下げる犬飼に、義久が照れくさそうに笑ったその時、家の呼び鈴が鳴った。


 銃を手に取り、モニターでインターホンの前を映すと、そこに驚きの人物が映っていた。

 玄関へと向かい、扉を開く。前時代的な視覚補助機をつけたケイト・ヴァンダムが、義久の顔を見上げ、にっこりと微笑む。


「ケイトさん、どうしてここに?」

「それじゃあ確かに送り届けましたよ~。お気をつけて」


 ケイトの後ろにいた、カウガール姿の太ましい白人女性――キャサリンが、手を振って立ち去る。


(送り届けた?)

 今の台詞を訝る義久。


「御苦労様、キャサリン。高田さん、しばらくココにいさせてモラエないでしょうカ?」

「いやいや……それは……」

「部屋二つあるんだし、隣に寝てもらえばいいじゃんか」


 ケイトの要求に、逡巡する義久であったが、犬飼が奥から声をかける。


「襲ワレル心配もアリませんシね。アルいは還暦近い年長者が好みトイウ可能性も有りますガ、高田サンなら大丈夫デショウ」

「いやいやいや……」

「あんたの亭主は知ってるのか?」


 犬飼が出てきて問う。質問したが、ここに来た理由は大体察しがついている。


「御負担ヲおかけしてシマウのは申し訳ナイと思ってイマス。主人と喧嘩をシテしまい、頭ヲ冷やしたいト考え、出てキマシた」


 照れくさそうに笑って答えるケイトに、やっぱりなと思う犬飼。


「高田さんにコノ話を持ちかけたノハ私デスし、ここにイレバ、知恵も力も貸せるデショウ。ドウカよろしくお願イします」

「義久の家が作戦本部ってことだな」

「うーん……」


 深々と頭を下げるケイトと、楽しそうに微笑む犬飼を見て、義久は腕組みして唸った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る