第三十三章 31

 赤村親子の記者会見があった二日後――つまり義久と千晶がグリムペニス日本支部ビルを訪れた翌日、今度はケイトがネットのライブ動画を通じて、単独でメッセージを発信した。


「昨日、千晶ちゃんと会いマシた。私に謝ッテいました。私モ謝りマシタ。そもそもは私が発端で、千晶ちゃんを辛い目に合わせてシマッタのですカラ。あの子ガ脅迫され、私を貶メルための片棒を担がサレ、どんなに苦しカッタか、どんなに悲シかったカ、それを思うダケで胸が痛みマス。彼女の心に傷が残ることガ最大の気ガカリでしたが、しかし……疑いが晴レ、真犯人が捕まって、私と向かい合ッテ笑いアイ、彼女ノ心に傷が残ってはいないト、私ハ確信しました。この事件ガ解決し、最も安堵シタことです」


 ここまで喋った所で涙ぐみ、会話を続けるのに十数秒を要した。


「現在のマスコミ叩きノ流れにツイテ、触レサせていただきます。夫コルネリス・ヴァンダムの主張には、一部肯定を示すと申してオキます。マスコミは真実をアリのままニ報道すべきデあり、商売や思想のタメに、余計な脚色ナドしてはいけマセン。情報の隠滅もシテはいけないことデス。ただ、夫は暴走の気配がアリます。私は夫が今カラ行オウとしている事ニハ、とても賛同デキません。メディアを監視シテ抑制する機関など、果たして必要ナノでしょうか。ソレを作ったとして、その機関ガ各国政府のいいようニ操られ、メディアを封殺シテしまう危険性は高いト、私は見てイマス」


 ケイトが夫の行いに難色を示す言動を取った事に、リアルタイムで視ていた視聴者の多くが驚いた。

 そもそもヴァンダムはケイトが叩かれていたから、マスコミを叩き返しだしたというのに、これではヴァンダムの顔に泥を塗ったようなものだ。

 しかし理屈としても主張としても、ケイトにはケイトで思う所があり、それを述べたともいえる。


 ケイトは以前から、グリムペニスの集金体制も平然と批判するような人物であった。悪しき部分が見受けられたら、身内であっても全く遠慮はしない。そこに好感を抱く者も多い。それを『人気取りのための演出』と、批判する者もいるが。


「マタ、私にはマスコミそのものに恨みハありマセン。烏腹さんノ起こシタ事件は悲しかったデスが、水に流しマス。それ以外のバッシングも気にシナイことにシマス。マスコミ全てが悪イわけではアリません。あまり詳しくは言えませんが、烏腹サンの事件を解決し、千晶ちゃんや私を救ったクレタ方は、正義のタメに立ち上ガッテくれたマスコミの方デシタ。全てを一緒クタにして悪とシテ叩いてハいけません。以上デス」


 完全にヴァンダム側に――マスコミイコール悪一色に傾こうとしていた世論が、ケイトのこの配信による発言の数々によって、少し揺らいだ。特に悲観していたメディア側に、『これはまだどちらに転ぶのかわからないのではないか?』という希望的観測が強く芽生えていた。


***


「旦那のやることを否定した発言をするとはね。これは……」


 ケイトのネットライブ中継を見て、正直真は、ケイトに共感のようなものを覚えていた。

 最愛の人であろうと、自分のために戦いだした事であろうと、間違っていたらきっぱりと間違っていると、世間に向けて言い放つのは、勇気も覚悟もいる。


「いい奥さんもってるねえ、ヴァンダムさんは」


 純子も感じ入るものがあり、真をチラ見しつつ、にやにや笑っていた。


***


 ヴァンダムは執務室にて、勝浦とテレンスの二人と、ケイトの配信をリアルタイムで視ていた。


「やれやれ……ケイトも言ってくれたな。君のために始めた戦いなのに、君が否定してくるとは……」


 苦虫を噛み潰したような顔で、ヴァンダムがぼやく。


「やめたらどうです?」


 テレンスが言う。正直な所テレンスは、ケイト側の心情である。


「いいや、やめんよ。私はもう決めたのだ。例えケイトが反対しても、私はこのまま奴等と戦い続けるさ。ここで手を引くのは納得がいかん」


 きっぱりと言い切るヴァンダムに、やっぱりなと、こっそり嘆息するテレンスと勝浦。


「そして私の構想が実現し、国際的なメディアの監視機関が実現すれば、私自身にも多大な利益をもたらすからな。実にやりがいがある」


 その利益どうこうの発想がすでに駄目だし、それをケイトが聞いたらまた叱られるのではないかと、勝浦もテレンスも呆れていた。


***


 貸切油田屋日本支部エントランス。ビトン、ラファエルを含め、職員達の何人もが、一緒になって大画面で映し出されたホログラフィー・ディスプレイを見ていた。


「これは、ケイトが蜘蛛の糸になる流れか?」

 ケイトの配信を視終えて、ビトンが呻く。


「それはまだ気が早いだろう。だがそうなったら、凄まじいまでの皮肉だな。自分達が吊るし上げて叩いた者に、逆に救われるのだから」


 ラファエルが言う。同じように見る者はきっと多いだろう。


「そしてケイトがそれを計算してやっているとしたら、とんでもない女傑ということになる」

「計算も入っているし、本音でもあるといったところじゃないか?」


 続けて口にしたラファエルの言葉に対し、ビトンが言った。


「こちらの大将がどう出るか、是非聞きたいものだな」


 ラファエルが後方に振り返り、声をかける。

 そこにはたまたま用事があって、貸切油田屋日本支部に訪れていた、テオドールの姿があった。彼も同じディスプレイで、ケイトの配信を見ていた。


「こちらの追い風に利用するという考えもあるかもしれないが、それは虫が良すぎるという話だ。恥知らずと罵られるだろうな。何より私はケイトの力など借りたくない」


 ケイトそのものに嫌悪感を抱いているアンチケイトのテオドールは、彼女が救いの女神になる展開自体、相当気に食わない。ラファエルが口にしたように、とんでもない皮肉だと受け取る。


「まだこの争いを続ける気か?」

「愚問だな」


 ラファエルの問いに、あっさりと返すテオドール。ラファエルとテオドール――鉄面皮と言われる者同士で、互いに無表情で至近距離で向かい合う。


「愚問? 愚行を続ける者がそのような台詞を口にするか」


 冷たく言い放つラファエル。


「このままヴァンダムを勢いづかせていいわけがないし、貸切油田屋とヴァンダムとの戦いに、黒星をつけていい道理は無い」


 テオドールも淡々と主張する。


「テオドール……これは君が勝手に始めて、貸切油田屋を巻き込んだ騒動だ。我々がいざとなったら、君だけを切り捨てるという処断に出ることは、頭の中にあるのかね? 君の寿命は、思ったより長くないかもしれんぞ? ここで退くのなら、これまでの功績に免じて――」

「今度はチープな脅迫か。噂通りの男だな。所詮は培養されたエンジェルネームか」

「はっきり言ってやろう。組織のことを第一に考えるなら、これ以上傷口を広げる前に、君をこの場でさっさと粛清した方が、それが一番良い選択だ」

「そう思うならやってみればいい」


 言い合いをした後、無言で至近距離から睨みあうラファエルとテオドール。


 傍で見ていてビトンは、両者が互いにどんな感情を抱いているか、まるで読めなかった。二人共、怒りも呆れも憎しみも悔しさも、滅多に表に出していない。内にはあるかもしれないが、あったとしても完全に押さえている。無表情のまま、冷たい圧力をぶつけあっていた。


***


 義久と犬飼も、ケイトのライブ動画を視ていた。

 ケイトに自分を引き合いに出され、義久は気恥ずかしさを覚える一方で、救いのような感覚と、報われた気分と、勇気を与えられたような気持ちと、とにかくいろいろな感情が渦巻いて、昂ぶりを覚えていた。


(義久はケイトの発言を聞いて、滾ってるようだが……。俺は逆の印象だ。何だか……薄ら寒い。千晶の件は別に何も感じなかったが、マスコミに恨みは無いだの、叩くなだの……それは聖女イメージの維持に努めるためなんじゃないかと……そんな心無いことを感じちまっている。俺の心が汚れているせいか?)


 義久の家にて、彼の隣で同じ映像を視ていた犬飼は、何かもやもやしたものを感じていた。それは自分でもよくわからない感覚だった。


(俺もアンチケイトなのかな? どうも受け付けない。何というか……この女がとんでもない嘘をついている気がするんだ。あるいは何かを隠している)


 犬飼は嘘や秘め事に対して、昔から異様に鋭い嗅覚を持っている。


(ケイトに粘着していたジャーナリスト達も、その臭いを嗅ぎ取っていた――とか、考えすぎかねえ)


 その時点では、犬飼は深く考えなかった。しかし疑念は壁ピンのように、犬飼の心にしっかりと刺さってしまった。


「マスコミの悪は十分わかっているし、それは改めなければいけないことだとは思う」


 昨日のヴァンダムとの言い合いを思い出しつつ、義久は言う。


「でもヴァンダムさんのやり方は、明らかにやりすぎだと感じるよ。これでは報道の信憑性が全く無くなってしまい、世に真実が伝わらなくなってしまう。社会悪や権力の腐敗も伝わらなくなってしまう」

「マスコミが権力者の暴走を防いでいたと、義久は本気で考えていたのかい?」

「どの国でも、為政者も企業主も、力を持った者達は外聞を気にしていた。そのために暴走しなかった。メディアがちゃんと機能していた国はな。マスコミがその役割を全く果たしていなかったとは、俺は思わない」


 犬飼の皮肉げな問いに対し、義久は揺らぐことなく断言した


「メディアは――情報の広い伝達は、それらを防ぐ役割を、確かに果たしていた。でも……何が恐ろしいかって、その報道への規制を民衆側が望んでいるという、最悪の構図なんだ。社会悪や権力の腐敗が蔓延る構図を、他ならぬ民衆が望むなんて……」

(つまり……こいつは……)


 犬飼が口を開こうとした所で、義久が電話を取る。


「テレビ電話要請だ」


 犬飼に断りを入れて、義久はホログラフィー・ディスプレイを投影した。

 テレビ電話のディスプレイに映し出されたのは、ケイトの顔であった。


『ゴメンなさいね。トテモ大事な用件なので、高田さんの顔ヲちゃんと見て、お話シタかったので。本当は直に会って話ヲしたかったノですが、そうもイカナクて』

「いえいえ」

『率直ニ述べます。高田義久サン。貴方に私の夫コルネリス・ヴァンダムを止めて欲シイ。あの人と戦ッテ、国際的な報道監視機関トヤラを作るのを、やめサセテ欲しいノです』


 ケイトが告げた要望に、犬飼は驚いていたが、義久はまるで予想していたかのように、表情を変えずにいた。


(俺と義久との役割が、いつもと逆だっ)


 真剣な顔つきで落ち着いたままの義久を見て、犬飼は思う。


『私は貴方ナラ、あの人とワタリあえるし、勝てるト踏んでイマス。モチロンそのためニハ自分もできる限り、力を貸すツモリです。ドウでしょうか?」

「丁度、俺もそのつもりだった所ですよ」


 ディスプレイのケイトに向かって、義久は不敵な笑みを浮かべ、静かに告げた。



第三十三章 マスゴミを燃やして遊ぼう 終

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