第三十三章 28

 雪岡研究所、リビング。真は義久から連絡を受けて、事の次第を知った。


「どうやら向こうは上手くいったみたいだ。あとは高田と千晶次第だな」


 リビングにいた純子に向かって言った。純子にも作戦は全て伝えてある。


「よかったねー。義久君達、頑張ったよー。あ、もちろん真君も」

「ああ、これで僕も赤村家の護衛は御役御免かな」


 屈託無い笑みを浮かべてみせる純子の方に、真が近づいていく。

 純子のすぐ側で腰を下ろした真が、唐突に純子を抱きしめた。


「ちょっ、ちょっ、ちょっと真君っ、どうしたのっ?」


 狼狽しまくり、顔が紅潮するのを意識しつつ、上ずった声をあげる純子。


「スハルトの話を聞いた時、人の弱みにつけこんで利用しているあの烏腹っていう記者が、まるで悪魔そのものに感じられた」


 いつもの淡々とした喋りではなく、熱のこもった声音で真は静かに語りかける。


「その後、スハルトはさらにお前とも契約しようとした。その時僕は……正直言って、お前も悪魔に見えた。お前もいつも同じことをしている。人の弱みにつけこんで、人体実験して……。でも、お前は全然違うと信じたい。何のかんの言って、助けてることも多いからな」

「んー……いや、そのー……」

「それに――僕がお前を悪魔にはさせない。お前の邪魔をするのは、そのためだ。あんな風に愚痴愚痴とお前に言ったのも、お前を悪魔にさせないための楔を打ちたかったからだ。気付いていただろたうけどな」

「うん……」


 それまで恥ずかしがって戸惑っていた純子だが、真が痛切に想いを訴えるのを聞いているうちに、胸に熱いものがこみあげてきて、自分でも無意識のうちに真の体を抱き返していた。


「僕のやってることは、他人から見たら泥沼の中での空回りなのかもしれないけど、それでも、僕が思ったことをやる。信じたやり方で行く」

「うん」


 あくまで静かに、しかし熱と力を込めて宣言する真に、純子は今この瞬間の気持ちと感触が、きっと強く記憶に刻み込まれるだろうと意識しつつ、酔いしれていた。


***


 烏腹は現行犯逮捕され、警察へと連行された。


「どうして殴られた私が捕まっているのだ。おかしいだろう? 差別か? 差別なのか? あの大男を暴行罪で訴えてやるっ」


 取調室にて、頭の毛の薄い中年私服刑事を見上げて、傲然と言い放つ烏腹。


 刑事――梅津光器は冷めきった視線を烏腹に向けていた。何故自分がわざわざ指名されたか、烏腹を前にしてよく理解できた。


「さっさと弁護士を呼びたまえ。あんな小娘の狂言に踊らされるなんて、警察も随分と暇なんだな。私が謀られたことなど、明白だろう。君達と違ってこんな場所にいつまでもいるほど私は暇じゃばっ!?」


 居丈高に喋る烏腹であったが、途中に梅津に殴り飛ばされ、椅子ごと床に転がる。


「弁護士? ダルいし呼んでやる気はねーよ。つーか弁護士なんて呼んだからって、お前さんに勝ち目はねーぞ。そもそも相手は裏通りだから、血の報復もありうるんだぜ?」


 梅津に説かれ、烏腹は殴られた頬を押さえながら、背筋に寒いものを感じていた。死の恐怖。そういえばあの巨漢は裏通りの住人だったと思い出す。


「それとな、俺らは裏通り課だから、普通の警官の常識は通じねーぞ。関係者におかしな注射をいっぱいうって、それでウラを取るとか、自殺に見せかけて容疑者(ホシ)を饅頭にしとくとか、そういうこともやっちゃう警察の暗部だからな」

「何で私がそんな所に捕まったんだ! 私は裏通りじゃないぞ!」


 さらなる恐怖に晒されて、烏腹は泣きそうな顔になって必死に喚きたてる。饅頭とは警察の隠語で死体を指す。


「そりゃお前さんを通報した奴が裏通りの住人で、うちらを名指しだったからさ。仕方無いね」

 せせら笑う梅津。


「裏通りだからといって何でも許されるのか! そんなこと認められん! 普通の犯罪課に回せ! 弁護士も呼べ!」

「うん、どっちも無理。つーか、うるせーんだよ」


 烏腹の襟首を掴んで無理矢理立たせると、さらにもう一発殴りつける梅津。鼻血を撒き散らして倒れる烏腹。


「頭が悪いのか? 両棲類だってもう少しものわかりいいと思うぞ? お前の生殺与奪の権利は今、俺に握られているんだ。それがわからねーのか? お前はただ聞かれたことを正直に囀り、必死に俺達の御機嫌取りをすることしかできねーんだよ。それ以外は禁止な」


 そう言って、今度は腹部をおもいっきり蹴り上げる。


「ウボァーッ!」

 血反吐を噴射する烏腹。


「それ以外の事を口にする度に殴るし、殴っている間に死んだら、適当に処理しておく。ここを出て警察に暴行されたと口にしようものなら、お前さんがどこに逃げようと地の果てまで追い詰めて、永遠にその口を閉ざしてやる。いやあ、国家権力と暴力による言論弾圧って、本当に素晴らしいねえ。そうは思わないか?」


 ここでようやく烏腹は理解した。警察の裏通り課とやらも、表通りの常識が一切通用しない、裏通りの一部なのだと。自分はそんな連中に目をつけられ、捕まってしまったのだと。


「正直お前は饅頭にしておいた方がいいと思うんだよな。ブタ箱から出たら、きっとまた赤村親子やケイト・ヴァンダムにつきまとう。また危害を加えかねない。なあ? 消えてもらった方が犯罪防止になるよな? おい、聞いてるんだ、答えろよ。答えなかったからルール違反な」

「ぶべら!」


 言いつつ梅津はまた 烏腹の服を掴んで無理矢理立たせ、加減抜きに烏腹の横っ面を蹴り飛ばした。


「おい竹田、取り調べ代わってくれ。お前が喜びそうな相手がいるぞ」

 内線で別の警察官を呼び出す梅津。


「今、裏通り課の尋問のスベシャリストを呼んだ。特高やゲシュタポも裸足で逃げ出すような取り調べになるだろうから、ショック死しないように覚悟しておけ。あと、反抗的な言動も取らないよう気をつけろよ。俺は優しいから最初に警告してやったぜ?」

「た、助げててで……もうやぶぇ……やめで……ぜんぜいにいいづけないから許じで……」


 涙と鼻水と涎と血でぐちゃぐちゃになった顔で懇願する烏腹。前歯もすでに何本か折れているし、顔の骨のあちこちにもヒビが入っている。幼少時から、暴力には滅法弱い男であったため、反抗する気力は完全に消え失せていた。


***


 烏腹が逮捕された翌日、千晶とスハルトは再び記者会見の場に立った。

 あの時は近くに烏腹が控えていたが、今は違う。近くに控えているのは義久と犬飼だ。


「私達は……この間の記者会見で嘘をついたことを、まずお詫びします」


 スハルトがそう言うと、親子二人して立ち上がり、同時に頭を下げる。


(ここで頭下げるのはタイミングおかしいな)

 犬飼がそう思って微苦笑をこぼす。


「私達親子は、あるジャーナリストに脅迫され、ケイトさんを貶める協力をしてしまいました」


 それからスハルトは、烏腹に脅されてやったことを全て暴露した。もちろん、自分が違法ドラッグの運び屋をやっていた事も、全て口にした。

 さらには、昨日の烏腹と千晶の会話の録音も、全てその場で流す。自殺未遂を起こせと告げた部分では、記者達も流石にどよめいた。しかしあの烏腹ならそれくらいやりかねないと、納得もしていた。


「私はこれから……警察に出頭して罪を償います。娘も……私をかばうためとはいえ、ケイトさんを貶めるために、虚をついてしまいました。その罪も償わなければなりません。しかし……できることなら、千晶に……千晶には、ケイトさんに直接会って、謝らせてほしいです。都合のいい、甘ったれたことを言っていると思われるかもしれないですが、それが……親としての、私の、痛切な願いです……」


 訴えながら、スハルトは途中から泣いていた。しかし千晶は泣いていなかった。覚悟を決めた顔で、しっかりと前を見つめていた。


(これはヴァンダムの支援にもなってしまうな。流れが傾き、マスコミ叩きが加速するのは間違いないだろう)


 隅で見ていた義久は、ふとそう思い、渋い顔になってしまう。


 義久からすると、それは望まぬ展開である。ヴァンダムはきっとこの顛末を利用しまくるはずだ。烏腹を引き合いにして、ここぞとばかりに大喜びで、マスコミの悪を訴えるだろう。彼がそういう男であることぐらい、義久にはわかっている。


(このままでよいのか? このままにしておけるのか? いや、絶対によくない)


 一つの結末は迎えたかもしれないが、この騒動がこれで終わったわけではない。この流れのままにはしておけない。

 義久は手土産を持ってヴァンダムの元に赴くつもりでいる。そこで確認しなくてはならない。そして……

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