第三十三章 26

 烏腹は上村親子を利用してさらにケイト叩きの記事を書くつもりでいたが、今やヴァンダムと貸切油田屋の対立構造に世間の目が向いてしまい、今このタイミングで記事を載せても、いまいち注目を浴びない気がするので、機を伺っている。


 しかし一向にこの対立構造の熱が沈静化せず、沈静化した際にはケイトにまつわる話題そのものが、賞味期限になりかねないとも考え、迷っていた。

 何より、赤村家に異変が起こっている。これが問題だ。裏通りのジャーナリストが赤村家に接近し、スハルトも信頼している様子であった。そのうえ千晶が逆らう旨を伝えてくるという非常事態発生である。

 千晶からの電話で、己の計画に支障がきたす予兆が見えてしまった。こうなっては躊躇してはいられない。今すぐにでも強引に赤村親子をしゃぶれるだけしゃぶって、記事を作った方がよいと判断して、烏腹は慌てて車を走らせていた。


 とりあえずは読者の情に訴える記事を作る予定だが、その前に大きなワンクッションが必要だ。現在、世間の目が赤村親子より、ヴァンダムと国境イラネ記者団の対立構造にいってしまっている。その前に注目をまたこちらに向けなおすための何かセンセーショナルな話題がいる。

 その話題は、すでに考えてある。千晶にリストカットをさせるのだ。そして『罪の意識のあまり自傷行為に及んだ少女。年端もいかない少女をここまで追い詰めて、だんまりのケイト・ヴァンダム。未だ聖女の仮面を被り続ける、最悪の卑怯者』などという論調で記事を書き、また世間の注目を集めればいいと考える。


 千晶から連絡があった翌日の昼。烏腹は車でとある場所へと向かっていた。


(あの高田義久とかいうデカブツもきっと関係しているに違いない。これは……不味いぞ。凄く不味いぞ。よくわからないけど不味いぞ)


 車を走らせながら、堂々と酒を飲む。飲まずにはいられない。今のストレスの貯まった自分を落ち着けるためにも、そして――これから自分が行おうとしている強引な手段を考えると、素面ではいられない。


(直接会ってどうにかするしかないな。あの小娘……貧乏移民の小娘の分際で、俺の思うように動かず、俺の手を煩わせるとか、絶対に許せない。二、三発くらい殴ってやるか)


 酔っていても怒りは抑えられない。むしろ増幅する。酔っ払ってトラブルを起こしたことも、過去何度もある烏腹である。


(俺を何だと思ってるんだ。誰だと思ってるんだ。ジャーナリスト様だぞ。この世で一番尊く気高い仕事をする者だぞ。真実の伝達者だぞ。畜生……それを……)


 声に出さずに延々と呟きながら、烏腹は乱暴な運転で、千晶の登校する学校へと向かっていた。


***


 現在、グリムペニス日本支部ビル前には、警官隊が列をなし、警護にあたっている。

 警察に連絡した際の応答の言葉に、ヴァンダムは呆れてしまった。『襲撃があったのは知っていましたが、そのまま自力で解決すると思って様子を見ていました』ぬけぬけとこう言われたのである。しかし警察に頼るという発想を失念していた自分も、相手をとやかく言う資格は無いとして、何も言わずにいた。


 ビルを護っているのは警官隊だけではなく、銀嵐館の戦士達もいる。こちらは数が少ないが、個々の力は警察官をはるかに凌ぐ。


 ビルから少し離れた位置で、十人近い外人と日本人の入り混じった集団が、何台かの車やバイクを置いて、遠巻きにビルの様子を伺っている。しかし近づこうとはしない。


「こりゃ打つ手無しだねー」

 シャルルが気の抜けた声で言った。


「しばらくこのまま待機か。しかしバイクで来た組はしんどいな」


 そう言ったのはアドニスだ。彼が実質、刺客達の指揮官のポジションにいた。


「テントと寝袋買ってくるしかないねえ。久しぶりだよ、そんなもので寝るのは」


 戦場を思い出して微笑むシャルル。


 と、そこへ新たにバイクが一台やってきた。


「マスコミか? 違うような気がするが」


 アドニスが呟く。バイクに乗っているのは女性だった。


 バイクが自分達の前に停まるが、警戒している者はいない。相手に敵意があるのだとしたら、こんな停車の仕方をするわけがない。接近して堂々と隙を晒しているのだから。

 黒とピンクの二色で統一された服装の女だった。ヘルメットも同様だ。おまけにヘルメットを脱いで露わになった頭髪も、けばけばしい蛍光ピンクである。


「ねね、私貸切油田屋って組織に雇われたんだけど、貴方達もそうだよね? 私はそうだと見た。違う? 違わないよね」

「そうだよー」


 女の早口での問いに、シャルルが答える。


「あ、よかった。私もなんだ。皆集ってるってことは、皆で協力しあうって認識でいいんだよね? 私も入れてくれるよね? 私だけ女だから仲間はずれにするとか、そんなことされたらムカつくんですけど。そこんとこどうなの?」

「勝手なことされても困るから、こちらに従ってもらおうか、鳥山正美」


 さらにあれこれ喋る女の名を言い当てるアドニス。


「え、外人さんなのに私の名前知ってたんだ。ていうか最近話題になってる始末屋のアドニスさんか。日本語上手いね。ちょっとなまりもあるけど気にならないくらい上手い」

「そりゃどうも。退屈していたんで、お喋りなのが来て、皆喜んでいるよ」

「え? 今の皮肉? 別に私お喋りじゃないよ? 勝手にそんなこと決め付けられても困ります。頭に来るってほどじゃないけど。それとも黙ってて欲しいの?」

「軽口程度だし、真に受けるな。喋りたければ喋ってろ」

「あ、そうなんだ。じゃあ喋ってるね」

(結局喋るの好きってことになるじゃん……)


 アドニスと正美のやりとりを見て、シャルルはそう結論づけて微笑む。


「で、今のこれってどういう状況? 貴方がリーダーなら解説してくれる?」

「見ての通りだ。流石に警察相手にドンパチは無謀すぎる。数も多いし、警察と敵対して目をつけられたくはない。依頼主にもそれを言ったら、仕掛けなくていいから、すぐに動ける位置にいて待機してろだとよ」


 正美の問いに、アドニスが状況を答えた。


 そこに一台のワゴン車が走ってきて、刺客達の横をすり抜けてビルへと向かう。


「あれはマスコミだな」

 刺客の一人が言った。


「どれどれ……」


 シャルルがホログラフィー・ディスプレイを投影し、テレビを映す。

 チャンネルを切り替えていくと、やがてグリムペニスビル前の物々しい様子を映している映像が映った。今ビル前に向かった車から映しているのは間違いない。

 しばらくすると映像が切り替わり、国境イラネ記者団代表のテオドール・シオン・デーモン――つまり彼等の依頼主の姿が映し出された。


『まるで我々が暴力に訴えたかのように見せている。見え透いた自作自演だ。我々はあくまでペンで戦うのだ』


 無表情に述べるテオドールの言葉を聞いて、シャルルがつけたテレビを覗いていた面々は呆れてしまった。


「ひどいわー。息を吸って吐くように嘘をつくことのできる神経は、理解しがたいね。同じ人間ということが信じられないレベルだよ。いや、そう思いたくないっていうか。別の種族と思いたい」

「俺達は……そりゃあ筋者かもしれないけど、それでもあれほどまでに堕ちたくないよ。自然と軽蔑の念が沸いてくる」

「うん、わかる。私も同感。正直私、ヴァンダムさんの言うことが正しいと思うし、応援しちゃう。ていうか何で私、こっち側で雇われちゃったんだろ。ヴァンダムさんにも依頼されてたんだよ? もう少し速く電話くれればよかったのに、それなのに先に貸切油田屋に先に依頼されちゃうとかさ。頭にきちゃう。プンプンだよ」


 シャルルと無名の殺し屋と正美がそれぞれ言った。


***


 千晶の通う小学校に着いた烏腹は、校舎の門前を見張っていた。

 少し速く来すぎてしまった。まだ下校の時刻ではない。


(さらえるポイントを事前にチェックしておこう。人目につかない場所がいい。下校のルートはわかっているから、曲がり角なんかかが……)


 そう思いつつ、学校周辺を念入りにうろうろし続ける烏腹。


(まだか……。糞、もよおしてきちまった)


 昼間からちびちびと酒を飲み続けているので、尿意が堪えきれなくなり、学校の脇で立ち小便をする。

 そんなこんなをしているうちに、時間が過ぎていき――


「もしもし、何か御用ですか?」


 不審がられて、校舎内から出てきた教師に尋ねられてしまった。しかし烏腹は特に慌てることもない。


「おっと、怪しいものではありません。私、こういうものです」

 烏腹が愛想よく笑い、名刺を差し出す。


『フリージャーナリスト 烏腹法之』


 教師風情など、ジャーナリストという肩書きの前には、安堵と尊敬によってひれ伏すであろう――そう信じて疑わず、得意満面に相手のリアクションを待つ。


「じゃーなりすとぉ?」


 ところが相手はますます不審げな顔になった。その反応を見て烏腹はかっとなる。


(こいつ、俺が何者かわかってないのか? 報道に携わる者だとわかってなお……教師風情のくせして何だ、その態度はっ。身の程知らずのゴミ教師が!)


 今までにも似たようなリアクションをされた事は何度もあるし、その度に同じようなことを思って怒っていた烏腹である。

 この件が終わったら次のターゲットは教師という職種にして、徹底的に叩いてやると、烏腹は心に決める。かつて子供の頃、その教師を散々盾にしていた事は、都合よく忘却の彼方に追いやっていた。


「ほら、以前ここに通っている子がテレビに出たじゃありませんか。私はあの子の知り合いですよ。赤村千晶ちゃんという子の。何なら本人に確かめてください」


 しかし通報されてはかなわないので、へりくだって正直に答えてしまったうえに、千晶頼みという形になってしまう。


(糞っ、この糞教師のおかげで、計画が台無しだ……)


 問答無用で車の中にさらって連れて行き、人気の無い所でたっぷりと脅しをかけて、言うことを聞かせるつもりであったが、それもできなくなってしまった。


 教師が確かめに校舎の中へと戻ると、丁度下校時刻になり、沢山の児童が校門から出てくる中、千晶の姿も確認できた。

 千晶はあからさまに警戒の眼差しを向けているが、それでも逃げることなく、烏腹の前で立ち止まり、烏腹と対峙している。

 校舎の外に出る前に千晶は、義久達とメールで確認はしている。すでに待機済みで、烏腹の姿が見える場所でちゃんと見張っていると。


(話せば、強引な手段を使わずとも連れ出せるか? いや、この状況ならその方がいい)


 そう判断し、千晶を見下ろしてにんまりと作り笑いを広げてみせる烏腹。


「どうしても話したいことがある。一緒に来てくれないかな。大事な話だ。ここじゃあ話しにくい」

「……」


 千晶はうつむいた。これは千晶にとっても望む展開であるが、即答しても怪しまれると考え、少し迷っているよう見せかけることにした。


「わかった」


 うつむいたまま頷く千晶に、烏腹の笑みが邪悪なものへと変わる。


「じゃあ……あっちに車が止めてある」


 烏腹に促され、千晶は車へと乗る。


「よしよし、ここまでは上手いこといってるな」


 近くの駄菓子屋の中に潜んでいた犬飼が、その様子を見てにやりと笑う。義久も店内にいる。


 真とは交代で見張っていて、丁度義久と犬飼が見張る番で、烏腹が現れた。スハルトの護衛がいなくなってしまうが、烏腹と千晶の動向を見張っている限り、大丈夫であるとした。


「じゃあ俺らも追いますかね。おばちゃん、長いこと邪魔してごめん」

「いえいえ」


 店のおばちゃんはにっこりと笑った。予め店のおばちゃんには、自分達は探偵だと言い、しかも登校時刻に千晶も連れてきて、この子をガードしているから見晴らせてくれと、ちゃんと断りをとったうえで、店内にいさせてもらった。


「バイクで尾行ってのは初めてだが……」


 その辺が義久は不安であったが、千晶に車の中で烏腹と会話をして気を惹き、尾行に警戒させないようにと、前もって頼んである。


「千晶からメールきた。おいおい……」

「どうした……って、マジかよ」


 メールの内容を見て、義久と犬飼は呆れた。『酒臭い』と、一言書いてあった。


「酔っ払い運転か。事故ったら、千晶を巻き添えにしないで一人で死んどけって所だがな」

「つーか、見失っちゃうからさっさと追う」


 義久がバイクに乗る。


「発信機つけてあるし、見失うことはないだろ。発信機だって、服の内側につけているし、ロリコンエロジジイでもないかぎりは、見つけられないだろうし」


 犬飼が義久の後ろに乗って言うが、その可能性とてあるから、念には念を入れて尾行しなければいけないと思う義久であった。

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