第三十三章 25

 赤村家には千晶と義久と犬飼の三名がいた。


 スハルトは足の治療のために整体院へと通っている。整形外科には回復の見込み無しとされていた足だが、最新の整体施術によって、動かなかった足が少しずつ動くようになったので、定期的に通っているが、その分、治療費がかさむ。


「それでも父さんの足が治ってくれるなら、その方がいいから、その分私が頑張るつもり」


 千晶は義久達の前で、明るい顔でそう意気込んでいた。


 尾行を終えた真が帰ってくる


「特に何も起こる気配がないから戻ってきた」

「そうか、おつかれさままま」


 真の報告に、義久がねぎらいの声をかける。


「歳の離れたおじさん二人より、こっちのお兄ちゃんの方が信用できそうなんじゃないか?」


 千晶を見て、真を親指で指して言う犬飼。


「おじさんは一人っ、俺もお兄さんっ。つまりこの場にはお兄さんが二人っ」


 むきになって訂正する義久に、千晶はくすくすと笑う。


「尾行している間暇だったからさ、時間を取らないで済むバイトを探してみたよ。これなら学校を休まなくて済むと思う。金も結構入るし」


 そう言って真がディスプレイを投影し、千晶の方へと飛ばす。


「真は気が利くねえ。おっさん二人揃ってそっちに気が回らないのは情けないよなあ」

「犬飼さん、しつこいなあ……って、おい、これ……」


 茶化す犬飼に憮然とする義久が、真のとばしたディプレイを横から覗いて、さらに憮然とする。


「裏通りの仕事じゃねーかよ……」

「何か悪いのか? 僕が懇意にしている情報組織『マシンガン的出産』の事務だ。自宅でも空いた時間にできるし、事情を話したら仕事回してくれると、ボスの古賀さんが言ってくれた。危険は一切無いし、悪いことをするわけでもないぞ」


 義久に突っ込まれるが、真は平然と答える。


「裏通りに関わるのが一切嫌だってんなら、無理にとは言わないよ」

「ううん、真さんが見つけてきてくれたものだから、私、やってみる。それに真さんや高田さんだって、裏通りの人なのに、そんな理由で嫌だなんて言えない。父さんだってわかってくれるよ」


 真が言ったが、千晶は笑顔で言い、ディプレイを食い入るように見つめて、仕事の内容を確認する。


(こんな子供の頃から、必死に金の工面をしなくちゃならないなんてな……。同じ日本だってのに)


 千晶は前向きな姿勢を見せているが、逆にそれが痛ましく思えてしまう義久。


(安い労働力目当てに移民の大量移入を実行したら、その子孫に至るまで貧困に喘ぎ差別に苦しむとか、最悪の構図だな)


 千晶の前ではっきりとは言えなかったが、彼女とて、例え子供であろうとそれは知っているに違いない。


「私……早くケイトさんに謝りたい……」


 真の持ってきた仕事をチェックし終えてから、千晶は沈んだ顔になってぽつりと呟いた。今、千晶の中にある一番大きな枷は、ケイトの件だ。


「わかっているだろうけど、ケイトに謝るだけでは済まない。世間に向かって嘘をついたと言わないといけない。それができるか? 重荷なんじゃないか?」


 真が千晶に確認する。


「やる。やるよ。でも今それしちゃ駄目なの?」

 三人をそれぞれ見て、千晶が問う。


「今やっても握りつぶされるし、君を脅していた奴にゲロさせないといけない。単純に暴力で脅迫させるよりも、奴の弱みを握りたい所なんだ。それで奴の動きをチェックしてるんだけど……」


 腕組みし、難しい顔で義久が言葉を濁した。


 烏腹がちょくちょく赤村家にちょっかいをかけに来るところを見ると、まだ赤村親子を利用しようという目論見はあるようだが、どう利用するつもりなのかがわからない。この状態では対処は難しいし、こちらから積極的に動いても、薮蛇になるという可能性もある。


「弱みを作ればいい」

 真が言った。


「千晶かスハルトさんを脅迫している所を抑えるんだ。このままただ付け回していても、あまり意味は無いと思う。中々尻尾を見せないしな」

「それ、俺も考えていたけど、下手すりゃ逆効果にもなるって、わかってるのかい?」


 犬飼がニヤニヤ笑いながら真に問う。


「いや、逆効果どころか、はっきりと危険だろ……。博打だろ」


 難しい顔で義久が言った。千晶も話を理解しているようで、顔に怯えが見える。


「手は二つだ。一つは烏腹にはっきりとノーを突きつける。こんなことはもうしたくない。全てを明かすと。そのうえで烏腹の反応を待つ。まあ大体最悪のものだろうが。念のため防弾繊維を編みこんだ服も着ていった方がいい」


 無表情のまま、考えていることを語る真。殺される可能性まで平然と口にする真に、義久は呆れてしまう。犬飼は含み笑いを浮かべている。千晶は真顔で聞いていた。


「もう一つは烏腹を現時点で脅迫することだ。千晶が真実を公表するというネタでもいいし、銃を頭に突きつけてもいいし、拷問してもいい。そのうえで――」

「やめやめっ、そんなの絶対却下だっ。正攻法でいかねーと逆に立場悪くなるって、散々言ってるだろっ」


 真の話を義久が途中で遮る。


「しかも女の子の前で何つー話してるんだよ、お前は」

「子供を見くびるなよ。子供の方が残酷だぞ。特に女子は残酷だ」

「うん、私もそう思う。私、そんなに弱くないよ」


 気遣う義久だったが、真が反論し、千晶までもが真に同意したので、義久は啞然としてしまった。


「私、脅されていたけど、それでも悪い人に協力して、恩人のケイトさんを裏切ったんだから、私も悪人なんだよ。だから……いい子扱いしないでいいよ」

「いやいや……」


 いささかムキになって主張する千晶に、義久は困り顔になる。


(わりと自己主張強い子っていうか、芯が強いっていうか……)


 貧しい暮らしで、親に頼るどころか親を支えないといけない身では、千晶がこのような性格になるのも自然なように、義久には思えた。


「裏切ったのは確かだし、悪いことをしたのは確かだが、悪人は言いすぎだ」


 真が珍しく優しい声音で言った。


「悪いことをしたから悪人というわけじゃないんだ。人は罪を――悪いことをしたくなくても、悪いことをしてしまうようにできている。悪人でなくてもな。お前も正にそれだ。例えばお前と似たような、悪いことをしたくなくても、事情があって悪いことをしてしまった人がいたら、お前はそいつを悪人だと思うのか?」

「あ……」


 真に説かれ、口元に手をあててはっとする千晶。


「口も上手いなあ……。ま、俺も同じこと思ってたけど。先に言われちまったい」


 おかしそうに微笑みながら犬飼が言った。


「千晶にその意志があるんだから、僕達はバックアップに回って護ってやればいい」

「いや、脅迫されたからって、こっちも脅迫仕返していい道理はねーよ。俺は絶対反対」


 真を睨み、義久は少し怒ったような顔できっぱりと言った。


「じゃあ、烏腹にはっきりとノーを突きつけて、烏腹を誘き寄せる手段の方だな」


 そう言ったのは犬飼だった。


「俺はこっちの案に賛成だ。もちろん千晶に危険が無いわけじゃあないが、このままじゃあ埒があかねーだろ」

「この手でいこう。烏腹と接触して、正直に気持ちを訴えろ。そうすればあいつも馬脚を現す。その様子をこっそり撮影なり録音すればいい」


 犬飼も自分に賛同してくれたので、さらに推す真。一方で義久は渋面になっている。


(真は最初からこれ、全部企んでいたんだろうなあ。だからこんな強引に話進めていくんだぜ)


 そう思いつつ、その後押しをしている犬飼であった。


(すぐにこの手を口にしなかったのは、千晶と俺らが親しくなる時間が必要だったからだ。信用させるためにな。そして二つの手段を提示して、その一つが酷い手段だったのは、本命を選びやすくするため――と。この坊や、結構頭回るねえ。流石は純子の側にいるだけはある)


 細い顎に手を当て、にやにや笑いながら感心する犬飼。


「私から……あいつに連絡入れてみるね」


 電話を手に取り、覚悟を決めた顔で千晶は言った。しかし手が小刻みに震えているのを、義久達三名とも見逃さなかった。


「言うべきことはわかっているか?」

 義久が問うと、千晶は無言で頷く。


「烏腹さんですか? 赤村千晶です。私、もう決めました。貴方の言うこと聞くのはもうやめます。嘘をついてたって、正直に言います」

『な、何を言ってるんだ! 馬鹿か!?』


 決然たる口調で言う千晶に、電話の向こうから狼狽したがなり声が響いた。


「いい歳こいた爺が、小学生相手にあの取り乱しようだぜ? 嫌だねえ……頭の中が馬鹿餓鬼のまま歳だけ食っちまうと、ああなるんだ」

「しーっ……声でかいよ、犬飼さん……」


 茶化す犬飼に、人差し指を口元に当てて注意する義久。


「お父さんのこと、バラすならバラすで結構です! 私も全部バラしますっ! もう耐えられません! 貴方は悪人ですし、悪人の思い通りになんてなりません!」


 一方的に叫ぶと、千晶は電話を切り、大きく息を吐いた。


「これでよかったかな?」


 男性陣三名の方を向き、不安げな微笑みを浮かべる千晶。犬飼と真はほぼ同時に親指を立て、義久は満足そうな笑顔で大きく頷く。


 すぐに電話が鳴る。相手が誰かは歴然としていた。


「出るな。出ないで無視しておくんだ。そうすれば……」

「うん、わかってる。あいつを誘き寄せるためだよね」


 真の言わんとしていることを察し、千晶が家の電話のコードを抜いた。


「ここからは千晶そのものをずっと陰から護衛だ。千晶には念のため発信機もつける。会話も聞こえるように盗聴器も持たせよう」


 そう言って真が、千晶にGPS発信機と盗聴器を渡す。


「烏腹が接触してきたら、その様子を遠巻きに撮影しつつ、会話を録音する。インカムを通じて、指示はこちらから出すから従ってくれ」

「うん」


 真の言葉に、千晶は覚悟を決めた面持ちで力強く頷く。


「えっと……尾行にも護衛にも向かない俺は、どうすりゃいいのかな……?」

 義久が不安げに尋ねる。


「何とか頑張ろう」

 義久の方を見ずに真は言う。


「いや、そこでいきなりアバウトになられても……」

「この作戦自体アバウトだから大丈夫だ。僕の思いつく作戦はいつもこんな感じだし」

「いや、それは全然大丈夫じゃないだろ……」


 真のノリが急に変わった事に、さらに不安が増す義久。


「烏腹がブチ切れて襲ってくる可能性もあるし、スハルトさんにも作戦概要を伝えて、通院や仕事を休んで護衛に回って欲しい所だな」


 少し真面目になって、義久が言ったが、真は首を横に振る。


「いや、スハルトさんには護身用の武器を渡して、千晶が夜から朝にかけて、家にいる時だけ守ってもらおう。正直、その時間帯には現れないと思うけどな。僕らはそれ以外の時間帯――千晶の登下校と夜まで見張る」


 烏腹はおそらく千晶一人を狙ってくると、真は見ている。スハルトに対する意識は頭の中から消えていると。

 狙うなら、例え障害者だろうと大人のスハルトよりも、女の子である千晶だ。いや、それ以前に、スハルトではなく千晶が拒絶を突きつけたのだから、千晶を狙うのは間違いないと。

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