第三十三章 マスゴミを燃やして遊ぼう
第三十三章 プロローグ1 火のない所に煙を立たせる
それは一年前の話。
世界中を騒がしたその事件は、日本で起こった。
丁度その頃、ケイト・ヴァンダムが来日中であった。夫のコルネリス・ヴァンダム同様に、ケイトは仕事上、世界中をひっきりなしに駆け巡っている。日本にも年に何度か訪れる。
ケイトが来日すると、日本の様々な団体から講演依頼や、寄付の無心が舞い込む。後者はともかく、前者の多くは時間的余裕が無いと伝えたうえで、幾つかの依頼をこなしていた。
グリムペニス会長のコルネリス・ヴァンダムもかなりの知名度はあるが、メディアの露出の多さも知名度の高さも、ケイト・ヴァンダムは夫のコルネリスをはるかに上回る。何より支持者の数が桁違いだ。
視角と聴覚の重複障害を持ち、会話もやや難があるケイトであるが、『国境とかマジファック糞喰らえ医師団』を初めとした、複数のNGOの代表者を務め、常に弱者達の側に立って福祉活動に従事する慈善事業家であり、現代のヘレン・ケラーなどと謳われていた。
ケイトは知名度だけではなく、莫大な資金力が有ることが、大きな武器でもある。それは夫からの寄付だけではなく、各国の企業や資金力のある団体と、ケイト自身が交渉して提携を結んでいるからだ。企業や団体は宣伝目的の寄付という形で、ケイトが代表を務める慈善事業財団に資金提供を行う。
それ故にケイトを商売人として非難する声も多々あるが、資金の流れは公開して明瞭にされており、不当な着服等の痕跡も見受けられないため、的外れの中傷だと逆に非難されている。
日本で起こった事件も、そういった誹謗中傷の類が発端だ。
日本に数多くいる貧しい移民と、その血を引く者達。四十年前、安い労働力目当てに大量に呼び込まれたはいいが、彼等に待っていたのは、差別と冷遇、最底辺の貧民としての過酷な境遇であった。
ケイトは日本における移民の扱いに対して、移民が差別されていると声をあげることもなく、ただひたすら彼等を救うため、金を出し、居場所とまともな職を与え続けた。もし自分が口に出して、日本における移民達とその子孫の扱いが悪いと訴えれば、多くの日本人は激しくケイトを敵視すると、わかっていたからだ。デメリットはあっても、メリットは何も無い。
移民への援助だけではなく、障害や難病に苦しむ者達や、孤児達にも援助を行っていた。
ある時、ケイトが移民に斡旋する職場で、移民に不当な強制労働を強いているうえに、虐待もしているという噂が立った。しかもそれをケイトも承知のうえで、保身のために見て見ぬ振りをして、不当な扱いに対しての訴えも握りつぶしているという。
それは最初ネット上に現れた、ソースの無い書き込みであった。しかしそれが、匿名掲示板やSNS等、あちこちでマルチコピペされだした。
「放っておきなサイ。この世の全てが味方になるナド、ありえナイいことです。私を嫌う者達が、私を悪ク言う言論の自由もアリますし、それで気が済むナラよいではないデスカ」
ケイトの周辺の者達が怒り狂う一方で、ケイトは穏やかな笑みをたたえて、これをなだめた。
「これは言論の自由云々の領域ではありませんよっ。明らかに事実無根の誹謗中傷ですっ」
自分達が信奉する女神の如き人物を穢されたかのようで、ケイトの支持者達は怒り狂ってケイトに訴えたが、ケイトは取り合おうとはしなかった。
あまりに聖人然としている事と、障害者という立場を利用としていると感じる者がいる事により、ケイトを疑う者や嫉む者も多い。そうした者達が敵視している事も、ケイトは知っているし、それは仕方のないことだと諦観している。
また、マスメディアの関係者達の中には、ケイトにまつわる根拠の無い陰謀論の支持者が多いことを知っている。特にフリージャーナリストを僭称する者達からすれば、もしも聖人のイメージが崩れるようなことがあれば、それは素晴らしいスキャンダルとなり、飯の種になると見ている。
この噂にまず商品価値があるとして目をつけたのは、肝杉柳膳(きもすぎりゅうぜん)という名のジャーナリストであった。
かつてケイトが代表する団体の、資金関係の流れに関する非難を特に粘着質的に、根拠もなく書きたてた記者が、この肝杉柳膳だ。ケイト本人は一切反応しなかったが、ケイトの事務所が全て反論して資金の流れを公開し、肝杉に非難が集中した際も、彼は一切謝罪も無く、その後も平然と正義のジャーナリスト気取りをしている。
「あんたらはケイトさんが運営する他所の移民援助団体と比べて、明らかに扱いが不当ですよ」
ケイトが携わる、移民の労働援助団体の一つに足を運び、肝杉はそこで働く移民達を前にして、そう訴えながら、その証拠となるデータを見せた。
データは間違ってはいなかった。捏造では無かった。当然だ。肝杉は事前に全て調べたのだ。ケイトが携わる日本の団体の中で、一番境遇が悪い団体を。そして比較した相手は、最も境遇の良い団体だった。
複数の団体を運営すれば、複数の人間の労働を斡旋して面倒をみれば、全てを公平になどできるわけもない。そしてそれが実は大きな差ではなくても、噂という種が予め蒔かれたうえで、正義の看板をジャーナリストという肩書きを持つ者が現れ、味方面してこの事実を突きつけてきたら、言われた方もそう感じてしまう。
「そんな……俺達、騙されていたのか」
「何で私達だけ不当に搾取されてるんだ?」
「他がいいのに我々だけこんな扱いを受ける謂れはない」
自分の見ている前で、あっさりと憤慨する移民労働者達を見て、肝杉はほくそ笑む。
(何しろ相手は最底辺にいる無知無学の労働者だからな。いちころだよ)
心の中で侮蔑しつつ、肝杉は火がついたという手応えを感じた。
火のない所に煙は立たないというが、彼等は火のない所に火をつける。その後で風を煽り、燃料を足し、大火事を起こして、その大火事の様を伝えることで商いをする。
移民達が声をあげて怒りを訴え、それが週刊誌の記事になって、ワイドショーでも報道された。
「これほど腐った商売を行う者がいるか?」
そのからくりを把握したケイトの周囲の者達は、マスメディアのやり口に底知れぬ怒りを覚えた。
しかしケイトは冷静だった。
「マズは、彼等への誤解を解くコトですヨ」
そう口にして、ケイトは怒りに燃える移民達の前へと自ら赴いた。
「皆さんが怒る必要は有りマセン」
移民達を前にして、ケイトは笑顔で告げた。
移民達はケイトを前にして、たったそれだけで彼女の放つオーラに圧倒されている。人を前にしている気分がしない。
「ソモソモ皆さんは何に対して怒ってイルのですカ?」
聞き取りづらいイントネーションの日本語で喋る。これは全ての言語においてそうだ。ケイトは聴覚障害の影響のせいか、発音がどうしてもおかしくなってしまう。
「全てを平等にするナド、無理ですヨ? 他と比べて劣ってイルと怒っても仕方無いデスよ? たまたまそういう境遇についたダケです。しかもそれを指摘されるマデ、不遇という意識などありマシたか? 辛かったと感じていマシたカ? 私が職場の斡旋をしていた他の移民の方々と比べて、劣等感がありまシタか?」
穏やかだが力強い口調で問うケイトに、移民達も彼女が言わんとしていることを理解し、動揺とともに羞恥を覚え始めていた。自分達が惑わされていたとも理解し、納得できた。
「モシそれでもドウシテモ今の境遇が気に入らないとイウのなら、もっとよい仕事に就くヨウ、取り計らいます。デモ、その分労働時間も延びるカモしれません。もっとキツい仕事になるかもしれマセン。もっと複雑な仕事でストレスにナルかもしれません。そしてもっと大変な問題は、今まで皆さんがしていた仕事は放り出すコトになってしまうというコトです。それはソレで困る人達が出てきてしまうコトになりますヨ? それでもヨイというのデスか?」
最後に口にしたケイトの言葉は、余計だったかもしれないと、後にケイトは述懐している。何はともあれ、移民達は納得し、己を恥じて間違いを認め、謝罪した。
ケイトは移民達を説き伏せた後、事のあらましを記者会見で全て述べたうえで、自分の周囲の人間や支援者達、それに世間も意識したうえで、こう発言した。
「戦う時は戦うノです。アヤフヤな噂程度でイチイチ怒ってイテモ仕方ありませんが、ここまできたら戦うのデス。名誉や誇りのためダケではなく、繋ぐ未来を守るタメに戦うのです。戦わずに放ってオイテは、疑惑がついてまわり、救うことも守ることモできなくなります」
この発言はケイトの新しい一面を見せ、さらなる人気を獲得する事なる。
また、この記者会見でケイトは全くメディア批判をしなかったが、結局悪いのは、裏付けも取らず報道して騒ぎを多くしたマスコミにあるとして、マスメディアへの激しいバッシングが起こった。
ちなみに事の発端である肝杉は、このような展開になることも読んでいたので、さっさと手を引いていた。
自分は火をつけて、一瞬だけ話題を煽り、一度だけ告発して表舞台に立ち、それで仕事は終わりだ。もう興味も無い。
相手の正当性が証明されようが、メディア側が杜撰な記事を書いていると言われようが、知ったことではない。いつものことだ。また同じことを繰り返すだけの話だ。また次のネタを見つけて、火をつけて燃やすだけ。そう、いつものこと。
こんないい加減なことをしていても、肝杉が仕事を食いっぱぐれることはないし、何度も似たような行いをしていても、愚かな民衆は必ず自分が撒く餌に食いついてくる。扇情的な下世話なニュースソース――地べたにひり出した糞に、喜んでタカる蝿共――それが民衆の正体だとして、せせら笑っている。
しかしその肝杉にしても、続くメディアバッシングの規模の大きさまでは、予測できていなかった。
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