第三十二章 28
シルヴィアと幾夜は建物の中に入り、すぐに異変に気がついた。
「おんや~、空間が微妙に捻じ曲がっているみたいねぇ。二階に上がったはずなのに、一階にいるじゃん」
建物の窓から外を見て、幾夜が言った。
「法則性の複雑な迷路みたいなもんだと思えばいい」
シルヴィアは過去何度か、似たような異界化した結界内に入ったことがあったので、特に驚きもしない。
二人がしばらく建物の中を歩き回っていると、通路の横に開きっぱなしの巨大な扉があるのを確認した。
扉の中に入ると、横には受付があり、男が座っていた。
「入場料とかいるのか?」
「御自由にどうぞ。賭け事に参加するなら、こいつをもっていきな」
シルヴイアが尋ねると、受付の男が番号札を二つ見せる。
「いや、いいわ。見物だけにしとく」
「えー、見物だけー?」
「その方がいいな」
シルヴィアの言葉に、幾夜は不満げな声をあげたが、受付の男は意味深に笑った。
中は劇場のホールのような場所であった。何十人もの人間が集って、壇上を見つめている。壇上はカーテンが下りたままで、カーテンの前には巨大なルーレットが置かれていた。
「外といい、この中といい、一体どれだけ来てるんだろうな」
シルヴィアが客席を見渡して呟く。
「今年は明らかに多いよ」
ホールの入り口近くに座った、やや太めの三十代くらいのいがぐり頭の男が、シルヴィアの言葉に反応して言う。
「国内もだけど、それ以上に海外組がやたら増えたね。有名なサイトに祭りの様子があげられて、それでわざわざ日本に足を運んだと。内外問わず、超常ヲタや魔術ヲタ、破滅願望のあるゴミ人間、あるいは本物の魔術師が沢山――てな所かな。あんたらは破滅願望があるように見えないし、ここはお呼びじゃないな」
「ここは何してるの?」
幾夜が男に尋ねる。
「見ての通り、懸賞を当てるのさ。ほら、始まるぞ」
『ルーレットスタート!』
スピーカー越しに声がかかり、ルーレットが回り出す。
『124番! 大当たりだー!』
「イヤアァァアアァアアァオ!」
当たった外人が壇上まで駆け上がり、袋をもらって喜んでいる。。
「おーうっ! がっでむ!」
しかし袋の中身を見て、袋を投げ捨てる。袋の中に詰まっていたものが、床に散乱する。無数の心臓だった。それを見た者達が笑う。
「人の心臓――にしては小さい。動物か、さもなければ……子供か」
シルヴィアが呟いている間に、幾夜が散乱した心臓の方へと近づいていく。
「よく見てなかったのね、あの人」
散らばった心臓を袋の中に入れて手に取り、幾夜が戻ってきてにやりと笑う。
「そんなもん持ってきてどーすんだよ」
「まあまあ、見てて」
幾夜が袋の中の心臓を一つ取り出すと、やにわに握りつぶした。潰れたその中からは、勢いよく色とりどりの様々な宝石が出て飛び散る。
「本物か?」
「呪いがかかっているから、多分この宝石は本物よ。わざわざニセモンの宝石に呪いをかけるとか、そんなのありえないしー」
「なるほど。でも気持ち悪いぜ。心臓の中に詰め込んだ宝石とか」
顔をしかめるシルヴィア。
「呪いもかかってるしね。でも呪いを扱える私にしてみれば、普通の宝石以上に宝物よ」
エメラルドを一つつまみあげ、しげしげと長めながら幾夜が言った。
「うわあああああっ!」
『うおおおおおおおおおおっ!』
突然悲鳴があがったかと思うと、それ以上の大音量で歓声があがった。
『おおっと、ここできたーっ! 33番、串刺し刑!』
壇上のカーテンが上がり、中からガタイのいい黒服男が五人ほど飛び出して、客席へと飛び込むと、33の番号札をつけた男の両脇を掴み、強引に壇上へと連れて行く。
カーテンが上がると、そこには様々な拷問器具や処刑道具が並べられていた。三角木馬、磔台、ギロチン、鉄の処女、ペンデュラム、ファラリスの雄牛、ガロット。
黒服に連れられた男が磔台に拘束され、泣き叫んでいる。その様子を見て、客達は笑っている。
やがて黒服の男達が槍を手に取り、腕、脚、肩、脇腹などに槍を刺していく。すぐには殺さずに、少しずつじわじわと痛めつけ、怖がらせ、絶望させて死なせようという趣旨であることは理解できた。観客達はそれを見てさらに沸いている。
「次は我が身かもしれないってのに、よく喜べるな」
「皆それを織り込み済みだからこそ、ここまで盛りあがれるのさ」
吐き捨てるシルヴィアの後ろに、受付の男がやってきて声をかけた。
「今電々院さんから連絡があった。あんたらを御招待するとよ。ここの最上階にいるから、上って来いだとさ」
男の台詞を聞いて、建物の中に入ってからの動きは監視されている事を悟る。ひょっとしたら、森の中でもすでにチェックされていたかもしれない。
「階段でか? エレベーターはないのかよ」
「あるらしいが場所は電々院さんしか知らない。空間歪曲迷路の結界は解いておくから、階段で直に行けるとよ」
「わざわざどうも」
皮肉っぽく礼を述べると、シルヴィアは足早にホールの入り口へと向かい、幾夜もそれに続く。こんな胸糞悪くなる場所に、一分一秒でもいたくない気分だった。
***
建物の中に入った葉山は、迷いまくっていた。
ルーレットのあるホールや、他にもイベントを行っている部屋を幾つか見たが、ターゲットはどこにもいない。
それどころかこの建物の中がおかしい事に気がついていた。幻影か、さもなくば空間が捻じ曲げられているのか、同じ場所をぐるぐるしているし、階段を上っても上の階へと進めない。
歩いている途中に、幾つか蛆虫マークと番号をつけておいたが、印が消えることもなく、同じ番号の印のついた場所に、何度も辿り着いていてしまう。
そしてしばらく迷っていて、葉山は気がついた。一応この空間の歪みには法則性があり、歩き方によって同じ場所に行くことができると。
それならば迷路の出口は確実にあるはずだと思い、階段や分かれ道の進み方を様々な方法で試している最中、明らかに今まで来たことの無い場所に訪れた。
「蛆虫なのに、今日は冴えています……」
微笑と共に呟く。
「あれ?」
しかし奇妙な事に気がつく。間隔を置いて通路に幾つか印が記されている。こんな印のつけ方をした覚えは無いし、法則に従って歩いていたら、このような場所にも出ないはずだ。
「つまり、迷路化した術が解けた……ということですか」
葉山はそういう結論に達し、階段を上っていった。
***
純子と安瀬が建物入り口に入った所で、純子は実覚えのある人物と遭遇した。
「おや、桃栗太郎さんじゃない」
「そんな冗談に付き合っている気分ではない。うちのお嬢を見なかったか?」
栗三が純子を見て、いつになく真剣な面持ちで訊ねる。
「見てないよ。そもそも私の役割があれだからねえ」
「それは承知している。すまないが、共に来てくれないか。私一人では対処できない相手がいる」
「いいよー。助っ人するかどうかは別としてね。襲われないかぎり、私からは手出ししないかもだよ?」
「それでもいい」
屈託の無い笑顔で確認する純子に、栗三は頷いた。
***
青黒い建物の近くに、水面が鮮やかに光り輝く池があった。そして池のほとりには、巨大トカゲの死体が転がっている。
「ジャップ!」
これは使えると判断し、アンジェリーナは死体の側にしゃがみこんだ。
作業をしながらアンジェリーナは祈る。
神に祈ったことなど無い自分が心から祈る。
許されざる大罪を犯した自分が罰を受けるのは仕方無い。
許されざる大罪を犯した自分が償い続けるのは仕方無い。
だが上美は罪を犯したわけではない。あんな優しい、いい娘を酷い目にあわせないでくれ。助けてくれ。いや、自分に助けさせてくれ。
代償に自分が地獄に落ちて永遠の責め苦を味わっても構わない。だからあの娘を酷い目にあわせないでくれ。自分が今から助けにいくから、それまでの間、彼女に御加護を……。
「ジャップ……」
震える手で作業を続け、そこまで考えた所で、アンジェリーナは涙を流していることに気がついた。
イルカは涙など流さない。自分の体は所詮、なんちゃってイルカだ。
アンジェリーナは気がついた。自分以外の誰かのために泣いたことなど、三十年以上生きてきて、生まれて初めてである事を。
そして思い出す。ついさっき、泣かないと言って、泣きながら強がっていた上美のことを。
さらに思い出す。川で溺れた自分に優しい言葉をかけてくれたことを。自分なんかが無事であって、ほっとしていると言ったことを。
思い出した途端、アンジェリーナの涙の勢いが増す。
あの時の上美や子供達も、川に流されていった自分のことを思って、今の自分のような心境だったのだろうかと考える。
誰かにあんなに心配された事が、今までの人生であっただろうか? 誰かをこんなに心配したことは、今までの人生で一度として無かったのは確かだ。
上美のはつらつとした明るい笑顔を、弾んだ声を、思い出す。あの愛らしい少女を失うことなど、あってはならないと強く思う。
「ジャッ……プ……」
アンジェリーナは神に強く訴える。祈るではない。願うでもない。最早それは訴えであり、要求だ。
呪われた大罪人である自分に、力を寄越せと。あの娘を救わせろと。自分は永遠に呪われても構わないから、上美の無事は保障しろと。
彼女が傷つき、酷い目にあうことだけは絶対に許さないと。もしそうなったら、自分が神を永遠に呪うと。
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