第三十一章 14

 アブディエル達が逃走した後、純子はラファエルとビトンの二人に報告しにいき、四人で応接間の方へと移動した。


「私は貸切油田屋内での、今後の振る舞いを考えなくてはならない。アブディエルは我々改革派をはっきりと粛清するつもりでいるし、すぐにでもその行動に移るだろう」


 沈鬱な面持ちでラファエルが言う。


「アブディエルは我々とは正反対に位置する者だ。己の利益と野心のためなら、そしてそれらの妨げになる者を排除するためなら、何十万、何百万人の血をすすっても平気というおぞましい異常者でサイコパスだ」

「なーんだ、私や累君と一緒じゃなーい」

「失礼ですね。僕も昔はそうでしたけど、今は違いますよ……」


 屈託のない笑顔で言う純子に、累は憮然とし、ラファエルとビトンは啞然とする。


「雪岡の計らいで、奴の会話は暴露された。それでもなお、奴が組織内で自由に振舞えるか?」


 ビトンが不思議に思って尋ねた。


「いや……あの会話を公開した事で、逆にアブディエルに同調する者も出てくると思われる。もちろん、反発する者も多いだろうがな」

「ということは、貸切油田内で激しく争いが起こるんじゃない?」

「どうかな……。改革派の数は少ない。潜在的に我々に同調する者達もいるだろうが、我々の存在を明るみにするには、まだ時期が早かった。争いを回避する方向にもっていく方が無難だろうな」


 純子の問いに対し、ラファエルは溜息混じりに答える。


「それにアブディエルは非常にクレバーな男だからな。常に数多くの策を張り巡らせて事に臨む。おそらくは今回の件も、自分に不利にならないよう、組織内でも一族内でも立ち振る舞い……」

「純子の策にあっさりハメられたのにクレバーですか? しかも今だって、無謀とも言えるがむしゃらな戦いを仕掛けてきましたよ」


 ラファエルの言葉を、累が呆れ気味の声で遮った。


「賢人は愚者を演じる事を容易くできますが、愚者が賢人を演じる事は非常に難しいでしょう。そしてあの男は、己が愚者である自覚も無い愚者ですよ」


 口ではそう言う累であったが、例え愚者であっても、アブディエルのあのひたむきな闘志を馬鹿にする気にはなれない。それどころか好感さえ抱いている。


(彼は生き方を間違えている気がします。支配者なんかを目指すよりも、戦う道の方が合っているタイプかと……)


 先程の戦いを見て、累はそう思う。


「それなら私は、賢人の振りをした愚者の本性も見抜けぬ愚者ということになるな」

 自嘲するラファエル。


「話は変わるけど、対策本部が出来た話は当然知ってるよねー?」

「ああ、ここにいるビトンも本部と行き来している。奴等の目的が、ゴースト・ウェポンの量産ではなく、他である可能性も聞いた」


 純子の確認に、ラファエルはますます沈鬱な面持ちになって答えた。

 普段無表情で、鉄面皮として組織内でも通っている彼が、はっきりと暗い顔を見せるのだから、余程の大事だろうと、ビトンは見る。


 朽縄正和を中心として築かれた霊乱対策本部より、純子にもメールは送られていた。その内容は、アブディエル達の目的は、新宿に邪気を蔓延させ、巨大な儀式を執り行おうとしているのではないかという推測であった。


「新宿にいる民を犠牲にして、力を得るなど……実にオカルト的でおぞましい発想だが、あの男なら真面目に実行しそうだ」


 忌々しげにラファエルが吐き捨てる。この男がここまで不快感を露わにするのもまた珍しいと、ビトンは思う。


「その話が出ていた時、丁度私も会議に加わっていたが、術というのは何でも有りというわけではなく、法則に基づいているのだな。しかしアブディエルは術どころか、超常の力も大して使っていなかったが」


 純子とアブディエルの戦いをこっそり覗いていたビトンが言う。超高速の戦いとはいえ、二人共、完全に肉弾戦だったのは意外に思えた。


「術っていうのは、超常現象を意図的に使用できるようにしたれっきとした物理科学現象の方式だけれど、その多くは、霊を操るか、精神を操る――もしくは精神を投影させるか、空間を操るか、幻影を作るか、そんなような代物だからねえ。ファンタジーやマンガみたく、炎やら吹雪やら竜巻やら稲妻みたいな自然現象を引き起こす術を使う人は、全体から見ると、わりと少ないんだ。まあ当然だけどね。燃費も悪いし使いかっても悪いし」


 純子がレクチャーするが、話を振ったビトンはともかく、ラファエルにはいまひとつ興味のわかない話であった。


「そもそも術の開発は、戦うことが前提ではないですからね。わりと戦うことを前提に作られている雫野流でさえ、全体的に見ると、RPGの攻撃魔法みたいな術はそう多くはないですし」

「雫野流の開祖の累君が、最高ではなく最強と称されているのも、その辺のニュアンスがあると思ってたけどなー」

「合ってますよ。妖術師として最高なのではなく、妖術師としての強さが最も秀でていると認識されていますから。単に術師として優れた者なら、僕も他に何名か思い当たりますし」


 新術作りの才能だけとっても自分は、まだ二十歳にもなっていない星炭輝明に劣るであろうと、累は認めている。


「術の話はいいとして、今後君達はどうするつもりか、よければ聞かせてほしい」


 じれったくなったラファエルが、本題に戻して問う。


「いやあ、何も考えずに楽しむだけだよー。向こうが次に何してくるか待って、それに合わせて遊ぶだけっていうか」


 屈託のない笑顔で口にした純子の台詞を受け、この悪名高いマッドサイエンティストの性格が、何となくわかったラファエルであった。


***


 ゴースト・ウェポン・プロジェクトチーム本拠地に転移して戻ったアブディエルは、かなりのダメージを受け、すっかりと消耗していたが、その気持ちは晴れやかだった。


(私の力でも、世界中のフィクサーが恐れるあの女に通じる。いや、通じた。十分にわたりあえた。もちろん向こうとて本気ではなかったろうが、それでも戦えた。手応えがあった)


 己が仇と見なした者の一人を斃すため、ずっとひたむきに三十年間、自分を練り上げてきた。そしてとうとう対峙し、正々堂々と正面から戦った。

 三百年も生きてきたアブディエルであるが、本気で殺し合いをしたことなど、今まで片手で数えるほどしかない。そういった機会が訪れることがほとんど無かった。


 己の拳を見る。拳が震えている。震えた拳を強く握り締める。震えているのは拳だけではない。全身が、だ。三百年も生きていて、ここまで熱くなったのは初めてだ。笑みが自然とこぼれるのを抑えられない。


(楽しかった……。この高揚感……。今も体が震えて興奮から冷めない……。一体どうしたんだ、私は……。こんな楽しみもあったのか)


 ふと、アブディエルは己を疑う。自分の生き方を。自分の性質を。

 支配者として君臨することを目指していた自分。秩序の僕(しもべ)であった自分。しかし人の生き方は様々だ。自分にも異なる生き方があるのではないかと。


(馬鹿な……。今まで積み上げてきた全てを、目指してきた全てを否定するというのか?)


 生じた迷いを打ち消し、震える拳をさらに強く握るアブディエル。


(くだらん。ただの気の迷いだ。一時の快楽に……興奮に酔っ払って……これまで目指してきた努力を、目的を、大儀を、信念を、正義を、全て捨て去るというのか? 馬鹿馬鹿し過ぎる)


 積み上げてきた苦労と時間を投げ出し、生き方を変えることなど、できるはずがないと、自分に言い聞かせる。理屈をぶつけていく。そして次第に興奮が冷めていく。


「アブラハムさん……いや、アブディエルさん、もうそのままで?」


 これまでの変装はしないのかという意味で、好吉が尋ねる。


「ああ、もう変装の必要はないし、この姿のままでいく。名前もな」

「本当の顔の方が格好いいなあ。でも呼び名が急に変わるのは戸惑う」

「今まで通りアブラハムでもいいがな」

「いや、それはそれでどうかなと……やっぱり本名の方で呼んだ方がいいでしょう。それより、アブラ……いや、アブディエルさんの前でいいとこ見せたかったのに、分裂体四匹も殺されちゃって、面目ないです」

「いや……片方を引きつけていただけでも、十分役に立った」


 フォローするアブディエルだが、本心の発言ではない。あのまま時間が経過していたら、好吉の分裂体は全て倒され、二対一になっただろう。


(使える力を持ちつつ、力を使いこなせない奴だ。こんな奴が大きな力を持ってしまったことが、ひどい運命の悪戯としか思えない。大きな力は、もっと高潔な人格を備えた者こそ、所持するに相応しいのだ)


 自分に仕えることが嬉しくてたまらない好吉に対して、アブディエルは侮蔑の念が沸くのみであった。

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