第三十章 17

「天草之槍」


 オンドレイが動く前に、輝明が術を完成させていた。二本の光の槍が、輝明の前方の地面から飛び出すかのように射出され、ゆるやかな放物線の軌道でオンドレイに降り注ぐ。

 銃を向けて撃とうとした正にその時を狙われ、オンドレイは舌打ちしてこの攻撃をかわす。


 その隙をついて、修が一気にオンドレイとの間合いを詰める。

 剣道三倍段と言うが、オンドレイと接近しただけで、修は相手の体術が圧倒的に自分より上であると、肌で感じ取った。どこに打ち込んでも、かわされるか防がれるヴィジョンしか見えない。


 しかし修は、前衛としての務めを果たさないといけない。時には囮に、時には盾となって、輝明に攻撃が及ばないようにするのが、修が常に請け負う役目である。


(自分より強い奴と戦った経験が少ないとか真に言われたけど、これは明らかに僕より強いなあ。いい経験できそうだぜ)


 恐怖を押し殺すため、頭の中でしきりに言葉を紡ぎ出しつつ、修はオンドレイの喉めがけて木刀で突きを放った。

 オンドレイは横に体を逸らして軽々とかわし、そのまま修に反撃しようとせず、輝明に向けて銃口を向ける。


(倒せなくてもいいから、倒されないようにしつつ、注意を僕にひきつけておかないと)


 コンマ数秒の攻防。輝明に向かって撃たれる正にその刹那、修は木刀を体ごと大きく振りかぶって、オンドレイの太い上腕部を打ち据えた。

 銃の引き金が引かれたが、丁度木刀で打たれ、狙いは大きくぶれて、銃弾はあらぬ場所を穿つ。


 オンドレイは修がここまで素早く超反応すると思っていなかった。修が前衛を務める目論見も見越して、隙をついて輝明を片付けようとしたが、修は己の役割を徹底していた。


「見くびっていたか。馬鹿者め」

 オンドレイのその呟きは、自分に対する叱咤であった。


(効いた。木刀にも関わらず、こいつの剣の扱いは真剣のそれだ。ブッた斬るかのような振り方だ)


 腕への痛撃を意識しつつ、オンドレイは思う。


「妖鋼群乱舞」


 輝明の術が完成する。輝明の足元から30センチ程度の小人のようなものが次々と沸いて出て、昆虫の翅を広げ、一斉に飛翔する。

 小人達は全員、金属質な光沢を帯びており、色も明るい銀色だ。頭部はあるが顔は無い。手からは小さな鉤爪が伸びている。


「む?」


 小人達がオンドレイの怪訝な声をあげる上半身に群がり、小さな鉤爪で引っ掻き出す。鋭い爪はオンドレイの皮も筋肉も易々と突き破り、さらにその傷口をひろげて、中へと潜りこもうとする。


「うがあああぁぁぁっ!」


 流石のオンドレイもこれにはたまらず、必死の形相で体をかきむしる。高速で手を動かして、次から次へと、金属小人を掴んでは握り潰して地面に叩きつけていく。


 そこに修が迫り、再びオンドレイの喉めがけて突きを放つ。


 しかしオンドレイは、体に群がる金属小人を防いで潰す方に意識を傾けながらも、修がこの機に襲いかかってくるであろうことも、ちゃんと警戒していた。


 上体を大きく逸らして渾身の突きをかわしたオンドレイが、その勢いで足をはねあげて、修の体めがけて膝蹴りを放つ。狙いは明確にしていない。顎でも腹でもいいし、相手をひるませるだけでもいい。金属小人に群がられている今は、これがオンドレイにとって精一杯の反撃だった。

 苦し紛れと言ってもいいオンドレイの一撃は、修の脇腹を膝で蹴り上げた。オンドレイにとっては幸運なことに、修の脇腹にうまく当たり、したたかに蹴り上げたことで、修の動きが止まってくれた。


 しかしオンドレイも体勢を崩し、体中をかきむしり、群がる小人を叩き落すのに必死になっている。


 輝明は術の行使中であった。この金属小人――妖鋼群を出している間は、他の術は使えない。


 修は苦痛に喘ぎながらも、ひるんだのは一瞬だけだった。倒れてうずくまってしまいたい衝動に駆られたが、倒れることはなく、先に体勢を立て直して攻撃に入る。


(顔の割にはいい根性してるな)


 しつこく食らいついてくる修を見て、オンドレイは思う。


 修が上段から振りかぶる木刀を、オンドレイはその巨体を素早く転がして回避した。さすがに今度ばかりはカウンターの攻撃を放つ余裕は無い。


 転がったオンドレイめがけて軽くステップを踏み、さらに木刀を振り上げたが、振り下ろされる前にオンドレイはさらにごろごろと転がって、その場を離れようとする。


 最早戦いの流れは完全に修が掴んでいたが、修はそこで勢いづくこともない。慎重に少しずつ追い詰める。

 自分がとどめをさす必要などない。あくまで輝明を護るための戦いに徹し、輝明を攻撃に専念させる。いつもそうしてきた。


 オンドレイが転がり出した時点で、輝明は術を解いた。そして次の術へと以降するため、呪文を唱え始める。


(次でとどめにいくつもりか)


 輝明が唱えている呪文を聞き、修はそう判断した。この術はまともにくらえば、ただでは済まない。

 ここが正念場だと思い、修はオンドレイが立ち上がろうとした所に、突っ込んで突きを繰り出す。


(ほんの少しも俺に隙を与えない戦い方だな。俺が後ろのチビっこいのに手出しさせないようにしている。そのためだけに、こいつは俺の前にいる)


 修の戦い方を見て、オンドレイにもそれは理解できた。


(だが、それがいかんのだ。お前はもしかしたら、後ろのお荷物がいない方が善戦できたかもしれないぞ)


 オンドレイが声に出さずに修に語りかけ、にやりと笑った。

 その笑みを見て、戦いの最中だというのに、何故か修の脳裏にあの言葉が蘇った。


『俺のためだけに戦うんじゃなく、自分のために戦ってよ』


 幼い輝明が口にしたあの言葉。オンドレイの笑みが、オンドレイの心が、修の心の中の何かとリンクして、蓋をこじ開けた。

 戦いの最中、たまにそんなこともある。修は幾度か経験したことがある。しかし今回のこれは、致命的にもなりかねない最悪の想起であり、修の心を激しくかき乱し、ほんの一秒足らずであったが、修の動きを鈍らせた。


 オンドレイ側からしてみれば、修がそこでどうして動きが急に鈍ったのか謎であったが、ともかくその隙を見逃す手は無い。


 だがオンドレイにとって、それは選択の瞬間でもあった。このまま修を攻撃して仕留めるべきか。それとも後ろの小賢しい妖術師を銃撃するか。

 修は自分と張り合うに十分なポテンシャルを持っている。例え輝明の援護が無くても手強い。修のこの執拗な食らいつき方を見た限りでは、輝明は修が落ちたらそれまでではないかとも思える。


 一秒にも満たない時間が、ひどく長く感じられた。その間にオンドレイの思考回路の計算機が、感情の渦が、最高速度で加速し、一つの答えをオンドレイの肉体へ与えた、その答えに従い、オンドレイの視線が、腕が、足が、修へと向けられた。


 自分めがけて突っ込んできて、三度目の突きを放つ修に向かって、オンドレイは立ち上がると同時に大きく地を蹴って踏み込む。


 修の木刀はオンドレイの喉と胸の合間をかすめ、オンドレイが繰り出した拳は修の顎と頬を打ち抜き、修の意識は途絶えた。


 輝明は修が崩れ落ちるのを見ても、その精神集中を少しも緩めなかった。どんな事があろうと、呪文を唱えて術を練り上げている最中は、その集中を緩めることはない。

 輝明の術が完成し、幾条もの紫電を絡めるようにして束ねた生体エネルギーが、輝明の体を中心にして渦状に放たれる。

 星炭の妖術の中でも奥義の一つとされ、その攻撃力も極めて高い、雷軸の術。その術を編み出した家の現当主に狙われ、退け、その現当主を殺害した者に対してこの術を用いるという皮肉。


 危険を感じ取ったオンドレイは銃を抜き、輝明めがけて撃つ。


 術の最中であったが、輝明はこれを避けるために動かざるをえなかった。しかし避けきれず、腹部に銃弾を受ける。

 輝明はその身に銃撃を受けてもなお、精神の集中を途切れさせることはなかった。紫電の渦は確実に広がり、やがてオンドレイの近くにも迫る。


 オンドレイは走って逃げようとしたが、紫電の速度がそれに合わすかのように速まった。


「があああぁあぁあぁぁぁ!」


 高電圧高電流を伴った生体エネルギーの奔流を浴び、オンドレイはその場に硬直して絶叫をあげた。


(き、気合いだ……気合いで堪え……)


 常人なら致命傷であろう電撃を浴び、オンドレイは意識を失った。

 だが死んではいない。オンドレイの常人離れした気合いは、常人なら致命傷であろう電撃にも耐えた。


「全員ノックアウトかよ……。ケッ……しまらねえな……」


 うつ伏せに倒れ、腹を撃たれた苦痛が今頃になって襲ってきた輝明が、顔をしかめながら呟く。


(俺、ここで死ぬのか……? 死ぬかもしれねえな……。嫌だな……もう一度ネトゲしたい……オススメ11にインしたい……)


 そんなことを考えながら、三人の中で最後まで意識を保っていた輝明の意識も、闇へと沈んでいった。


***


 病院を抜け出した綺羅羅が向かったのは、朽縄一族の本家邸宅であった。

 当主の朽縄正和に会って話すのが目的であったが、アポも取らずに、門番が会わせてくれるかどうかは疑わしい。


『どちらさまですか?』


 全身包帯だらけで思いつめた表情の美人の来客を、モニター越しに目にし、家人が不審げな顔をする。


「星炭の当主、星炭輝明の義母です。朽縄正和さんにお伺いしたいことがあってまいりました」


 星炭の当主の義母を名乗ったことで、家人はネットで身元確認を行い、本人と判断した後、当主に連絡を取った。


 綺羅羅は家の中の応接間へと通され、正和と面会した。


(これが朽縄正和か……。何というか……)


 初めて見るが、三十代くらいの小男で、覇気に欠ける眠たそうな顔といい、使い古した安物のコートやネクタイといい、ひどく見てくれの悪い、貧相という言葉がしっくりくる人物であった。しかし発せられている妖気から、かなり強力な術師であることはわかる。


「今度は母親が来て、何の用だ、な」

「輝明にした話を私にも聞かせてください。あなたの話の影響を受けて、あの子が星炭家の国仕えを辞めると言い出したのよ」


 綺羅羅の言葉を聞いて、正和は重い溜息の後、同じ話を聞かせた。

 正和の話を聞いて、綺羅羅は理解した。これなら輝明が国に背を向けても当然だと。いや、自分が当主でもそうするし、今や輝明の方に賛成したい。


「それ、うちの流派の者にだけでも話させてくんないかな。どうせ皆妖術師だし、外には漏れないからさ。そうしないと収拾つかないし」

「困ったもんだ、な」


 綺羅羅の要求に、困り顔でぼりぼりと頭をかく正和。フケが大量に飛んだので、綺羅羅は眉根を寄せる。


「しゃーないから、あんたの口から話していいんだ、な。三回も同じ話するのはごめんなんだ、な」


 許可が降りたので、綺羅羅はこの話を星炭の者達に聞かせるため、集会の呼びかけをすることを決める。


「国仕えをやめても、きっと国から依頼があるんだ、な」

 帰ろうとする綺羅羅に、正和が声をかける。


「だから食いっぱぐれる心配はいらないんだ、な。指令という形ではなく、依頼という形になれば、気分的にも違うし、無茶な依頼は断るという選択もできるんだ、な」

「アドバイスどうも……」


 正和に最後に言われたことは、星炭の財政問題は緩和できても、国に仕えて守護する者達であるという矜持は、維持できなくなるだろうと、綺羅羅は思った。

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